2019/07/26 - 2019/07/29
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わきさん
沖縄那覇市を象徴する首里城が、10月31日炎上してしまった。
城の正殿・北殿・南殿は全焼。ニュースを聞いて唖然としてしまった。
3か月前に訪問したばかりだった。
下記はその沖縄県を訪問した折の記録である。
2019年7月26日~29日にかけて、3泊4日の旅程で
沖縄県を訪れた。或る出版社の社員旅行の招待である。
この出版会社からの招待は3回目となる。5年ごとに、
11年前は、南半球のバリ島、6年前は長崎市、そして
今回は沖縄だった。
招待を受けて、何よりうれしいのは、殆どが自由行動であることだった。
26日の初日は、ロワジ―ルホテルチェックインまで、少し余裕があったので、
那覇市のゆいレール記念館で、戦前まで鉄道が走っていたと聞いていたので、その軽便鉄道の跡などを見た。
27日の二日目は、沖縄本島南端まで行き、具志川城跡や、喜屋武岬等経て
糸満市全体を回ってみた。
28日の三日目は、とってかわって万座毛から、陶器のやむちんの里、そして
沖縄学の父といわれる伊波普猷の浦添考にまつわる浦添ようどれ関連施設を
見学した。
そして29日は、ゆいレールを利用して首里城まで行くという旅程だった。
沖縄を丁度40年ぶりに訪問するので、メモ書きしたことは以下のとおり。
1、琉球が沖縄となるのは、1879.所謂琉球処分。
2、12世紀~15世紀の琉球拠点中心地は、浦添、その貿易港は、牧港(まちなと)。
3、タイのアユタヤには、琉球王国の足跡が残る。アユタヤの日本人町跡は
琉球人が中心だった。
4、那覇市久米村(くにんだむら)-閩人36姓の人々が暮らしていた。
その数4千人。現在の国道58号線泉崎交差点から、波上宮までの両側。
5、泡盛の歴史ータイルーツ。15世紀。現在の泡盛もタイからの輸入米で
作る。タイのラオローンという酒が泡盛と同じらしい。
6、沖縄の苗字の9割が地名に由来する。東(あがり)西(いり)北(にし)。薩摩藩により、「大和めきたる」苗字が禁止された。
7、石敢當ー沖縄の魔除けのこと。台北などでも見られる。
8、模合(もあい)-沖縄ではこの頼母子講の1種が極めて普通に見られる。
9、亀甲墓ー中国の儒教の影響大。母体回帰。墓の形状は身重の女の腹。
大変大きいが、これは父方の血縁集団「門中」に由来している。一族全て
入るため大きくなった。
10、首里城の正殿は、普通と違い西を向いて建てられているがこれは
なにゆえか?
3カ月前の旅自体は楽しいものだったが、31日の全焼記事を読んで
7月末の首里城はどうだったかを残して見ようと考えた。
写真は、その7月29日時点での正殿である。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー タクシー ANAグループ 徒歩
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-
11月1日付けの新聞記事である。
燃え上がり方が尋常ではないほど炎上している様子がわかる。 -
7月29日にもらったパンフレット。
首里城の施設の位置関係がこれでわかるようになっていた。 -
正殿へは、普通順路として、歓会門から入っていくことになっているようだ。
-
写真左上がその歓会門。
-
鎖間の間は、王子たちの控えの間だったらしい。
書院は、国王が執務した場所。 -
おうちばらは、所謂江戸城なら大奥に当たる場所である。
100人近い女性が住みこんでいたと言われる。 -
当方は、首里城を見学するのに、
ゆいレール首里駅で降りて、そこから
タクシーを拾い、鳥堀交差点から4つ目信号で降りたので、
この写真の弁財天堂が出発点となった。
写真は、弁財天堂である。
左側には円覚寺がある。 -
その円覚寺である。
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円覚寺は、琉球の臨済宗総本山であったという。
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歓会門すぐ横にアカギの木があった。
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何でも、説明では大木だったとある。
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歓会門である。
ここから入る。 -
大きく写してみた。
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立派なめでたい門、瑞泉(ずいせん)門である。
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その横に狛犬が。
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漏刻門の説明。
水時計で、時刻を計ったと言われる -
その漏刻門である。
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廣福門である。
ここで、チケットを買う。 -
その横には、首里城全体の案内図があった。
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次は、奉神門だった。
うなー(御庭)へ続く最後の門である。
ここを抜ければ、正殿である。 -
御庭の説明である。
読んで字のごとく、さまざまな行事がおこなわれた広場のこと。
正殿まえの広場。 -
正殿をパンフで。
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写真に撮影した正殿はこうだった。
中に入ったが、中は撮影は禁止のためお見せできない。 -
正殿を大きく
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南殿・番所のパンフ。
南殿は、年中行事を行ったところであり、
薩摩藩の使者を接待したところでもあったらしい。 -
実際の南殿は7月29日はこういう風になっていた。
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北殿パンフ。
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北殿は、評定所。
所謂裁判機能を果たしたところである。 -
よそえ殿。
おーうちばらを管轄する建物で、王の内室の部屋。
説明書きだけしか写していない。 -
世誇殿である。
未婚の王女の居室だったようだ。 -
東(あがり)のアザナからみた風景。
前は正殿。
アザナとは、物見台のことである。 -
そのアガリ(東)物見台から見た風景のパンフ。
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こちらは、物見台今は展望台から見た風景。
-
東(あがり)のアザナからみた風景。
前は正殿。
アザナとは、物見台のことである。
大きく写真におさめて見た。 -
こちらは、やや小さく。
同上である。 -
出口の久慶門が近い。
かつては、通用門として、主に
女性が通っていた門である。 -
出口を出て、儀保駅まで歩くことにした。
途中この標識が目に入った。 -
ゆいレール儀保駅に到着した。
ここから、那覇空港まで行く。
3泊4日の沖縄旅はここで終わる。
だが、炎上して全焼した首里城は
その損害たるや並大抵のものではなく、
すべてが建てなおされるまでの期間を考えると
今は言葉が出ない。
今回の首里城全焼の事故、
沖縄経済にとっても大打撃でしょうが、
なによりも沖縄県民の皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
何年か後に、不死鳥のように
甦ることを衷心信じております。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 多良さん 2019/11/03 18:54:55
- 今日、首里城に行く予定でした。
- いやはや、何という悲しい出来事でしょう(>_<)。
残念至極です。
実は、新婚の息子夫婦が11月2,3,4、日と沖縄に行っています。
で、首里城も行く予定だったが・・・っとTELが(-_-)
わきさんのこの旅行記を拝見するしかありませんね。
今日は美ら海水族館のジンベイザメの写真を送ってきました。
いや~貴重な旅行記をありがとうございます<(_ _)>
わきさんの旅行記、これからも、じっくりと拝見させて頂きますね~♪
尚勝手ながらフォロー申請をしましたのでよろしくお願いします<(_ _)>。
多良
- わきさん からの返信 2019/11/03 19:19:21
- Re: 今日、首里城に行く予定でした。
- 多良様
新婚の息子さんご夫妻が
首里城を訪問される予定であったこと、
さぞや無念であったとご察し申し上げます。
こちらも、多良さんのサイトを訪問させて頂きます。
こちらこそ宜しくお願い致します。
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