2020/02/20 - 2020/02/23
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gyachung kangさん
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青いロゴマークのエアラインのマイルが満了期限を迎え、尚且つ今年から義務化された有給休暇最低5日枠の消化も兼ねて私はソウル行きのチケットを取った。暖冬とは言えまだ底冷えのする2月後半の木曜日、朝4時に家を出て羽田空港へと向かう。春が来るのを待ちきれず、少しフライング気味の旅、たまにはそんなのもいいだろう、と思いながらつかの間の休息を楽しむ、そんな気分で出掛けたが。帰国したら日本は、いや世界は、どえらい事態になっていた泣
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エチオピア航空 アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
羽田空港6時10分発スタアラキャリアのアシアナ航空便に搭乗。冬晴れの中、韓国仁川空港へと飛ぶ。韓国へは6年前の済州島以来となるが仁川からの入国は実に18年振り。これだけ空白期間が長いと隣国ながらかなり新鮮だ。
-
8時半過ぎ仁川空港に着陸。
地下鉄1号線利用でソウル駅へと向かい次に地下鉄4号線に乗り換え新龍山駅へ。歩いて5分KTX龍山駅にたどり着いた。 -
12時10分発麗水行きKTXに乗る。
私の目指す場所は全羅北道の中心都市である全州市だ。南へ。 -
14時50分全州駅に降り立つ。
駅舎の規模は日本の地方都市の駅よりも小さいくらい。でもご覧の通りデザインは韓国の伝統的建築様式で落ち着きがある。旅気分、上げてくれます。 -
駅前でタクシーを拾い僅か10分程で全州で予定していた今日の宿に到着した。
場所は伝統家屋が密集して残る旧市街、韓屋マウルと呼ばれる一角にある。
古びた木の扉を開けて入ると敷地内には小さな前庭。 -
韓屋スタイルの民泊ゲストハウス。
レセプションの役割をするフロント的な場所は一切ない。
どなたか居ますか?私の呼びかけに居間にいた宿主ママが現れて私の名前を確認、部屋を案内してくれた。韓屋には日本家屋のような玄関というものが無い。縁側から上がって各居室に直接入る。これは知らなかった。 -
脱いだ靴は縁側の内側、廊下頭上に掛けられた板に置く。へえ?って感じだ。
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私の部屋。
広さは6畳間くらいかなあ。
トイレとシャワーは専用でテレビとエアコン、冷蔵庫にポット、布団一式。机やソファの家具は何も無し。
さて、この伝統スタイルをどう考えるかは個人によって分かれるところ。
私ですか?
これに泊まってみたくて本場の全州に来たようなもんです! -
布団を敷いてゴロリと横になってみる。
目線が低いので小さな部屋の空間性も上がって見える。で、私の最大の興味は床下暖房オンドルの効き具合、ココなんだが、床材を通して確かに温かさが伝わってくる。
なるほどね~ 厳しい寒さをしのぐ朝鮮半島の生活の知恵ですね、大納得。 -
荷物を置いて早速の街歩きへ繰り出す。
噂の全州韓屋マウルをこの目で体験~ -
よく整備された石畳の両脇には瓦屋根の平屋の韓屋が立ち並んでいる。カフェやレストラン、食堂、土産物屋、ここまでは普通だが店の軒先には韓服がズラリ。
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朝鮮半島の民族衣裳チョゴリは私でも知っているが実際に以前訪れたソウルや釜山、慶州でチョゴリ姿の女性を見かけることは多分一度もなかった。
全州は伝統の韓屋が数多く残っているので街並みをバックにインスタ映えする撮影を楽しむ人達が借りていくのだとのこと。観光客向けのレンタル韓服屋が大繁盛でこの華やかさが街の印象をグンと柔らかくしている。 -
全州市で一番の名跡と言えば?
ここでしょう慶基殿。
李氏朝鮮の開祖、李成桂を奉った1410年建立の歴史ある建物。3000ウォンで入場できる。 -
敷地内に入ってみるとまずこの参道があって
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真殿と呼ばれる建物が現れる。
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韓国らしくコンパクトな造り
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ここに李成桂の肖像画があった。
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屏風絵
タッチが中国とも日本とも違う -
当時の居住跡ではないのになぜか敷地内にはさまざまな建物があり観光客は韓服をレンタルしてお気に入りの場所を見つけてはコスプレ撮影を楽しんでいる。
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一般庶民の民家風家屋もある。
これは煮炊きする間。 -
亀石を発見
中国以外で初めて見つけた。 -
真殿の隣には史庫と呼ばれる高床式の資料館があった。当時のキャラバンの立体模型ですか、雰囲気あるなあ。
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こちらは歴史書の編纂会議って感じでしょうかね。
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ゆったりした敷地の中を韓服に着替えたカップルがあちらこちらで歩いている慶基殿。
ちょっとした屋外博物館のようで不思議なリラックスが味わえる場所である。 -
道路を挟んで慶基殿の反対側にはこの重厚な教会、殿洞聖堂。
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ここでもやっぱり韓服撮影会
ホント、楽しげです。 -
これは珍しい2階建の韓屋
オンドルで室内を温めるわけだから住居は自ずと平屋建になる。だから2階建て家屋は少数派。 -
まだ夕方なのに、角にあった食堂の看板が目に入り飛び込んでみたこのお店。
頼んだのはビーフリブスープ。美味いっす。 -
韓屋街ゾーンから道を一本渡ると豊南門が見えてくる。現存するものは18世紀の再建だが元祖は高麗時代とのことで由緒ある歴史的遺構。
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でその前の広場にはいつかニュースで見たこの像が。確か数年前だったと記憶している。日本人の私としては苦い感覚だが、色んな見方と表現の仕方がある、としか言いようがない。
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韓屋街の南側に小高い丘があってオモクテという建造物がある。李成桂が戦勝を祝って祝宴を開いた場所。
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丘の上からは木々の合間から韓屋街の家並みが見渡せる。
韓屋は韓国語ではハノク。
こういう景色を見ると伝統様式を安易に取り壊さずに保存していくことが地域の資産になるなあってことがよくわかる。
全州のハノク、大都市ソウルや釜山にはない魅力だと思う。 -
日が落ちてリアル夕飯時
今度はコテコテの地元食堂に -
spicy seafood noodle
ところが日本語表記はチャンポン麺、となっていた。具材の主役はムール貝、イケてます。6500ウォン。 -
翌朝
私が泊まった韓屋式ゲストハウス。
夜はやはり冷え込んだ。床に薄い敷布団を敷いて眠りについたがオンドル効果で下から暖気がジワジワ、気持ちよく寝入った。韓国名物のスマホに入る緊急速報3回にはドッキリさせられたが、実に快適な目覚め。4度目の韓国で初のオンドル体験は大収穫であった。 -
朝7時、まだ鳥の鳴き声しか聞こえない韓屋街を散歩。この看板は全州への旅の窓口になるKTX龍山駅構内にもあった。
Now or Never か。私の長年の旅先選びの直感も捨てたもんじゃないか笑 -
散歩から宿に戻ると中庭に面したダイニング小屋では朝食の準備が整っていた。
炊飯器と鍋からご飯と味噌汁を自分でよそって食べる家庭スタイル。質素なんだけど旨いんですよ、これが。冬の朝に合う、胃袋に染み渡る味。 -
朝飯を食べ終えて自分の部屋に戻ると縁側からママの声。食後のフルーツ、リンゴを召し上がれ、だった。
正直なところ韓国のホテルは微妙だなあ、これが今までの私の印象。でも全州での韓屋宿はオンドル体験も合わせて情緒があった。居心地が良かった。 -
宿をチェックアウトして市内バスターミナルへ。南に1時間20分、全州から足を伸ばしてゴチャンへ向かう。
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11時過ぎゴチャンのバスターミナルに着きタクシーでこの場所に到着。
ここはコインドルと呼ばれる太古の支石墓が密集して発見された世界遺産サイトである。 -
チケットは3000 ウォン。
先ずサイト入り口にある資料館を覗いて見る。支石墓群を見る前の予習に最適。 -
朝鮮半島の支石墓の起源は紀元前500年と推定。私たちが知っている新羅や高句麗、百済が成立したのが紀元1世紀なのでそのはるか以前だ。
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日本では弥生時代に該当するから稲作文化は時代イメージと合致する。
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この時代の埋葬の様子
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ストーンヘンジやイースター島のモアイなど世界には名高い人為的な石の遺構がある。それらに比べれば朝鮮半島のコインドルは地味過ぎるほど地味な存在。でも、こと支石墓に限ってみると実は世界の半分数が朝鮮半島域に集中しているのだと言う。ゴチャンはまさにそのメッカ。
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資料館を出て実際の支石墓サイトへGO
このあたり、のどかな田園地帯のようだ。 -
橋を渡るとこのコインドル男性像が登場
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山すそのなだらかなスロープ
この地形を利用するように石が散らばって置かれていた。 -
石の大きさは一律ではなく
石と石の間隔も規則性がない。 -
確かに石が石を支えている。
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こちらはさらに分かりやすい
サイズは小さいがまさに支石。 -
サイトは5つのゾーンに分類されている。
斜面の西側第5ゾーンはサイズが小さく墓数が多いのが特徴。 -
密集地帯は5,6メートルの間隔で石墓が並ぶ。
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これなんかは相当なサイズだ。
しかも長方体に加工処理が施されている。 -
支石墓には管理番号
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サイトの東第1ゾーンには4本脚とか2本脚テーブル式のコインドル
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隣の第2ゾーンは巨岩が現れる。
ああ~ん、この写真ではサイズ感が伝わりませんなあ -
じゃあこれはいかが?
特大コインドル。これくらいになると切り出しから運搬まで大プロジェクトだったはず。
日本にも長崎にほぼ同時期の支石墓が残っているが規模や石のサイズははるかに小ぶり。朝鮮半島のコインドル文化、想像が膨らむ。面白いと思う。 -
サイト内には屋外展示もあり
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狩猟シーンや
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生活シーン
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再現住居など。石の見学に飽きた子どもでも楽しめる施設が用意されている。
実のところ私自身もゴチャンに来る前は半信半疑。世界遺産登録とて見てもピンと来ない遺構跡はいくらでもある。支石の墓、どうなんだ?期待外れも承知で足を運んだのだが、結果は期待より面白かった。空は澄み渡って晴れ小春日和、静かな田園でひとつひとつ個性のあるコインドルを見て回ることを存分に楽しめた。コレ、けっこう贅沢な時間の使い方ですよ。
ちなみにこの日、私の他に出会った見学者は2組5人。全州まで来たらゴチャンに寄って損は無い! -
ゴチャンのバスターミナルに戻り付近でランチができそうな店を探すが時刻は2時半。たった1軒だけ営業時間中の店があった。この町でイングリッシュメニューなどあるはずがなくオーダーに思案していたところ店のママからプデチゲのご推奨があり乗った。8000ウォン。
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さて。
全州とゴチャン、全羅北道に別れを告げ今から夜までにソウルに戻る。ゴチャンのバスターミナルで全州行きのバスを探す。が、案内は英語併記がなくハングルのみ。韓国地方都市の罠である。韓国初入国の際に北朝鮮との国境ライン展望台を目指し金村いう町に行った時、英語も通用せずひどく難儀した記憶が鮮明に残っている。こういう局面では行先地名を極めて正確に発音することが大事。 -
夜の9時、ソウル入り。
とりあえず便利な明洞駅最寄りにホテルを取った。昨夜の全州韓屋式宿が1泊49000ウォン、今宵の宿は60000ウォン。ソウルに韓屋式宿があるなら挑戦してみたい。 -
遅めの夕食は明洞の繁華街で参鶏湯。
15000ウォン。温まります。ゴチャンの晴天とは真逆にこの夜ソウルは篠つく雨。明日の天気回復を願ってホテルに帰る。 -
翌朝の明洞駅
この日は旅のもうひとつの目的地へ。
地下鉄を乗り継いでソウル郊外8号線の山城駅に向かった。 -
山城駅からはバスに乗る。
山歩き姿の乗客とともに下車すると着きました。ここは南漢山城。約12キロの城壁が今に残る1626年に造られた山城である。
山城という歴史的由来と長過ぎず短か過ぎずの適度な距離が私のトレッキング意欲を刺激してくれる。 -
バスの停車地点があるロータリーにツーリストインフォメーションがあって日本語マップを入手。おばちゃんが底抜けに明るいぞ。
どこをどう歩いても構わないが一周するなら北門からとアドバイス。
よ~しそのプランで行ってみっか。
おばちゃんに従い北門へ。 -
山城の全容はこんな感じである。
12キロか、目安は4時間かな。 -
ロータリーからの坂道突き当たりに出ました、これが北門。
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始まりは古びた舗装路であった。
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道はすぐに山尾根に出た。
高さ1メートル程の城壁。 -
昨夜の雨で山城の道はぬかるんでいた。
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雨を吸い込んで光る道
2月後半に降る雨はひと雨ごとに春が近づいて来る。そう考えると雨上がりの山道も悪くない。いやいや、むしろ楽しさが増してくるってもんだ。 -
衝立のような大きな岩の前で用意してきた弁当を広げるグループ。きっと彼らも春を待ちきれず一足早いトレッキングに来たんであろう。
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視界が開けた尾根で露店が営業中。
これは嬉しい。 -
気温はたぶん8℃くらい。
私の手持ちは水2本とチョコレート、カラダを温めるものは何もない状況で躊躇なくおでんを補給。これは売れます、間違いない。 -
こんなところで大きな建物が現れた。
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名前は西将台
将台とは戦時の際に指揮を執る場所。南漢山城には元々5つの将台が存在したが現存する唯一の将台。左右対照、清々しさを湛える端正なフォルムである。 -
さらに先に進むと喑門
これも戦時の時に使う隠れた通路だ。 -
山城の道には間隔を置いて休憩用のベンチも設置されている。一周12キロの長丁場、一息入れながら前に進む。
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道幅が広いこのあたりでつかの間の太陽の陽射し
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またまた城壁に沿った登り道
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尾根を這うように城壁が続いて
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南門に到達した。
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北門スタートで南門まで来たら気分的にはハーフターンなんだが実はこの南→東→北のルートが長い。しかも圧倒的に山道、歩いているトレッカーの数は劇的に減っていた。
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暴風雨か?
山城道中に痛々し爪痕 -
次なる指標、東門までまだあと1キロもある。
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なんと昨夜のソウルの雨がここでは残雪として残っていた。
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山城のルートは下りに入りここで東門を視界に捕らえた。
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東門を過ぎてからは再びの登り道。
ここ、シンドイ。南漢じゃなくて難関であるよ。 -
東門から北門はラストクォーター、だがアップダウンが最もキツい。
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北門まで1キロの表示。
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尾根上から展望が開けてマンション群が見えた。
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そして。
戻ってきました!スタート地点の北門に帰還。所用時間3時間と5分での南漢山城踏破となった。 -
ゴールしたとたんに空腹感爆発。
バスが発着するロータリー周りで営業中だったお店に入りビビンバを注文。日本にいる時ビビンバを食べるのはかなりの低頻度、だがこの時は席に着いた瞬間に私の中にビビンバが舞い降りた。6500ウォンで大満足。 -
南漢山城からの帰り、江南地区にある地下鉄宣陵駅で途中下車し朝鮮王陵に立ち寄る。
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ここは李氏朝鮮時代の王族のお墓がほぼ完全な形で残る王陵で2人の王と1人の王妃のお墓がある。2009年に世界遺産登録。
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広い敷地は公園のように整備され大都市ソウルの中で静寂に浸れる違う空気のスポットになっていた。ちょっとした穴場である。
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ホテルに戻り荷物をピックアップしてまたまた移動。夜、仁川市内のホテルにチェックインした。
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翌朝、早朝の仁川の中華街。
旅の最終日は仁川市内観光に当てた。
韓国への入国都市として誰もが知る仁川だがこの街を見て回る機会はなかなか無い。全州に入りゴチャンに寄ってソウルで南漢山城を歩いたあと最後は仁川。今回の4日間旅は盛りだくさんのルートになった。 -
黄海を挟んで大陸と向き合う仁川は歴史的に中国と結びつきが深かった。船便による往来の頃から中国人が移り住んで中華街ができたようだ。
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中華街は仁川駅の目の前の坂道に広がり華僑向けの小学校もある。
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街中の写真屋も韓服ではなくチャイナドレス
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で、中華街の真裏には道を渡ると日本統治時代の日本建築が今に残る一画がある。これは銀行でしょう。
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この長屋風木造民家なんてまさに日本建築。それを壊さずに現役で商業利用してるとは知らなんだ。やっぱり港街は多様な民族が交錯して文化もミックスするわけで。仁川も例外ではなかった。
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さらに。
仁川と言えばこの人でしょう。
ダグラス・マッカーサー元帥。
朝鮮戦争で北朝鮮軍に押され圧倒的戦局不利に追い込まれた米韓軍が首都ソウル奪還のため仁川から逆上陸した国連軍の総司令官。この逆上陸作戦が成功していなければ今、世界に韓国という国家は存在していないかもしれない。
その銅像が丘の上の公園に立っていた。 -
再び中華街ゾーンに戻ってココを見学。
ココとは共和春、ジャージャー麺の総本山である。 -
中国発祥のジャージャー麺、韓国ではチャジャンミョン。大陸からの華僑、クーリーと呼ばれた労働者達が仁川経由で持ち込み、その後韓国国内で広まって大人気メニューになった経緯があった。
-
ジャージャー麺の老舗店、共和春は往時の店舗を残して博物館と化していた。
世界にはいろんな博物館があると思うがこの博物館は日本人にとっては珍スポットだと思う。家族揃ってジャージャー麺を囲む食卓、そんなん聞いたことないし!笑 -
しかし
郷に入っては郷に従え、と言う。
私はまだ昼前の閑散とした中華街のこの店に入ってみた。 -
もちろんジャージャー麺を食べるため。
絡めるあんかけの黒さが食欲を萎えさせる、あ、いや湧きたてる。この甘辛のソース味、久しぶりだな。仁川でジャージャー麺、ちょっとしたネタをつくりたい方にはピッタリだと思う。一杯9000ウォン。イメージより安くないのがご愛嬌である。 -
仁川駅から西側にある月尾島、ウォルミドという名前の公園があり行ってみた。地元住民がウォーキングを楽しむ憩いの散策路であった。この日天気は穏やかに晴れてひと足早い春の到来を感じながら旅は幕。仁川国際空港からの便で夜、成田空港に帰国した。
が、私が帰国した直後、韓国国内では新型コロナウィルスが爆発的に広がり感染拡大、瞬く間に状況は悪化し危険を感じた日本人が駆け込み帰国ラッシュとなった。その後の顛末はもはや説明も不要で今日に至っている。
これまで旅中で数えきれない程ピンチに遭遇してきたが今となってはホント危機一髪、幸運としか言いようがない。一日も早く悪夢のようなコロナウィルスが世界から消えてなくなることを切に切に切に願っております。
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