2019/10/28 - 2019/11/06
18位(同エリア138件中)
アーサーさん
紅葉の季節に 1週間 ドナウ川をドイツ・オーストリア・スロバキア・ハンガリーと4か国リバークルーズしてきました。ゆったりとした 私にしては 贅沢な旅でしたが 思い出に残るものになりました。道中 色々と失敗もやらかしてしまいましたが 無事に帰って来れました。
それで結論として リバークルーズは 私のような年寄り(72歳)に向いている旅だと思いました。
写真はオーストリアのリンツに停泊中のMSアマデウス・エレガント」号
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
(1)10月28日(月)
①
今年の春に Travelzoonoメールを見て、リバークルーズが思っていたより高くないことを知り、妻に話しかけたら満更でも無い反応。それでちょっと調べてみたら ドナウ川沿いに ゆっくり観光しながら 地産地消の料理を楽しんで船旅をする記事などが出ていた。老人向けで 良いかなぁと結論ずけ 取り敢えず申し込む。
(写真は出発日の羽田空港国際線ターミナル やっぱり羽田は近い。) -
②
添乗員さん付きのパック旅行で 旅行社(クルーズプラネット)の有楽町説明会には参加したが 殆ど お任せスタイルの気分で 自分では事前調査をしなかった。着るものの関係で 現地の気温を調べ 最低温度はマイナスになり 寒そうなのを知ったぐらい。春に申し込んだオプショナルツアーを どう申し込んだのか 不確かなまま 緊張感もなく10月の出発当日を迎える。
(写真は 羽田空港国際線ターミナルで時間に余裕があったので 長椅子に寝転んで時間を過ごした 待合スペース) -
③
出発の前に 同年代の友人の方の葬儀があり 参列。ご子息のお話によれば 「欧州旅行から帰国し、疲れて それで間もなく 亡くなった。」とのこと。帰宅し とにかく 「無理をしない。」 を最優先にして 旅をしょうと 妻と語り合った。
(写真は 全日空NH217便 ミュンヘン行きの搭乗口。満席みたい。) -
④
乗り込んだ機内は3席3列の中型機で 何となく座り心地に ゆとりを感じる。前日オンラインチェックインで通路側2席を確保。機材も新しく 日本人向けに画面操作など工夫されていた。さすが 全日空。
横席の 西欧人夫妻も親切に イヤホンの差込口など教えてくれる。
持参したスリッパに履き替え リラックス。 -
⑤
機内の食事も それなりに美味しかった。
機内に週刊誌が置いてあり、久しぶりに日本の週刊誌を読む。タイトルに引っ張れるが 読むと中身がやっぱり無い。
朝が少し早かったので リクライニングを倒し、マスク、耳栓などをして 眠ることに専念。
飛行所要時間11時間の内 昼寝の感覚で数時間はまどろんだ気分。 -
⑥
定刻の現地時間16時半ごろ ミュンヘン空港に到着。
随分 大きな空港。
待ち合わせのバスでホテルへ。
写真は空港の駐車場。機能的だが何となく殺風景。歓迎されている気分にはなれない。 -
⑦
18時ごろ ミュンヘン駅近くの ホテル「マリティム」にバスは到着。
東京との時差が8時間なので 日本時間では朝4時ごろになり、さすがに眠い。
それで 外出せずに 部屋で持参したインスタントラーメンなどを軽く食べ 眠る。
部屋はバスタブも付き 快適だった。 -
(2)10月29日(火)
①
早朝に目覚め、朝一番の6時半に地下レストランへ朝食に行く。多くの日本人客を見かける。ここは日本のツアーのよく利用するところになっている様子。
ドイツの予想に違え 朝食は種類も多く、美味しかった。 -
②
朝食後 直ぐ近い 駅のところに行ってみる。7時過ぎだけれど ミュンヘンの街はもう目覚めて活動を開始していた。
ちょっと小雨模様。 -
③
9時前に バスでミュンヘン観光に出発。車窓から眺めるミュンヘンの街は ガイドさんの説明の通り 建物の高さ制限がある為か、緑地もそれなりに確保されているためか 何となく学術的な雰囲気を残した街並みだった。ここはバイエルン州の州都でもあり、ドイツの経済的、あるいは革新の象徴的都市らしい。
バスは旧市街の「バイエルン国立歌劇場」の近くに止まり 短時間のミュンヘン観光を開始する。 -
④
まず最初に 旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮である「ミュンヘン・レジデンツ」入場見学する。
写真は入り口付近。 -
⑤
階高はそれ程高くないが、結構豪華絢爛。現在も外交的接待の場所として使われているとか。各所で塗装などの維持工事がされていた。 -
⑥
居室部分もドイツらしい様相。 -
⑦
それでも 何となく 小規模でドイツの後進性も感じる佇まい。 -
⑧
それから オデオン広場の将軍堂(左)を見て 南欧風のテアティーナ教会に入場見学。 -
⑨
中に入ると 白い漆喰で統一された清楚な感じの教会。17世紀に建設されたとか。
ドイツらしい建物。 -
⑩
それから 少し旧市街を歩き、マリエン広場と新市庁舎に向かう。
途中で以前持っていた 財布の「AIGNER」の本社ストアを見かける。関係ないが 懐かしい気分。 -
⑪
時間が押しているらしくて 先に広場隣接の昼食レストランへ案内される。
レストラン名「ドニスル」 -
⑫
ツアーのランチにしては 美味しい郷土食豊かなドイツ料理が食べられた。 -
⑬
食後 短時間の自由時間で 周辺を散策。
装飾用の花屋があり、覗く。日本の生花の感覚とは異なる。これはこれで美しい。 -
⑭
新市庁舎の中庭辺りをうろつき、10数年前 クリスマスマーケットのツアーでこの界隈を訪れた記憶もぼんやりと思い出す。 -
⑮
それから 2時間ぐらいのドライブで 一路 乗船地「パッサウ港」へ向かう。
ツアーのバスは2台で 私の乗った 羽田空港組のエコノミー客組は約40名、ビジネス客組と大阪空港組がもう一台で約30名。添乗員の方が男2名、女2名の様子。
バスはドイツのアウトバーンを快調に走る。 -
⑯
バスはパッサウのドナウ川を見かける。思っていたより小さな川だった。
この時点で ドナウ川のことを どこからどこへ流れているのかなど 私は余り知らなかった。
(以前 ブタペストで 夜間のドナウ川クルーズに乗船したことはあったが。)
ウィキペディアによれば
ドナウ川はヴォルガ川に次いでヨーロッパで2番目に長い大河で、
ドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州の森林地帯「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」に端を発し、概ね東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ重要な国際河川である。全長は2,850 km。
だから 下流側が黒海方向で、パッサウは上流側 だそうです。 -
⑰
3時半ごろ 7泊お世話になる「MSアマデウス・エレガント」にご対面。想像していたより小振り。
シップデータによれば
2010年建造。ドイツ船籍。1566トン。乗客定員150名。乗組員約40名。客室:ステートルーム数68室、スイート数8室。
今回の乗船は 日本人グループ約70名、米人グループ約40名で。合計約110名らしい。 -
⑱
緊張もなく 普通にタラップを上り、船内に入り、フロントにパスポートを預ける。 -
⑲
外洋の大型船クルーズと異なり セキュリティチェックもなく、物々しい乗船手続きもなく 船上の客になり 乗り組みスタッフとご対面。全体にこじんまりとした感じ。 -
⑳
船室に行けば 15㎡で広くはないが十分な室内。
私の部屋は2階のストラウスデッキ。水面の高さによっては 写真のように 窓の外が岸壁になり 外観が遮られる。
(3階のモーツァルトデッキにも同じ規格の部屋があり、多分 見晴らしは良くて パノラマバーやプロムナードデッキなどのパブリックスペースへのアクセスもし易いが その分価格も 少し高くなり 格差4万円分が見合っているかどうかは分からなかった。) -
21)
収納施設は十分。スーツケースはベッド下に格納。
船室のアメニティも不満は無し、但し、スリッパは無くて、持参して正解。
(それから日本茶の茶葉のサービスは食堂のみ。日本茶のティーパックも持参して正解。) -
22)
荷物の整理をして、3階のパノラマバーでアフタヌーンティーを楽しむ。ちょっと残念だが ケーキ関係は大きすぎて 私好みではなかった。 -
23)
時間が来て 日本人向けに添乗員さんから 「船内説明会」が行われ 参加する。キャビンの鍵と「ボーディング・カード」の交換位が目新しい注意点。
それから 写真のように 恒例の乗組員紹介。
船内放送を含め、船内行事は 全て 英語版と添乗員さんによる日本語版で行なわれるため 日本を旅しているよう。 -
24)
午後7時前に パノラマバーでウエルカムカクテルを頂き
7時からの 2階食堂で 初めての夕食。
(日本人客の装いは 結構きちっとしている。私もブレザーを着てきて正解。)
私は メインは魚料理を選択。日本語のメニュウも付き 注文も容易。料理への期待が高かった分だけ お味はちょっと期待外れ。
同席になった2組の方(大阪からのご夫婦 名古屋からの父娘)と楽しく歓談。 -
25)
夕食のテーブルの上に 写真のようにドーンと白飯と焼きそばが 置かれていた。日本人を歓待するため 用意されていたらしいが、私たちの感覚では繊細さに欠ける「興覚め」。「飯屋」のイメージ。同席の人たちも誰も手を出さなかった。
(翌朝 白飯は「おじや」になって出され 私は美味しかったが。)
朝早かったので 部屋に帰って 早く眠る。
船内が小さいので 大型クルーズ船と異なり移動が簡単。
尚 部屋には 日本語のディリープログラムが配られていて 明日の天気、スケジュール等が記載されていた。 -
(3)10月30日(水)
①
朝目覚めて カーテンを開けたら 船は静かに進んでいた。
船は パッサウを出航して一旦 上流側のレーゲンスブルクへ向かっているようだった。
海の景色とは異なり、川での船からの景色は ゆっくり近接して移ろいで行く。
ベッドに寝転んで ぼんやりと眺めていたら リバークルーズに来たなぁの感がする。 -
②
朝7時に一番に食堂に行く。
朝食も豪華だった。野菜が新鮮で美味しかった。 -
③
それから 船首のリバーテラスに行き、上流側の風景を写す。 -
④
川端では羊が放牧されていた。ここはドイツ南部の農村地域。 -
⑤
外部のデッキには それなりに灰皿が用意され 腰を下してタバコを吸えた。 -
⑥室内に戻り、パノラマバーから船首方向を見る。船内ではここが一番見晴らしが良かった。
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⑦
パノラマバーの後方。この辺りで 説明会や パーティーなどの各種催しが開かれた。バーの方に何も注文しなくても 場所を使えた。 -
⑧
パノラマバーから後方の居室部分(3階モーツァルトデッキ)通路方向を写す。 -
⑨
その 最後尾にプロムナードデッキが有り、コーヒーなどが24時間セルフで飲める。クッキー等のちょっとしたスナックもあった。図書もあったが 日本語のものは無し。 -
⑩
最上階の甲板は「サンデッキ」と名付けられ ゴルフパッティンググリーンや写真のチェスボードなどが用意されていたが 季節的に殆ど誰も使っていなかった。
山の紅葉が始まっている。 -
⑪
丘の上に パルテノン神殿風の建物が見えてきて 船は暫し停泊する。
(下船はせず。)
後日調べるとヴァルハラ神殿らしい。
ドイツはギリシャ文明に対する憧憬が強いのか? -
⑫
暫く航行すると 9時半ごろ 家並みが増えてきて 街になる。
この辺りが レーゲンスブルクの端らしい。 -
⑬
レーゲンスブルクは幸いにも 第二次世界大戦の戦火を免れたため、当時の建物がそのまま残っているという貴重な街なのだそうです。
船は街の中央近くに停泊し、下船する。 -
⑭
現地の日本人ガイドの方に従って 徒歩観光。この辺りは ドナウ川の最上流地域らしい。 -
⑮
街並みは 確かに古そうだが 私はそれで、の感じ。 -
⑯
ガイドの方は情熱をもって 建物のいわれなどを語ってくれるが。 -
⑰
確かに 細部は それぞれあるのだろうが 私は興味を持てない。ドイツの歴史を余り知らないから? -
⑱
街並みを写真に写すだけ。 -
⑲
京都の狭い裏通りを歩いている気分でガイドさんに付いていく。 -
⑳
突如 ゴシック建築の大聖堂と対面。
今も維持工事が進んでいる。 -
21)
高さ105mの立派な2つの尖塔を持つ大聖堂。1273年に着工し、1634年に一旦完成したとか。
残念だが 外観だけ見学して ドナウ川沿いに 船の方に戻る。 -
22)
2時間ぐらいの徒歩観光だけれど、知らない街で ついて歩くのは結構疲れる。
晩秋で少し寒いぐらいの季節だが ギリギリ耐えられる外気温。 -
23)
11時半頃から 船でランチを頂く。メインのみ選択オーダー制。左記の写真はまだメイン料理が来ていない。
リバークルーズは ランチも船で利用できるようだ。アメリカ人グループもよく船でランチを食べていた。慣れたテーブルで気楽に食べれるメリットはある。 -
24)
食後 1時ごろ 「ヴェルテンブルク修道院観光」のバスに乗り込もうとしたら 私の乗車パスがない。添乗員さんにクレームを言って発行してもらい バスに乗り込んで待っていたら なかなか発車しない。添乗員さんがやってきて 私は「全観光付きのプラン」を申し込んでいないし 料金も支払っていない。とのこと。
何かよく分からないが 大慌てで下車する。
後刻添乗員さんから説明を受け、そんな気もするが 春に申し込んだとき 電話で勧められて申し込んだ記憶もある。大型クルーズでは エクスカーションのバウチャーが事前発行され 確認が容易だが 今回は パスを直前に渡される方法。歳取ると 自分の記憶に自信が持てない。
気をとりなし 妻と レーゲンスブルクの旧市内観光に 再び出かける。
写真はアマデウス・エレガント号の後部。 -
25)
スマホのマップス・ミーの地図情報を見ながら フラフラと歩く。途中スーパーに入りチョコレートの土産を買う。レジの列に並び クレジットカードで普通に支払う。 -
26)
途中 鞄の安売り店や土産物店に入り、街角のベンチで休憩。 -
27)
午前中 訪問した「大聖堂」の中に入り、大きな伽藍に感動する。 -
28)
ステンドグラスも精巧。満足。
大聖堂を出て 橋をもう一度見ようと 向かっていて バッグの中に財布が無いことに気づく。盗まれた。
慌てて、船に戻り 添乗員さんから クレジットカードの紛失届先を教えてもらい 電話をする。幸い実害は殆どないが 人生で初めて財布を盗まれたことにショックを受ける。 -
29)
夕食の前に 船で「バイエルの夕べ」の演奏会を開いてくれた。
ちょっとした「おもてなし」だけれども 音楽に無縁でも 嬉しい。
色んな地方の楽器があることを知る。 -
30)
郷土食風で 夕食も美味しい。
本日も 年寄りは 早く眠る。ちょっと本日はショックなことが多かったが。 -
(4)10月31日(木)
①
朝目覚めたら 船は先日のパッサウ港へ再着岸しようとしていた。
天気もよさそう。 -
②
船は今回は街の中心に接岸。 -
③
6時半から朝食ビュッフェは開き、本日ほとんどの人は 8時半から午後6時までの
「世界遺産ザルツブルク、ザルツカンマーグート観光」にバスで出かける。
私たち夫婦は ゆっくりと7時半から食事をとる。 -
④
8時ごろ 船のフロントで バッサウの地図をもらい 徒歩観光に出かける。 -
⑤
まず最初に 近くの観光案内所に寄ってみる。パッサウは、ドイツとオーストリアとチェコの国境沿いのと小さな街。人口約5万人。
古くからの街で観光案内所の建物の壁の装飾も目を引く。 -
⑥
それから アメリカ人のグループと一緒になり 後ろを付いていく。そして 聖シュテファン大聖堂に入り 巨大なパイプオルガンと遭遇。 -
⑦
街自体は日本人には珍しい作り。お土産屋さんにも入り、親切な応対。 -
⑧
出航時間が10:00時で あまり時間がなく、写真の右上の 現在は博物館らしい「オーバーハウス要塞」に私は行けず、船は定刻にパッサウを出発。
(船内でお会いしたご夫婦は丘の上の 要塞にも登られたとか。お元気。) -
⑨
出航して 此処が(パッサウが)ドナウ川・イン川・イルツ川の3つの川の合流地点であることを理解した。船は右側のドナウ川を下ってきた。 -
⑩
合流して 川幅が広く感じる。 -
⑪
川には閘門や建造物などが設置されている。
この辺りは既にオーストリア領。 -
⑫
12時から 客の殆どいない食堂で 川の景色を見ながら ランチを頂く。 -
⑬
ザルツブルク方面は 私は以前行ったことがあり バスでの観光はどちらでも良いと思っていたので まぁ行けなくて残念だが納得。 -
⑭
今回のリバークルーズでは 食事に飲み物も、日本茶も付いていて 小さな満足。 -
⑮
食後 腹ごなしに 1階のフィットネスルームに行った見るが ちょっと部屋が閉鎖的で利用はしなかった。 -
⑯
ドナウ川沿いに いくつかの建物が見えてくる。この辺りは古くからの歴史があるところなのだろう。 -
⑰
よく 白鳥の群れも 見かける。 -
⑱
それから 閘門もよく見かけ ちょっと本気になって写真撮影する。
(聞くところによれば 今回のブタペストまでの航海で 約15か所以上の「閘門」を通過するとか。一日平均2回以上。)
今回の場合 船が上流側から閘室へ入船。向こう側の水位 下流側が低い。船首部分で進行方向を撮影。 -
⑲
上の閘門扉を閉め、低い方へ水を出して閘室の水位を下げ始める。
船尾側に行き、船尾から撮影。 -
⑫水が抜け、船が下がっていく。船尾から撮影。上の閉じたままの閘門扉がはっきりしてくる。
-
⑱
下の閘門扉を開け始める。
船首側に回り、船首方向を撮影。 -
⑲
下の閘門扉が全開。船が下がりきっている。 -
⑳
そして 船は下流側を進んでいく。
振り返って 閘門出口を撮影。 -
21)
船の水上交通の為の手段だろうが ダム機能の治水にもなっているのだろうか。
結構大規模で驚く。船は一時間近くをかけ通過していく。一つのドラマを見ているよう。
ドナウ川の水は 日本の自然な清流のイメージでは無く、利用されコントロールされている川のイメージだった。自然科学も日本との差を感じた。 -
22)
船には 想像以上の客がそれなりに残り、川の風景を パノラマバーから眺めていた。 -
23)
オーストリア第3の都市 リンツ港に午後4時ごろ入港。直ぐ前のリンツ城に登る。
丘の途中から 港と船を写す。 -
24)
丘の上には遺跡らしきものや 博物館があったが 時間的に入らず。 -
25)
ドナウ川の橋を渡り 「アルス・エレクトロニカセンター」などを見たが
また戻り、旧市街のハウプト広場に行く。
写真は広場の夕景。 -
26)
広場では クリスマスマーケットもどきの露店が出されていたが 寒くなり 船に戻る。 -
27)
船の 傍らでは 夜のドナウ川で白鳥が二羽 泳いでいた。
ザルツブルクなどに バスで行かれていた人たちも帰って来ていた。
船は夜10時ごろ エンマースドルフに向け出航。
今宵も 夕食後 早く眠る。 -
(5)11月1日(金)
①
朝 6時半から 朝食を頂く。天気は薄曇り。 -
②
本日は世界遺産ヴァッハウ渓谷とメルク修道院図書館入場観光など。
8時過ぎ エンマースドルフで下船して バスでドナウ川を渡り、メルク修道院に向かう。
写真は ドナウ川渡橋のバスの中から。 -
③
高台の駐車場からメルク修道院を写す。敷地は結構広い。 -
④
修道院の入り口。現地案内人の方の説明が始まる。11世紀設立のベネディクト会派の世界的に有名な修道場だそうだ。 -
⑤
中庭で 若い修道院の説明員から 説明・案内を受ける。引率入場。 -
⑥
現役の宗教施設で 内部の写真撮影は禁止。公開されているところも限定的。
昔は ウイーンに向かう王族達の宿泊施設としても使われたらしい。 -
⑦
途中 建物外のベランダから 街が見下ろせれる。 -
⑧
反対側に修道院の建物。中世の手描き原稿が無数に納められた図書室は圧巻。 -
⑨
庭園部分で出会った猫。完全に無視される。 -
⑩
それから バスでヴァイセンキルヒェン港に向かう。
途中 この一帯はオーストリアワインの産地らしくて ブドウ畑が延々と続く。ブドウの木が 一面 黄色く色づいていた。 -
⑪
ヴァイセンキルヒェン村に着き、バスを降りる。村を歩き 醸造レストランへ向かう。 -
⑫
面白そうな教会の建物の下に 目的のレストランはあった。 -
⑬
レストランで白ワインや赤ワインの試飲があり、私はぶどうジュースを飲んだが 期待に反し もう一つだった。ワインを買い求める人たちもいた。 -
⑭
私は 飲めないもので 早々に引き上げ、村の中を散策する。 -
⑮
街道に面したところには 小さな観光案内所も有り、ワインの販売もしていた。 -
⑯
1時ごろ船に乗り込み 1時半頃 船でランチを頂く。
もう一艘クル-ズ船が横に停泊していて、その中を通って 「アマデウス・エレガント号」に入れた。珍しい経験。合理的。 -
⑰
ランチ後 バスツアーに参加しない私たちは 再度ヴァイセンキルヒェン村をぶらつく。 -
⑱
豊かそうな 村の家々。 -
⑲
3時半ごろ 全員揃い ウイーンに向け出港。
さようなら ヴァイセンキルヒェン村。 -
⑳
ヴァッハウ渓谷は黄色く色づいていた。
でも 日本の赤い紅葉に見慣れている身には ちょっと物足りない。アクセントが抜けている。 -
21)
今宵は夕食前に 添乗員N・Aさんの バイオリン演奏会があり、更に「大抽選会」も開かれ 旅行会社からの「おもてなし」だけれども 楽しかった。
妻にはちょっとしたチョコレートが当たった。
夜 10時ごろ ウイーンに停泊したらしいが 私はもう寝付いていて気付かなかった。
写真はバイオリンを演奏するN・Aさん。ありがとう。 -
(6)11月2日(土)
①
朝 6時半から 朝食を食べ 8時過ぎのバスツアー「世界遺産ウィーン半日観光」
に出発する。
写真は 簡単な「ニュスドロフ船着き場」の表示 -
②
現地案内人の方の説明によれば この辺りはドナウ川治水の歴史的遺産の場所らしい。
確かに 橋や建物が風格を持っている。 -
③
バスは順調にウイーンの朝のラッシュを抜け 中心部の環状道路(リンク)をドライブ。
車窓から 以前来たことのある「オペラ座」も見かける。 -
④
マリア・テレシア広場前で バスを降り、歩いて王宮に入る。 -
⑤
王宮内では 観光用の馬車が通り過ぎていく。 -
⑥
ミヒヤエル広場側に出て、写真撮影。 -
⑦
繁華街のコールマルクト通りは 朝早く人通りも少ない。 -
⑧
シュテファン大聖堂の処で 暫し自由解散。 -
⑨
ケーキを食べたいと 妻が言うので ガイドさん推薦の「ハイナー」?に入り ザッハトルテなどを食べる。
若いウエイターが親切で 私のスマフォのWi-Fiの設定をしてくれる。 -
⑩
それから シュテファン大聖堂に入場。多くの人で 塔には登らず。 -
⑪
近くのマンナーショップでお土産などを買い、集合してバスに向かう。
ここで 幾人かの方は離脱して ウイーンの中心部に残り、時間を大切にして 楽しまれていた。
私たちは 午後 妻が「世界遺産シェーンブルン宮殿観光」の参加を申し込んでいたので 一旦 船に戻る。 -
⑫
12時から 船でランチを食べ 妻は 2時からの宮殿観光バスに乗り込んで出発していく。 -
⑬
私は ドナウ川沿いに 約1キロ歩き、路面電車に乗る。
目的は「ベルヴェデーレ宮殿」の世紀末芸術を見るため。
途中 何隻かの船の乗り場があった。 -
⑭
運河の向こうに「国連都市」の一角が見える。
ウイーンは「第3の国連都市」と呼ばれている。国際原子力機関(IAEA)の本部等があるそうだ。ウイーンの新しい顔。 -
⑭
ドナウ運河のところで 鉄道の下を抜け 「ニュスドロフ広場」へ。
ちょっと昼でも寂しい一角。
白鳥が一羽泳いでいた。 -
⑮
広場のタバコ屋で 老人用の割引切符を買い トラム「D線」に乗る。
写真は「ニュスドロフ広場」。 -
⑯
車内で切符を打刻ボックスを利用して有効化。
トラムは 街の中心部も抜け 30分以上かかって 目的の「Schloss Belvedere停留所」へ。
トラムのスピードは ゆっくりしていて 老人にあっている。 -
⑰
そして「ベルヴェデーレ宮殿」のゲートへ。
切符売り場の行列が長かったが 無事に4時過ぎ入場の切符を手に入れる。 -
⑱
微かに記憶の残る 庭園。その時 この併設美術館を見れなかった残念さが 今回ここまで足を運ばせた。 -
⑲
そして 「ダスタフ・クリムト」の作品と対面。
『ユディトI』 -
20)
「接吻」 -
21)
ゆっくりと堪能。
100年以上昔の作品とは思えない。 -
22)
結構 舞い上がってしまっていたのだろう。
全室を見終わり、トイレにも寄り 5時過ぎ
満足して ゲートを出る時 バックのファスナーが開いているのに気づく。
今度はスマフォが無かった。愕然。 -
23)
とにかく 電話を止めなければと思い、船に急いで戻る。
スマフォを無くして気づくが マップス・ミーが使えないので 現在地が分からない。自分の記憶だけを頼りに 船に戻る。不安。
それでか 降車停留所を見過ごし 一駅余計に乗り、引き返す。
かなり慌てている。 -
24)
「ニュスドロフ広場」のガード下を通るところから 殆ど無人。
恐怖を感じる。
1月に南アの路上で 通りすがりの白人夫人から「ケータイを手にして歩くのは やめなさい。ポケットに仕舞いなさい。」と注意を受けたことを思い出していた。でもここは オーストリアのウイーン。まして有料の美術館の中と 高を括っていたのだろう。その 安全感覚が崩れた。世界は 結構危険。 -
25)
船に戻り 妻の携帯から 電話会社に連絡し、合わせてスマフォ内にクレジットカード情報を取り込んでいたので カードの停止も勧められ カードの停止も行なう。
面倒なことになった。(実際は 日本に帰り 処置を終わってしまえば それ程のことでもなかったが。)
電話などで 夕食が遅くなり、8時近くに食べることができた。
船は 深夜3時前に ウイーンを出航したはずだが 当然私は 疲れて眠っていて知らない。 -
(7)11月3日(日)
①
目覚めてカーテンを開けたらスロバキアのブラチスラバ。記憶のある風景。
6時半からの朝食を終え、9時からのブラチスラバ観光に出かける。 -
②
ここでも 隣接した船を横切って上陸するため 通過する船内を写真撮影。
こちらの船の方が 大型で新しく豪華そう。リバークルーズと言っても 色々あるようだった。 -
③
船名(社名?)は「バイキング」と表示されていた。
私たちは 現地ガイドさん付きの バスで出発。 -
④
小さい街をバスで回り、高台に登る。遠くにブラチスラバ城が見える。 -
⑤
高台は高級住宅街なのか 結構素晴らしい家が続く。町の中でも 高層ビルが少し建設中。スロバキアもEUに加盟し 変化しているのだろう。 -
⑥
ブラチスラバ城に行き 見学。
ガイドさんが展望台でイヤホンを使い 説明中 突然「スリがいるから注意して。」と叫び びっくりする。昨日のこともあるので 私も神経質になっている。 -
⑦
それから バスを降り 写真の聖マルティン大聖堂のところから ガイドさんに従って 旧市街を徒歩観光。 -
⑧
朝早いためか 人通りも少ない。
その中を 丁寧にガイドさんは案内してくれる。 -
⑨
ブラチスラバ旧市庁舎の建物 -
⑩
記憶の残る メイン広場の日本大使館。
菊の紋章が輝いていた。 -
⑪
旧スロバキア国立劇場 のところで流れ解散。
私はスーパーに寄り 船に帰る。 -
⑫
途中で大型犬に出会い、撮影させてもらう。
近づくと恐怖を感じるほど 本当に大きかった。 -
⑬
12時ごろ 船に戻ると 隣接していた「バイキング号」は出航していた。 -
⑭
ランチを食べ 1時半頃みなさんは「インペリアル・シュロスホフ・パレス観光」へ バスで出発。 -
⑮
私は妻と再び旧市街をフラフラする。 -
⑯
先ほどの 王妃マリア・テレシアが戴冠した聖マルティン大聖堂に行き 入場する。さらに地下墓地のカタコンベにも行ってみる。 -
⑰
それから 戴冠式の王妃が行幸したであろう 写真の旧道を歩き -
⑱
ミハエル門に至る。ところが 登り口が分からず、通り過ぎる。
その時偶々 街の路上演奏家が奏でてくれ 心豊かになり感謝の意を表する。 -
⑲
広場に出て 現代の路面電車の行き交うのを見て もう一度旧市街に戻る。
慣れたスマフォのマップス・ミーが無いと 不便を痛感。 -
⑳
メイン広場の近くのフランシスコ会教会を覗く。プロテスタントの教会と理解していたが カトリックのようだった。 -
21)
メイン広場に面した写真のカフェに入り、休憩。 -
22)
窓際に座り 広場を行き交う人々を眺めながら コーヒーと小さなチョコレートケーキを楽しむ。今日は日曜日。 -
23)
寄り道しながら 船に戻ったが ドナウ川にもう日が落ちていた。 -
24)
遊んでいると 時間の経つのは速い。今宵は もうキャプテンの「さよならカクテルパーティー」。
船に戻り、シャワーを浴び 着替える。 -
25)
午後7時過ぎから 皆さん正装して集まり (特に日本婦人は着物姿の方を見かける。)乾杯。歓談。 -
26)
7時半から 食堂で「ガラ・ディナー」
料理は正式なフルコースで 一段と手が凝っていた。 -
27)
隣席の 誰かが 「『墓じまい』と同じく 『パックじまい』も考えなければ。」と話されていた。それを聞いてギグッとした。今回 私は2回も盗難にあった。実際 他人から見れば 隙だらけの様相なのだろう。大きな被害にあう前に 「終わり。」を考えなければと思った。 -
28)
食卓では 「誕生日」や何かの記念日で 花火様のものが配られ 演出効果の中 皆さんから祝福されてる人達がいた。 -
29)
お腹がいっぱいになり、満足して「ガラ・ディナー」の夕食は終わる。
尚 帰国して体重計に載れば 何故か 心配していた体重は増えてなかった。
歩いたりの運動量が多かったため? -
(8)11月4日(月)
①
船は8時ごろ エステルゴム (ハンガリー)に寄港して 皆さんは「エステルゴムとセンテンドレ半日観光」にバスで出発される。
私たちは ゆっくり朝ごはんを頂き 船で最終到着地ブタペストまで 約3時間 揺られていく。
今日は 船内放送が適宜あり 周辺の観光案内をしてくれる。
途中 案内のあった どこかの村。 -
②
船は「ドナウ川の大曲」と言われる流域に入っている。案内の放送も告げている。
ウキペディアに寄れば
ウィーンの方から東西に流れてきていたドナウ川がここで南北に方向を変えブダペストに向かう。ハンガリーにおいては最も風光明媚な観光地だそうだ。
以前にエステルゴムの大聖堂から 眺めた記憶が残るが 船で行くと 何となくカーブを切っている位の感覚しかない。 -
③
サンデッキに出て 360度見渡すが 大曲の感覚は分からなかった。
後刻 バスで観光した方から ちょうど「エステルゴムの大聖堂」のところから ドナウ川を航行する アマデウス・エレガント号を見かけたとのこと。 -
④
「ドナウの真珠」と呼ばれるブタペストに近づくにつれ 教会や人家が増えてくる。 -
⑤
そして 橋を超え 都会に近づいて行く。 -
⑥
記憶の残る「国会議事堂」が遠くに現れ、 -
⑦
通り過ぎていく。
指摘され 気づくが 確かに 都会に入っているが 川の両岸に 広告の看板やネオンサインの類はない。街は落ち着いた雰囲気を醸し出している。 -
⑧
そして 自由橋を越えたところで 船はUターンして中央市場の横に接岸。 -
⑨
とりあえず下船して 市場に向かう。
市場側から 係船したアマデウス・エレガント号を写す。
弱い雨。 -
⑩
市場周辺を歩くが 雨もあり、市場の建物に入る。 -
⑪
地下のスーパーに入り ばら撒き用のお土産を購入。安い。
ALDIはドイツ系のディスカウントストア。歴史あるこの市場にまで進出か と驚く。 -
⑫
1階のオーソドックスな店も見学して出る。 -
⑬
船に帰り、1時から戻ってきた皆さんとランチを食べる。 -
⑭
2時過ぎ 皆さんとバスで「ブダペスト半日観光」に出かける。
最初は 英雄広場に行き 下車観光。付近が随分広い公共エリア。 -
⑮
広場に繋がるアンドラーシ通り。歴史を感じる通りだった。 -
⑯
それから バスで「鎖橋」を渡り、ブタ地区の「漁夫の砦」のところでバスを降り、
「漁夫の砦」の階段を上る。 -
⑰
「漁夫の砦」側から対岸の国会議事堂方向を写す。 -
⑱
「お土産屋さん」を経て、「マーチャーシュ教会」内部を見学。 -
⑲
落ち着いた雰囲気の教会だった。 -
20)
珍しく 教会内部上階の見学も許されていた。私は遠慮したが。 -
21)
夕闇迫る ドナウ川と国会議事堂。
威風堂々。 -
22)
本当に看板・ネオンサインの類がない。静かな夕暮れ。
余計な情報を入れられ 急き立てらている 私たちの日常のほうがおかしいのだろう。反省。 -
23)
それから 王宮の辺りを歩いてから バスに乗り込む。橋を渡りペスト地区へ。
午後6時ごろ 船に帰り、7時前に簡単な下船説明会が開催される。 -
24)
7時15分から 最後の夕食。
そして食後 レセプションで「清算」をしてもらい クレジットカードで納得して チップを払えられた。実際 室内の清掃は適切だった。 -
25)
それから 簡単に荷造りの用意をして 9時からの「ハンガリー民族ショー」に参加。 -
26)
日本人乗客も アメリカ人乗客に劣らず 堂々とダンスの輪に参加していた。ご立派。 -
27)
10時前から 船は「夜景クルーズ」に出発。 -
28)
甲板に出て 楽しむ。これを見せに妻と来たのだと納得。
寒さも感じ、満足して部屋に帰り、直ぐにベッドに入り、船はまだ航行しているけれど 私は贅沢な眠りについた。 -
(9)11月5日(火)
①
朝 7時から 美味しい朝食を食べ 8時に荷札をつけて 荷物を出し、8時半に部屋を出る。ちょっと慌ただしい気分だが 順調にこなしていく。
窓の外の川面では マガモのつがいが見送ってくれていた。 -
②
9時ごろ 羽田行きエコノミー組は バスに乗り ブタペスト空港に出発。
ビジネス組・関空組ははブタペストでフリータイムの後 午後空港に向かうとか。
バスの前に 軽車両のスズキ製の車が健気に走っていた。頑張れよ!と声を掛けたくなった。 -
③
10時頃 ブタペスト空港に着き 羽田までの荷物を預け、身軽になって 13時20分発のミュンヘン行きの搭乗口で待つ。
空港でチェックインする時 直前に別のポケットにパスポートを入れ替えたのを忘れ、パスポートを盗まれたと 騒ぎ立て 大恥をかく。最後まで 年寄りのお騒がせ屋さん。 -
④
小型の飛行機で定刻に ミュンヘンに出発。 -
⑤
機内では 飲み物と小さいサンドイッチを頂く。嬉しい。 -
⑥
15時ごろ ミュンヘン空港ではバスが待っていてくれて 予定外の買い物ツアーに連れて行ってくれる。空港で待機する客の方もいらして 私も迷ったが バスに乗ることにする。
バスは先日と同じ道で 町中心部に向かう。
写真は途中見かけた オリンピック会場跡地。 -
⑦
マリエン広場に行き、 -
⑧
隣接する百貨店に入り、孫の土産を買った。速足の買い物だったが 予定外のサービスで 文句を言う筋合いはない。
それから 空港に戻り、結構厳重なセキュリティチェックを受け、無事に出国。 -
⑨
20時発の218便で羽田へ。 -
⑩
機内では 3人席に二人だけの占有。無茶苦茶窮屈だが 横になって眠れた。大ラッキー。
色々あったが 今回の旅を象徴する慶事。
無事に 予定より早く 15時頃羽田に到着。みなさんとお礼の挨拶を言って帰途に就く。
写真は提供された機内食。お腹も空いていたが 美味しかった。
(長々と 読んでくれて ありがとうございました。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- タコキムチさん 2022/06/08 00:40:34
- アーサーさんへ
- アーサーさん、はじめまして
私も以前リバークルーズに乗船した事があり、そろそろ旅行が懐かしくなってアーサーさんの旅行記に辿り着きました。
とても素敵な写真とコメント、久しぶりに感じる旅情でした。
また訪ねられるようにフォローさせていただきます。
よろしくお願いします。
カメラちゃん
-
- Travel_134さん 2019/11/26 10:13:02
- 素敵な旅行記と沢山の写真をありがとうございます
- 楽しくうらやましく読ませていただきました
自分もこんな旅をしてみたいと思いました
沢山の写真と、それに関するコメントも素敵でした
また、改めて時間をかけて見せて頂きます
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