2019/12/29 - 2019/12/29
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komainuさん
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2019年12月29日(日)
6:30 気仙沼発
7:20~10:00 陸前高田
旧陸前高田市立気仙中学校
旧道の駅高田松原(タピック45)
旧下宿定住促進住宅
高田松原津波復興祈念公園
道の駅高田松原
国営追悼祈念施設・東日本大震災津波伝承館
奇跡の一本松、旧陸前高田ユースホステル
10:30~11:00 大船渡
12:00~13:00 釜石 うのすまい・トモス
14:20 田老着
善助屋食堂 どんこ唐揚げ丼
田老・学ぶ防災14:30~15:30
道の駅たろう
たろう観光ホテル跡、防潮堤
15:00 田老発
15:20 宮古 浄土ヶ浜
宿泊 ホテル宮古ヒルズ ステーション店
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気仙沼を6時半に出発
フロントガラスは凍っています。 -
陸前高田市内へ
旧陸前高田市立気仙中学校
「絆 未来へつなごう夢と希望」 -
朝日が海から上る
日本海側ではなかなか見られません -
旧下宿定住促進住宅
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旧下宿定住促進住宅
こう見ると「貫かれている」ことがわかります -
付近の工事現場で、
よく見た立て看板 -
工事現場のキャラクター
そばっち と わんこきょうだい -
これからです
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旧道の駅高田松原(タピック45)
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JR陸前高田駅
今は電車ではなくBRT(バス高速輸送システム)。
2018年4月にこの場所に移転オープンしました。 -
震災前の駅舎を模して作られた駅舎
みどりの窓口もあります -
こうして見ると盛り土をしたうえに
駅舎があることがわかります。 -
かつての市街地
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陸前高田復興まちづくり情報館
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震災後アメリカに漂着したボートの記事
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これがそのボート
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追悼施設
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旧米沢商会ビル
一番上に津波の到達点が書かれています -
高田松原津波復興祈念公園
道の駅高田松原と
国営追悼祈念施設・東日本大震災津波伝承館 -
海に向かいます
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一番外側の堤防の内側は濠になっています
震災前は古川沼と言われた潟湖の名残です -
慰霊台
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ここも潟湖の痕が見えます
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いよいよ奇跡の一本松へ
左手に見える旧陸前高田ユースホステルのダメージを
見ると、よくぞ残ったとあらためて感じます -
ちょうど太陽と重なって
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何かを教えてくれているようでした
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献花台
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帰ります。
もし津波が来ても両サイドは高く盛り土があり
真ん中は津波が突き抜けるような構造になっています -
東日本大震災津波伝承館
今日から年末の休館でした -
大船渡に来ました
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津波防御壁
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港はあちらこちら工事中
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大船渡商工会議所
よく見ると右下の1階部分が
破壊されたままです -
釜石にやってきました
「熱いぞ!釜石」 -
釜石と言えば新日鉄。
その後は新日鉄住金。
そして今は日本製鉄。
ワールドカップラグビーの看板が見えます -
日本製鉄 釜石製鉄所
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古くからバス停の名前は
製鐵所前 -
鉄の歴史館はお休みでした
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釜石市鵜住居町にある
うのすまい・トモスへ
「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」釜石市Webサイトより
こちらで予め館内説明をお願いして
ありました。 -
担当のSさんに丁寧にご説明いただきました。
これは津波がこのように来て、その結果どのようになったかを示します。とにかく予想外だったことがよくわかりました。 -
避難所の生活空間とはこういう感じだった
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文字通りリアス海岸。
津波は容赦なく。 -
さまざまな遺品
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ここまで水が来ました
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小中学生はこのルートで先生の誘導に従って避難して全員無事でした。
1.6km、中学生は小学生の手を引いて高台へ歩いたそうです。
少しでも高みを目指しての決断に感動です。 -
鵜住居駅は復活しました。
プラットホームの色が変わっている部分がかさ増ししたところです。
その向こうにワールドカップラグビーを開催した鵜住居復興スタジアムが見えます。 -
釜石市田老へ来ました。
まずは善助屋食堂で・・・ -
このどんこ唐揚げ丼。
ガイドブック「三陸人」で紹介されていたので。
どんこは白身魚。
わかめラーメンもいただき、お腹いっぱい。 -
電話でお願いしていた「学ぶ防災」
でSさんに田老地区を案内していただきました。
田老にはこうした山へ逃げる道が多く整備されていました。 -
震災前から整備されている坂の一つで、
多くの人の命が救われました。
夜も自動点灯するよう工夫されています。 -
Sさんに立っていただいて津波被害水位と比べてみました。
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宮古市田老総合事務所
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その前にある銅像は元田老村村長の関口松太郎翁。
この田老地区を津波から守るべく
高い堤防を築いた方です。 -
津波防災宣言
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ここまで津波が来たという看板はあちこちに。
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これも避難路
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今は静かな漁港
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そのすぐそばの製氷貯水施設の一番上に
今回の津波の水位が示されています。
10メートルは軽く超えています。 -
その説明。震災直後の写真が痛々しい。
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堤防を建設中
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港に向かう高架バイパス
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新設された10メートルの堤防
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旧来の堤防の上に重ねてさらに強固に。
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かさ増ししてあります
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これまで以上に強い堤防を整備することと、低湿地域に住宅を建てず、公共施設を整備すること。
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この右手が今回の津波でやられています。
この部分が多くの人の命を奪ったと聞きました。
それはあとのたろう観光ホテルのところで。 -
完成予想図
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ここを軽々と乗り越えた津波を思いながら10メートルの古い堤防を歩いてみました
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かつてはX字になっていた堤防。
強いはずだった。 -
堤防の内側に整備された野球場
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工事関係の方々の仮設住宅
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さて降ります
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高低差がわかるかな
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たろう観光ホテルに来ました
その前にある水準点は震災で地盤がこれだけ
横ずれしたことを示しています。 -
たろう観光ホテル跡
テレビやネットで何回も見ましたが
その前に立つと・・・。 -
1階部分。
エレベーターはひしゃげて、浴場が丸見えになっています。 -
1階の天井はご覧のとおりです。
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非常階段を使って上へ。
学ぶ防災でしか中には入れてもらえません。 -
2階部分
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最上階の6階
これは震災前から社長さんが貼っていたものだそうです。 -
ホテル裏の避難路
宿泊客はここから避難して全員無事でした -
6階から見た田老の港。
6階の社長室で見せていただいた当時社長が撮ったビデオには鬼気迫る様子が。
先ほどの堤防が壊れたのが、この正面。
空き地のようになっているこのエリアの家々は
そのためにことごとく流されました。 -
なおたろう観光ホテルは震災遺構として残されますが、社長は高台に別のホテルを作って営業中とのことです。
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田老地区については大きな堤防を作ったのに、それを越える津波がきた。人の考えることは所詮自然には勝てないという教訓にされがちです。
しかしSさんは力説しました。堤防があったからこれだけで済んだんですと。
来てみてよくわかりました。 -
宮古に戻り、浄土ヶ浜へ
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夕暮れの風景もなかなかです
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宮沢賢治はやはり東北で詠むのがいい
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宮古の港湾地区
やはり津波被害の目安が。 -
道の駅でも。
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夜の宮古駅
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今日はここに。
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付き出しといかの塩辛やらなんやら。たっぷりあって熱燗に合います。
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ホタテのバター焼
歯ごたえがすごい -
ひらめ
見るからに。間違いない。
無口な大将を前に三陸の幸を噛み締めました。
宿は宮古ステーションホテル
近くのゲストハウスは予約が取れませんでした。
今日はそれはそれでちょうどよかったかな。
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