2019/10/22 - 2019/10/22
671位(同エリア732件中)
名古屋のmisakoさん
- 名古屋のmisakoさんTOP
- 旅行記376冊
- クチコミ30件
- Q&A回答0件
- 391,974アクセス
- フォロワー12人
飛島村にある元松神社・長昌院に出かけてきました
新田開発、尾張磁器(瀬戸物)発祥に尽力した尾張藩士津金文左衛門胤臣の銅像が元松神社にあります
津金文左衛門胤臣頌徳碑は名古屋市港区の港北公園にあります
津金文左衛門胤臣頌徳碑の紹介
津金文左衛門は、享保12年(1727)に今の名古屋市東区平田町に生まれたと言われています。
寛政3年(1791)熱田奉行兼船奉行となり、新たな土地を生むことで、当時の藩の財源と農民の生活の糧を得ることができる新田開発に着目し、熱田前新田約349町歩の広大な新田を開拓しました。
この功績をたたえ昭和27年12月、この頌徳碑が建てられました。
(名古屋市港区史跡散策路名古屋港と築地周辺史跡めぐりHPより)
飛島村も津金文左衛門胤臣の新田開発により誕生した土地です
津金文左衛門
津金文左衛門は、1727年に今の名古屋市東区平田町に生まれたと言われています。彼は父が早くに亡くなったため、早くから家を継ぎ、武術はもとより、漢字、経済、土木などの実学を学び、尾張藩の要職を務め続けました。彼は、熱田奉行兼船奉行になると、新たな土地を生むことで、当時の藩の財源と農民の生活の糧を得ることができる新田開発に着目しました。
一口に新田開発と言っても、その当時の尾張地方は、すでに水の便の良い恵まれた耕作地でした。これ以上耕作地を広げるには海に目を向けるしかありませんでした。当時伊勢湾の沿岸の浅瀬は規模が大きく、新田開発には好条件でしたが、現代の技術をもってしても莫大な費用と時間を要する新田開発は、当時の技術や政府(藩)の財政からみて困難を極めることは予想できました。
それでも彼は当時の尾張藩主宗睦の英断を得て、飛島新田の開発を実行に移しました。開発前のこの地は、大きく見れば木曽川の三角洲、細かく見れば日光、善太、蟹江、戸田などの諸川が土砂を流し、文字通り飛び島になっていましたが、この外側に提を築き、川の泥でかさ上げをして耕地を作るという計画でした。工事は予想どおり困難を極めました。工事の途中に暴風雨が来れば堤防は決壊し、最初からやり直すこともたびたびありましたが、そんな中で1801年に767ヘクタールの大規模な飛島新田が完成しました。そして彼は、この新田開発を最後まで見守るように、工事が完了した同年12月にこの世を去りました。
また、彼は磁器の祖としても知られ、当時瀬戸から新田開発に来ていた陶工に窯業について研究させ、現在の愛知県の窯業の基礎を築きました。
明治33年飛島新田開発百年祭を営むにあたり、元松神明社に彼の碑を建て、偉業をたたえるとともに、現在でも彼の遺品は飛島村中央公民館に大切に保管してあります。
https://www.vill.tobishima.aichi.jp/
http://www.vill.tobishima.aichi.jp/sonsei/syoukai/tsugane.html
(飛島村HPより)
元松神社(神明社) Pなし
愛知県海部郡飛島村元起1丁目-119
長昌院 Pなし
愛知県海部郡飛島村元起2-46
御朱印あり
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
名古屋港(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38