2020/01/11 - 2020/01/11
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Donkyさん
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暖冬とは言っても寒い日が続く中、1月11日(土)今年も東久留米の新年の風物詩である東久留米七福神めぐり(スタンプラリー)が市制50年を記念して にぎやかに開催されました。
西武池袋線東久留米駅西口下車、徒歩3分の西口公園から出発します。
改札を出て西口方向に降りると今年も地元有志ボランティアによる集合場所案内と応援が雰囲気を盛り上げます。
受付:9時半から11時半。東久留米駅から徒歩3分の西口公園。
途中の大圓寺近く、れんげ公園では「ぬくぬくパーク」でお楽しみ。
これもいつも通り。
併行して「吊るし雛巡り」1月27日まで開催中です。
ラリー参加者には お馴染みとなった先着2500名に「かりんとう」サービスは今年も健在。
大勢の市民が参加し今年も11日午前9:30から開催されました。
注)ブログ記事のうち各訪問先の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』およびそれぞれの公式サイトから抜粋・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ポスターのデザインが昨年のものと全く同じデザイン。実は三年連続日付以外は全く同じです。七福神(しちふくじん)とは、ご存じのように福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神です。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンズー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っています。
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七福神めぐりは、新年のご利益はもちろん、沿道に広がる川沿いの自然を満喫できます。
なんと裏面のこのデザインも昨年と全く同じ(マップだから当たり前) -
東久留米七福神(ひがしくるめしちふくじん)は東京都東久留米市の五社の寺院にある七神の総称です。
久留米の地名の由来となった黒目川と落合川に囲まれた地域にある寺院で構成されます。なお、大圓寺には全七福神7体の本尊も祀られています。 -
地元 北口商店街もこの日は夏祭りのにぎわいに切迫する勢いです。
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地元 北口商店街
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地元 北口商店街
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改札を出ると今年も地元有志ボランティアによる集合場所案内
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駅西口徒歩3分の西口公園 今年も地元有志ボランティアによる集合場所案内と幟をもっての応援が雰囲気を盛り上げます。
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駅西口徒歩3分の西口公園
ここで「七福神めぐりラリー参加者」を登録します。(参加費 100円) -
東久留米市 市制50周年記念のイベントの一つとして位置づけこの催しも16回目を迎えました。
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東久留米七福神(ひがしくるめしちふくじん)は東京都東久留米市の5社の寺院にある七神の総称です。久留米の地名の由来となった黒目川とその支流落合川に囲まれた地域にある寺院で構成されます。なお、大圓寺には全七福神7体の本尊も祀られています。 今年もゴールは市役所内市民プラザです。
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落合川に沿ってスタート
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トムソーヤの川下り。 夏はこどもたちの川遊びで大にぎわいします。
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多聞寺:石神井公園の三宝寺の末寺です。
境内の中央に本堂があり、南面中央に山門、その右手に庫裡、左手に薬師堂があります。皇国地誌では康元元年(1256年)に創建とされ、3度の大火にあって延喜3年(1945年)に再建され、現在の本堂は1975年(昭和50年)6月に鉄筋コンクリートで建替えられました。 -
"開山貞和5年に開山。本尊は不動木の立像、境内は古樹蒼鬱として古寺なること知るべし、本堂、左に毘沙門堂がある"と新編武蔵風土記稿に記されています。
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七福神ご尊像はそれぞれのお寺で買い求めます。
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共立学校跡 今でも、校舎前にあったヒバの木が1本残っています。
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共立学校は明治10年に南沢村・小山村・落合村・門前村・神山村などの村々が共同で設立した公立学校で、明治17年にこの地に校舎を新築しました。
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多聞寺
堂内には薬師如来はじめ、木造の地蔵菩薩、弁財天などが保存されていました。もとは毘沙門堂であったものですが、薬師堂前の六地蔵尊には左より「地持」「陀羅尼」「法性」「法印」「鶏亀」「寶性」と記されています。 -
ルート上立ち寄る 南沢水辺公園
南沢湧水は名水百選に選ばれているほどの清水です。 -
ここでもボランティアや出店
湧水でいれたコーヒーはいかがですか_? -
氷川神社
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落合川と南沢湧水群解説
南沢湧水は落合川と黒目川に流れ清流にしか育たない水草が茂る美しい川です。 -
落合川に住んでいる魚や野鳥の解説
湧水を集めて流れとなっている落合川は、清流にしか育たない水草が茂り、魚も多く、鳥の種類も多く、生物が好きな方は飽きることなく眺められます。
いろんな種類のサギ、鴨は勿論、ハクセキレイ、キセキレイも姿を見せます。 -
河川の清潔さを維持するために落合川清掃のボランティア活動が長く続けられています。ボランティアの皆さんに感謝申し上げます。
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なんとこの清掃は市や都から補助がなく 皆さんからのカンパで成り立っています。
少年野球のチームや一般市民が川の周囲や水辺のごみ拾いに汗を流す様子をよく見かけます。 -
市内各所に「つるしびな」が飾られています。
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市内各所に「つるしびな」
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JA みらい 新鮮館
先日 竹の花が展示されていました。 -
次の米津寺では 寺内に米津家大名墓所があります。
江戸時代の大名の米津(よねきつ)家の墓所。4代の当主や一族の墓碑などが残り、東京の多摩地域では唯一大名墓所の景観を今にとどめています。平成8年東京都指定文化財(史跡)指定。(東久留米市幸町4-2-40) -
武蔵の所領6400石を出羽村山郡に移されたことから、長瀞藩が立藩することとなったのでした。しかし1万石少々がやっとの小藩だった上、所領が5ヶ国にも散在していたため、城持大名にはなれず、長瀞に陣屋を置くだけだったそうです。
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◇米津寺‐布袋尊は、七福神の中で唯一中国(唐の時代)に実在した禅僧です。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身とも言われています。
長丁子と号した唐代末期の禅僧・契此をはじめ、宋の僧了明、棗陽の張氏の男など、四人が布袋和尚として伝えられています。彼らはいずれも額が広く、巨大な太鼓腹に、体躯は肥って背低く、いつも半裸という風体。杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。食べ物を施されると、少しだけ食べて残りは袋の中にしまっておくのが常だったといいます。 -
米津寺‐お茶席案内に沿って行くと
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米津寺‐お茶席
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米津寺‐お茶席にて 柳久保小麦のお饅頭
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米津寺‐お茶席にて
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米津寺‐お茶席にて
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七福猫って聞いたことあります? にゃんとも♪ 可愛いです。
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次は大圓寺ですが 寺前にある 大圓寺境外石橋供養塔と力石
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供養塔と力石
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市の指定文化財 石橋供養塔と力石とは何?
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大圓寺近く、小山れんげ公園では「ぬくぬくパーク」でお楽しみ。
晴天の下、いろいろ美味しいもの、グッズ販売があります。 -
小山れんげ公園では「ぬくぬくパーク」
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小山れんげ公園では「ぬくぬくパーク」
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天台宗寺院の大圓寺は、普門山三皇院と号します。
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大圓寺の創建年代は不詳ですが、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。東久留米七福神の恵比寿尊、福禄寿尊、寿老尊が山門に安置されています。
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東久留米市史による大圓寺の縁起 ;原文のまま 大圓寺は天台宗の寺院で、曹洞宗の浄牧院、真言宗の多聞寺と並び、市内の古刹である。江戸時代、本市内の村には天台宗寺院が多く栄えていたが、近代、大正初めにはこの大圓寺と宝泉寺の二ケ寺となった。大圓寺は、宝泉寺と同じく、入間郡古尾谷村の灌頂院の末寺であるが、その末寺には、延命寺(天保六年、一八五三、大円寺に併合)、観音寺(大正三年大円寺に合併)があった。
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また大圓寺の末寺には、神宮寺(明治維新に大円寺に合併)、不動院(明治四三年ごろ大圓寺に合併)があり、さらに不動院持として、薬師堂、観音堂があった。合併されて廃寺となったこれらの天台寺院の資料はほとんど大圓寺に収められている。
大圓寺は、普門山三皇院と号し、現住職は六〇世の古きを数えるが、「開山は詳ならず」 (『新編武蔵風土記稿』)で、江戸時代以降のことしか明らかではない。
以上 東久留米市史による大圓寺の縁起;原文のまま -
境内の建物は、本堂を中心に、庫裡、山門、観音堂(旧不動院持、大正初期に大圓寺に移築)、穀櫃(弘化二年、一八四五、下里村にあったもの)があり、北西に墓地があります。昭和三三年本堂を茅葺から瓦茸に改めた際、棟札が発見され、明和二年(一七六五)に建立されたことがわかりました。八間半に六間半の方丈系六ツ間取りで、手前の一間が、幅七.五尺の広縁で、身舎柱の柱は六寸角で太く、間仕切りの差し鴨居の絵様や欄間の透し彫りも江戸中期の特徴をよくとどめています。玄関の式台構えは、弘化三年(一八四六)に建て替えられたものです(同寺蔵文書による)。
観音堂は、もと二間四方であったが、当寺に移されてから、背部を半間拡張して、仏壇を設けた。正面の虹梁絵様や中備の蟇股の形式からみて、江戸末期に再建されたものである。(東久留米市史より) -
ついで 宝泉寺
概要 :天台宗寺院の宝泉寺は、峯亀山洞明院と号します。創建年代は不詳ですが、承和5年(838)慈覚大師の創建と伝えられます。東久留米七福神の弁財天です。 -
新編武蔵風土記稿による宝泉寺の縁起
除地1段2畝。外に山林2段。村の北にあり。天台宗、入間郡古尾村灌頂院の門徒。峯亀山洞明院と号す。本堂7間に4間南向。本尊弥陀木の立像にて長2尺許。開山開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より) -
七福神めぐりと併行して「つるしびな巡り」もスタート 市内の各所に飾られていました。
こちらは12回目で1月27日まで開催されています。 -
市内の各所に「つるしびな」
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市内の各所に飾られた「つるしびな」
東部地域センターのカフェでは 珈琲が大サービス(¥100)一休みして♪ -
最後に最寄りの浄牧院: 創建年代は不詳ですが、文安元年(1444)八王子城主北条安祝が開基となり創建したと伝えられます。曹洞宗寺院の浄牧院は、神護山と号します。
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天正19年(1591)寺領30石の朱印状を拝領、前沢村・神山村・当村(大門村)に寺領を有していました。
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東久留米七福神の大黒天尊、関東百八地蔵107番です。
◇大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたものです。 -
ベランダから境内の樹木が見えるほど我が家の最寄りです。
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浄牧院 鎌倉時代からあるみたいですが、創建が不明
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キッチンカーがあちこちに出ています。
なんと 八王子ラーメン! -
甘酒があちこちで振舞われます。
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終点 市役所 8km.完走(歩)しました。
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市内の各所に飾られた 「つるしびな」 市民プラザにも
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ゴールの市役所前広場
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ゴールの市役所内市民プラザです。
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市の職員やボランティアがお出迎え
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ここで当日配布のスタンプ6個(各寺院+ゴール)で先着2500名に市の名産品「柳久保かりんとう」プレゼント。 スタンプの位置の微妙なずれが それぞれを巡った証です。7個のスタンプを確認しゴールで祝の文字を。
東久留米七福神の一覧:大圓寺‐恵比寿、福禄寿、寿老人 米津寺‐布袋尊 多聞寺‐毘沙門天 浄牧院‐大黒天 宝泉寺‐弁財天 -
当日配布のスタンプ6個(各寺院+ゴール)で先着2500名に市の名産品「柳久保かりんとう」プレゼント。 かりんとうゲット!
今年は天候にも恵まれ盛況に終始しました。
読者の皆様にも幸多からんことをお祈りします。
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