2001/11/22 - 2001/11/27
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chiaki-kさん
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『2001年宇宙の旅』は、1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督のSF映画。そして私の2001年はヨーロッパ文明の故郷ギリシャへの旅であった。
同年9月11日にはアメリカ同時多発テロが発生しており、しばらくは旅客機が飛ばない日が続いたが、11月になりやっと正常に戻ったので無事行ってこれた。しかし、日本以外のどこの空港にも自動小銃を抱えた兵士が警備に当たっていたのが印象的だった。
表紙の写真はツアー3日目に出かけたエーゲ海ミニクルーズで立ち寄ったイドラ島の港。何処を撮っても画になる島だった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 1.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
- 利用旅行会社
- JTB
-
2001.11/23
ギリシャに行った理由だが、海外へは1998年以降しばらく行っていなかったので、そろそろどこかへ行きたかったのと、ヨーロッパの起源となった国の現在の姿をこの目で見たかったのと、6日間という、比較的に休暇が取りやすい日程が決め手となった。
写真は3日間宿泊した「ディパニパレス・アクロポリス」という名のアテネではデラックスタイプのホテル玄関。 -
2001年は、まだ、現役時代なので、職場の組合が企画し、地元ツアー会社の催行するツアーに参加する。
写真は宿泊した部屋(2F)から見た裏通り。下にゴミ置き場があるが、毎朝3時頃にやって来るゴミ収集車の騒音には悩まされた。 -
朝食後に屋上のガーデンテラスから初めてみたアクロポリス。感動した~。
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10:00にホテル前よりバスに乗り込み市内観光開始。写真はゼウス神殿(手前)とアクロポリス。この辺から雨が降ってきた。
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ギリシャ国会議事堂だが、マニュアルフォーカスが無いため、ピントが窓に合ってしまい、こんな画像に。
なお、撮影に使用したカメラはソニーのデジタルマビカMVC-FD73Kという、FD(フロッピーディスク)にデータを書き込むタイプもので、図体の割にCCDは35万画素と画質も荒く、手ぶれ補正も無いので、見づらい写真が続きますが、ご容赦のほどを。 -
エウゾーニと呼ばれる無名戦士の墓を守る衛兵さん、雨の中ご苦労様です。ブレた写真ですみません。
*オリンピック採火式にもいらっしゃいましたね。 -
雨に煙る国立図書館に・・・
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アテネ大学。今、気がついたが、なぜか傘をさしている人がほとんどいない。基本的に南国。
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ペリープテロと呼ばれる売店はギリシャの名物。ミニ・キオスクみたいなもので、生もの以外何でも扱っており、なんと24時間営業!
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ギリシャ最初の観光はアテネのアクロポリスから。
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プロプュライア(前門)が目の前に迫る。
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坂の途中右側にあるのはイロド・アティコス劇場。実際ここで年に何回か一流の音楽家による演奏があるそうだ。
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プロプュライアとは神殿の入り口にある門のことであるが、芸術的に見てパルテノン神殿やエレクティオン神殿に勝るとも劣らない建造物だという。
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アクロポリスの遺跡はいたるところ修復中で、プロプュライアも例外でない。修復中の柱を見かけたが、ちょうどダルマ落としのような円柱形の大理石で、真ん中に穴があいている。昔はこの穴に糸杉を通したらしいが、以前の修復では鉄を、今回の修復ではチタンを使用しているとのことである。
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そして、パルテノン神殿がついに目の前に現れた。ここでパルテノン神殿についてスタディ。
パルテノン神殿は紀元前438年、アテネのアクロポリスの丘の上に建設された、アテネの守護神であるギリシア神話の女神アテナを祀る神殿で、ドーリア式建造物の最高峰と見なされ、1987年に世界遺産に認定されている。
神殿は紀元前480年のペルシア戦争にて破壊された後に再建され、当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟、そして後のアテネ帝国の国庫として使われた。1687年、オスマン帝国の占領後火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などは激しい損傷を受けた。
1806年、オスマン帝国の了承を得たトマス・ブルースは、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去ったあと、ロンドンの大英博物館に売却され、現在も展示されている。ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているが、実現には至っていない。(Wikipedia参照)
なお、ギリシア文化・観光庁は、パルテノン神殿の部分的な破壊の修復や保全など、後世に伝えるための修復工事を実行しているが、いつ終わるかは神のみぞ知るところだ。 -
パルテノン神殿の北側にあるのがエレクティオン神殿。神殿の名前はギリシア神話の英雄エリクトニオスに捧げられたものである。
ちなみに、パルテノン神殿はゼウスの額から生まれた知恵の女神アテナ(アテネの守り神)に捧げられた神殿で、スニオン岬にある神殿がポセイドンの神殿である。 -
カリアティードと呼ばれる6体の女人像はイミテーション。本物は新アクロポリス博物館に5体、あと1体は大英博物館にある。
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アクロポリスの東の端にある展望台から見たリカビトスの丘。眼下の街がアテネ1の繁華街、プラカ地区。
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リカビトスの丘はパルテノンより高く、山頂には教会と展望レストランがある。なお、山頂までケーブルカーで行けるそうだ。
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アクロポリスの崖下には普通の民家が密集している。
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アクロポリスはかつて要塞でもあったことが解る。
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展望台には大きなギリシャ国旗がはためいていた。なお、アクロポリス台上は、かつて様々な建物が建てられたり、破壊されたりした歴史を持っているためデコボコ状態で、まことに歩きにくい。
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右手にフィルムカメラ、左手にバッグと傘を持った19年前の わ・た・し。
*4トラでは初顔出しだが、時効ということで。(^^;; -
当時、アクロポリス博物館は丘の上にあった。
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博物館の中にあったエレクティオン神殿の女人像(本物)。今は2009年に丘の下に新築された新アクロポリス博物館に収まっている。
*右側の像の下半分のおかしな色はガラスに反射した照明。 -
アクロポリスの観光を終え、お土産屋に一軒寄った後は、市内のレストランで昼食タイム。
ゼウス神殿とアクロポリスを見ながらのお食事。実はここで初めて今回のツアーの皆さんのお顔をじっくり拝見する。う~ん、なんとバラエティに富んでいること...。なお、こちらも時効ということで修正無し。(^^;;
食事はサラダ、ドリア、スズキ、リンゴといった内容であったが、お味のほうはまあまあといったところ。食事を終えてレストランを出ると雨は一段と強く降ってきた。道路は見る見るうちに川のよう。 -
食後は再び市内観光に戻る。写真は第1回近代オリンピック競技場となったパン・アテナ大衆競技場。2004年アテネオリンピックの女子マラソンでは、この競技場へ野口みずき選手がトップで飛び込んできた。
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ちょうどこのときソルトレイクへ行く聖火が灯されていた。今夜はここでなにか祭典があるそうだ。それにしても、強い雨のため、グランドはまるでプール状態。
夏にはほとんど雨が降らないギリシャでは、この季節の雨は「めぐみの雨」らしい。しかし、排水溝をはじめ、雨対策のほどこされていない道路はたちまち川と化し、大変な状況となっていた。日本でこんなことをやったら役所の電話がパンクする! -
今回のツアーで我々を運んでくれたボルボ製のバス。車体中央にも出入り口のドアがあるバスをこの時初めて見た。
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アテネから南へ走ること約1時間。スニオン岬が見えてきた。ここには海の神ポセイドンを祭った神殿がある。道はまずまずの2車線だが、海岸線を走るためカーブが多い。バスに弱い人は酔い止めが必要かも。
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神々の投票?によりアテネに神殿を建てられなかったポセイドンだが、海の守り神としてこの地に祭られることとなった。
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内心おもしろくないものがあったのか、ここはいつも風が吹きすさび、大きな木もない荒涼とした場所である。
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我々が行った日も雨こそはやんでいたが、神殿にはすさまじい風が吹き付けていた。
アテネに戻ったバスは街の中にある、とあるレストランの前で停車。夕食タイム。、レストランは我々一行で貸し切り状態。添乗した組合のWさんより差し入れのギリシャワインを飲みながら前菜、サラダ、リゾット、そしておまちかねのスブラギを食す。味のほうはまあまあといったところ。
20:30頃レストランを出るが、入れ替わりにギリシャ人の団体さんがどっと入ってきた。アテネの皆さんは夜更かしなので夕食はこれかららしい。
21:00にホテルに戻るが、夕べからの疲れがたまっていたため、風呂を浴び、ウィスキーを一杯飲んだあと、CNNニュースを少し見て就寝する。しかし、時間の感覚が狂っているせいか、なかなか熟睡できず、夜中のゴミ収集車の音とか、3時に到着した次の班の方が流した風呂の水音などで、しばしば睡眠は中断された。 -
11/24
ギリシャ2日目はペロポネソス半島半周バスツアー。8:00にホテル前を出発。バスはいつもの緑バス。ドライバーはテオドロさん、ガイドさんは、あれ、日本人の女性だ。それとサブガイド?のギリシャ人の若いお兄さんが1人乗ってきた。
サロニコス湾に沿って高速道路を1時間ほど走り、着いたところはペロポネソス半島とギリシャ本土を分けるコリントス運河。 -
コリントス運河はペロポネソス半島の根元にあるコリントスに造られたもので、エーゲ海とコリンティアコス湾を結んでいる。1893年に完成。
全長6343m、幅は水面部で24.6m、河底部で21m、深さは8mの水門を持たない運河で、この開通により、従来のペロポネソス半島を大きく迂回するルートに比べて航路が400kmあまり短縮された。 -
運河の岩盤はもろく、崩れやすいので、鳩の巣が数多く見られる。
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橋を渡った店のスブラギがおいしいとの情報があったので、さっそく行ってみた。1本300ドラクマ(当時はユーロ未導入)で、小さなパンまでついてきた。夕べ、レストランで食べたスブラギより小さかったが味はまずまず。麦わらでつくった飾り物を売っているバアさんがいたが、あとでガイドさんに聞くと、ここの名物バアさんだそうだ。
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運河から15分ほど行ったところにコリントス遺跡はある。写真はアポロン神殿。紀元前6世紀のもので、ギリシャに残る神殿の中で最も古いもののひとつとされる。
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中央の女性がガイドのKさん。なんと長野県上田出身の方だそうだ。説明の内容は忘れてしまったが、楽しい話がたくさん聞けたような記憶がある。
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遺跡の後ろに見える岩山がアクロコリントス山。ローマ時代、山の上にはアフロデティ神殿があり、そこには世界の歴史上初の売春宿があったとのこと。
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神殿の横には人間の居住地であるアゴラがあり、会議場、商店街、裁判所や公衆浴場などがそなわっていた。写真は公衆浴場跡と思われる。
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こちらは水洗トイレの跡。
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コリントスを後に、バスは快適な高速道路を一路西へ向かった。ガイドさん、車中でギリシャ神話をいくつか披露してくれたが何人の人が覚えてくれただろう。
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バスの行く先は紀元前16~12世紀に栄えたミケーネの遺跡(世界遺産)である。左の写真に見える2つの山(イリアス山・ザラ山)の間にある小高い丘がミケーネ遺跡のある場所。
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ミケーネ遺跡到着。
ミケーネは、ギリシャ・ペロポネソス半島東部に位置する古代ギリシャ文明以前の古い文明が栄えた場所。1872年にドイツ人考古学者のシュリーマンによって遺跡が発掘され、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。
ミケーネの遺跡は、獅子門、円形墳墓A、王室、アトレウスの墳墓が有名で、そのいずれも巨大な切り石を用いた建築である。 -
紀元前10世紀頃、忽然と歴史から姿を消したミケーネ人が残した遺跡にある獅子の門。歴史の教科書でおなじみ。
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1876年、シュリーマンが発掘した円形墓地。シュリーマンはここで「アガメムノンのマスク」と呼ばれる黄金のマスクなどを発見し世界的に有名になる。なお、現在その黄金のマスクなどはアテネ国立考古学博物館にある。
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王宮跡へ登る道には大小の石がゴロゴロしている。履き物は最低限スニーカー、登山靴ならベストか。
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これはミケーネ遺跡から少し離れた場所にあるアトレウスの墳墓。まるで小さなピラミッドのようで、内部は高さ13.4m直径14.5mの石積のドームとなっており、盗掘によりなにも発見されていないが、当時の建築技術の高さを物語る遺跡である。
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ミケーネ遺跡を見たあと、コリザラスという名のレストランで昼食タイム。レストランの壁にはクリントン元大統領をはじめ、ここを訪れた有名人の写真がズラリと並んでいた。
ミニボトルのワインを赤・白2本注文するが、なかなか良かった。食事もガイドさんがお勧めする店だけあって、どれもおいしく、ことに最後にでたアイスクリームは絶品。その後、レストランから5分ほど行ったお土産屋さんで30分ほどショッピング。今回のツアーにはフリータイムが皆無のため、こういった時間が貴重。 -
ミケーネから南へ1時間ほど行ったところにエピダウロス遺跡(世界遺産)がある。ここは医の神であるアスクレピオスを祭った神殿もあるが(土台だけ)一番有名なのがこの古代円形劇場である。紀元前4世紀に建てられたものだが保存状態がよく、現在でも夏のシーズンにはギリシャ悲劇などが実際に上演されるという。
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音響効果がバツグンに良く、中央で落としたコインの音を一番上の席でも聞き分けられるほど。ガイドのKさんのリクエストで、「信濃の国」を全員で合唱する。観覧席にいた何人かの欧米人観光客さんから拍手をもらうが、何の歌かワカラナイだろうな~。
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ペロポネソス半島は大きな半島で、この他にもナフプリオン、スパルタ、ミストラ、オリンピアなど見どころはたくさんあり、全部見てまわるには1週間くらいかかるそうである。今回廻った場所はほんの入り口部分で、スケールの大きさと壮大な時間の流れに圧倒である。
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このあとバスはサロニコス湾に沿って再びコリントスへ向かうが、車内でサブガイドさんの種明かし。実は昨年の今頃、今日と同じコースを走っていた観光バスがバスジャックされ、世界的なニュースになったが、なんとこのサブガイドさんは、そのとき、そのバスにガイドとして乗っていた方だそうである。
バスジャック事件について調べてみた。
事件がおきたのは2000年11月4日。エピダウロス付近で、日本人観光客と添乗員33人、それに運転手と現地ガイドを入れて35人を乗せた観光バスがライフルを持った男に乗っ取られたというもの。犯人は現場近くに住む、クリストス・ケンディラスという48才の自動車修理工。原因は子どもを連れて家出した妻をめぐる人間関係のごたごたであった。
義母と知人を撃ち殺したあと、何を考えたのか、たまたま近くを通りかかった観光バスを乗っ取り、8時間にわたって、ペロポネソス半島やアテネ方面を行ったり来たりさせたうえ、18:50にアテネ近くのテレビ局で人気司会者に会わせろと要求、ライフルを置いてバスを降り、そのまま逮捕されたという事件である。なお、犯人はその後、アテネ警察で取調中、すきを見て8階の窓から飛び降りて自殺している。
政治的背景のない個人的な犯行であり、バスの乗客・乗務員には怪我も無く、8時間後にあっさり逮捕された単純な事件ではあるが、日本では危機管理対策室が招集されたり、ギリシャの首相が対応したりと、大変な事件であった。
こんなことを言うと、人質になった皆さんに申し訳ないが、あの同時多発テロと比べたら可愛いもので、犯人がバスを降りる際、乗客にむかって Sorry と謝ったくらいの事件である。これが世界的な記事になるのだから、やっぱりギリシャは基本的に平和な国である。 -
18:30頃、コリントスのドライブインで休憩した後、19:30にホテル到着。夕食はというと、21:15に玄関前集合とのこと。部屋でCNNを見たり、ホテル内をふらついたりして時間をつぶす。今から考えるともったいない時間であった。
21:15いつものバスがお出迎え。行く先はプラカ地区にあるタベルナ。そう、タベルナで夕飯を食べるんじゃ~。10分ほどでバスはプラカ地区の狭い小路に停車。そこから徒歩でタベルナへ向かう。途中、いろいろなお店があったが素通り。到着した店の名は忘れてしまったが長いテーブルが何台もならんでおり、300人くらいは収容できそう。店に入ったらいきなり「花笠音頭」!!の演奏が....。
まもなく世界各国のお客さんが着席し、飲み物の注文が終った後、ショーは開幕した。ギリシャの民族衣装に身を包んだ男女の皆さんによるダンスあり、艶めかしいピンクの衣裳のお姉さんによるベリーダンスあり、お兄さんやオバさんの歌ありでプラカの夜は盛り上がって行く。最後にはお約束のお客さん飛び入りショー。私が舞台に上がったかどうかは...教えられませ~ん。
食事の方はよく覚えていないが、どれも油っぽく、しつこいものばかりだったような気がする。メインのチキンなど一口も食べずにそのまま下げさせた方も何人かいた。
23:45ショーはまだ続いていたが明日が早いので引き揚げることとなった。添乗員さんの先導でプラカの路地を歩いてバスに乗り、ホテルへ帰る。毎日、毎日こんな感じ。きっと外国の方が見ると、この皆さんは軍隊か、警察か、消防関係者ではないかと思うだろう。 -
11/25
最終日はエーゲ海ミニクルーズ。アテナ女神が微笑んだのか、我々の行いがよろしかったのか、素晴らしい好天。7:45にいつものバスでホテルを出発し、15分後ピレウス港に到着。そこから2000t位の客船に乗り込む。
乗船口にギリシャの民族衣装を着たカップルがお出迎え。では無く記念撮影。まもなくガイダンスが始まる。船に乗り込んできたガイドさんはその名をヨーコさんという化粧の濃い日本人のオバさん。「この船にはタダのものはないのぉ。みんなお金がいるのぉ」ときた。まさに港のヨーコだ。 -
顔出し第2弾(^^;;
エーゲ海とうたってはいるが実際はサロニコス湾を半周する程度のツアー。しかし、好天にめぐまれればこのとおり。これでTシャツ・短パンならハイシーズン並。写真は遠ざかるアテネをバックに記念撮影のわたし。 -
クルーズで寄港する港は3カ所。最初はポロス島。記念撮影中お邪魔しま~す。
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ポロス島の波止場が近づいてきた。
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ポロス島は対岸に見えるペロポネソス半島に最も近い島で、ギリシャの島にしてはめずらしく緑が多く、こじんまりとした島である。
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とくにこれといって見るものは無いが我々が寄港したときはギリシャ海軍の水兵さん達で賑わっていた。50分寄港。
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ポロス島からイドラ島まで1時間ほどかかるので、ここで船内昼食。
ギリシャの食事はオリーブ油をたっぷり使って炒めたものが多く、あっさりしたものが好きな人は要注意。この時は、まずサラダとパスタが出て、このあとスズキのような魚を炒めたものが出た。なお、ワイングラスの向こう側にある小さな黒いボトルは私が持参した醤油のボトル!今回の旅行では結構活躍してくれた。 -
昼食後第2の島、イドラ島が見えてきた。このへんから海の色が透き通ってくる。
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イドラ島の港に入ってきた。
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これが我々の乗ったGIORGIS号。イドラ島は1時間20分寄港。またまた記念撮影中お邪魔しま~す。
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海の色が綺麗。
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イドラ島には緊急自動車とゴミ収集車以外の車は無いのでロバタクシーかテクシーで島内観光。
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ニャン発見。猫はイドラ島の名物。確か岩合光昭さんも撮影に来たような記憶あり。
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港にはロバ・タクシーをはじめ、観光客相手の土産物屋、レストランの他に銀行、教会、パン屋さんなどが並んでいる。
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表紙の写真の再掲だが、ほんとうに何処を撮っても画になる島だ。
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最後に寄った島はエギナ島。19世紀に独立後、一時ギリシャ政府が置かれていたというくらいの大きな島。2時間寄港。ここはアフェア神殿が有名。船内で島内観光オプショナルツアーを申し込んであったので早速バスに乗り込んで出発する。
なんと、港のヨーコさんまでバスに乗り込んできたのにはびっくり。バスガイド・ヨーコに変身!さかんにピスタチオアイスクリームのPRをする。島の狭い道を20分ほど走ってアフェア神殿に到着。時間はすでに3時をまわっていたので、夕暮れ間近といった雰囲気。 -
アフェア神殿は紀元前5世紀に建てられたドリス式神殿で、ギリシャにある神殿の中でも最も保存状態が良い神殿のひとつ。 当時は32本の柱で構成されていたが、現在残っているのは24本。
アフェア神殿の特徴は2階建てであることで、ギリシャの神殿建築では非常に稀なスタイルである。その他の特徴としては、エギナ島で産出された石灰岩で建てられていることが挙げられる。 -
遺跡の入り口にある土産屋さんに、ヨーコさん推薦のピスタチオアイスクリームを買いに行くと、何とそこにはアイス売りに変身したヨーコさんが...。
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19:00に船はピレウス港に帰港する。緑のバスに乗って向かった先はチャイニーズ・レストラン。8人がけの丸テーブルに適当に座り、まずは中国茶を一服する。う~ん、うまい。
飲み物はビールを注文。1000ドラクマ。食事のメニューは今一はっきり覚えていないが、やはり日本のお隣の国の料理だけにスイスイとはしが出た。味の方はというと、3年前に上海で食べた中華料理とはかなり違う。日本で食べる中華料理とも違う。いってみれば東西融合のヘレニズム中華といったらあたっているだろうか。
21:00にホテルへ戻り、風呂を浴びてから荷物のパッキングを行う。最後の晩なのでワイワイやりたかったが、また、あの眠れない飛行機に乗ることを考え、残念ながら22:00にベッドに入る。やっと時差ぼけもなおり、熟睡できるようになったと思ったらもう帰国である。
これで2001年宇宙・・・いや、ギリシャの旅は、終了です。こんな古い旅行記ですみませんが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- みかちゃんっすさん 2025/02/16 16:47:28
- いいね!ありがとうございます♪
- chiaki-kさん、私の拙い旅行記見ていただきありがとうございます!
「いいね!」まで頂きありがとうございます♪
ギリシャ旅行いいですね~(^^♪
私もいつか行ってみたい場所で憧れます!
コロナ禍で海外旅行に行けなくなって、いつ行けるのかはまだまだ先の事ですが、いつかは訪れたい所です♪
また訪問させて頂きますね~(^^♪
- chiaki-kさん からの返信 2025/02/17 14:21:45
- こちらこそ、いいね!ありがとうございます
- ・
みかちゃんっすさん、こんにちは。こちらこそ古いギリシャ
旅行記に”いいね”をありがとうございます。
> コロナ禍で海外旅行に行けなくなって・・・
私も2019年の南仏を最後に行っていません。コロナ禍がなければ
2020年5月にスイスにいっていたはずなので残念でなりません。
どうやら南仏が最後の海外旅行となりそうです。
顧みれば、トランジットだけの国も入れて40カ国に行くことが
出来ましたが我ながら良く行けたと思っています。
https://4travel.jp/travelogue/11883458
> また訪問させて頂きますね~(^^♪
最近は専らクルマで北海道や九州など国内巡りをしていますが、
よかったらそちらもご覧になってください。
https://4travel.jp/travelogue/11836781
では、また。
chiaki-k
-
- kamaさん 2021/01/07 12:10:16
- はじめまして
- chiaki-kさん、こんばんは。
kamaと申します。
この度は私の拙い白川郷旅行記に
投票下さりありがとうございます。
色んな国にいらしていて羨ましいです。
ヨーロッパには行ったことが無いので
「いいなー」と思いながら拝見しました。
本物の聖火をご覧になって、貴重な経験ですね。
まー、東京でオリンピックが出来るかは不明ですが・・・
スイス旅行残念でした。
私も昨年立てた予定が崩れてしまいました(泣)
早くコロナが収まってくれたらと祈っています。
次回もステキな旅を。
今後ともよろしくお願いいたします。
- chiaki-kさん からの返信 2021/01/07 13:59:41
- RE: はじめまして
- ・
kamaさん、こんにちは。こちらこそ古いギリシャ旅行記に
”いいね”をありがとうございます。
2001年、そして最初に選んだヨーロッパの国はヨーロッパ
文明が開化したギリシャ。そしてイタリア→フランス
→イギリスと辿って行きました。
> スイス旅行残念でした。
私の4トラ地域渡航図では、ヨーロッパの真ん中に空白の
穴が開いていますが、それがスイスです。これが最後の
ヨーロッパだと思って計画しましたが、見事につぶれて
しまいました。体力、金力?を鑑みて、これで、もう行く
ことは無いかなって思っています。
> 次回もステキな旅を。
現在はステイホーム中ですが、桜が咲く頃になったら
マイクロツーリズム的な近場のものを、コロナ禍が
落ち着いてきたら2泊程度の国内旅行を、そして終息後は
ハワイか台湾あたりへ行きたいなと妄想しております。
> 今後ともよろしくお願いいたします。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
chiaki-k
-
- しにあの旅人さん 2020/04/19 12:43:38
- 古い旅行
- でもいいんだ! 4Traのどっかに2018年以降の旅行にしろと書いてあったけれど、気にしないで書いちゃえばいいんですね。コロナ騒ぎで旅行に行けず、皆さんネタ切れでしょう。私も時間の問題。この前断捨離していたら、なんと46年前のソ連旅行の写真が出てきた。考古学的価値もあるかと、そのうち旅行記にトライします。
- chiaki-kさん からの返信 2020/04/19 17:41:46
- RE: 古い旅行
- ・
しにあの旅人さん、古い旅行記に”いいね”をありがとうございます。
>4Traのどっかに2018年以降の旅行にしろと・・・
4トラは2009年に入会しましたが、2005年より前の古い旅行記は
これから旅行を考えている方には、何の参考にもならないと思って
UPは控えておりました。
でも、日を追うごとに皆様の旅行記のUPが少なくなって行くのを見て
こんな時期なら古い旅行記も悪くないのでは、と考えを改めUPに
踏み切った次第です。
>46年前のソ連旅行の写真が出てきた。
1974年というとブレジネフの時代ですね。デタントで東西の緊張が
少し緩んだ頃のソ連も興味あります。
なお、志村けんが、ザ・ドリフターズの正式メンバーとなったのも
この頃ですね(^^;;
今回のギリシャ旅行記は第1弾として、この後、第2、第3弾も予定
していますので、しばらくお待ちください。
chiaki-k
コメントを投稿する前に
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