2019/11/13 - 2019/11/16
44位(同エリア667件中)
鹿野健太郎さん
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今から50年ほど前、先代のプミポン国王の時代にケシ畑からコーヒー農園に変わり豊かな森が蘇ったアカ族の村を訪れました。タイのコーヒーの始まりから世界進出に至るストーリーに触れて、これからもっと美味しくコーヒーが飲める気がします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自転車
- 航空会社
- タイ・スマイル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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チェンラーイの空港からまず向かったのはドーイトゥンのメーファールアン公園。先代プミポン国王の母君シーナカリン王太后がこの地をこよなく愛され、ヘリコプターで降り立っていらした事から「メーファールアン(天から降臨された母君)」と呼ばれるようになり、こちらの郡の名称の他、チェンラーイの国際空港や国立大学の名称にもなっています。地元ではプミポン国王と並んで特にシーナカリン王太后への敬愛が深いのだそうです。
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標高が1000m以上ある山の上なので、涼しい風が気持ち良いです。
王太后は、かつて国境の紛争地帯にほど近いこの土地に自ら定住され、山岳民族の人々の暮らしぶりの改善に力を注いでこられました。その思いはメーファールアン財団の「Doi Tung」プロジェクトで引き継がれ、コーヒーやマカダミアナッツをはじめとする様々な作物の栽培や手工芸品の販売、森林保護などを進めています。 -
この標高なので、特に雨季が開けて涼しくなると、温帯の植物もよく育つそうです。
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日本人にとっては、むしろ学校の花壇などでお馴染みの花が多いように感じました。
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キジの一種でしょうか?じっとしていたので皆でカメラを構えて近づいたら、急に襲ってきました。怖がらせてごめんなさい。
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植物園から少し登ったこの花壇の右側には王太后のお使いになったヘリポート、左にはスイス風のパビリオンがあります。
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パビリオンを見学しました。日本語の音声ガイドもありましたが、欲を言えば、翻訳台本とナレーションがちょっと微妙…でした。
写真はテラスからの眺め。(建物の内部は写真撮影禁止でした) -
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パビリオンの正面には素晴らしい眺めが広がります。
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離宮のふもとには、山岳民族マーケットなるものがありました。かなり多くのお店が出ていて、一見楽しそうなのですが、どのお店も似たような衣服や小物を並べていて、伝統衣装を身にまとった山岳民族のおばさんたちの商魂たくましさに少し辟易してしまいました。静かにゆっくり見せてくれれば、きっとお買い物する人も増えるでしょうに。
通り沿いの果物を売るお店の方は比較的穏やかで良心的でした。見たこともないエッグ・フルーツなるものを2つ買ってみました。味見をしたときはカボチャか焼き芋のような味だったので買ってみたのですが、実はこの果物、沖縄などではカニステルとして知られ、「金捨てる」と揶揄されるほどに当たりはずれが多く、食べごろの見分けも難しいのだそうです。帰宅後剥いてみたものの、とても食べられた代物ではありませんでした。笑 ごめんなさい。 -
山岳民族マーケットから見えたパークルアイ村の家並み
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メーファールアン公園を後にし、国境線を伝って今夜の宿泊地、パーヒー村に到着しました。村長さんのお宅にある宿泊施設にチェックインして、サンセットを待ちます。
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Doi Tungのショップで購入した森のはちみつ
あとでコーヒーに入れて飲んでみましょう。 -
サンセットの時間が近くなってきました。車で少し戻って、ミャンマーとの国境警備地点のドーイチャーンムープ(標高1500m)でサンセットを待ちます。軍の施設なのでパスポートを見せてから入れてもらいますが、警備の若い兵隊さんはとても親切でした。
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今日は雲もなく、綺麗なサンセットが見えそうだ!と警備の兵隊さんも言っています。
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ミャンマーの山に日が沈みます。
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この柵のすぐ外に有刺鉄線があり、その向こう側がミャンマー領です。
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6時になりました。国境警備地点も閉門です。
国歌は流れませんでした。 -
パーヒー村に戻るとすっかり暗くなっていました。
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村にはこんな素朴なコンビニ?が3店、何かネパールの山里を訪れた時を思い出すような光景でした。
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パーヒー村は東側に谷の風景が広がります。満月が昇ってきました。
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今夜の晩御飯はアカ族のお料理です。
ただ、もしかしたらタイ人向けに辛くしてあったかも知れません。赤いディップソースが辛すぎて、この後30分、口がひりひり…苦しみました。 -
僕にもちょうだい…と甘え上手な子。でもワンコはあんなに辛い物を食べたらダメだよ。
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晩御飯が予想外に辛くてまだお腹が空いているので、麻辣入りの串焼き屋台のお世話になります。これがまた美味しい!
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村の夜は早く、次の日は日の出を見るために5時半に起きました。
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もう少し標高の高いところまで登ってみましょう。
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谷の向こうにはメーサーイの町が広がります。その左はタイ=ミャンマー国境で、ミャンマー側にはタチレクの町があります。
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残念ながら少し雲が出ていて大きな日の出は見えませんでした。
だいぶ明るくなってきて、パーヒー村の家並みがよく見えるようになりました。草葺きの木造家屋はほとんどなく、立派な造りの家が多くなっているようです。コーヒー農園のおかげで生活もとても楽になったと聞きます。が、今でもDoi Tungの指導などで、屋根や壁の色使いの指定など、乱開発を防ぐ取り組みがあるのだそうです。 -
この村は犬好きにはたまりません。あちこちに人懐こいワンコが歩いています。
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子犬ちゃんも犬好きオーラを感じてくれたようで、ずーっとくっついて来ます。
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さて、そろそろ朝ごはんの時間です。宿に戻って絶景テラスに腰を掛けます。
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まずは、朝一番のドリップコーヒー、もちろんこのパーヒー村で採れたコーヒーです。
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続いてお粥。この景色で朝ご飯。最高に贅沢な時間です。
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食後にコーヒーの花のお茶をいただきました。花を摘んでしまえばコーヒーの実はならないわけですから、数量限定の大変貴重なものです。喉に甘い香りが広がる美味しいお茶です。
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チェックアウトを済ませ、次の村へ移動する前に、コーヒーの果実(コーヒーチェリー)のお茶、コーヒーの花のお茶、そしてコーヒー豆のチョコレートコーティングしたお菓子(各一袋50バーツ)を大量に購入しました。
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次の目的地、パーミー村までは10㎞ほど国境地帯の山を下ってゆきます。
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パーヒー村から6km、次のパーミー村まではあと3km、そしてホンモノの恋までは999kmだそうです。
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この展望台は、先に洞窟に閉じ込められて救出劇が世界中で報道された13人の男の子たちが、洞窟に入る前に集合写真を撮っていたという場所です。彼らの生還以来、この展望台も大変有名になったのだそうです。それにしても素晴らしい眺めです。
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パーミー村に到着しました。ここはプミポン国王が自ら降り立ち、最初のコーヒーの木を託した村、いわば、タイコーヒーの故郷です。地元で生まれ育ち、コーヒー農園の観光で持続的に村人の生活を守ってゆこうと活動されているメーオさん(左)に案内をしていただきました。壁にはプミポン国王のいらっしゃった時の写真などが分かりやすく掛けられています。
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早速、コーヒー農園に入れていただき、収穫作業を体験してみました。今年は平年よりも少し遅めということでしたが、真っ赤な実をつけた木も少しずつ増えているようでした。
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コーヒーの果実はジャコウネコが好んで食するように、甘酸っぱくて美味しい「フルーツ」です。少しだけ摘まみ食いさせてもらいました。
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谷の下の方までコーヒーやみかん、ライチなどを栽培しており、豊かな森のように見えます。
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数か月後に、この収穫したお豆が誰かの飲む美味しいコーヒーになりますように。
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山の向こう側にはミカン畑も見えました。
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のどかな生活風景
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おめかしをして、どこにお出かけでしょうか?
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1970年、当時プミポン国王がこの地を訪れた時、パーミー村はもう少し標高の高い国境地帯にあったそうです。しかし、紛争地帯から少し離れた安全なこの土地に定住し、ケシの代わりにコーヒーを栽培してはいかがか?とのご進言を受け入れた村の人々は、この村で平和に暮らしてきたそうです。50年前までケシの栽培のために木を全て切り倒して禿山となっていた一帯も、今ではすっかり森が蘇っています。
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プミポン国王直々に開校された村の小学校。メーオさんもこちらの卒業生だそうです。
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メーオさんのお店、ドーイ・パーミー・コーヒー。この村で初めてのカフェだそうです。最初は赤字続きだったそうですが、この素晴らしい環境で美味しいコーヒーを飲むという経験はきっと観光で訪れる人にも楽しんでもらえるとの信念を貫いたのだそうです。
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そして、メーオさんのお店には最高に美味しいアカ族のお料理もあります。
ハーブの入ったマッシュトポテト、鶏肉とハーブの炒め物、きのことカボチャのスープ、タロイモと野菜のスープ、村の青菜の和え物、ラークチューというニンニクのような香りの野菜と豚の三枚肉の炒め物、酸味のある野菜入りの炒り卵、そしてトマトベースのディップソース…。どれも順位がつけられない程に優しくて美味しいお料理でした。メーオさんと一緒にアカ族のクッキングブックを執筆したいくらいです。 -
↑ これが、ラークチューと呼ばれる野菜です。軽いニンニクのような美味しい野菜です。
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コーヒーは収穫量の5分の1ほどがいわゆるコーヒー豆となるのだそうです。まず水で洗って、少し漬け置きしたら果実を剥き落とし、きれいに種だけを残したら水分が11%ほどになるまで天日干し、続いて杵でついて種の殻を割り中の部分だけを取り出します。割れたものや形の不完全なものは焙煎の時に先に焦げ付いてしまい味を落としてしまうので、手作業で取り除きます。
続きは下へ・・・ -
そしていよいよ焙煎です。大量生産では機械を用いますが、ここでお客さんに出されるコーヒーは何と、土鍋で炭火焙煎です。火を入れるとコーヒー豆はポップコーンのように少し大きく膨らんできます。辺りには芳香が漂います。
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焙煎したてのまだ温かい豆をメーオさんが石臼でちょうどよい粗さに挽いて、竹筒の可愛らしいドリップ器で一杯ずつ丁寧にコーヒーを入れてくださいました。
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バリスタ体験です。
焙煎の深さももちろん味を左右しますが、石臼で粗さを微妙に調節できるのはとても良いと思いました。細かく挽き過ぎるとろ過に時間がかかり、コーヒー豆の余計なものまですべてカップに注がれてしまいます。しかし粗すぎても旨味が出ずに薄い液がしたたるだけです。この石臼手挽きのコーヒーは、都会の気取ったカフェでは味わうことのできない最高の一杯でした。 -
パーミー村が名残惜しいながらも(次回は是非宿泊したい)、チェンラーイ市内で一泊し、翌日はタイの山岳民族の村で生み出されたコーヒーが世界に羽ばたくという次のストーリーを知るためにドーイチャーン村を訪れました。
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ドーイチャーン村のこの森も、コーヒー栽培以降に蘇ったものだそうで、確かに途中はずっと禿山が見えていました。この村では約50平方キロメートルの敷地が農園として与えられ、数千世帯でコーヒーを栽培しています。
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このコーヒー・アカデミーは地元のみならず、全国のコーヒーに関わる人たちが学習しに集う施設です。
この地域にはアカ族、リス族、雲南人などが暮らしていますが、コーヒー栽培を始めるまでは平地のタイ人たちから同じ車に乗るのも嫌がられるほど見下されていたそうです。最初は40世帯ほどで始まったコーヒー栽培、知識のないままに仲買人から不当な安値で取引されて、一時はケシの栽培に舞い戻ってしまうこともあったそうです。しかし、このドーイチャーンのコーヒー栽培の創始者やその友人の商人、村長などのメンバーが力を合わせ、質の高いコーヒー豆と安定した価格で村人の生活を守るために奮闘してきたのだそうです。 -
焙煎工場の内部。これはドイツ製の97年前の機械だそうです。
現在はイタリア製の新しい機械で焙煎しています。 -
アカ族の布を頭に巻いた創始者(結び目はチェンラーイ県の地図の形)のロゴ、2020年には日本にもフランチャイズ展開をして東京や大阪を中心にカフェをオープンさせる計画があるそうです。日本でこのマークを見かけたら、是非コーヒーを飲んでみてください。
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(さいごに)
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