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カザンラクのバラ祭りに行きたくて参加した。<br />ルーマニアもブルガリアもほとんど知らない国だったけれど、知れば知るほど面白く楽しい旅だった。

ルーマニア・ブルガリア2ヵ国周遊10日間

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2018/05/29 - 2018/06/07

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あみさん

カザンラクのバラ祭りに行きたくて参加した。
ルーマニアもブルガリアもほとんど知らない国だったけれど、知れば知るほど面白く楽しい旅だった。

同行者
社員・団体旅行
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 2018年5月30日 ルーマニアの避暑地シナイア<br />ペレシュ城<br />初代ルーマニア国王となったカロル1世が、1875年にルーマニア王室の夏の離宮として8年の歳月を費やして建てた城。<br />ルーマニアで最も壮麗な城と称される。

    2018年5月30日 ルーマニアの避暑地シナイア
    ペレシュ城
    初代ルーマニア国王となったカロル1世が、1875年にルーマニア王室の夏の離宮として8年の歳月を費やして建てた城。
    ルーマニアで最も壮麗な城と称される。

    ペレシュ城 城・宮殿

  • ペリショール城<br />カール1世の狩猟用の城として建てられ、「小さなペレシュ城」という意味の名前が付けられた。

    ペリショール城
    カール1世の狩猟用の城として建てられ、「小さなペレシュ城」という意味の名前が付けられた。

    ペリショール城 城・宮殿

  • 吸血鬼ドラキュラ居城のモデル「ブラン城」<br />もともと13世紀にドイツ騎士団が、トランシルヴァニアの南東部を守るため、木材製の国境の要塞を築いた。<br />14世紀には、ドイツ商人が侵入してくるオスマン朝群をいち早く発見する目的で、石造りの要塞を築いた。<br />その後、ワラキア公ヴラド1世がここを居城とした。

    吸血鬼ドラキュラ居城のモデル「ブラン城」
    もともと13世紀にドイツ騎士団が、トランシルヴァニアの南東部を守るため、木材製の国境の要塞を築いた。
    14世紀には、ドイツ商人が侵入してくるオスマン朝群をいち早く発見する目的で、石造りの要塞を築いた。
    その後、ワラキア公ヴラド1世がここを居城とした。

    ブラン城 城・宮殿

  • ブラド三世<br />15世紀ルーマニアのワラキアの領主。<br /> 串刺し刑を好む苛烈な性質から『串刺し公』の異名をもち、自らは「竜の子(ドラキュラ)」と称した。 <br />後世に様々な汚名を着せられた末に「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされる。

    ブラド三世
    15世紀ルーマニアのワラキアの領主。
    串刺し刑を好む苛烈な性質から『串刺し公』の異名をもち、自らは「竜の子(ドラキュラ)」と称した。
    後世に様々な汚名を着せられた末に「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされる。

    ブラン城 城・宮殿

  • 2018年5月31日 シギョアラ<br />世界遺産シギョアラ歴史地区(1999年登録)<br />時計塔<br />旧市街地の中心部に位置し、高さは64m。<br />14世紀にシギショアラが自治都市となったことを記念して建築された。<br />1670年火災で焼失、その後再建され現在の姿になった。<br />17世紀に造られたからくり時計は今でも、時間になると機械仕掛けの人形が出てきて音楽に合わせて踊る。

    2018年5月31日 シギョアラ
    世界遺産シギョアラ歴史地区(1999年登録)
    時計塔
    旧市街地の中心部に位置し、高さは64m。
    14世紀にシギショアラが自治都市となったことを記念して建築された。
    1670年火災で焼失、その後再建され現在の姿になった。
    17世紀に造られたからくり時計は今でも、時間になると機械仕掛けの人形が出てきて音楽に合わせて踊る。

  • 時計塔からの眺め

    時計塔からの眺め

  • 山上教会<br />175段の屋根付き階段を上った先にある14世紀の教会で、内部はルーテル派の壁画がある。

    山上教会
    175段の屋根付き階段を上った先にある14世紀の教会で、内部はルーテル派の壁画がある。

    山上教会 寺院・教会

  • ブラショフ 黒の教会<br />高さ65mのトランシルヴァニア地方で最大の後期ゴシック教会。<br />17世紀末にハプスブルク家とオスマン帝国との間で起きた大トルコ戦争の際に、、火事でこの教会も焼けてしまい外の壁が黒焦げになったことから「黒の教会」と呼ばれるようになった。

    ブラショフ 黒の教会
    高さ65mのトランシルヴァニア地方で最大の後期ゴシック教会。
    17世紀末にハプスブルク家とオスマン帝国との間で起きた大トルコ戦争の際に、、火事でこの教会も焼けてしまい外の壁が黒焦げになったことから「黒の教会」と呼ばれるようになった。

    黒の教会 寺院・教会

  • ブラショフ レプブリチ通り<br />古い建物をそのまま使用したカフェやレストラン、地元の人が利用する日用雑貨店、そして観光客用のお土産品店が混在して並ぶユニークな場所。

    ブラショフ レプブリチ通り
    古い建物をそのまま使用したカフェやレストラン、地元の人が利用する日用雑貨店、そして観光客用のお土産品店が混在して並ぶユニークな場所。

    レプブリチイ通り 散歩・街歩き

  • 2018年6月1日 ブカレスト 国民の館<br />延床面積33万平方メートルはワシントンにあるペンタゴン(国防総省)に次いで世界で2番目の規模。<br />かつての独裁者チャウシェスク大統領が日本円にして約1500億円もの巨費を投じて建設を命じた巨大な宮殿。<br />地上10階地下4階、高さ84m横幅275m、世界2位の広さを誇る国民の館には3000を超える部屋がある。<br />

    2018年6月1日 ブカレスト 国民の館
    延床面積33万平方メートルはワシントンにあるペンタゴン(国防総省)に次いで世界で2番目の規模。
    かつての独裁者チャウシェスク大統領が日本円にして約1500億円もの巨費を投じて建設を命じた巨大な宮殿。
    地上10階地下4階、高さ84m横幅275m、世界2位の広さを誇る国民の館には3000を超える部屋がある。

    国民の館 史跡・遺跡

  • 革命広場と旧共産党本部<br />革命広場は、1989年12月のルーマニア革命の舞台となった場所。<br />革命広場に面して建つのが旧共産党本部ビル。<br />当時、集まった10万もの民衆に向けてチャウシェスク元大統領が最後の演説をしたのは、2階部分のバルコニー。<br />広場に建つ大理石の慰霊碑は、革命で亡くなった人々への追悼の意をこめて建てられたもの。

    革命広場と旧共産党本部
    革命広場は、1989年12月のルーマニア革命の舞台となった場所。
    革命広場に面して建つのが旧共産党本部ビル。
    当時、集まった10万もの民衆に向けてチャウシェスク元大統領が最後の演説をしたのは、2階部分のバルコニー。
    広場に建つ大理石の慰霊碑は、革命で亡くなった人々への追悼の意をこめて建てられたもの。

    革命広場 広場・公園

  • 2018年6月2日 ルーマニアからブルガリアへ移動<br />世界遺産イヴァノヴォ岩窟教会(1979年登録)<br />13世紀の第二次ブルガリア王国時代に作られた、切り立った岩山の洞窟内に作られた教会。<br />14世紀から17世紀に至るまで、これらの教会はブルガリア正教会の修道士たちによって利用されていたと言われている。<br />保存状態が良く、中世の美しいフレスコ画が見られる。

    2018年6月2日 ルーマニアからブルガリアへ移動
    世界遺産イヴァノヴォ岩窟教会(1979年登録)
    13世紀の第二次ブルガリア王国時代に作られた、切り立った岩山の洞窟内に作られた教会。
    14世紀から17世紀に至るまで、これらの教会はブルガリア正教会の修道士たちによって利用されていたと言われている。
    保存状態が良く、中世の美しいフレスコ画が見られる。

    イヴァノヴォの岩窟教会群 史跡・遺跡

  • ヴェリコタルノヴォ ツァレヴェッツの丘<br />1187~1393年にかけて第2次ブルカリア帝国の首都として栄え、とりわけイヴァン・アッセン王の時代にはバルカン半島のほぼ全域を支配するほどの勢力を誇っていた都市。<br />第2次ブルガリア帝国の時代、ここは王宮や教会、住宅、さらには貯水タンクや防衛塔までをも備えた要塞都市として機能していた。<br />一時は廃墟と化したが、1930~1981年にかけて修復された。

    ヴェリコタルノヴォ ツァレヴェッツの丘
    1187~1393年にかけて第2次ブルカリア帝国の首都として栄え、とりわけイヴァン・アッセン王の時代にはバルカン半島のほぼ全域を支配するほどの勢力を誇っていた都市。
    第2次ブルガリア帝国の時代、ここは王宮や教会、住宅、さらには貯水タンクや防衛塔までをも備えた要塞都市として機能していた。
    一時は廃墟と化したが、1930~1981年にかけて修復された。

    ツァレヴェッツの丘 史跡・遺跡

  • 2018年6月3日 カザンラク<br />バラ摘み体験会場<br />民族衣装に身を包んだ地元の人たちが、パンと蜂蜜の試食やダンスをしたりして盛り上げてくれる。

    2018年6月3日 カザンラク
    バラ摘み体験会場
    民族衣装に身を包んだ地元の人たちが、パンと蜂蜜の試食やダンスをしたりして盛り上げてくれる。

  • この辺りは「バラの谷」と呼ばれ、ここで生産されるバラは主に香水の原料となるローズオイルを採るために使われる。<br />摘んだバラからは、すっきりとしたダマスクローズの香りが漂う。

    この辺りは「バラの谷」と呼ばれ、ここで生産されるバラは主に香水の原料となるローズオイルを採るために使われる。
    摘んだバラからは、すっきりとしたダマスクローズの香りが漂う。

  • カザンラクのバラ祭り2018<br />毎年6月最初の週末の金曜日から日曜日にかけて開催される。<br />最終日のこの日は、一番盛り上がるパレード。<br />民族衣装に身を包んだ地元の人々が3000人参加する盛大なお祭り。<br />特に2018年はバラの女王選出開始50回目ということで、50代目のローズクイーンが華やかにパレードを彩る。

    カザンラクのバラ祭り2018
    毎年6月最初の週末の金曜日から日曜日にかけて開催される。
    最終日のこの日は、一番盛り上がるパレード。
    民族衣装に身を包んだ地元の人々が3000人参加する盛大なお祭り。
    特に2018年はバラの女王選出開始50回目ということで、50代目のローズクイーンが華やかにパレードを彩る。

  • 2018年6月4日 プロブディフ<br />古代ローマ劇場<br />旧市街にある2世紀に造られたローマ時代の半円形の劇場。<br />現在残っている観客席は20段ほどだが、当時は5000人が収容できる28段あった。<br />今でも春から夏にかけて、世界各地からのゲストを招いたオペラやコンサートなどが上演されている。

    2018年6月4日 プロブディフ
    古代ローマ劇場
    旧市街にある2世紀に造られたローマ時代の半円形の劇場。
    現在残っている観客席は20段ほどだが、当時は5000人が収容できる28段あった。
    今でも春から夏にかけて、世界各地からのゲストを招いたオペラやコンサートなどが上演されている。

  • コプリシティツァ ハウスミュージアム<br />「オスレコフの家」<br />豪商ネンチョ・オスレコフが1856年に建てた。<br />玄関部を支える3本の柱は彼が持ち帰ったレバノン杉で作られ、この家の外観の要となっている。<br />豊富な装飾品や衣服などの展示から19世紀のコプリフシティツァの裕福な家庭生活を垣間見ることができる。

    コプリシティツァ ハウスミュージアム
    「オスレコフの家」
    豪商ネンチョ・オスレコフが1856年に建てた。
    玄関部を支える3本の柱は彼が持ち帰ったレバノン杉で作られ、この家の外観の要となっている。
    豊富な装飾品や衣服などの展示から19世紀のコプリフシティツァの裕福な家庭生活を垣間見ることができる。

    オスレコフの家 建造物

  • 2018年6月5日 世界遺産「リラの僧院」(1983年登録)<br />ブルガリア正教の総本山といわれる修道院で、ブルガリアで最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つ。<br />白黒横模様のアーチの柱から中に入ると、外壁と天上のほぼ全てを利用してフレスコ画が描かれている。

    2018年6月5日 世界遺産「リラの僧院」(1983年登録)
    ブルガリア正教の総本山といわれる修道院で、ブルガリアで最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つ。
    白黒横模様のアーチの柱から中に入ると、外壁と天上のほぼ全てを利用してフレスコ画が描かれている。

  • 世界遺産「ボヤナ教会」(1979年登録)<br />写真左側は1048年に創建された聖ニコラウス聖堂、真ん中の一番大きな教会は1259年創建のパンティレイモン聖堂、そして左が1845年創建の第三聖堂と、3つの聖堂からなるブルガリア正教会。<br />13世紀に描かれた名もない画家たちのフレスコ画、聖人たちの生き生きとした表情は必見。

    世界遺産「ボヤナ教会」(1979年登録)
    写真左側は1048年に創建された聖ニコラウス聖堂、真ん中の一番大きな教会は1259年創建のパンティレイモン聖堂、そして左が1845年創建の第三聖堂と、3つの聖堂からなるブルガリア正教会。
    13世紀に描かれた名もない画家たちのフレスコ画、聖人たちの生き生きとした表情は必見。

    ボヤナ教会 寺院・教会

  • 2018年6月6日 ソフィア市内観光<br />アレクサンドル・ネフツキー寺院<br />ブルガリアの首都ソフィアのシンボル。<br />ブルガリア総主教の拠点であり、世界的にみてもその大きさは最大級の正教会。<br />特徴的なドームが交差するバシリカ建築。<br />高さは鐘楼を含めると50m、敷地面積は3170平方mで、5000人を収容できる。

    2018年6月6日 ソフィア市内観光
    アレクサンドル・ネフツキー寺院
    ブルガリアの首都ソフィアのシンボル。
    ブルガリア総主教の拠点であり、世界的にみてもその大きさは最大級の正教会。
    特徴的なドームが交差するバシリカ建築。
    高さは鐘楼を含めると50m、敷地面積は3170平方mで、5000人を収容できる。

    アレクサンダル ネフスキー寺院 寺院・教会

  • 聖ゲオルギ教会とローマ風呂跡<br />バルカン半島で最古のキリスト教教会。<br />4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス帝が建てたロトンダ(円形堂)を、6世紀に建て直した。<br />天井のドーム部分には、10世紀から14世紀にかけて描かれた貴重な壁画が重なりあうように残されている。<br />教会のすぐ隣には古代ローマ遺跡がある。

    聖ゲオルギ教会とローマ風呂跡
    バルカン半島で最古のキリスト教教会。
    4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス帝が建てたロトンダ(円形堂)を、6世紀に建て直した。
    天井のドーム部分には、10世紀から14世紀にかけて描かれた貴重な壁画が重なりあうように残されている。
    教会のすぐ隣には古代ローマ遺跡がある。

    聖ゲオルギ教会 寺院・教会

  • 聖ペトカ地下教会<br />14世紀のオスマントルコ時代に建てられたため、間口は低く抑えられている。<br />内部のところどころに16世紀の壁画が残されている。

    聖ペトカ地下教会
    14世紀のオスマントルコ時代に建てられたため、間口は低く抑えられている。
    内部のところどころに16世紀の壁画が残されている。

    聖ぺトカ地下教会 寺院・教会

  • 聖ソフィア寺院<br />6世紀のビザンチン時代に建てられた、ソフィアで最も古く由緒ある教会。<br />神の叡智を意味する「ソフィア」という町の名はこの教会に由来している。

    聖ソフィア寺院
    6世紀のビザンチン時代に建てられた、ソフィアで最も古く由緒ある教会。
    神の叡智を意味する「ソフィア」という町の名はこの教会に由来している。

    聖ソフィア教会 寺院・教会

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