2020/02/18 - 2020/02/18
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ペコちゃんさん
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早春の山歩き・・・今回はJR青梅線・御嶽駅から日の出山~大塚山と歩き、古里(こり)駅に下るコースです。
いつもは御嶽駅からバスとケーブルカーを利用するのですが、今回は駅から歩いて途中から山道に入り、急登のバリエーションルートで日の出山の山頂を目指すという、結構シンドイ山歩きでした。
日の出山からは距離はありましたが、比較的楽なコースで古里の郷へ。
初めて訪れた古里の郷は、 ” ここも東京都? ” と思うような鄙びた街ですが、茅葺きの古民家があり荒川の清流も流れ、日本の原風景のような所でした。
そして、たまたま立ち寄った奥多摩文化会館では、ひな人形展を開催しており、住民の方々が大切にしてきたお雛様を鑑賞することが出来て、良い思い出となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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8時前に御嶽駅に到着。
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今日のコースは、御嶽駅から日の出山に登った後、大塚山へ向かい、古里駅へ下るコースで、ゆっくり歩いて約6時間の山歩きです。
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いつもは御嶽駅前から御岳山ケーブルカーの駅に向かうバスに乗るのですが、今日は歩いて日の出山へ。
駅前の御岳橋を渡ります。 -
橋から見た多摩川の流れ。
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御嶽駅から15分ほど歩くと、左手の山から大きな鉄管が・・・これは、多摩川上流に造られた白丸ダムから導水路を通じて送られた水力発電用の水圧鉄管です。
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道路をくぐった水管の先にあるのは、昭和38年に運転開始した東京都交通局の「多摩川第三発電所」・・・これまでバスからは気が付きませんでした。
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のどかな山間の風景を見ながら進むと、武蔵御嶽神社の「一の鳥居」が見えてきました。
鳥居をくぐって左に進みます。 -
「御岳 やまめの牧場」・・・火曜が定休日なので、今日はお休み。
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光仙橋のたもとにある「琴平滝」の石碑・・・沢沿いに3分ほど行くと滝がありますが、立ち寄りはパスしてここから登山開始。
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こんな看板がありましたが、日の出山を目指してバリエーションルートを登ります。
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御岳山ケーブルカー駅の周辺が見えてきました。
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ケーブルカー山頂駅の周辺が見えます。
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登り始めて2時間あまり・・・10時45分に「日の出山」の山頂に到着。
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902mの山頂からは、関東平野が一望できる眺望・・・筑波山が霞んで見えます。
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そして東京スカイツリーも。
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令和天皇も、平成24年の皇太子時代に登頂されました。
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山頂の方位盤・・・台座には「皇太子殿下 浩宮様 平成24年11月13日御登頂 ここより皇居を望む」と記されています。
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以前、登った時は「つるつる温泉」へ下りましたが・・・
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今回は武蔵御嶽神社の参道を経由して大塚山に向かいます。
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日の出山の直下にある「東雲山荘」・・・日の出町が運営する素泊まり専用の山小屋です。
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武蔵御嶽神社の鳥居をくぐって、ケーブルカー山頂駅の方に歩いて行きます。
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山楽荘・・・川合玉堂や吉川英治も愛した歴史のある宿坊です。
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武蔵御嶽神社の参道商店街の入り口にある「神代ケヤキ」を見上げながら進みます。
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この辺りは昔ながらの茅葺きの家が残っているのですね。
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御岳山参道の途中にある東京都指定有形文化財の「馬場家御師住宅」。
馬場家は、武田信玄の重臣の流れをくむ家柄で、14代目の現当主は御嶽山の神主を65歳迄務めていたとのこと。
1866年に建てられた建物は、2018年に改修工事が行われ、宿坊や参拝者の休憩所として抹茶や甘酒などを提供しています。 -
木々の間から望む御岳山。
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大塚山は日の出山より少し高い920m・・・でも、山というよりは通過点のような所。
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山頂にある電波塔。
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大塚山から勾配が緩やかな杉林の中を、約1時間半かけて大塚山丹三郎コースで下って行きます。
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ここが下山(登山)口・・・イノシシよけの扉を開けて古里の郷へ。
山道沿いのフェンスには、何と電気が通っています! -
この辺りは、東京都西多摩郡奥多摩町丹三郎(たんさぶろう)という地名・・・15世紀頃、この周辺を開発した原島丹三郎友達が丹三郎村と名付けたとのこと。
下山口の所にある茅葺きの建物は、真言宗豊山派の長福寺。 -
長福寺の茅葺屋根は、茅の上に杉皮を15層重ねている珍しい造りです。
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古里の駅に向かう途中にある「丹三郎屋敷」。
南北朝時代の戦乱で新田義貞軍に味方し、足利軍に敗れて奥多摩に逃れた原島氏は、兄が日原を開発し、弟の丹三郎が当地や大丹波・小丹波を開拓しました。 -
丹三郎屋敷は江戸中期に建てられた名主屋敷で、入り口の長屋門は東京都の歴史建造物に認定されています。
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長屋門から見た母屋。
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母屋で出す蕎麦・うどんが人気のようですが、入り口の看板には ” 仕込分売切の為 本日終了 致しました ” ・・・次の機会には立ち寄ってみたいですね。
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丹三郎屋敷の近くにある茅葺屋根の長屋門・・・古き奥多摩の面影が残る、風情がある建物です。
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母屋と土蔵がある、立派な邸宅でした。
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吉野街道を歩いて、多摩川に架かる万世橋を渡ります。
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橋の上から眺める多摩川は、深い渓谷になっています・・・まさに「奥多摩」の雰囲気。
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14時過ぎに古里駅に到着。
奥多摩特産の針葉樹の木材を使ったロッジ風の古里駅・・・昭和19年に開業した青梅線の駅として開設された古里駅は、2003年にコミュニティーセンターを併設した駅舎へと改築されました。 -
次の電車まで時間があるので、奥多摩文化会館で開催中の【昔ながらのひな人形展】を覗いてみました。
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エントランスの通路に飾られた、昔のひな人形。
これは明治時代後期のひな人形「高砂」・・・夫婦が共に白髪になるまで、仲睦まじく長生き出来ますように! -
昭和初期のひな人形・・・鯱のある御殿も立派ですね。
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昭和27年(右側)と昭和30年代(左側)の「御殿びな」。
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多目的ホールに入った途端に ” オ~! ” ・・・町民から借りたお雛様が、ズラーリ。
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御殿雛から七段飾りまで、ここまで飾られると壮観です。
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昭和30年代のお雛様。
ひな人形は、平安時代に紙で作った人形を、紙で作った御殿のなかで遊ばせるという「雛遊び(ひいな遊び)」が貴族の女の子のなかで流行っており、これが起源になったのではないかと言われています。 -
昭和40年代のお雛様。
雛遊びが節句としての「雛祭り」へ変わったのは安土桃山時代からで、3月3日の桃の節句に雛祭りを行うようになったようです。 -
昭和40年代のお雛様。
江戸時代になると、男雛・女雛一対の内裏を飾るだけの立ち雛飾りが作られ、江戸後期には五人囃子が登場し、幕末の頃には官女・随身などの添え人形や嫁入り道具なども登場しました。 -
昭和40年代のお雛様。
かつては宮廷や武家の間でのみ行われていた雛祭りも、1700年ごろから庶民の間でも行われるようになりました。 -
昭和50年代のお雛様。
このような、人形と道具が一式揃えで出回るようになったのは大正時代中期ごろです。 -
昭和50年代のお雛様。
雛飾りの最上段は、天皇と皇后を模したとされる男雛と女雛が一対の「内裏(だいり)雛」、二段目は「三人官女」、三段目は「五人囃子」、四段目は「随身」、五段目はお供する係の「仕丁」。 -
昭和50年代のお雛様。
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昭和50年代のお雛様。
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昭和40~50年代のガラスケース入り人形。
この頃から核家族化や住宅事情の変化などで、コンパクトな雛人形が増えて来ています。 -
「つるし雛」。
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折り紙細工のお雛様。
思わぬところで素晴らしいお雛様を観ることが出来ました。
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