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今年の冬はエクアドルへ。ほぼ毎年、寒い冬(1、2月)は主に南半球へ行きます。現地は夏だからです。一昨年フェイスブックの自分のアカウントに繋がらなくなるトラブルで、マチュピチュへ行く途中で知り合ったエクアドル在住米国人女性への連絡がつかなくなり困りました。でも何とかツイッターなどで見つけ連絡が取れるようになりました。スペインへ引っ越すかもと聞いていたので遅すぎたかもと心配していましたが、ギリギリまだエクアドルのクエンカに住んでいました。普通なら隣国のコロンビアにも行ってみたかったのですが、ゆっくりエクアドルだけにしました。でも、昨年のカリブ海・セントマーチン島同様に帰りにニューヨーク市で一泊してミュージカルを見ることにしました。<br /><br />Ecuador は英語の equator で想像つくように、「赤道」直下の国です。分かりやすい反面、そのせいで Equador と綴りを間違えて覚えていました。途中で気が付きました。スペイン語では、QでなくCのようです。<br /><br />もう45年以上前、AFS奨学生としてアメリカのニューヨーク州の片田舎に高校留学した私ですが、1,2ヶ月毎の各国からの留学生との交流で会ったエクアドルの女子の印象が強烈でした。すぐに「チキータ!バナナ!」とエクアドルの名物を唱えながら歌いだします。また、私の名前の「ヤスキ・サカモト」を聞くと、「サカラモト・・・・・・・!」と勝手に文章を作り、ゲラゲラと笑います。衝撃的な明るいラテンの人との出会いでした。「モト」(motor?)<br />がバイクの意味らしく、日本語と発音が近いスペイン語で私の名前をもじって文章を作り上げたらしいのです。<br /><br />今回は夜行便が2回なので、何と6泊10日の旅です。普段でも欧米は時差の関係で8泊10日などですが、今回は6泊のみです。しかも4日間のクエンカはリンダのマンションに泊めてもらったので、ホテルはキトの1泊とニューヨーク市の1泊だけです。<br /><br /><br />【2020年2月5日(水)】<br />昨年同様、福岡からニューヨークまでのチケットは日本航空のマイレージで、しかも一番長い(約14時間)帰りのニューヨークから羽田便はビジネスクラスで取っています。<br /><br />福岡を午前11時の便で羽田空港へ行き、ニューヨーク便は成田から午後7時半なので移動があるとはいえ待ち時間が長過ぎました。でもこういう時に、日航ではラウンジが使えるので楽です。国際線のラウンジは食事もできます。しかもラッキーなことにエコノミークラスが満席ということで、勝手にプレミアムエコノミーへアップグレードしてくれました。<br /><br />午後6時半頃(現地時間)ジョンFケネディ空港へ着きました。武漢で発生した今回の新型コロナウィルス騒ぎで、中国人25人程度だけ集められ、体温測定などをやられ手続きが面倒そうでした。日本人の私は中国へ過去14日間行っていないということで何もなくスムーズに入国。午後11時10分発のアヴィアンカ航空の夜行便でコロンビア・ボゴタ経由でまず首都のキトまで。翌朝5時頃ボゴタ(NYCとの時差なし)に到着します。午前6時40分発で乗り換えです。隣の国だけあって約2時間後にはキトへ着きます。ここでエクアドルの入国手続きです。職員が日本人の私をわざわざ別室へ誘導します。体温計のある検査室のようでした。面倒だなと思いつつ、熱もない私は問題ないだろうと安心しています。そうすると、検査官は日本人の私は関係ないと何もせず戻してくれました。そう言うことで実際にはスムーズに入国しました。<br /><br /><br />【2月6日(木)】<br />3時間ほど(日付が変わって6日(木)午前11時40分発)でエクアドルLATAM航空に乗り換え、そんなに遠くない国内移動で目的地クエンカへ12時半頃には到着しました。日本時間では出発から2日目の午前2時半ですから、出発して約40時間後にようやく着いたわけです!疲れていると言えば疲れていますが、途中で何度もうたた寝していますから、それなりです。聞いていた通り小さな空港でタラップを降りて歩いて空港の建物へ。出口では、約束通りLynda J. Mooreが待ってくれています。2年ぶりの再会です。<br /><br />起亜自動車のマニュアル車が彼女のマイカーです。車で15分もせずに彼女のcondominium(日本語でマンション)へ。ヨーロッパ式に1階を地上階と数えるので実際には5階なのに、4階の部屋(403号室)です。リンダは何故だかと知らないようだったので、ヨーロッパでは普通だと教えてあげました。後でわかりましたが、車の時はリモコン操作で地下階の駐車場へ直接出入りし、歩く時は1階のガードマンの前を通って出入りします。日本と違い治安が良くないので、多くの国では警備付きが常識です。回りの一軒家などは当然の如く、フェンスがあり、中には電気鉄条線まであります。やはり、強盗は多いのでしょう。でも、普通には危険は全く感じません。<br /><br />部屋に入ると、フェイスブックの写真で見たことのあるオスのプードル犬Milo(マイロと発音)がいます。幸い、私はペットの動物とは相性がよくだいたいすぐに懐いてくれます。しばらくは話をしながらくつろいで、リンダが犬の散歩に行く時間を利用して広い居間のソファで昼寝をさせてもらいました。同じ一人暮らしでも私と違って部屋が片付いています。あまり物も無駄においていないようです。<br /><br />車ですぐの街へ連れて行ってくれました。ここにはカテドラル(大聖堂)が二つもあります。一つは旧カテドラルで入り口が白い建物です。その前の広場(公園)をはさんで新カテドラルがもっと立派です。今日は近くを歩くだけです。シムカードを買える所(Movistar)へ連れて行ってくれ、身分証明書(パスポート)をもって行かなかったら適当にリンダの名前でやってくれ、たったの5ドルでした。ちなみに、エクアドルは以前の自国通貨は止めて2009年から米ドル(この時1ドル=約110円)そのものを使っているようです。但し、コインは独自のを使っています。ただ結果論から言うと、安いけどこのシムカード(チップともここでは呼んでいる)は3Gだったり、遅すぎてあまり役には立ちませんでした。通話には使えましたが。<br /><br />夕食はリンダが作ってくれました。ポークチョップ(刻んだ野菜のソースと)、一緒にスーパーで選んだアスパラと芽キャベツの茹でたもの、ベークドポテト、コーン半切れとアメリカ人にしてはちゃんと料理する女性です。味も悪くはありません。サンルーフのテラスで外の眺めを楽しみながら食事しました。4階と呼ぶ5階で眺めもいいです。羨ましいくらいです。<br /><br />さすがに、今日は時差ぼけなどで疲れているので2階の客室寝室で早めに午後8時半過ぎには寝させてもらいました。睡眠時無呼吸症候群でCPAP(持続陽圧呼吸療法)の機械を世界中で使っている私ですから、一度は目が覚めます。でも、4時間くらい熟睡でき寝なおしてからも2時間ぐっすり眠れました。<br /><br />今時、ほとんどの電化製品は変圧器が付いているので外国にそのまま持って行っても問題ありません。しかも、エクアドルはプラグまで米国、日本と同じで通貨といい便利な国です。<br /><br /><br />【2月7日(金)】<br />まぁ時差ぼけのあるはずの初日にしてはよく眠れました。合計6時間くらいは熟睡できました。そうは言っても、昨夜寝たのが早いので4時過ぎには目が覚め起きました。ちょうど、4月の日本旅行医学会の講演抄録を書き上げなければなりません。おかげで2時間くらいで半分ほど仕上げました。<br /><br />まだ早くて、一人でお湯を沸かし紅茶を入れ、バナナを食べました。でも、7時過ぎに起きてきたリンダが朝食も作ってくれました。スクランブルエッグにコーヒー、ヨーグルト、アボカドと結構豪華です。<br /><br />朝食後、彼女のアメリカ人仲間が来ました。Carl &amp; Cecilia(愛称Ceci) Walters で何と86歳と42歳のカップルで12歳の双子の子供たちがいます(男の子Carlitoと女の子Anna)。カールはアメリカ人でセシリアはエクアドル人です。<br /><br />それからついて行くようにして、高台にある彼らの一軒家を訪問しました。家は広く高台にあり眺めは最高です。日本人の感覚で言えばかなりの豪邸です。地方都市とはいえ、羨ましいくらいです。最上階に一部屋セシリアが経営している縫製店があり、従業員が一人裁縫をしていました。一部、センスのいい服を飾っています。売り物です。<br /><br />次にTuri(トゥーリ)というクエンカの郊外、高台に上がりました。ちょっとした教会があり、すぐ下に古い野外劇場跡があります。それはともかく眺めのいい場所で、北側にクエンカが一望できます。<br /><br />クエンカはエクアドル第3の都市で人口は50万人程度です。スペイン語で「川の盆地」の意味らしく、標高2500mあり周囲にはアンデス山脈があります。高山病に弱い私は、念のために到着前から予防的にダイアモックス半錠を一日2回内服しています。もともと30年も前に初めて南米、しかもペルー・クスコに行き、高山病で強い頭痛になり、マチュピチュへ行くのを諦めた苦い経験があり、一昨年ようやく再度ダイアモックスの助けで元気にマチュピチュ訪問を実現したのです。その時知り合ったのが今回のリンダで、元ABCラジオのニュースキャスターでそれなりに有名なようです。<br /><br />それから街へ出ました。街のシンボルは新旧二つのカテドラルにはさまれた広場かつ公園のPlaza Abdon Calderon(アブドン・カルデロン広場)です。さすがに地元の人間だけあって詳しく、リンダが新カテドラルの横の広場に連れて行ってくれました。いかにも宗主国スペイン風の中庭です。中庭を取り囲む2階建ての四方にレストランなどがあります。しかも、角度的に隣の新カテドラルの3つの青いドームが並んで見えます。面白かったのが2階に飾ってあったコーヒー豆を並べて描いた絵です。白(生豆)、茶色、黒色に近い色のグラデーションをうまく使った絵画です。「風味」(?)があっていい絵画です。<br /><br />広場の一階にある食堂でたった3.5ドルのランチを注文しました。スープ、ポーク料理、炒め野菜にライスと結構ボリュームもあります。ちょうど日本のちょっとした定食の感じです。安いですね。<br /><br />一旦リンダのマンションに戻り、午後3時頃に今度はRick &amp; Reshma Ruzickaのマンションへ行きました。今度はアメリカ人とインド人の夫婦です。ベランダにはたくさんのサボテンがあります。ここで、Carl &amp; Ceciの夫婦の双子の子供たちとも会い、高齢の親による子供で珍しいので4人の家族写真を撮らせてもらいました。レシュマがインドのチャイ(ミルクティー)を入れてくれました。本場のニューデリーで感動した記憶のある私は期待が大きかったのですが、何故かそこまでは(本場ほど)美味しくはなかったです。<br /><br />ここも高台で、ベランダからは新カテドラルも近くに見え、先ほど行ったTuriも高台に見えました。一人だけ関係が分からない金髪の割と若い女性がいましたが、どうもこの2夫婦の不動産売買の仲介の不動産屋のようでした。<br /><br />再度マンションへ戻り(たびたび戻るのはもちろん愛犬が待っているからです)、夕食はfoodieな私のためにリンダが予約してくれていました。だいたい意味は想像できるのですが、念のため意味を辞書(ネット検索)で調べました。予想通り、私のように「食べるのが好き」、「食いしん坊」を指すようです。昔からある単語gourmet(元々フランス語で「美食家」、「食通」、日本語では「グルメ」)は少し高級なレストランに行くようなイメージで私は嫌いですから、ちょうど自分にピッタリの単語を習いました。今度から英語圏の人と話すときにはこの単語foodieを使おうと思います。<br /><br />Gourmetという単語にはAFS高校留学中に思い出があります。無邪気なティーネージャーの言葉遊びですが、私のアメリカ人の友達たちはわざと「ゴーメッツ」みたいな発音をし、しかも最後のツにアクセントをつけました。もちろん、正しくは英語でもフランス語のように最後のTはサイレントで「ゴーメェ」に近い発音をします。<br /><br />この夜の食事は近所のJerry &amp; Trisha Egge夫妻と一緒でした。ジェリーは歯科医です。さすがにリンダの友達はアメリカ人でも学者などのインテリが多いです。アルコールがはいってもいいように4人でタクシーに乗って行きました。La Caletaという名前のレストランでシェフのDiegoはニューヨーク市の2ヶ所のミシェランの星付きの店で何年も修業したようです。うん蓄はともかく、確かにこのシェフの料理はセンスが良く最高に美味しかったです。<br /><br />中南米に何度も行っている私には馴染みなのですが、ceviche(セビーチェ)という料理があります。新鮮な生の魚介を柑橘の果汁で〆て、フレッシュな野菜や果物と和えたものでスープ状です。このディエゴのセビーチェはウェイターが目の前でスープ(汁)を後から注ぎます。こんなの初めて見ました!魚の代わりにシュリンプが、そして珍しくバナナの小片を並べています。一言で、超高級なセビーチェという感じです。初めて食べたら差がわからないでしょうが、私は何度も中南米で食べたことのある割と好きな料理ですから、このシェフの特別感が理解できます。特に、最後に食べた一昨年のペルーの店のセビーチェはイマイチでしたから。<br /><br />下戸の私は飲み物はパッションフルーツのジュースを注文しましたが、これがまたものすごく美味しかった!割り勘で、私の支払いは32ドル程度でしたが、チップ用の小銭がなかったので思い切ってチップ込みで40ドル払いました。それだけの価値はあります。<br /><br />マンションに帰るといつものようにCNNニュースがつけっぱなしです。トランプ大統領が弾劾無罪評決から調子に乗って、今度は自分に不利な証言をしたとして陸軍中佐を解任したニュースが流れると、いつものようにリンダが激怒していました。リンダは元ニュースキャスターだけにニュースには興味があるようです。私自身もあんな下品な人間がよくアメリカ合衆国の大統領になったと呆れています。でも、私のホストシスターやホストブラザーは何故かトランプ支持で投票もしたようです。私も大人なので、ホストシスター、ブラザーの前ではトランプ批判はしません。リンダとは同意見なので、気を遣わずにトランプの悪口を言えます。<br /><br />昨日の反動か、久しぶりに夕食後にエスプレッソ(カフェイン)を飲んだせいか、今晩は23時半まで眠れませんでした。<br /><br /><br />【2月8日(土)】<br />今朝も6時半にはリンダより先に目を覚まし、自分で紅茶を入れたりしていました。リンダが作ってくれた朝食後、昨夜一緒だった近所のジェリーとトリシャの家を見学に行きました。中国を中心に世界中の置物、掛け物があります。<br /><br />もう合計2軒のマンションと2軒の一軒家を見ましたが、どうもみんな2~3千万円程度で売り買いの話しをしています。やはり、物価はだいぶ安いようです。<br /><br />それから、Pumapungo Museum &amp; ancestral park(プマプンゴ博物館と先祖公園)へ行きました。何故か地球の歩き方では間違っていて、スポンサーにすぎない中央銀行博物館になっていました。名前はともかく、屋外の公園の部分は遺跡であり、博物館内部もエクアドル人の暮らしぶりがわかる興味あるのものです。ただショッキングなのは、「首狩り族」による人の首で特殊な加工をしているらしく本物です。骸骨ではなく、ミイラ状で目や鼻や髪の毛もあります。不気味です。液につけたりしている関係らしくだいぶ縮んでいます。最初は乳児のにしても小さいなという感じでした。<br /><br />その後、昨日も来たアブドン・カルデロン広場へ立ち寄りました。ちょうど誰かが本格的に歌っています。ただのストリートシンガーではなさそうです。リンダの友人でもあるアメリカ人女性のCindy Bensonで以前ブロードウェイでCatsや Le Miserablesに出演したことのある本格的な歌手でした。My Wayなどを歌っていました。リンダが紹介してくれました。私がこの後、ニューヨークに立ち寄り、ブロードウェイのミュージカルAladdin(アラジン)を予約していると言ったら喜んでくれました。<br /><br />今日はリンダが午後4時半にフランス料理Le Petit Jardinを予約してくれています。何でこんな夕食には早い時間かと言うと、レストランへの道が舗装していなくて、しかも狭い路地で夜暗くなってから運転したくないからのようです。ですから、もちろん昼食は抜いています。<br /><br />実は、フランス料理らしく凝った料理なので、後から写真を見ても何を注文したのか定かではありません。写真のように、カラフルで見た目にもきれいですが、その分食べるために壊した写真がないと自分でも何を食べたのか思い出せません。さすがに美味しかったのですが、個人的には凝ったフランス料理よりも素材を大事にしたイタリア料理が好きです。ですから、今回もこのフランス料理店より昨晩連れて行ってもらったレストランのシェフの味の方が好きでした。<br /><br />でも、シェフ(Giovanni Cambizaca Salinas)一家はリンダの友達らしく、奥さんのMaria、息子のAlejandroを紹介され、支払いも50ドルちょっとでしたが、小銭もなくチップは10ドルと弾みました。そのことを伝えるとリンダは喜んでくれました。今回は4泊もリンダのところでお世話になるわけで、チップくらい安いものです。<br /><br />当然、まだ明るい午後6時頃にはマンションに戻ったので、ミロを連れて2人で近くの公園、トメバンバ川周辺を散歩しました。ここではポーランド出身でカナダ在住の夫婦と雑談しました。やはり、かなり国際的環境ですね。クエンカの南約150kmインディヘナの町サラグロへ住む人々は特徴的な服装をしているようで、たまたま見かけたつば付きの帽子をかぶった特徴的な服装の女性を見てリンダが説明してくれました。<br /><br />何せ、ずっと二人でいるので色々な話ができます。彼女はインテリで、元キャスターだけあって色々なことに興味があり、詳しく話をしていても飽きることがありません。もともと2年前にマチュピチュへ行く列車の隣の席で知り合った時も、事故による遅れをいいことに5時間近くいきなり喋っていて、近くにいたアメリカ人が呆れていたくらいです。近いうちにスペインへ引っ越すかもと聞いていましたが、この2年間で色々なことを発見したようでした。さすがヨーロッパからの移民の多い国アメリカです。<br /><br />どうも予定を変更して(私の大好きな)イタリアへまず移住することにしたようです。それも、母方のおじいさんがイタリア人でアメリカへの市民権の手続き中に亡くなったので、リンダは何とイタリア人として移住できるということが発覚したそうです。しかも、まだ会ったことのないいとこまでいることが。ですから、取り敢えずイタリアに移り、無事に正式のイタリアの市民権等の手続きが済んだら、スペインへ移動するつもりのようです。EU内はどこで住むのも自由だからです。彼女はずっとエクアドルにいて喋れるのはイタリア語ではなくスペイン語だからです。<br /><br />でも、アメリカ人にしては料理も作れるリンダですから、イタリアにいる間にいとこなどからイタリア料理を習うのを楽しみにしているようです。<br /><br />私も一人で旅する時は色々観光地をそれなりに回るのですが、今回はリンダのペースでのんびりです。おかげで海外旅行中にもかかわらず毎日少しずつ仕事をして、締め切りの迫っていた日本旅行医学会の原稿を仕上げメールに添付して東京の事務所へ送れました。ボランティアのAFSの博多支部会議事録も仕上げて同様にメールに添付して支部員へ一斉送信しました。<br /><br /><br />【2月9日(日)】<br />昨夜も早く寝て、朝5時には目が覚め、いつものようにパソコンに向かいます。今回覚えた単語にgringoがあります。リンダが盛んに言います。どうも、日本語の「外人、外人」にあたるようです。若干差別のニュアンスがあり、外国人でも主に米国人などの白人を指す言葉のようです。<br /><br />いつものように、7時半過ぎにリンダがミロと起きてきて朝食を準備してくれます。今朝はソーセージ入りのスクランブルエッグ、マッフィンです。9時にちょっとしたスーパーに連れて行ってくれました。もちろん、リンダのちょっとした買い物が目的ですが、どこの国でもスーパーを覗くのは楽しいです。10時には今朝も近くの公園の散歩、私も犬を飼っていたのでよく分かります。トメバンバ川沿いで快適です。よく川を見ると、多くの人が洗濯をしています。日本でも田舎ではつい最近まであった光景です。<br /><br />11時半頃マンションに戻り、市場で買ってきたスープencebollados  albacore(tuna入り)を食べました。かなり美味しいです。そして、あまり使っていなかったようなエスプレッソマシーンを出してきて淹れてくれました。正直、豆が古そうなのでそれなりの味のエスプレッソでしたが、気持ちが有難いです。<br /><br />そして何度も行っている新カテドラルへ時間ギリギリの13時半少し前に着きました。今日はいよいよ屋上からの見物です。少し待たされてから階段をぐるぐる上りカテドラルの屋上へ上がりました。どこの国でも高い所には必ず上ります。眺めがいいに決まってるからです。遠くから何度も見たカテドラルの青いドームが同じ高さで目の前に見えます。もちろん、街並みもです。たくさん写真を撮りました。あまり撮っていなかったリンダとのツーショットも。<br /><br />近くの花市場へ立ち寄り、その奥にあるサンフランシスコ広場へ行きました。さすがに地元のリンダです。絶好の写真スポットです。「CUENCA」と写真用の大きなエンブレムがあり、背景にカテドラルの3つの青いドームがちょうど見えます。何枚かお気に入りの写真を撮ってもらい、リンダのも撮ってあげました。Helados(アイスクリーム)の有名店で食べましたが、ジェラート(イタリアのアイスクリーム)ほどは美味しくなかったです。実質クエンカでの最終日ですが、観光もこれで終わり。午後3時にはマンションへ戻りました。<br /><br />夕食はリンダがハンバーガーを作ってくれ、私の好きなビーツとコーンも茹でたものが添えられています。彼女はアメリカ人にしては料理もまぁまぁです。さすがにイタリアの血が入っているからでしょう。午後8時からはお待ちかねのハリウッド・アカデミー賞の中継です。リンダのおかげで、久しぶりにゆっくり全部を見ました。日本ではWOWWOWで一時期見ていました。彼女は大画面のテレビの写真を撮り、すぐにコメントとともにフェイスブックにアップしています。見たことありますが、いつもこうやっているのだなと感心しました。韓国映画の「パラサイト」が本賞の大賞を取りましたが、彼女は純粋にすごいと言っていました。私は、アカデミーもかなり中国資本が入っているらしいと聞いているし、韓国も政治的に巧妙なので、そのせいだろうと意地悪な見方をしていました。後日、日本でパラサイトを見ましたが、私の予想通り大した映画ではなく、韓国の恥部(ソウルの半地下住居暮らしの家族の話し)をテーマにしているだけだし、途中で残虐なシーンがたくさん出てきて全く感動しませんでした。<br /><br /><br />【2月10日(月)】<br />いよいよクエンカを離れる日です。渋滞もなくマンションを出てからほんの15分ほどでクエンカ空港へ。10時半の便でしたが、もう10時20分には出発し、11時10分には首都のキトへ到着しました。今日会うはずのNeysser Alegriaからリンダ経由で詳しくバスの乗り方を聞いていましたが、荷物もあるし面倒なのでタクシーに乗りホテルへ直行しました。25ドル程度でしたが、30分でホリデイインへ到着しました。<br /><br />チェックインには早過ぎて、荷物を預けロビーで待っているとネイサーから電話がありました。12時45分頃やって来ました。彼はリンダが自分の息子のように可愛がっているようでした。今日は彼が市内を案内してくれることになっています。<br /><br />二人で結構歩いてトロリーバス乗り場Colonへ着きました。一人たったの25セントです。セントロ・ヒストリコ(旧市街)のPlaza Grande(de La Independencia)で降りました。午後1時半を過ぎて腹が減っているので、どこでもいいからと安食堂へ入りました。ネイサーはたった3.85ドルの定食を注文し、サラダとスープにワンプレートにライスと揚げバナナと肉料理と結構ボリュームあります。<br /><br />腹ごしらえの後、まずはIglesia del campana という名前通りの奥に「鐘」がある教会へ行きました。奥の部屋に3つも大きな鐘を置いています。内装が豪華で祭壇や装飾がメッキとはいえ金です。次に独立広場の前の大聖堂(Cathedral Metropolitana de Quito)の中を見学しました。この教会もイタリアのように結構内装も豪華でした。<br /><br />それからしばらく10分ほど歩いて、遠くから2つの塔が見えている登り坂の上にあるBasilica del Voto Nacional(教会)へ行きました。期待通りこの塔からの眺めは最高でした。ただこの教会は内部は質素で、むしろステンドグラスだけが並んで豪華でした。<br /><br />午後5時頃ネイサーとはお別れしました。それから、ずっと広場などから見えていたCerro de Panecillo(パネシージョの丘)へタクシーで行きました。渋滞で30分もかかりましたが、たったの3ドルでした。ここへは泥棒で危険なので必ずタクシーに乗るように地球の歩き方には書いていました。南米によくある丘の上のキリスト像などですが、ここでは高さ41mの聖母像です。もちろん丘の上ですから、ここからも眺めは抜群で5897mと世界で一番高い活火山のVolcan Cotopaxi(コトパクシ山)も見えました。もちろん、頂上は万年雪です。<br /><br />帰ろうとすると、少し心配していたようにタクシーがいません。15分間不安な時間を過ごしましたが、何とか1台やって来ました。取り敢えず、中心地の独立広場までタクシーで行きました。途中で見えたSanto Domingo駅まで歩きました。どうも、ホテルから来る時に下りたPlaza Grande駅は一方向だけだと気が付いていました。降りる駅名もColon駅と何とか覚えています。結構距離があるけど、自分のホテルであるHoliday Innより大きくて有名なMarriott Hotelを目安に探して、無事にホテルまでたどり着きました。もう薄暗い午後7時頃になっていました。<br /><br />夕食は歩いて行ける地元料理のHasta La Vuelta, Senor(Fonda Quitena)をホテルのフロントで紹介してもらって行きました。トマトクリームスープ、ステーキ(ピカンテ(ピリ辛))などで33ドルでした。味もまぁまぁでした。夜10時過ぎには寝ました。<br /><br /><br />【2月11日(火)】<br />朝5時半には起きました。リンダから今日も頼まれていたようですが、ネイサーには今日は一人でブラブラするからと丁重に断っています。昨日だけで旧市街はかなり回ったので、今日はタクシーをチャーターしてでも郊外の「赤道記念碑」に行きたいと決めていました。昨日、ホテルのフロントから予約してもらっています。<br /><br />10時に予約していたのですが、英語のできる運転手がいないというので、手配しなおし(?)のようで、10時半過ぎにやっと英語のできるReneがやって来ました。顔は白人の血が濃そうな人でした。アメリカでずい分長い間働いたことがあるそうで、英語は全く問題ありません。<br /><br />今回気が付いたのは日本車が割と少なく、タクシーの車は韓国の起亜車で、途中で何故かボスの車と入れ替えたのも同じ起亜車でした。リンダの愛車も起亜車でした。<br /><br />まずは、Volcan Pululagua の crater を見に連れて行ってくれました。但し、クレーターと言っても現在は草が生え、食物も育て畑になっています。家も建っています。でもクレーターですから、窪みになっていて上から全景が見下ろせます。<br /><br />次に、私が最初にタクシーを借り切った理由でもある「赤道記念碑」ではなく、本物の「赤道博物館」へ連れて行ってくれました。ここは説明が必要です。<br /><br />私が興味を持ったキト郊外にある赤道記念碑(La Mitad del Mundo)は地球の歩き方にも書いているそれなりの観光地です。1936年エクアドルの地質学者がGPSで測定した結果に基づいて赤道の位置を確定し、1979~1982年にかけて高さ30mの赤道記念碑を建設しました。ところが、GPSもまた精度が飛躍しました。再度、新GPSで赤道の位置を測定したところ約260mのずれがあることが判明したのです。ですから、赤道博物館が本当の赤道直下らしいのです。<br /><br />そこで、タクシーの運転手が連れてきてくれたのが赤道博物館です。半信半疑ですが、自分がオーナーと言います。入場料はたったの4ドルです。以外に面白く、クエンカでも見た首狩り族の「首」の作り方を教えてくれたり、当時の家のモデルがあったりします。実験的に、本当の赤道直下の水の渦のなさや、北と南にずれた渦の流れが反対方向などを見せてくれます。<br /><br />それから赤道記念碑に連れて行かれたので興味はすでに半減していました。すぐ近くの途中の道端で天竺ネズミの丸焼きを売っていましたが、2年前のペルーで美味しくないことを経験済みで写真だけ撮らせてもらいました。<br /><br />赤道記念碑は名前通り、大きな高さ30mもある記念碑があり、直径4.5mの球(地球?)がてっぺんに乗っています。そこから真っすぐ黄色い線が引いてあり赤道を跨いで写真を撮る人が多いのです。私は、先に本物の赤道直下へ行ったのですでに少し白けていました。ここはエレベーターでてっぺんへ上れます。中の博物館は大したことはありませんが、展望台からの眺めは最高です。<br /><br />ここでタクシーのツアーは終わりですが、もう1時半過ぎで腹も減ったし私が御馳走するからと途中で見つけていたfried porkの大衆食堂へ寄ってもらいました。2人分で11ドルと安く、味もまぁまぁでした。その国の大衆食堂を経験するのが個人的には好きです。<br /><br />帰りはホテルではなくエル・エヒド(El Ejido)公園で降ろしてもらいました。<br />途中でまたボスの家へ立ち寄りボスを乗せました。こういう日本ではありえな<br />い、結構いい加減なサービスを嫌いではありません。おかげで、ゲートのある<br />街並みをみることができました。<br /><br />ただ降ろしてもらった、この公園は大したものはなく、近くの市場でコー<br />ヒー豆(6ドル)とパスポート入れの小さな皮のカバンを15ドルで買いまし<br />た。<br /><br />トロリーバスで昨日ネイサーとブラブラした独立広場へ再び行きました。名前<br />も確認せずにある教会の中へはいりました。ミサをやっていました。<br /><br />今晩(厳密には明日の早朝)真夜中のフライトですが、もう大して見るところ<br />もないので、トロリーバスでコロン駅、そして歩いてホテルへ戻り預けていた<br />荷物を受け取り5ドルの割引券をもらった空港タクシーを呼び、午後6時45<br />分には出発しました。7時20分には空港へ着きましたが、さすがに6時間近<br />く前でまだセルフチェックインしての発券もできません。仕方がないので、珍<br />しく甘~いケーキとアメリカンコーヒーを食べたりして時間を潰します。9時<br />半頃になってようやくセルフチェックインできました。ところが、早くてもい<br />いかと思った理由ですが、JALと同じOne World でラウンジが使えると思<br />っていたのですが、何とこの首都キトの空港にはラウンジがありません!大失<br />敗です。わかっていればまだ旧市街をギリギリまでブラブラしたのですが。<br /><br /><br />【2月12日(水)】<br />日付が変わって、00:55キト発のアメリカン航空機で少し早く04:50頃にはアメリカ・マイアミ空港へ着きました。入国審査はここであります。荷物も一旦受け取ります。ラインを間違えたので、再度並んで荷物をニューヨークまで再度預けました。でも、乗り継ぎの時間はたっぷりあるので焦る必要はありません。<br /><br />08:31マイアミ発でまたしても予定より早く11:00にはJFKニューヨーク空港へ到着しました。入国審査が終わっているので、すぐに荷物を受け取り(One Worldではpriorityがあるので常に早めに出てきます)、すぐにAirtrainで、Jamaica Centerへ出て、地下鉄に乗り継ぎForest Hills(E Line)で乗り換えTimes Square(R Line) まで行くと、昨年と同じくブロードウェイの近くのホテルです。午後1時には着きました。<br /><br />午後1時半に約束していた福岡の知り合い、智代ちゃんと弟の貴仁君がやって来ます。近くのイタリアンレストランへ行きましたが、やはり昨年と同じくそれなりのアメリカナイズされたイタリアンレストランです。智代ちゃんは私のアドバイスでAFSで一年間エクアドルへ高校留学し、大学はニューヨーク州立大学を3年間で卒業し、昨年からニューヨーク大学の大学院へ入学した才女です。弟君も現在語学留学中らしいです。若者ですが、「留学」という共通項があるので、いつも楽しく会話できます。<br /><br />昨年に続き、今年も夜はミュージカルを見に行きました。今年はホテルの目の前のAladdin にしました。130ドル程度のK5席でした。夜行便だったので最初は少し眠かったのですが、楽しめました。<br /><br /><br />【2月13日(木)】<br />昨年はブロードウェイからJFK空港までの地下鉄駅をJamaica Centerと勘違いし行き過ぎて往生したので、今回は慎重にチェックして間違えません。<br /><br />12時50分発の便ですが、今度こそ空港のラウンジが使えるので早めに8時半にホテルを出ました。ところが、途中でAirtrainにトラブルがあり止まってしまったので、1時間ちょっとのはずが2時間以上かかりました。11時前にようやく空港へ着きました。早く出ておいてよかったです。ラウンジは近いせいかJALラウンジではなく、ルフトハンザラウンジでした。そのせいか、食事がイマイチでした。<br /><br />でも、帰りの便はマイレージでビジネスクラスを取っていますから快適でした。来る時も勝手にアップグレードでプレミアムエコノミーでした。ビジネスクラスは食事が全然違います。和食にしましたが、前菜、主菜、ご飯類と3回に分けて出ます。見た目も上品ですし、味もいい。せっかくのビジネスクラスですから一番長い路線(約14時間)を選んでいます。フルフラットにしていつでもゆっくり寝れますし、映画も4本ほど見れました。<br /><br />到着前の食事や間食として、ラザニアも美味しいし、ラーメンも美味しかったです。<br /><br /><br />【2月14日(金)】<br />到着は翌日の午後5時10分に羽田空港です。おかげでゆっくり長男のタワーマンションに6時半には着きました。実際には、福岡までの乗り継ぎ18時45分まで予約していますが、勝手にキャンセルです。往復の国際航空券は途中を勝手にキャンセルすると以下は無効ですが、最終路線はもう終わっていますから関係ありません。今回は翌日からボランティアのAFSの会議が2日間東京であるのでちょうど時間を無駄にせずに済みました。<br /><br />後日談ですが、この旅行記を書き終えた3月20日はまだ帰国して1ヶ月足らずですが、危うかったです。もう数週間旅行が遅れていたら、アメリカ入国もエクアドル入国も制限付きだったし、ブロードウェイのミュージカルも全てキャンセル、エクアドルも観光できなかったかもしれません。もちろん、武漢発の新型コロナウイルスで世界中が大騒動だからです。<br /><br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />坂本泰樹 <br />

エクアドル・クエンカへ米国人友人に会いに

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2020/02/05 - 2020/02/14

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

今年の冬はエクアドルへ。ほぼ毎年、寒い冬(1、2月)は主に南半球へ行きます。現地は夏だからです。一昨年フェイスブックの自分のアカウントに繋がらなくなるトラブルで、マチュピチュへ行く途中で知り合ったエクアドル在住米国人女性への連絡がつかなくなり困りました。でも何とかツイッターなどで見つけ連絡が取れるようになりました。スペインへ引っ越すかもと聞いていたので遅すぎたかもと心配していましたが、ギリギリまだエクアドルのクエンカに住んでいました。普通なら隣国のコロンビアにも行ってみたかったのですが、ゆっくりエクアドルだけにしました。でも、昨年のカリブ海・セントマーチン島同様に帰りにニューヨーク市で一泊してミュージカルを見ることにしました。

Ecuador は英語の equator で想像つくように、「赤道」直下の国です。分かりやすい反面、そのせいで Equador と綴りを間違えて覚えていました。途中で気が付きました。スペイン語では、QでなくCのようです。

もう45年以上前、AFS奨学生としてアメリカのニューヨーク州の片田舎に高校留学した私ですが、1,2ヶ月毎の各国からの留学生との交流で会ったエクアドルの女子の印象が強烈でした。すぐに「チキータ!バナナ!」とエクアドルの名物を唱えながら歌いだします。また、私の名前の「ヤスキ・サカモト」を聞くと、「サカラモト・・・・・・・!」と勝手に文章を作り、ゲラゲラと笑います。衝撃的な明るいラテンの人との出会いでした。「モト」(motor?)
がバイクの意味らしく、日本語と発音が近いスペイン語で私の名前をもじって文章を作り上げたらしいのです。

今回は夜行便が2回なので、何と6泊10日の旅です。普段でも欧米は時差の関係で8泊10日などですが、今回は6泊のみです。しかも4日間のクエンカはリンダのマンションに泊めてもらったので、ホテルはキトの1泊とニューヨーク市の1泊だけです。


【2020年2月5日(水)】
昨年同様、福岡からニューヨークまでのチケットは日本航空のマイレージで、しかも一番長い(約14時間)帰りのニューヨークから羽田便はビジネスクラスで取っています。

福岡を午前11時の便で羽田空港へ行き、ニューヨーク便は成田から午後7時半なので移動があるとはいえ待ち時間が長過ぎました。でもこういう時に、日航ではラウンジが使えるので楽です。国際線のラウンジは食事もできます。しかもラッキーなことにエコノミークラスが満席ということで、勝手にプレミアムエコノミーへアップグレードしてくれました。

午後6時半頃(現地時間)ジョンFケネディ空港へ着きました。武漢で発生した今回の新型コロナウィルス騒ぎで、中国人25人程度だけ集められ、体温測定などをやられ手続きが面倒そうでした。日本人の私は中国へ過去14日間行っていないということで何もなくスムーズに入国。午後11時10分発のアヴィアンカ航空の夜行便でコロンビア・ボゴタ経由でまず首都のキトまで。翌朝5時頃ボゴタ(NYCとの時差なし)に到着します。午前6時40分発で乗り換えです。隣の国だけあって約2時間後にはキトへ着きます。ここでエクアドルの入国手続きです。職員が日本人の私をわざわざ別室へ誘導します。体温計のある検査室のようでした。面倒だなと思いつつ、熱もない私は問題ないだろうと安心しています。そうすると、検査官は日本人の私は関係ないと何もせず戻してくれました。そう言うことで実際にはスムーズに入国しました。


【2月6日(木)】
3時間ほど(日付が変わって6日(木)午前11時40分発)でエクアドルLATAM航空に乗り換え、そんなに遠くない国内移動で目的地クエンカへ12時半頃には到着しました。日本時間では出発から2日目の午前2時半ですから、出発して約40時間後にようやく着いたわけです!疲れていると言えば疲れていますが、途中で何度もうたた寝していますから、それなりです。聞いていた通り小さな空港でタラップを降りて歩いて空港の建物へ。出口では、約束通りLynda J. Mooreが待ってくれています。2年ぶりの再会です。

起亜自動車のマニュアル車が彼女のマイカーです。車で15分もせずに彼女のcondominium(日本語でマンション)へ。ヨーロッパ式に1階を地上階と数えるので実際には5階なのに、4階の部屋(403号室)です。リンダは何故だかと知らないようだったので、ヨーロッパでは普通だと教えてあげました。後でわかりましたが、車の時はリモコン操作で地下階の駐車場へ直接出入りし、歩く時は1階のガードマンの前を通って出入りします。日本と違い治安が良くないので、多くの国では警備付きが常識です。回りの一軒家などは当然の如く、フェンスがあり、中には電気鉄条線まであります。やはり、強盗は多いのでしょう。でも、普通には危険は全く感じません。

部屋に入ると、フェイスブックの写真で見たことのあるオスのプードル犬Milo(マイロと発音)がいます。幸い、私はペットの動物とは相性がよくだいたいすぐに懐いてくれます。しばらくは話をしながらくつろいで、リンダが犬の散歩に行く時間を利用して広い居間のソファで昼寝をさせてもらいました。同じ一人暮らしでも私と違って部屋が片付いています。あまり物も無駄においていないようです。

車ですぐの街へ連れて行ってくれました。ここにはカテドラル(大聖堂)が二つもあります。一つは旧カテドラルで入り口が白い建物です。その前の広場(公園)をはさんで新カテドラルがもっと立派です。今日は近くを歩くだけです。シムカードを買える所(Movistar)へ連れて行ってくれ、身分証明書(パスポート)をもって行かなかったら適当にリンダの名前でやってくれ、たったの5ドルでした。ちなみに、エクアドルは以前の自国通貨は止めて2009年から米ドル(この時1ドル=約110円)そのものを使っているようです。但し、コインは独自のを使っています。ただ結果論から言うと、安いけどこのシムカード(チップともここでは呼んでいる)は3Gだったり、遅すぎてあまり役には立ちませんでした。通話には使えましたが。

夕食はリンダが作ってくれました。ポークチョップ(刻んだ野菜のソースと)、一緒にスーパーで選んだアスパラと芽キャベツの茹でたもの、ベークドポテト、コーン半切れとアメリカ人にしてはちゃんと料理する女性です。味も悪くはありません。サンルーフのテラスで外の眺めを楽しみながら食事しました。4階と呼ぶ5階で眺めもいいです。羨ましいくらいです。

さすがに、今日は時差ぼけなどで疲れているので2階の客室寝室で早めに午後8時半過ぎには寝させてもらいました。睡眠時無呼吸症候群でCPAP(持続陽圧呼吸療法)の機械を世界中で使っている私ですから、一度は目が覚めます。でも、4時間くらい熟睡でき寝なおしてからも2時間ぐっすり眠れました。

今時、ほとんどの電化製品は変圧器が付いているので外国にそのまま持って行っても問題ありません。しかも、エクアドルはプラグまで米国、日本と同じで通貨といい便利な国です。


【2月7日(金)】
まぁ時差ぼけのあるはずの初日にしてはよく眠れました。合計6時間くらいは熟睡できました。そうは言っても、昨夜寝たのが早いので4時過ぎには目が覚め起きました。ちょうど、4月の日本旅行医学会の講演抄録を書き上げなければなりません。おかげで2時間くらいで半分ほど仕上げました。

まだ早くて、一人でお湯を沸かし紅茶を入れ、バナナを食べました。でも、7時過ぎに起きてきたリンダが朝食も作ってくれました。スクランブルエッグにコーヒー、ヨーグルト、アボカドと結構豪華です。

朝食後、彼女のアメリカ人仲間が来ました。Carl & Cecilia(愛称Ceci) Walters で何と86歳と42歳のカップルで12歳の双子の子供たちがいます(男の子Carlitoと女の子Anna)。カールはアメリカ人でセシリアはエクアドル人です。

それからついて行くようにして、高台にある彼らの一軒家を訪問しました。家は広く高台にあり眺めは最高です。日本人の感覚で言えばかなりの豪邸です。地方都市とはいえ、羨ましいくらいです。最上階に一部屋セシリアが経営している縫製店があり、従業員が一人裁縫をしていました。一部、センスのいい服を飾っています。売り物です。

次にTuri(トゥーリ)というクエンカの郊外、高台に上がりました。ちょっとした教会があり、すぐ下に古い野外劇場跡があります。それはともかく眺めのいい場所で、北側にクエンカが一望できます。

クエンカはエクアドル第3の都市で人口は50万人程度です。スペイン語で「川の盆地」の意味らしく、標高2500mあり周囲にはアンデス山脈があります。高山病に弱い私は、念のために到着前から予防的にダイアモックス半錠を一日2回内服しています。もともと30年も前に初めて南米、しかもペルー・クスコに行き、高山病で強い頭痛になり、マチュピチュへ行くのを諦めた苦い経験があり、一昨年ようやく再度ダイアモックスの助けで元気にマチュピチュ訪問を実現したのです。その時知り合ったのが今回のリンダで、元ABCラジオのニュースキャスターでそれなりに有名なようです。

それから街へ出ました。街のシンボルは新旧二つのカテドラルにはさまれた広場かつ公園のPlaza Abdon Calderon(アブドン・カルデロン広場)です。さすがに地元の人間だけあって詳しく、リンダが新カテドラルの横の広場に連れて行ってくれました。いかにも宗主国スペイン風の中庭です。中庭を取り囲む2階建ての四方にレストランなどがあります。しかも、角度的に隣の新カテドラルの3つの青いドームが並んで見えます。面白かったのが2階に飾ってあったコーヒー豆を並べて描いた絵です。白(生豆)、茶色、黒色に近い色のグラデーションをうまく使った絵画です。「風味」(?)があっていい絵画です。

広場の一階にある食堂でたった3.5ドルのランチを注文しました。スープ、ポーク料理、炒め野菜にライスと結構ボリュームもあります。ちょうど日本のちょっとした定食の感じです。安いですね。

一旦リンダのマンションに戻り、午後3時頃に今度はRick & Reshma Ruzickaのマンションへ行きました。今度はアメリカ人とインド人の夫婦です。ベランダにはたくさんのサボテンがあります。ここで、Carl & Ceciの夫婦の双子の子供たちとも会い、高齢の親による子供で珍しいので4人の家族写真を撮らせてもらいました。レシュマがインドのチャイ(ミルクティー)を入れてくれました。本場のニューデリーで感動した記憶のある私は期待が大きかったのですが、何故かそこまでは(本場ほど)美味しくはなかったです。

ここも高台で、ベランダからは新カテドラルも近くに見え、先ほど行ったTuriも高台に見えました。一人だけ関係が分からない金髪の割と若い女性がいましたが、どうもこの2夫婦の不動産売買の仲介の不動産屋のようでした。

再度マンションへ戻り(たびたび戻るのはもちろん愛犬が待っているからです)、夕食はfoodieな私のためにリンダが予約してくれていました。だいたい意味は想像できるのですが、念のため意味を辞書(ネット検索)で調べました。予想通り、私のように「食べるのが好き」、「食いしん坊」を指すようです。昔からある単語gourmet(元々フランス語で「美食家」、「食通」、日本語では「グルメ」)は少し高級なレストランに行くようなイメージで私は嫌いですから、ちょうど自分にピッタリの単語を習いました。今度から英語圏の人と話すときにはこの単語foodieを使おうと思います。

Gourmetという単語にはAFS高校留学中に思い出があります。無邪気なティーネージャーの言葉遊びですが、私のアメリカ人の友達たちはわざと「ゴーメッツ」みたいな発音をし、しかも最後のツにアクセントをつけました。もちろん、正しくは英語でもフランス語のように最後のTはサイレントで「ゴーメェ」に近い発音をします。

この夜の食事は近所のJerry & Trisha Egge夫妻と一緒でした。ジェリーは歯科医です。さすがにリンダの友達はアメリカ人でも学者などのインテリが多いです。アルコールがはいってもいいように4人でタクシーに乗って行きました。La Caletaという名前のレストランでシェフのDiegoはニューヨーク市の2ヶ所のミシェランの星付きの店で何年も修業したようです。うん蓄はともかく、確かにこのシェフの料理はセンスが良く最高に美味しかったです。

中南米に何度も行っている私には馴染みなのですが、ceviche(セビーチェ)という料理があります。新鮮な生の魚介を柑橘の果汁で〆て、フレッシュな野菜や果物と和えたものでスープ状です。このディエゴのセビーチェはウェイターが目の前でスープ(汁)を後から注ぎます。こんなの初めて見ました!魚の代わりにシュリンプが、そして珍しくバナナの小片を並べています。一言で、超高級なセビーチェという感じです。初めて食べたら差がわからないでしょうが、私は何度も中南米で食べたことのある割と好きな料理ですから、このシェフの特別感が理解できます。特に、最後に食べた一昨年のペルーの店のセビーチェはイマイチでしたから。

下戸の私は飲み物はパッションフルーツのジュースを注文しましたが、これがまたものすごく美味しかった!割り勘で、私の支払いは32ドル程度でしたが、チップ用の小銭がなかったので思い切ってチップ込みで40ドル払いました。それだけの価値はあります。

マンションに帰るといつものようにCNNニュースがつけっぱなしです。トランプ大統領が弾劾無罪評決から調子に乗って、今度は自分に不利な証言をしたとして陸軍中佐を解任したニュースが流れると、いつものようにリンダが激怒していました。リンダは元ニュースキャスターだけにニュースには興味があるようです。私自身もあんな下品な人間がよくアメリカ合衆国の大統領になったと呆れています。でも、私のホストシスターやホストブラザーは何故かトランプ支持で投票もしたようです。私も大人なので、ホストシスター、ブラザーの前ではトランプ批判はしません。リンダとは同意見なので、気を遣わずにトランプの悪口を言えます。

昨日の反動か、久しぶりに夕食後にエスプレッソ(カフェイン)を飲んだせいか、今晩は23時半まで眠れませんでした。


【2月8日(土)】
今朝も6時半にはリンダより先に目を覚まし、自分で紅茶を入れたりしていました。リンダが作ってくれた朝食後、昨夜一緒だった近所のジェリーとトリシャの家を見学に行きました。中国を中心に世界中の置物、掛け物があります。

もう合計2軒のマンションと2軒の一軒家を見ましたが、どうもみんな2~3千万円程度で売り買いの話しをしています。やはり、物価はだいぶ安いようです。

それから、Pumapungo Museum & ancestral park(プマプンゴ博物館と先祖公園)へ行きました。何故か地球の歩き方では間違っていて、スポンサーにすぎない中央銀行博物館になっていました。名前はともかく、屋外の公園の部分は遺跡であり、博物館内部もエクアドル人の暮らしぶりがわかる興味あるのものです。ただショッキングなのは、「首狩り族」による人の首で特殊な加工をしているらしく本物です。骸骨ではなく、ミイラ状で目や鼻や髪の毛もあります。不気味です。液につけたりしている関係らしくだいぶ縮んでいます。最初は乳児のにしても小さいなという感じでした。

その後、昨日も来たアブドン・カルデロン広場へ立ち寄りました。ちょうど誰かが本格的に歌っています。ただのストリートシンガーではなさそうです。リンダの友人でもあるアメリカ人女性のCindy Bensonで以前ブロードウェイでCatsや Le Miserablesに出演したことのある本格的な歌手でした。My Wayなどを歌っていました。リンダが紹介してくれました。私がこの後、ニューヨークに立ち寄り、ブロードウェイのミュージカルAladdin(アラジン)を予約していると言ったら喜んでくれました。

今日はリンダが午後4時半にフランス料理Le Petit Jardinを予約してくれています。何でこんな夕食には早い時間かと言うと、レストランへの道が舗装していなくて、しかも狭い路地で夜暗くなってから運転したくないからのようです。ですから、もちろん昼食は抜いています。

実は、フランス料理らしく凝った料理なので、後から写真を見ても何を注文したのか定かではありません。写真のように、カラフルで見た目にもきれいですが、その分食べるために壊した写真がないと自分でも何を食べたのか思い出せません。さすがに美味しかったのですが、個人的には凝ったフランス料理よりも素材を大事にしたイタリア料理が好きです。ですから、今回もこのフランス料理店より昨晩連れて行ってもらったレストランのシェフの味の方が好きでした。

でも、シェフ(Giovanni Cambizaca Salinas)一家はリンダの友達らしく、奥さんのMaria、息子のAlejandroを紹介され、支払いも50ドルちょっとでしたが、小銭もなくチップは10ドルと弾みました。そのことを伝えるとリンダは喜んでくれました。今回は4泊もリンダのところでお世話になるわけで、チップくらい安いものです。

当然、まだ明るい午後6時頃にはマンションに戻ったので、ミロを連れて2人で近くの公園、トメバンバ川周辺を散歩しました。ここではポーランド出身でカナダ在住の夫婦と雑談しました。やはり、かなり国際的環境ですね。クエンカの南約150kmインディヘナの町サラグロへ住む人々は特徴的な服装をしているようで、たまたま見かけたつば付きの帽子をかぶった特徴的な服装の女性を見てリンダが説明してくれました。

何せ、ずっと二人でいるので色々な話ができます。彼女はインテリで、元キャスターだけあって色々なことに興味があり、詳しく話をしていても飽きることがありません。もともと2年前にマチュピチュへ行く列車の隣の席で知り合った時も、事故による遅れをいいことに5時間近くいきなり喋っていて、近くにいたアメリカ人が呆れていたくらいです。近いうちにスペインへ引っ越すかもと聞いていましたが、この2年間で色々なことを発見したようでした。さすがヨーロッパからの移民の多い国アメリカです。

どうも予定を変更して(私の大好きな)イタリアへまず移住することにしたようです。それも、母方のおじいさんがイタリア人でアメリカへの市民権の手続き中に亡くなったので、リンダは何とイタリア人として移住できるということが発覚したそうです。しかも、まだ会ったことのないいとこまでいることが。ですから、取り敢えずイタリアに移り、無事に正式のイタリアの市民権等の手続きが済んだら、スペインへ移動するつもりのようです。EU内はどこで住むのも自由だからです。彼女はずっとエクアドルにいて喋れるのはイタリア語ではなくスペイン語だからです。

でも、アメリカ人にしては料理も作れるリンダですから、イタリアにいる間にいとこなどからイタリア料理を習うのを楽しみにしているようです。

私も一人で旅する時は色々観光地をそれなりに回るのですが、今回はリンダのペースでのんびりです。おかげで海外旅行中にもかかわらず毎日少しずつ仕事をして、締め切りの迫っていた日本旅行医学会の原稿を仕上げメールに添付して東京の事務所へ送れました。ボランティアのAFSの博多支部会議事録も仕上げて同様にメールに添付して支部員へ一斉送信しました。


【2月9日(日)】
昨夜も早く寝て、朝5時には目が覚め、いつものようにパソコンに向かいます。今回覚えた単語にgringoがあります。リンダが盛んに言います。どうも、日本語の「外人、外人」にあたるようです。若干差別のニュアンスがあり、外国人でも主に米国人などの白人を指す言葉のようです。

いつものように、7時半過ぎにリンダがミロと起きてきて朝食を準備してくれます。今朝はソーセージ入りのスクランブルエッグ、マッフィンです。9時にちょっとしたスーパーに連れて行ってくれました。もちろん、リンダのちょっとした買い物が目的ですが、どこの国でもスーパーを覗くのは楽しいです。10時には今朝も近くの公園の散歩、私も犬を飼っていたのでよく分かります。トメバンバ川沿いで快適です。よく川を見ると、多くの人が洗濯をしています。日本でも田舎ではつい最近まであった光景です。

11時半頃マンションに戻り、市場で買ってきたスープencebollados albacore(tuna入り)を食べました。かなり美味しいです。そして、あまり使っていなかったようなエスプレッソマシーンを出してきて淹れてくれました。正直、豆が古そうなのでそれなりの味のエスプレッソでしたが、気持ちが有難いです。

そして何度も行っている新カテドラルへ時間ギリギリの13時半少し前に着きました。今日はいよいよ屋上からの見物です。少し待たされてから階段をぐるぐる上りカテドラルの屋上へ上がりました。どこの国でも高い所には必ず上ります。眺めがいいに決まってるからです。遠くから何度も見たカテドラルの青いドームが同じ高さで目の前に見えます。もちろん、街並みもです。たくさん写真を撮りました。あまり撮っていなかったリンダとのツーショットも。

近くの花市場へ立ち寄り、その奥にあるサンフランシスコ広場へ行きました。さすがに地元のリンダです。絶好の写真スポットです。「CUENCA」と写真用の大きなエンブレムがあり、背景にカテドラルの3つの青いドームがちょうど見えます。何枚かお気に入りの写真を撮ってもらい、リンダのも撮ってあげました。Helados(アイスクリーム)の有名店で食べましたが、ジェラート(イタリアのアイスクリーム)ほどは美味しくなかったです。実質クエンカでの最終日ですが、観光もこれで終わり。午後3時にはマンションへ戻りました。

夕食はリンダがハンバーガーを作ってくれ、私の好きなビーツとコーンも茹でたものが添えられています。彼女はアメリカ人にしては料理もまぁまぁです。さすがにイタリアの血が入っているからでしょう。午後8時からはお待ちかねのハリウッド・アカデミー賞の中継です。リンダのおかげで、久しぶりにゆっくり全部を見ました。日本ではWOWWOWで一時期見ていました。彼女は大画面のテレビの写真を撮り、すぐにコメントとともにフェイスブックにアップしています。見たことありますが、いつもこうやっているのだなと感心しました。韓国映画の「パラサイト」が本賞の大賞を取りましたが、彼女は純粋にすごいと言っていました。私は、アカデミーもかなり中国資本が入っているらしいと聞いているし、韓国も政治的に巧妙なので、そのせいだろうと意地悪な見方をしていました。後日、日本でパラサイトを見ましたが、私の予想通り大した映画ではなく、韓国の恥部(ソウルの半地下住居暮らしの家族の話し)をテーマにしているだけだし、途中で残虐なシーンがたくさん出てきて全く感動しませんでした。


【2月10日(月)】
いよいよクエンカを離れる日です。渋滞もなくマンションを出てからほんの15分ほどでクエンカ空港へ。10時半の便でしたが、もう10時20分には出発し、11時10分には首都のキトへ到着しました。今日会うはずのNeysser Alegriaからリンダ経由で詳しくバスの乗り方を聞いていましたが、荷物もあるし面倒なのでタクシーに乗りホテルへ直行しました。25ドル程度でしたが、30分でホリデイインへ到着しました。

チェックインには早過ぎて、荷物を預けロビーで待っているとネイサーから電話がありました。12時45分頃やって来ました。彼はリンダが自分の息子のように可愛がっているようでした。今日は彼が市内を案内してくれることになっています。

二人で結構歩いてトロリーバス乗り場Colonへ着きました。一人たったの25セントです。セントロ・ヒストリコ(旧市街)のPlaza Grande(de La Independencia)で降りました。午後1時半を過ぎて腹が減っているので、どこでもいいからと安食堂へ入りました。ネイサーはたった3.85ドルの定食を注文し、サラダとスープにワンプレートにライスと揚げバナナと肉料理と結構ボリュームあります。

腹ごしらえの後、まずはIglesia del campana という名前通りの奥に「鐘」がある教会へ行きました。奥の部屋に3つも大きな鐘を置いています。内装が豪華で祭壇や装飾がメッキとはいえ金です。次に独立広場の前の大聖堂(Cathedral Metropolitana de Quito)の中を見学しました。この教会もイタリアのように結構内装も豪華でした。

それからしばらく10分ほど歩いて、遠くから2つの塔が見えている登り坂の上にあるBasilica del Voto Nacional(教会)へ行きました。期待通りこの塔からの眺めは最高でした。ただこの教会は内部は質素で、むしろステンドグラスだけが並んで豪華でした。

午後5時頃ネイサーとはお別れしました。それから、ずっと広場などから見えていたCerro de Panecillo(パネシージョの丘)へタクシーで行きました。渋滞で30分もかかりましたが、たったの3ドルでした。ここへは泥棒で危険なので必ずタクシーに乗るように地球の歩き方には書いていました。南米によくある丘の上のキリスト像などですが、ここでは高さ41mの聖母像です。もちろん丘の上ですから、ここからも眺めは抜群で5897mと世界で一番高い活火山のVolcan Cotopaxi(コトパクシ山)も見えました。もちろん、頂上は万年雪です。

帰ろうとすると、少し心配していたようにタクシーがいません。15分間不安な時間を過ごしましたが、何とか1台やって来ました。取り敢えず、中心地の独立広場までタクシーで行きました。途中で見えたSanto Domingo駅まで歩きました。どうも、ホテルから来る時に下りたPlaza Grande駅は一方向だけだと気が付いていました。降りる駅名もColon駅と何とか覚えています。結構距離があるけど、自分のホテルであるHoliday Innより大きくて有名なMarriott Hotelを目安に探して、無事にホテルまでたどり着きました。もう薄暗い午後7時頃になっていました。

夕食は歩いて行ける地元料理のHasta La Vuelta, Senor(Fonda Quitena)をホテルのフロントで紹介してもらって行きました。トマトクリームスープ、ステーキ(ピカンテ(ピリ辛))などで33ドルでした。味もまぁまぁでした。夜10時過ぎには寝ました。


【2月11日(火)】
朝5時半には起きました。リンダから今日も頼まれていたようですが、ネイサーには今日は一人でブラブラするからと丁重に断っています。昨日だけで旧市街はかなり回ったので、今日はタクシーをチャーターしてでも郊外の「赤道記念碑」に行きたいと決めていました。昨日、ホテルのフロントから予約してもらっています。

10時に予約していたのですが、英語のできる運転手がいないというので、手配しなおし(?)のようで、10時半過ぎにやっと英語のできるReneがやって来ました。顔は白人の血が濃そうな人でした。アメリカでずい分長い間働いたことがあるそうで、英語は全く問題ありません。

今回気が付いたのは日本車が割と少なく、タクシーの車は韓国の起亜車で、途中で何故かボスの車と入れ替えたのも同じ起亜車でした。リンダの愛車も起亜車でした。

まずは、Volcan Pululagua の crater を見に連れて行ってくれました。但し、クレーターと言っても現在は草が生え、食物も育て畑になっています。家も建っています。でもクレーターですから、窪みになっていて上から全景が見下ろせます。

次に、私が最初にタクシーを借り切った理由でもある「赤道記念碑」ではなく、本物の「赤道博物館」へ連れて行ってくれました。ここは説明が必要です。

私が興味を持ったキト郊外にある赤道記念碑(La Mitad del Mundo)は地球の歩き方にも書いているそれなりの観光地です。1936年エクアドルの地質学者がGPSで測定した結果に基づいて赤道の位置を確定し、1979~1982年にかけて高さ30mの赤道記念碑を建設しました。ところが、GPSもまた精度が飛躍しました。再度、新GPSで赤道の位置を測定したところ約260mのずれがあることが判明したのです。ですから、赤道博物館が本当の赤道直下らしいのです。

そこで、タクシーの運転手が連れてきてくれたのが赤道博物館です。半信半疑ですが、自分がオーナーと言います。入場料はたったの4ドルです。以外に面白く、クエンカでも見た首狩り族の「首」の作り方を教えてくれたり、当時の家のモデルがあったりします。実験的に、本当の赤道直下の水の渦のなさや、北と南にずれた渦の流れが反対方向などを見せてくれます。

それから赤道記念碑に連れて行かれたので興味はすでに半減していました。すぐ近くの途中の道端で天竺ネズミの丸焼きを売っていましたが、2年前のペルーで美味しくないことを経験済みで写真だけ撮らせてもらいました。

赤道記念碑は名前通り、大きな高さ30mもある記念碑があり、直径4.5mの球(地球?)がてっぺんに乗っています。そこから真っすぐ黄色い線が引いてあり赤道を跨いで写真を撮る人が多いのです。私は、先に本物の赤道直下へ行ったのですでに少し白けていました。ここはエレベーターでてっぺんへ上れます。中の博物館は大したことはありませんが、展望台からの眺めは最高です。

ここでタクシーのツアーは終わりですが、もう1時半過ぎで腹も減ったし私が御馳走するからと途中で見つけていたfried porkの大衆食堂へ寄ってもらいました。2人分で11ドルと安く、味もまぁまぁでした。その国の大衆食堂を経験するのが個人的には好きです。

帰りはホテルではなくエル・エヒド(El Ejido)公園で降ろしてもらいました。
途中でまたボスの家へ立ち寄りボスを乗せました。こういう日本ではありえな
い、結構いい加減なサービスを嫌いではありません。おかげで、ゲートのある
街並みをみることができました。

ただ降ろしてもらった、この公園は大したものはなく、近くの市場でコー
ヒー豆(6ドル)とパスポート入れの小さな皮のカバンを15ドルで買いまし
た。

トロリーバスで昨日ネイサーとブラブラした独立広場へ再び行きました。名前
も確認せずにある教会の中へはいりました。ミサをやっていました。

今晩(厳密には明日の早朝)真夜中のフライトですが、もう大して見るところ
もないので、トロリーバスでコロン駅、そして歩いてホテルへ戻り預けていた
荷物を受け取り5ドルの割引券をもらった空港タクシーを呼び、午後6時45
分には出発しました。7時20分には空港へ着きましたが、さすがに6時間近
く前でまだセルフチェックインしての発券もできません。仕方がないので、珍
しく甘~いケーキとアメリカンコーヒーを食べたりして時間を潰します。9時
半頃になってようやくセルフチェックインできました。ところが、早くてもい
いかと思った理由ですが、JALと同じOne World でラウンジが使えると思
っていたのですが、何とこの首都キトの空港にはラウンジがありません!大失
敗です。わかっていればまだ旧市街をギリギリまでブラブラしたのですが。


【2月12日(水)】
日付が変わって、00:55キト発のアメリカン航空機で少し早く04:50頃にはアメリカ・マイアミ空港へ着きました。入国審査はここであります。荷物も一旦受け取ります。ラインを間違えたので、再度並んで荷物をニューヨークまで再度預けました。でも、乗り継ぎの時間はたっぷりあるので焦る必要はありません。

08:31マイアミ発でまたしても予定より早く11:00にはJFKニューヨーク空港へ到着しました。入国審査が終わっているので、すぐに荷物を受け取り(One Worldではpriorityがあるので常に早めに出てきます)、すぐにAirtrainで、Jamaica Centerへ出て、地下鉄に乗り継ぎForest Hills(E Line)で乗り換えTimes Square(R Line) まで行くと、昨年と同じくブロードウェイの近くのホテルです。午後1時には着きました。

午後1時半に約束していた福岡の知り合い、智代ちゃんと弟の貴仁君がやって来ます。近くのイタリアンレストランへ行きましたが、やはり昨年と同じくそれなりのアメリカナイズされたイタリアンレストランです。智代ちゃんは私のアドバイスでAFSで一年間エクアドルへ高校留学し、大学はニューヨーク州立大学を3年間で卒業し、昨年からニューヨーク大学の大学院へ入学した才女です。弟君も現在語学留学中らしいです。若者ですが、「留学」という共通項があるので、いつも楽しく会話できます。

昨年に続き、今年も夜はミュージカルを見に行きました。今年はホテルの目の前のAladdin にしました。130ドル程度のK5席でした。夜行便だったので最初は少し眠かったのですが、楽しめました。


【2月13日(木)】
昨年はブロードウェイからJFK空港までの地下鉄駅をJamaica Centerと勘違いし行き過ぎて往生したので、今回は慎重にチェックして間違えません。

12時50分発の便ですが、今度こそ空港のラウンジが使えるので早めに8時半にホテルを出ました。ところが、途中でAirtrainにトラブルがあり止まってしまったので、1時間ちょっとのはずが2時間以上かかりました。11時前にようやく空港へ着きました。早く出ておいてよかったです。ラウンジは近いせいかJALラウンジではなく、ルフトハンザラウンジでした。そのせいか、食事がイマイチでした。

でも、帰りの便はマイレージでビジネスクラスを取っていますから快適でした。来る時も勝手にアップグレードでプレミアムエコノミーでした。ビジネスクラスは食事が全然違います。和食にしましたが、前菜、主菜、ご飯類と3回に分けて出ます。見た目も上品ですし、味もいい。せっかくのビジネスクラスですから一番長い路線(約14時間)を選んでいます。フルフラットにしていつでもゆっくり寝れますし、映画も4本ほど見れました。

到着前の食事や間食として、ラザニアも美味しいし、ラーメンも美味しかったです。


【2月14日(金)】
到着は翌日の午後5時10分に羽田空港です。おかげでゆっくり長男のタワーマンションに6時半には着きました。実際には、福岡までの乗り継ぎ18時45分まで予約していますが、勝手にキャンセルです。往復の国際航空券は途中を勝手にキャンセルすると以下は無効ですが、最終路線はもう終わっていますから関係ありません。今回は翌日からボランティアのAFSの会議が2日間東京であるのでちょうど時間を無駄にせずに済みました。

後日談ですが、この旅行記を書き終えた3月20日はまだ帰国して1ヶ月足らずですが、危うかったです。もう数週間旅行が遅れていたら、アメリカ入国もエクアドル入国も制限付きだったし、ブロードウェイのミュージカルも全てキャンセル、エクアドルも観光できなかったかもしれません。もちろん、武漢発の新型コロナウイルスで世界中が大騒動だからです。



空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹 

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
航空会社
アビアンカ ラタム航空 JAL
旅行の手配内容
個別手配
  • 福岡~羽田便<br />幻の2020年東京オリンピックのロゴ

    福岡~羽田便
    幻の2020年東京オリンピックのロゴ

  • 日本の富士山

    日本の富士山

  • JALニューヨーク便プレミアムエコノミー<br />(エコノミーと同じ)食事

    JALニューヨーク便プレミアムエコノミー
    (エコノミーと同じ)食事

  • たぶん初めてアビアンカ航空

    たぶん初めてアビアンカ航空

  • 今回は空港だけのコロンビアのボゴタ経由でキトへ

    今回は空港だけのコロンビアのボゴタ経由でキトへ

  • JAL便よりだいぶ質素なアビアンカ便の食事

    JAL便よりだいぶ質素なアビアンカ便の食事

  • アビアンカ機内

    アビアンカ機内

  • コロンビア・ボゴタ空港

    コロンビア・ボゴタ空港

  • エクアドル・キト空港

    エクアドル・キト空港

  • キト空港内部

    キト空港内部

  • エクアドル・クエンカ<br />空から

    エクアドル・クエンカ
    空から

  • クエンカ市内中心地<br />旧カテドラル(白い館)

    クエンカ市内中心地
    旧カテドラル(白い館)

  • クエンカ<br />リンダのマンション<br />5階で眺めも最高<br />サンルーフ状のテラスで雨の心配もない<br />結構豪華なリンダの手作り料理

    クエンカ
    リンダのマンション
    5階で眺めも最高
    サンルーフ状のテラスで雨の心配もない
    結構豪華なリンダの手作り料理

  • Carl &amp; Cecilia(愛称Ceci) Walters<br />リンダの愛犬、ミロと一緒に

    Carl & Cecilia(愛称Ceci) Walters
    リンダの愛犬、ミロと一緒に

  • Carl &amp; Ceci Waltersの自宅からの眺め

    Carl & Ceci Waltersの自宅からの眺め

  • 遠くからの新カテドラル<br />3つの青いドーム

    遠くからの新カテドラル
    3つの青いドーム

  • 高台のTuriからの街並み<br />野外劇場跡も

    高台のTuriからの街並み
    野外劇場跡も

  • 新カテドラルの横の広場<br />隣の新カテドラルのドームが見える

    新カテドラルの横の広場
    隣の新カテドラルのドームが見える

  • 広場の2階にあるコーヒー豆を使った絵画

    広場の2階にあるコーヒー豆を使った絵画

  • 典型的な定食<br />バランスよく、ご飯、肉、野菜

    典型的な定食
    バランスよく、ご飯、肉、野菜

  • 新カテドラル内部

    新カテドラル内部

  • 新カテドラル内部<br />ステンドグラス

    新カテドラル内部
    ステンドグラス

  • アブドン・カルデロン公園(広場)

    アブドン・カルデロン公園(広場)

  • 旧カテドラル内部

    旧カテドラル内部

  • Carl &amp; Ceci Waltersと12歳の双子<br />(男の子Carlitoと女の子Anna)

    Carl & Ceci Waltersと12歳の双子
    (男の子Carlitoと女の子Anna)

  • Rick &amp; Reshma Ruzickaの<br />マンション内部

    Rick & Reshma Ruzickaの
    マンション内部

  • Jerry &amp; Trisha Egge夫妻と<br />レストラン La Caleta<br />

    Jerry & Trisha Egge夫妻と
    レストラン La Caleta

  • 後からスープを入れる<br />高級セビーチェ

    後からスープを入れる
    高級セビーチェ

  • セビーチェ

    セビーチェ

  • エビ料理

    エビ料理

  • シェフのディエゴと

    シェフのディエゴと

  • ミロと

    ミロと

  • ジェリーとトリシャの家<br />内部

    ジェリーとトリシャの家
    内部

  • ストリート芸術

    ストリート芸術

  • プマプンゴ博物館と先祖公園

    プマプンゴ博物館と先祖公園

  • 外にある先祖公園

    外にある先祖公園

  • プマプンゴ博物館<br />内部

    プマプンゴ博物館
    内部

  • Cindyと<br />アブドン・カルデロン広場

    Cindyと
    アブドン・カルデロン広場

  • サラグロの特徴的な服装

    サラグロの特徴的な服装

  • フランス料理店<br />Le Petit Jardin

    フランス料理店
    Le Petit Jardin

  • Le Petit Jardin

    Le Petit Jardin

  • Le Petit Jardin

    Le Petit Jardin

  • シェフ(Giovanni)とMaria<br />息子のAlejandroと

    シェフ(Giovanni)とMaria
    息子のAlejandroと

  • ストリートアート

    ストリートアート

  • ストリートアート

    ストリートアート

  • クエンカ<br />市場

    クエンカ
    市場

  • トメバンバ川<br />洗濯している人がたくさん

    トメバンバ川
    洗濯している人がたくさん

  • encebollados  albacore(tuna入り)

    encebollados albacore(tuna入り)

  • 新カテドラル屋上

    新カテドラル屋上

  • 新カテドラルからの眺め

    新カテドラルからの眺め

  • サンフランシスコ広場

    サンフランシスコ広場

  • サンフランシスコ広場

    サンフランシスコ広場

  • 夜はハンバーガーとビーツなど

    夜はハンバーガーとビーツなど

  • LAN航空でクエンカからキトへ

    LAN航空でクエンカからキトへ

  • キトのホテル<br />ホリデイイン

    キトのホテル
    ホリデイイン

  • エクアドル首都キト<br />旧市街<br />独立広場

    エクアドル首都キト
    旧市街
    独立広場

  • 独立広場から見える<br />パネシージョの丘<br />聖母像が目立つ

    独立広場から見える
    パネシージョの丘
    聖母像が目立つ

  • 安食堂でのネイサー

    安食堂でのネイサー

  • ラ・コンパーニャ教会内部

    ラ・コンパーニャ教会内部

  • 衝動買いした絵画<br />左側の右上のような青い絵を買った

    衝動買いした絵画
    左側の右上のような青い絵を買った

  • パネシージョの丘から見える<br />コトパクシ火山

    パネシージョの丘から見える
    コトパクシ火山

  • Basilica del Voto Nacional(教会)<br />2つの塔が目印

    Basilica del Voto Nacional(教会)
    2つの塔が目印

  • Basilica del Voto Nacional(教会)<br />入り口

    Basilica del Voto Nacional(教会)
    入り口

  • Basilica del Voto Nacional(教会)からの眺め

    Basilica del Voto Nacional(教会)からの眺め

  • Basilica del Voto Nacional(教会)<br />からの眺め(パネシージョの丘)

    Basilica del Voto Nacional(教会)
    からの眺め(パネシージョの丘)

  • 案内してくれたネイサーと

    案内してくれたネイサーと

  • パネシージョの丘<br />聖母像

    パネシージョの丘
    聖母像

  • パネシージョの丘の見える景色

    パネシージョの丘の見える景色

  • キトのレストラン

    キトのレストラン

  • キトのレストラン<br />ステーキ

    キトのレストラン
    ステーキ

  • Volcan Pululagua の crater看板

    Volcan Pululagua の crater看板

  • キト郊外<br />Volcan Pululagua の crater

    キト郊外
    Volcan Pululagua の crater

  • キト郊外<br />タクシー運転手が持ってくれている<br />天竺ネズミの丸焼き

    キト郊外
    タクシー運転手が持ってくれている
    天竺ネズミの丸焼き

  • 赤道博物館入り口

    赤道博物館入り口

  • 赤道博物館<br />赤道をまたいだ写真

    赤道博物館
    赤道をまたいだ写真

  • 赤道博物館<br />赤道のマーク(緯度0度)

    赤道博物館
    赤道のマーク(緯度0度)

  • 赤道記念碑

    赤道記念碑

  • 赤道記念碑からの眺め

    赤道記念碑からの眺め

  • キト郊外<br />ポークフライの大衆食堂

    キト郊外
    ポークフライの大衆食堂

  • ポークフライ<br />トウモロコシなど

    ポークフライ
    トウモロコシなど

  • キト郊外の風景

    キト郊外の風景

  • キト<br />独立広場

    キト
    独立広場

  • 独立広場の木

    独立広場の木

  • 独立広場近くの教会

    独立広場近くの教会

  • 独立広場近くの教会<br />内部

    独立広場近くの教会
    内部

  • 教会からの景色<br />パネシージョの丘が見える

    教会からの景色
    パネシージョの丘が見える

  • キトからニューヨーク<br />経由地のマイアミビーチ上空

    キトからニューヨーク
    経由地のマイアミビーチ上空

  • JFKニューヨーク空港近辺

    JFKニューヨーク空港近辺

  • マンハッタンで<br />知人の若者と

    マンハッタンで
    知人の若者と

  • 夜はアラジンのミュージカルへ

    夜はアラジンのミュージカルへ

  • ミュージカルの会場

    ミュージカルの会場

  • アラジン<br />舞台終了後の挨拶

    アラジン
    舞台終了後の挨拶

  • 夜のブロードウェイ界隈

    夜のブロードウェイ界隈

  • 朝のブロードウェイ

    朝のブロードウェイ

  • JFK空港近郊

    JFK空港近郊

  • 帰りのNYC~羽田<br />ビジネスクラス

    帰りのNYC~羽田
    ビジネスクラス

  • JALビジネスクラスの食事(1)

    JALビジネスクラスの食事(1)

  • JALビジネスクラスの食事(2)

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  • 機外の風景

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  • 夕焼け

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  • 機内食<br />スナック(ラザーニャ)

    機内食
    スナック(ラザーニャ)

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