2019/07/17 - 2019/07/19
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ちゃおさん
今回の土佐一国巡礼の旅はここ第二十九番国分寺にて札止めとなる。三日間天候に恵まれず、傘をさしての唱和が多かったが、それでも土砂降りに合うこともなく、道路決壊での交通止めに会うこともなかった。雨具を着ての参拝も良い思い出にはなるだろう。ここ土佐国分寺が今回ツアーの最後の札所になるが、ここも矢張り小雨の中の参拝となった。誰が何を悲しんでいるのか、歩き遍路の大変さと比べたら、雨に濡れると言ってもバスを降りてからの境内のほんの短い距離なのだ。
距離は短いと言っても、古刹の境内は広い。仁王門を入ると真っ直ぐの参道が本堂に続いていて、前方に本堂のどっしりした屋根が小雨に煙っている。古色蒼然と言った面持ちの本堂だが、近づいてみてそれが分かった。本堂の屋根は通常の瓦ではなく、重厚な造りの草ぶき屋根だ。下から見る限り檜皮か茅葺かは判断できないが、層の厚さからすると茅葺なのだろう。この本堂はここでは金堂と呼ばれているが、山内一豊が土佐に入部する以前の長曾我部の時代に建立され、現在国の重要文化財に指定されている。中の御本尊は千手観音であるが、他に薬師如来及び梵鐘も重文となっている。戦国武将、梟雄の一人ともいわれていた長曾我部元親、土佐国内の多くの寺社に寄進し、復興させたが、反面、隣国の阿波、讃岐等の寺社は徹底的に破壊し、打ち壊した。これ程極端な武将は彼以外にはいなかったと思うが、それをして彼を梟雄と呼ばしめている一因にもなっているのかも知れない。
この寺も又聖武天皇の発願により行基が建立したもので、その当時の礎石は寺内に残されているが、この境内全体が国の史跡になっている。後年大師がやってきて、毘沙門天を刻み、星供の秘宝を納め、後、ここは星供の根本道場(星まつり)となって、ここの大師像は「星供大師」と呼ばれるようになったとのことである。茅葺の金堂(本堂)、少し小ぶりな大師堂に次々お参りし、再び元の参道に戻る途中にひとこと地蔵の御堂がある。酒断ち地蔵尊だ。どうしようか一瞬迷ったが、今回は止めにしておく。酒断ちにはまだ少し早いだろう。後3年は飲ませてもらいたい。御堂の前をそのままパスして元の山門、仁王門に戻り、改めて、今回土佐一国、22ケ寺の巡礼を無事に終了できたことを謝す。見上げると山門に「摩尼山」との山号が掲げられていた。この後バスに戻り、先達を中に数人で記念の写真を撮って、高松空港へ向かった。
- 旅行の満足度
- 5.0
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