2020/01/09 - 2020/01/13
15位(同エリア367件中)
尖椒土豆絲さん
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春秋航空日本の73時間限定タイムセール “毎月9日キャンペーン“ 案内メールに誘われ、その誘導サイトを覗いてみると、何と!まあ!成田→天津3,000円の特価販売中では有~りませんか!!
天津と云えば、昨年1月の辛く! 痛く!! 凍てつく厳冬暢游の記憶が蘇りましたが、激安航空券の魔力には勝てません・・・
1月の3連休に併せて休暇を取得、さてさて、真冬の中国、何処を暢游しようか~思案・思念・思慮を重ねます。
そんな折り、日中共同制作 “京杭大運河” という中国大紀行TV番組を見たことを思い出しました。
遥か王宮にまで繋がる大運河沿いには数多くの史跡が残されており、徐州周辺には、最近、整備された古鎮・古城が人気を集め、話題になっていることが判明~(^○^)
これなら京滬高鉄を利用すれば、天津から移動範囲内かな!!
という訳で、徐州近郊の窯湾古鎮・台児荘古城を目指した我家は、様々な試練に遭遇するも、親切な人民の方々に助けられ、何とか無事に暢游を終え帰国しました~!
魅力たっぷり京杭大運河沿いの悠久な史跡群、私達と一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
東京オリンピックイヤー2020年が始まりました。
同じく我家の中国暢游継続イヤーも始まりました。
高揚する気持ちを噛みしめながら、大勢の中国訪日団と一緒に成田空港第3ターミナルのLCC春秋航空日本の受付カウンターに並びます (*^_^*) 。
どんな旅が待ち構えているのかな・・・ -
東京成田国際空港から天津濱海国際空港迄の所要時間は、4時間15分です。
離陸間もなくして“航路左手に富士山が見えます”との機内アナウンスが流れました。
雪を頂いた富士山を見下ろした後は、北京航路同様に、日本海を越え、韓国ソウル・中国大連上空を飛行します。 -
定刻通りに天津濱海国際空港に到着後、先ずは軍資金調達です。
早速、ターミナル2出発階の中国銀行ATMで財布を満たします。
因みに今日のSMBC信託レートは、1元=16.203円でした。 -
さあ、今日は江蘇省徐州まで高鉄で移動しなければなりません。
ここ天津濱海国際空港には地下鉄2号線が乗り入れしており、市内各ターミナルへのアクセスは大変便利です。
早速、天津西火車站までの切符(4元)を購入します。 -
地下鉄2号と1号を乗り継ぎ、約60分で天津西火車站に到着です。
-
集票処です。
以前に比べると、集票処の窓口に並ぶ人民の数が減りましたね。
人民カードを活用したIT技術の成せる技ですね。
日本では、マイナンバーカードによる管理システムの活用が遅れていますが、ここ中国では急速に活用機会が増えているようです。 -
天津西站から徐州東站までの高鉄切符(264元)を無事に入手しました。
今回は座席番号が印字されていました。
仮に、もし印字されていなくても、QRコードをスキャンすれば、即座に座席情報を得られます。 -
乗車ゲートに行くと、顔認証システムを導入した自動改札機が並びます。
中国人民の方々は、個人管理された人民カードを改札機にタッチし、顔認証画面で本人特定されます。
成りすまし乗車は不可能です。
いつ・誰が・何処に向かったのか、全て国家に管理されます。
個人情報保護法に慣れた日本人からすると、ある意味、不安かも知れませんが、そんなことを気にしていたら、中国では生きていけませんネ ((+_+)) -
G1231号が入線です。
遼寧省丹東站から上海虹橋站迄の長距離列車です。
さあ!発車オーライ!!! -
乗車2時間49分で徐州東站に到着です。
この徐州東站ですが、2016年に、商丘・亳州・徐州を暢游した時以来の利用です。 -
さあ、今日は徐州市の地方都市丕州(正確な漢字は[丕邑:丕の右側に邑]州)まで移動しなければなりません。
早速、徐州東站に隣接する徐州汽車東站に向かいます。
站直結でとても便利です。
\(^o^)/ 是很便利汽車站 \(^o^)/ -
時間が遅い為か、集票処はガラガラです。
事前のネット調査では、20:30発の丕州行きの最終バスが有るはずです。
バスは運行されているかな?
空座席は残っているのかな? -
20:30発のバス切符(24元)です。
やはり丕州行きの最終バスでした~!!
乗り遅れたら大変です。 -
丕州行きのバスに乗り込みます。
高速道路を走るのか?
一般国道を走るのか??
空を飛んで行くのか?ヽ(^o^)丿な訳ないか・・・ -
一般国道311号線を約90分程走行し、丕州汽車站という想定外のバスターミナルに到着です。
群がる三輪タクシーの“●△◆◇●▽△●”という客引き洗礼を受けます。
ここ丕州汽車站は丕州火車站近くの旧市街に位置しています。
てっきり宏通汽車客運站に到着すると思い込み、その近くのホテルを予約していた為、急遽、百度地図を眺めながら旅游行程戦略会議です。
結局、多くの客引きを振り切り、歩いて移動することにしました。 -
時計は22時を指しています。
さすがにお腹が空きました~!
そんな折り、徒歩途中の建設南路と珠江路の交差点近くで、煌々と灯りを照らした羊肉の看板を揚げた店に遭遇~、早速晩餐です。
羊肉湯と芦蒿香干を注文、青島ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
う~ん、羊肉って美味しいな~ハオツー (*^。^*) -
その後、予約済みの丕州天鴻金陵大酒店(445元・双床・早点付き)に無事にチェックインです。
フロント脇でウエルカムドリンク(歓迎茶)を頂きました~!
嬉しいサービスですね!!!
ここ丕州天鴻金陵大酒店ですが、バスタブ付きの綺麗なホテルで、お勧めですよ (*^^)v
大移動だった旅行初日の1月9日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游2日目の1月10日が始まりました(早上好)。
丕州天鴻金陵大酒店は4ツ星ホテルです。
調理人が待機しています。
カウンター上に並んだ各種麺を眺め、無言で指差すと・・・
熱々麺料理の調理が始まりました~
朝から満腹・満足・満喫です。 -
さあ、中国暢游開始です。
2020年も沢山の中国暢游を貫徹するゾ~~\(◎o◎)/!
本日最初の訪問先は、丕州博物館です。
宿泊したホテルのすぐ近くに建てられています。 -
入場口で、人民カードをタッチする自動改札機が我家を待ち受けていました。
入場出来ずにオロオロする我家に気付いた警備員が近寄って来た為、パスポートを渡すと、自動改札の脇から入場させてくれました~ (*^-^*)・・
ハハハ、何てアナログな・・
正面入口には巨大なマンモスの牙の化石が飾られていました。
凄いなあ~ -
丕州各地で発掘された遺跡品が並んでいます。
きっと今でも広大な中国大陸では、至る場所で、人知れずに眠っているのでしょうね。 -
誰だ~!誰だ~~!!誰だ~~~!!!
ガッチャマン(古い・・・)の如く、マントを羽織っています。
下丕三帝というの歴史的人物のようです。
知・ら・な・い・・・なあ~ -
大陸では古くから広域な交易が行われていました。
中国の一帯一路戦略に対し、中国脅威論を唱える人達がいますが、今も昔も変わりません。
それより、日本がどうやって参画するのか?が大切なんじゃないかな・・・ -
丕州博物館暢游を終え、次の目的地の窯湾古鎮に行きましょう!!!
その移動拠点、丕州宏通汽車客運站に向かいます。 -
春節を前に、中国旗が連なります。
明日、向かう予定の台児荘行きのバスも、ここ宏通汽車客運站から出発します。
また、明日、来るネ!(^O^)! -
乗車ゲートを抜け、窯湾古鎮行きのバスに乗り込みます。
何時に出発するのか分かりません。
不太明白 (/ω\) -
乗車券(6元)です。
安いよね~~\(◎o◎)/! -
写真左手の方は、強さんというドライバーです。
言葉が通じない我家の存在が気になり、色々と紙に書いて聞いて来ます。
私達が日本人と気付き、他の乗客に、”日本人が乗っているよ~”と伝えています。
余程の珍客だったようで、多くの乗客に話しかけられ、写真や動画を撮られ、まさに人気者・芸能人状態です。
”我是有名日本人” (o^^o) -
このバスは流水型の運行で、発車迄、車内で40分程も待ちました。
途中、昨夜の終着站だった丕州汽車站前を通り、やがて、路線バスは中心部から外れ、京杭大運河沿いの堤防上の道を走ります。
運河沿いの要所には、現在でも流通の礎となった古城や古鎮が点在しています。 -
乗車約50分で、窯湾古鎮に到着です。
降車した場所は、ちょうど、窯湾汽車站前の広場でした。
そう、ここは、丕州市では無く、隣の新沂市の為、新沂方面行きのバスが数多く発着する一方、丕州方面行きのバスのそれは数少ない状況ですね。 -
さあ、いよいよ大京杭運河史跡巡りの開始です。
写真は窯湾古鎮の北城門です。
城門大好き我家の気が沸きます。
城壁大好き我家の血が騒ぎます。
城郭大好き我家の水が動きます。
いやはや~古城・古鎮の魔力に押し潰されそう!! -
北城門の案内板です。
窯湾古鎮は城壁と護城河に囲まれ、北城門・東大門・南哨門・西水門の4箇所の城門を備えていたようです。
現在は北城門と南哨門しか残っていません。 -
洞門を潜り、古鎮内散歩開始です。
しかし、その城郭横に、城門楼に繋がる石段を発見!!
やったねー!(^O^)!
散策前に登城だね!! -
ここ、窯湾古鎮は北城門に登ることが出来ました~ (^^♪
という訳で、城壁・城門・城郭大好き我家の決めポーズで記念撮影です。
せえの~で~手と足を上げて!!
イエ~~~イ。
愉しいなあ~!(^^)! -
窯湾古鎮景区の詳細地図です。
古鎮は京杭大運河と護城河と后河に囲まれています。
見所が写真で示されています。
さてさて、どの順番で暢游しようかな!!! -
窯湾古鎮の通票(80元)です。
古鎮は免費で入場可能ですが、主な史跡は有償です。 -
月牙橋を渡り、景区を進むと界牌楼が見えて来ました。
牌楼に行く前に、その左手の華棠酒坊に寄りましょうか。 -
華棠酒坊は緑豆焼酒工芸展示館として公開されています。
ここで醸造されていたのですね~(●^o^●)
辺り一面に漂う酒の香りに魅了されそう・・・
周囲一帯に彷徨う酒の匂いに悩殺されそう・・・
史跡全体に漂浪する酒の薫りに席巻されそう・・・ -
緑豆焼酒って知りませんでした。
今日の昼餐または晩餐で呑んでみよっと!!
我喜歓喝酒 (^_-)-☆ -
元々そんなに広くは無い窯湾古鎮ゆえに見所が連続します。
界牌楼を基点に分かりやすく案内板が設置されています。
助かるなあ~(^○^) -
界牌楼を潜り抜けると、窯湾戦闘陳列館です。
何だか政治的な雰囲気が漂います・・・
とはいえ、入館してみましょう!! -
中庭に十人橋のモニュメントが立てられています。
共産党のプロパガンダでしょうか?
説明版には1948年と刻まれており、共産党VS国民党の内紛時代の窯湾戦闘を伝えているようですネ。
水に浸かって筏を担ぐ10名の上に兵隊が乗っています。
近代史の知識が不十分な我家にはよく分かりません。 -
宝豊萃典当です。
いわゆる質屋です。 -
いつの時代も金貸業、つまり金融業は栄えたのですね~ (*^▽^*)
-
山西会館です。
移民達の商売上の情報交換・交流会場としての機能を持ち合わせています。
古劇台や晋善閣・経堂・関聖殿等が残されています。
まあ、今で言うところの商工会議所ですかね。 -
関帝廟の関聖殿です。
山西省生誕の関羽は、常に山西商人にとって、商売の神様で有り続けています。 -
窯湾天主教堂です。
今日は平日です。
閉扉されており、中の様子は分かりません。
不明白了 (@_@;) -
さあ、古鎮老街の西大街を暢游開始です。
-
大清窯湾郵局です。
清代の同治13年(1874年)に建てられました。
当初は徐天順民信分局と呼ばれていました。 -
清代の切手についての説明です。
大龍郵票と記され、一分銀切手・三分銀切手・五分銀切手が並んでいます。 -
窯湾民俗史活館です。
元々は同道成銭庄という賃隷業務や賃票総換貨幣業務を行っていました。 -
趙信隆醤園店です。
甜油の生産で財を成しました。
早速入場してみましょう!! -
おやおや、土壷の蓋を外し、量り売りしていますよ。
一体いくらなのだろう・・・
多少銭? -
敷地内には甜油を成熟する土壷が並びます。
イメージで言えば甜油とは日本の醤油の甘口版かな!
中国では普通に調味料として使われています。 -
趙信隆醤園店から西大街への出口はインスタ映えしそうな巷です。
いいなあ~中国の古鎮って!!!! -
さあ~てと!!老街内の食事処で昼餐です。
銀魚鶏蛋・辣子鶏・雲呑を注文、哈爾濱ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
いきなり観光客モードで窯湾名産品に舌鼓です。 -
昼餐後の後半戦暢游の開始です。
最初は呉家大院です。 -
呉家は康煕時代に福建省から移住して来ました。
この地で煙草の製造・加工販売業を営んで栄華を極めました。
地元の名士ということで、清代には役人もしてたようです。 -
様々な煙草が陳列されています。
煙草ですが、因みに日本には鉄砲と一緒に琉球王国経由で種子島に伝わったというのが定説ですね。 -
今でこそ煙草は悪者扱いになりましたが、人類の歴史の中で、お酒や煙草といった嗜好品は人々の欲求・欲望を喚起・刺激し続けます。
-
西大街を歩き切ると中心炮楼が見えて来ました。
登楼できるかな? -
炮楼が建つ中心広場から南に中寧街が続きます。
おや!! 二階に表演台が見えます。
1日2回、11時~と14時~に抛繧球という演舞が有るようです。
しかし、ここ窯湾古鎮は入場だけなら免費の観光施設です。
案内では様々な場所で表演があることになっていますが、一向に遭遇しません。
う~ん!没有表演!! -
残念ながら炮楼には登楼出来ませんでした~ (/ω\)
さあ、気を取り直して中心炮楼から中寧街の暢游を続けます。 -
蘇鎮揚会館です。
同じ江蘇省の蘇州人・鎮江人・揚州人が建てた交流互助会館でしょうか。 -
館内には窯湾八大会館の紹介図が有ります。
水運交易拠点として全国から商人が集まった窯湾という場所ならではですね。
かつての城壁も描かれ、堅固な城塞古鎮だったことが分かりますね。 -
万寿宮、つまり江西会館です。
窯湾八大会館の一つです。 -
南哨楼です。
古鎮南側の入口に建ち、来薫門または南哨門と呼ばれています。
登楼して瓦屋根の古鎮を一望したかったなあ~
しかし残念ながら階段入口は閉扉されています。 -
窯湾碼頭という文字を揚げた牌坊です。
大京杭運河に対峙するように建てられています。
ここで多くの荷物が陸揚げされ、また出荷されていたのでしょうか。 -
現在の窯湾碼頭は大京杭運河の遊覧船発着場になっています。
対岸の韓湾渡口への渡し船も出ているのかな・・・?
ちょっと事実か否か自信が有りません (/ω\) -
その碼頭から大京杭運河を行き来する船が見えます。
日本なら海でしか見られないような大型船が行き来しています。
大陸ならではの壮大な景色ですね。
さあ、日没前にホテルに向かいますよ! -
今回、窯湾古鎮暢游に際し、古鎮内の宿泊先を探しましたが、日本からのネット予約が出来ずにいました。
あくまでも古鎮内宿泊に拘った我家は、中国の取引先の方に電話予約をして頂きました。 -
その予約先の新沂龍舟驛酒店(238元・双床・早点付き)に到着、無事にチェックインです。
ありがとう!聞さん!! -
デポジット込みで300元支払い後、親切な服務員の女性に導かれ、部屋に通されます。
古鎮内のレトロ感が滲み出るナイスな雰囲気の宿舎です。
我家に準備されていたのは大名駅という部屋でした。 -
暫く小休止後、窯湾古鎮の夜景観賞に向けて再稼働です。
-
それにしても運河がもたらす商流・物流は、その沿岸の古鎮に莫大な富をもたらしていたのでしょうね。
-
多くの石造りの建屋が、その栄華ぶりを現在に伝えています。
-
旅游日程の関係上、丕州から窯湾古鎮を日帰りすることも考えました。
しかし、夜景観賞をしたいが為に、古鎮内宿泊に拘りました。
宿泊してこそ見えて来るものが有るでしょう。 -
情緒的・抒情的・幻想的な時間・空間を愉しみます。
静寂さが漂います。
窯湾の灯りが異国情緒を盛り上げます。 -
春節前の為なのか?
平日金曜日だからか?
誰もいません・・・
店は閉店し、観光客は点在のみです。
静寂・粛然・深閑を独占します。 -
月牙橋(奥側)と華棠橋(手前側)のライトアップです。
護城河水面は鏡のように情景を映し出します。
穴孔が円を描き、三日月が浮かび上がります。
思わず吸い込まれそうになりました。 -
古鎮城外に出て、護城河越にライトアップされた北城門を俯瞰します。
やはり宿泊して大正解です。
日本的に言えば詫び寂びの世界に身を委ねるが如しです。 -
古鎮内の食事処やお土産屋さんは、17時に閉店しています。
晩餐会場を求め、古鎮外を散策、窯湾汽車站近くの食事処に突入です。
何を食べようかな~ (^_^メ)
あら、この土壷酒は緑豆焼酒じゃな~~い? -
店内のホワイトボードに書かれた菜単に目が留まりました。
狗肉つまり犬肉を扱っているようです。
そう!徐州には犬肉を食する文化が有るのです。
戦前の日本でも犬肉は赤肉と呼ばれて食べられていたと聞いています。
しかし、今の日本では食べられません!
これはチャレンジしなきゃ!! -
という訳で、狗肉焼豆芽と酸菜魚を注文、王子ビールと緑豆焼酒で乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
人生初の狗肉デヴュー、味わい深く美味しいじゃあ~りませんか!!!
昼間、古鎮内の緑豆焼酒工芸展示館で知った緑豆焼酒も舌鼓です。
アルコール度数37度で、白酒に比べれば呑みやすい方ですね !(^^)!
ああああ~~~異国・異文化の地での晩餐会、とってもとっても楽しいなあ~ -
まったりと浸った運河史跡、魅力的です。
護城河越しに浮かび上がる北城門を眺めながらホテルに戻りましょう!(*^-^*)
古鎮堪能の旅游2日目の1月10日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游3日目の1月11日が始まりました(早上好)。
古鎮の景観に溶け込んだ新沂龍舟驛酒店、なかなか良い宿でしたよ。
チェックアウト時に、デポジット込みで支払った300元と、実際の宿泊費の238元の差額を受け取ろうとしたのですが、ここで問題発生!
何とフロントには、差額の62元の現金が無いと言います。
結局、我家から更に38元を渡し、100元の釣幣を受け取りました。
中国の急速なキャッシュレス化を目の当たりにした出来事でした~!! -
今日は台児荘古城まで移動しなければなりません。
後ろ髪を引かれながら窯湾古鎮内を通り抜け、窯湾汽車站前の広場に向かいます。 -
北城門から古鎮城外に出て、護城河越しに俯瞰します。
魅力的だったぞ!窯湾古鎮!!
再見!窯湾古鎮!! -
窯湾汽車站前の広場で待つこと約20分、丕州行のバスが到着です。
乗り込んでみてビックリ!!
昨日と同じく、強さんが運転しています。
“ニーハオ~ (^-^)”
流水型のバスに乗り込み、待つこと更に20分、やっと出発です。 -
昨日と同じ大京杭運河沿いの道を走ります。
-
乗車約50分で丕州宏通汽車客運站到着です。
さあ、続いて台児荘行きの乗車券を買わなきゃ!!
服務員が“●〇×▲■◇∇〇”と言うも理解不能・・・
近くの警備員も寄って来て大騒ぎ状態です。
取り敢えずパスポートを提示し、切符を購入しました~ -
台児荘行きのバスですが、北線と南線が有ります。
どのルートを走行するのか?
料金は同じなのか?よく分かりません。
取り合えず、乗場に行くと、南線と表示された場所に、台児荘行のバスが入線です。
台児荘古城と書いた紙を運転手に見せ、そのまま乗り込みました。 -
丕州から台児荘迄の切符(15元)です。
-
台児荘行きのバスは途中乗車と途中下車を繰り返し、どんどん乗客が減っていきます。
約90分後、江蘇省から山東省に入り台児荘運河大橋を渡ったところで、運転手から“●〇×▼◇◆□●”と降車を促されました~!!
言われるまま降車し、運転手が指さす方向に歩き出します。
やがて、大橋沿いの運河北岸路を東側に進むと、台児荘古城集票処が現れました。 -
ここから古城内まで、シャトルバスまたは遊覧船で移動です。
我家はバスを選択しました。 -
景区入口から台児荘古城迄の観光シャトルバスの切符(10元)です。
-
台児荘古城の門票です。
冬料金で120元でした。 -
乗車僅か10分で台児荘古城景区に到着です。
古運河に架かる西可風橋越しに、天下第一荘と書かれた西城門が見えて来ました。
その重厚感・重圧感にシビレました~(●^o^●)
いいなあ~古城って!!!!!!!!! -
台児荘古城は城壁に登ることが出来ます。
当然、城壁散歩を愉しみます。
早速、西城門に登城し、いつもの城壁大好き我家の決めポーズです。
イエーイ ♪(*^-^*)♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ -
古城内では様々な演舞・催事など盛り沢山の演出が組まれています。
-
古城内から西城門を振り返ります。
-
天下第一荘牌坊です。
その鎮座ぶり・独座ぶりに歴史の威圧感を覚えます。 -
古運河に架かる歩雲廊橋です。
-
その歩雲廊橋から安瀾門を眺めます。
運河に面した水運で栄えた台児荘です。
当然ながら舟のまま行き来できる水門が設けられています。 -
参将署です。
俗称を大衛門といいます。
現在は台児荘古城再建博物館になっています。
清代は地方行政機構の拠点であり、運河道の防護工事や運送治安を管轄していたようです。 -
水陸通衢牌坊を潜ります。
いよいよ老街が始まります。 -
台児荘古城のメインストリートを東へと進みます。
うだつを伴うレトロな町並みが現れました。 -
中国運河悦史展示館です。
元々は三恪堂という安徽省から移住してきた陳氏一族の邸宅です。
現在でも陳万詳という商店として残っています。 -
建屋内の陳列館で、大京杭運河の説明版が有りました。
運河版万里の長城とも呼ばれ、何と北京から杭州まで全長2,700kmも有り、ユネスコの世界遺産にも登録されています。 -
翠屏学館です。
よく分からないのですが、翠屏って四川省にある地名ですよね。 -
続いて、急須から水が噴き出る大きなモニュメントに遭遇です。
謝裕大茶行というお茶屋さんです。
店内には演劇を催す設備が有るようです。 -
時計は13時半を指しています。
という訳で、古城内の食事処で昼餐です。
辣湯と運河野鯉魚・白米を注文、青島ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
言葉が通じない我家に、いつもの“那里”の質問です。
“我是日本人”との返しに服務員のみなさん、大騒ぎです。 -
さあ、暢游後半戦の開始です。
天后宮です。
当初は福建会館として建てられました。
天后宮を参拝していると、太鼓と鐘の音色が響き渡って来ました。
何やら演舞でも始まるのかな? -
ドンチャン♪ドンチャン♪♪という祭囃子音色に合わせ、アクロバットさながらの獅子舞(舞獅)が始まりました。
この獅子舞ですが、唐王朝が栄えていた頃に、つまり日本へは奈良時代に伝来しました。
日本では独自に進化し、ちょっと違った獅子舞になっていますかね。 -
船形街です。
大運河非物質文化博覧館と呼ばれています。
辺り一体、船を模した船形建築物を囲むように曲線形の建物が連なります。
船首には石龍が水を吐き出しています。
台児荘版マーライオンかな・・・
な~んてね~僕はシンガポールに行ったことが有りません (/ω\) -
船首に登って船形街を眺めます。
何とも言えない曲線建築に心和みます。 -
戯台では柳琴劇♪♪♪が始まりましたが、何を歌っているのか?中国語を理解出来ない我家には全く分かりません。
説明版によると、状元打更・白玉楼・姉妹易嫁等の演目曲が紹介されていました。 -
柳琴劇の音楽をバックに、船型船首で独りタイタニック気分に浸る我が家内です。
映画のような運命的出会いが有るか否か?
ハハハ、有る訳無いよね~!(^O^)! -
さあ、続けて老街を散策します。
昔風の建物が多く健在で、まさに“生きている博物館”ですね。 -
西華門という橋を渡ると・・・
-
やがて復興広場です。
蝎子江越しに復興楼が聳えています。
手前の復興碼頭には多くの遊覧船が出番を待って停泊中です。 -
復興広場の周りには上海外灘を彷彿とさせる洋館が並びます。
上海外灘同様に水運で発達した街ならではの光景ですね。
運河がもたらす富の大きさを実感します。
すっごいなあ~凄いなあ~ -
その洋館に大清台荘郵政官局が入っています。
早速、入館しましょう。
中国郵政の歴史が分かりやすく紹介されています。
そんな中、おそらく大半の日本人が知らない(教えられていない)衝撃的な史実を目の当たりにする陳列コーナーと遭遇です。 -
日中戦争(中国呼称:抗日戦争)当時の写真が陳列されていました。
台児荘大戦と言われ、当時の大日本帝国陸軍と中華民国国民革命軍との戦闘のことを示します。
今は綺麗にリノベーションされた観光地の台児荘古城ですが、かつては両国間の戦闘が繰り広げられた場所でも有ったのですね。
我家は旅行前にネットで台児荘古城を調べるまで、全く知りませんでした・・・ -
その洋館の東隣に台児荘大戦の遺跡公園が在ります。
入園してみましょう。 -
袁家巷巷戦弾穴墻です。
遺跡公園には日中戦争当時の建屋がそのまま保存されています。 -
無数の銃弾の跡が残されています。
そして火災が有ったのでしょうか・・・
石壁が黒く焦げている部分も見受けられます。 -
日本帝国陸軍が使用した銃弾が陳列されています。
これらの銃弾が、石壁を打ち抜いたのでしょうか・・・ -
当時の台児荘大戦時の生々しい写真です。
両国の多くの人命が奪われ、歴史ある街が破壊されました。
今を生きる私達は、過去の戦争の残虐さを再認識し、二度と戦火を交えないよう、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、後世に説いていく必要があります。
さあ、戦争遺跡を後にして次に進みましょう! -
山西会館西側の関帝廟です。
ここ台児荘古城でも山西省生誕の関羽は、常に山西商人にとって、商売の神様で有り続けています。 -
商売人なら関帝廟で手を合わせないとネ!!!
お金儲けが上手く行きますように !(^^)! -
あらあら、石の青龍偃月刀です。
よくもまあ、こんなに巨大で、よく似た石が有ったものですね。
さすがの関羽も、この青龍偃月刀は振り回せないかな・・・ -
中国運河粮倉博物館です。
それにしても古城内には、一体、いくつの博物館が有るのだろう・・・ -
漕運收粮制度で使用されていた軍粮密符扇です。
運河を使った物流の中、今でいう暗号が無いと通関出来ない・・・
その暗号伝達の手段なのでしょうか?
よく分かりません。 -
あらららららら~~~●~*
途中のトイレで見かけた便器の新ブランドです。
TOTO(東洋陶器)を模したのでしょうか?
TOYOって、かなり笑えますね ヽ(^o^)丿 -
武進士第です。
武以国興とも記されています。 -
守仁堂(花府)です。
魯南婚俗文化博物館として使われていますが、閉扉されていました。
ん~~~あらあら、ちょうど、灯りが灯されましたよ。
ライトアップの始まりですね \(^o^)/
夜景タイム!スタート!! -
薄暮が迫り、灯りが主役に躍り出る時間がやって来ます。
運河左手に魁星楼が、右手には九龍口牌坊が見えています。 -
台児荘古城東城門外の石牌坊です。
-
東城門が闇夜に包まれ始め、ライトアップの演出が我家を好奇な世界に引き込みます。
-
九龍口牌坊前の碼頭から牛市汪に架かる牛市大石橋を眺めます。
いいなあ~綺麗だなあ~古城の夜景って・・・ -
夜景観賞の途中ですが、先にホテルに行って荷物を降ろしましょう。
事前ネット予約した台児荘古城湖光月色観景客桟(236元・双床・早点付き)にチェックインです。 -
さあ、暫く小休止後、夜の台児荘古城暢游開始です。
郁家橋が水面に映り、その美しさに溜息が出ます。 -
牛市大石橋から眺めた春節電装飾モニュメントです。
静閑な牛市汪に浮かんだモニュメントは、鏡のような湖面に美麗に映し出されています。 -
魅惑的な幽暗な灯りが天下第一荘の文字を浮かび上がります。
麗姿な建屋が連なり、中国情緒満点です。 -
古城内に掘り巡らされた水路1本1本にライトアップ装飾がなされています。
-
何て魅惑的なのだろう・・・
-
復興広場から見た復興楼です。
古城内のシンボル的楼閣で、遠方からも目立ちます。
明日、登楼できるかな・・・(^○^) -
同じく復興広場から上海外灘を彷彿とさせる洋館群のライトアップを愉しみます。
-
船形街です。
美麗・・・ -
秀麗・・・
-
端麗・・・
-
隣の天后宮です。
闇夜に神秘的で荘厳的な屋根瓦が浮き出ます。
夜空から星がこぼれた落ちたような幻夢空間に漂う麗美な灯りが印象的ですね。 -
吸い込まれそう・・・
誘い込まれそう・・・
心を奪われそう・・・ -
吸い寄せられそう・・・
遊覧舟が門穴を潜り抜けようとしています。
船頭さんは船を漕ぎながら“〇●×▼◇△□”と歌っています。
夜の透過された別世界が我家を幻想的・壮麗的・夢幻的空間に閉じ込めます。
雨や風の影響を受けない絶好の夜景観賞日和になりました。 -
安瀾門です。
今度は城内から眺めます。
遊覧船の紅い灯りが情緒を深めます。 -
西城門です。
ライトアップで闇夜に浮かび上がっています。
夜も登楼可能です。
しかし、我家の体力は、そろそろ限界です。
という訳で・・・・・ -
夜景観賞を終え、冷え切った身体を労わりましょうかね (^○^)
ホテル近くの美食街の中の1軒で晩餐です。
尖椒土豆絲・農夫焼魚・白飯を注文、労山ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
う~ん、この農夫焼魚ですが、一度、川魚を油で揚げてから煮込んでいます。
美味しいなあ~!ハオツー!! -
台児荘古城湖光月色観景客桟に戻り、部屋の窓から見える東城門等の夜景を愉しみます。
う~~部屋に持ち込みした緑豆酒で一献です!
あ~~古城三昧で超満喫・満悦で~~~~す!
古城堪能の旅游3日目の1月11日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游4日目の1月12日が始まりました(早上好)。
部屋の窓は東側を向いています。
朝の日差しで、今日は良い天気になると確証です。
晴れ男・晴れ女の本領発揮かな・・・ -
表通りに出てみます。
日曜日の朝です。
静粛でピリっと張り詰めた空気を纏いながら暢游始動です。 -
まだ日帰りの観光客は来ていません。
前泊した者だけが味わえる寡占・独占・占有な世界です。 -
台児荘古城の北城門(中正門)です。
楼閣は再建されていません。 -
清真寺です。
建屋は未公開ですが、敷地内には入ることが出来ます。
台児荘古城を高い位置から見降ろしたいところです。
期待しましたが、残念ながら、この清真寺の登塔は不可でした。 -
三度目の復興楼御対面です。
今日は青空に映えます。
登楼をしたかったのですが、開放されていません。
ここも登れません・・・(/ω\)
残念・無念・仕方ないねん!! -
道升酒坊です。
現在は運河酒文化館として利用されています。
お酒大好き我家の地が騒ぎます。
さあ、入館してみましょう。 -
これは蒸留機でしょうかね。
酒などの嗜好品は、人類の欲が作り出した芸術品でしょう。
お酒大好き我家は先人の知恵と努力に感謝・尊敬です。 -
中医博物館です。
元々は保寿堂といい、清朝咸豊帝六年(1856年)、王義之の53代目子孫の王仲芳が開業した漢方薬店で、この地区の医院も兼ねていました。 -
蘭亭書萬です。
現在は青楼運河文化館として利用されています。
青楼とは青漆を塗った高貴な女人たちの屋敷のことで妓楼を意味します。
詩歌音曲・歌舞などの技を売りとし、遊郭のように春を売りにはしないのです。 -
台荘閘官署です。
京杭大運河の中の台児荘古城周辺には、閘官署が設置されていました。
最も東側の台荘閘から最も西側の韓荘閘まで、八か所の水門(樋門)が運河の円滑な運用を仕切っていました。 -
官署内には、当時の水門(樋門)図が分かりやすく解説されています。
隋時代、中国の流通は主に東西を流れる黄河や長江が主流でした。
やがて、その二つの大河を繋ぐべく、北京から杭州を結ぶ南北2,700kmにも及ぶ大土木工事で京杭大運河が築かれました。
掘削された運河ですか、標高差の有る丘陵をも超えて行きます。 -
運河招幌博物館です。
昔の様子を伝えてくれる貴重な多くの資料が並びます。 -
中国の医薬品だけでなく、日本製の浅井万金膏という医薬品の鉄看板に遭遇です。
西洋の品々が多く見られる中、日本製商品も中国で売られていたのですね。
やはり日本語の鉄看板に親近感を覚えますよネ!! -
再び船形街です。
流通業を営む多くの商家が大京杭運河沿いに軒を連ねます。 -
その繁栄ぶりから天下第一荘とも言われています。
大運河の富・財・力を見せ付けられました~
悠久の歴史が刻む遺産や史跡に感嘆・感激です。 -
船形街から北側の箭道橋を渡ります。
その橋上から鼓楼?鐘楼?が見えています。
行ってみましょう。 -
近付いて案内板を見ると、市楼と紹介されています。
市楼って何だろう・・・よく分かりません。 -
天齊廟です。
日本人の場合、天齊廟のことを地獄極楽等と呼びます。
中国でも同じなのかな・・・ -
入口横の曲芸雑壇の舞台で何やら演奏が始まりました。
この女性が持っている楽器ですが、琉球王国の三板の原型でしょうか?
カスタネットのように快音が響き渡ります。 -
泰山行宮です。
ちょうど、1年前に泰山観光をしたことを思い出します。
我家は泰山で既に手を合わしましたよ。 -
小北門です。
観光客は出入り出来ません。
古城内で働く人達のみ、利用できます。 -
その脇の馬面から城壁に登って、今回の暢游最後の城壁散歩を愉しみます。
ん・・・ひょっとして西城門まで城壁上を歩いて行けるのかな? -
城壁外の護城河です。
台児荘古城が堅固な城だということが分かりますね。 -
運河が十字に交差する亀汪では、それぞれの運河に石橋が架かります。
小彭河に架かる長寿橋は別名眼鏡橋と言われています。
とはいえ、眼鏡とはいうものの、穴孔は3個です。
変なメ・ガ・ネですね~ -
亀汪付近にキリスト教堂が建てられています。
今日は日曜日ですが閉扉されています。
洗礼を受ける予定は有りませんが残念です。
中には入れない故、先に進みましょう!! -
台児荘古城の西城門と別れを告げます。
我家大好き古城暢游ですが、いつも後ろ髪を引かれます。
次は何処の城壁でポーズを決めようかな~!(^^)!
さよなら!台児荘古城!
再見!台児荘古城! -
西城門から華興路を西へ歩くと、古城西門站が現れます。
ここから台児荘バスターミナル迄、路線バスで移動です。 -
待つこと10分、1路バス(2元)が到着です。
運転手に”台児荘汽車站”と書いた紙を提示します。
笑って頷く運転手に安堵・安心です。 -
乗車約20分で台児荘汽車站に到着です。
運転手から“〇●▼◇■到了”と降車を促されました~(^○^)
時計は12時半を指しています。
先ずは徐州行きのバスの切符を買わなくちゃ! -
集票処窓口の上に案内電工掲示板が有りました。
徐州行きは、今から約2時間後の14:30発が有るようです。
さてさて、徐州と言っても、一体全体、徐州のどのバスターミナルに着くのだろう・・・? -
切符を買おうと窓口に行き、服務員の女性に高鉄徐州東站と書いた紙を提示すると・・・“●〇×▽▼■〇◇”と言われるも理解不能・・・
言葉が通じないことを悟った服務員さんは、“不進高鉄站需堤前下車”と紙に書いて見せてきました。
なるほど、途中下車すればイイんだぁ~と納得し、徐州汽車総站行きの切符を購入です。
しかし、何処で、どうやって、途中下車すればいいのだろう・・・?
まあ、何とかなるでしょ!!!(*^。^*) -
徐州汽車総站行きの切符(20元)です。
省を跨ぐ為なのか、パスポート情報を入力されました。 -
さあ、バスの出発まで、台児荘汽車站南側の青島ビール美食城で昼餐しましょう!!
この台南路の両側には食事処がスラリと並びます。 -
先客が食事している店を選択し入店です。
鶏快湯と風味辣豆腐を注文、青島ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
あ~満腹・満足!(^_-)-☆
御馳走になったことだし、そろそろ台児荘汽車站に戻りましょうかね。 -
徐州汽車総站行きの長途バスです。
乗り込む際に、運転手に“高鉄徐州站”と書いた紙を見せると・・・
“不去徐州東站”と言ったような・・・
途中下車ポイントについて、どうやって問おうかな~?
言葉が通じない外国人観光客を心配してなのか、運転席のすぐ後ろに座らされました。
間違いなく心配・気遣いされていますネ <m(__)m> -
定刻14:30に発車、運河大道を南へ南へと走り出しました。
台児荘大橋を渡り、山東省から江蘇省に戻って来ました。
国道244号線を快適に走行するバスが、赤信号で停車した際、再び“高鉄徐州站”と書いた紙を見せると・・・
運転手さん、“▽●×〇∇□▲×”と言いながら、運行記録簿の裏紙に何やら文字を書き始めました。
そして、その紙を渡され、見せられました~!! -
“汽車総站下”
“坐地鉄”
途中下車しても慣れない旅行者では高鉄徐州東站には辿り着けないだろうから、終点の徐州汽車総站まで行き、徐州火車站から高鉄徐州東站まで地下鉄で行くように!!
おそらく、こんな意味なのでしょうか・・・
完全に保護下に置かれ、心配されまくっています!!! -
事前予約した徐州東站発の高鉄列車の発車時刻は17:42です。
徐州中心部に近づくにつれ、渋滞が発生です。
汽車総站バスターミナルに入る前の復興南路上で、新たに紙に“指方向直進地鉄站”と書いて、運転席から進行方向を指さしました。
降車後は、この方向に歩け!!と言っているようです。 -
徐州汽車総站(徐州汽車客運站)到着は16:30で、ちょうど2時間の乗車でした。
今から1時間12分後に予約済みの高鉄徐州東站発の列車は出発してしまいます。
時間的に大丈夫なのか・・・
到着は間に合うのか・・・
ハラハラドキドキです。
然も運転手さんの指さした方向は、徐州火車站の方向と少し違います。
どういうことなのだろう・・・ -
指さした方向に進むと、徐州火車站前の淮海広場に出ました。
近くに地鉄站の案内板が有りましたが、確かに写真の徐州火車站方向には行きません。
どうやら徐州火車站と地鉄徐州站は繋がっておらず、離れているようです。 -
淮海広場を過ぎると、大馬路を西に進むように案内板が示します。
どんどん徐州火車站から離れてしまいます。
本当に地鉄入口は有るのかな・・・ -
後で地図を見て理解しました。
地鉄徐州站は完成したばかりで、出入口は⑥番だけです。
こりゃ徐州火車站と徐州地鉄站は離れていて大変だ~!! -
やっとのことで、地鉄徐州站に辿り着きました~!
早く高鉄徐州東站に移動しなきゃ(3元)!!
予約済み高鉄列車発車まで、残り45分です。
間に合うかな~(@_@;) -
地鉄は6分毎に運行されています。
終点の高鉄徐州東站に到着、急いで入場です。
時計は17:25を指しています。
ヤバイ!! あと17分しか無いじゃん!! -
17:42発の徐州東站発、天津西站行きの切符(264元)です。
旅行初日の1月9日に天津西站集票処で受け取り済みです。 -
ふ~~~何とか間に合ったようです。
到着と同時に改札が始まりました。
危ない!危ない!!ギリギリでした~!!! -
G52列車が入線です。
結果的に何とか乗り遅れにならずに予約列車に間に合いました。
地方都市の長途バス情報は不明瞭な部分も多く、余裕を持って、旅游のスケジュールを組む必要がありますね。
いい勉強になりました~~~!!! -
往路同様、天津西站に戻って来ました。
所要2時間23分です。
時速300kmで走行する高鉄は、広大な中国大陸を一気に狭くしていきますね。 -
そのまま地鉄で天津中心部に移動です。
地鉄1号線で営口道站まで乗車します(3元)。 -
地鉄営口道站に到着、地上に出てみると・・・
伊勢丹と、その隣に聳える天津国際金融中心ビルが我家を出迎えます。
天津は特一級行政区画の直轄都市です。 -
美豪麗致酒店濱江道店(444元・双床・早点付き)にチェックイン、早々に夜景観賞に出発です。
天津西開天主堂が美麗に煌々と闇夜に浮かび上がっています。
かつての天津租界地は西洋列強が行政自治権と治外法権を認めさせた侵華の地です。
日中戦争(中国呼称:抗日戦争)終結に伴い、1947年に天津租界地の歴史は終焉を迎えました。 -
濱江道歩行街を暢游します。
天津栄華の象徴的な場所なのか、多くの人民で賑わっています。
優しく壮麗な光が灯影され、流麗な歴史的建築群が存在感を誇示しているようです。
これってアートですよね!! -
天津租界地の歴史を見て来たのだろうね・・・
漆黒の世界の中で、数々の歴史的建築群が、時世を越えて存在感を誇示しています。
いいなぁ~綺麗だなぁ~ -
あらあらあら・・・濱江道歩行街の端まで暢游すると・・・
何と屋台街が現れました。
いいなあ~日本の昭和時代を彷彿とさせる懐旧的場面って!!!
綺麗に整然と街を造成するのも大切ですが、中国の夜市風情が消えて行くのは残念でなりません。 -
今回の暢游は整備された古鎮・古城がメインだった為、下町的なノスタルジーな空間に遭遇出来ませんでした~!!
日本では消えてしまった屋台や夜市に再会できるのも、中国旅行の楽しみなのです。 -
さあ、晩餐会場を探しましょう。
この寒空では夜市や屋台で晩餐するのは無理です。
偶然見かけた刷羊肉店に突入です。
鴛鴦鍋に塩池羊肉巻・土豆片・野菜盛り合わせ・粉絲を注文、哈爾濱ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡 -
部屋に戻り、CCTVを見ていると、天気予報が流れて来ました。
明日13日の天津も晴れ~のようです。
バタバタ移動劇だった旅游4日目の1月12日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游最終日5日目の1月13日が始まりました(早上好)。
気温は氷点下5℃・・・
何て極寒なのだろう!!
顔が痛いよ~(@_@;) -
五大道を巡る為の観光馬車が待機しています。
しかし、この氷点下の寒空の下、どれだけの需要が有るのか?
ハハハ、要らぬ心配かな・・・ -
五大道游客服務中心です。
いわゆる観光案内所です。
ここで五大道歴史博物館と慶王府のセット門票を購入です。 -
五大道歴史博物館です。
その欧米文化が取り込まれた五大道の歴史を紐解いてみましょう。 -
門票(30元)です。
五大道游客服務中心で、五大道歴史博物館(30元)と慶王府(24元)の門票をセットで購入すると、50元に割引されました。
ちょっと得した気分!!! -
薬味箪笥や生薬が飾られています。
我家の就寝前の愛用薬“龍角散”の原料生薬:桔梗・杏仁・甘草・美遠志(セネガ)は何処に並んでいるのかな??? -
産業革命に成功した西洋列強製の多くの電化製品が並んでいます。
そんな中、松下電機(National)製のラジオを見つけました。
まだまだ、メイド・イン・ジャパンの地位が低かった時代です。
頑張っていたんだね!(^^)! -
慶王府です。
英国租界だった当時、中国伝統建築が禁止されており、中欧折衷の建物が設計されました。 -
慶王府の門票(24元)です。
五大道游客服務中心で購入済みです。 -
慶王府は清朝末期の最後の大宦官の小徳張が建てました。
しかし、その後、ラストエンペラー愛新覚羅清朝王室の慶王載振に売却され、正式に慶王府と名付けられました。 -
庭園から慶王府公館を見上げます。
中欧折衷の美麗で洗練された建築物でしたネ。 -
張学銘旧宅です。
軍閥政治家の張作霖の次男で、中華民国・中華人民共和国の軍人・政治家です。
国民政府時代に天津市長を務めています。
残念ながら内部は非公開です。 -
満州国領事館旧址です。
外観のみで内部は公開されていません。
大日本帝国が大陸に進出(侵華)していた頃の遺産です。 -
孫殿英旧宅です。
清東陵の西太后や乾隆帝の陵墓を盗掘し、大量の財宝を奪っています。
この盗掘事件に激怒した溥儀は、やがて日本に接近、満州国元首へ就任していくきっかけになったと言われています。 -
さあ、天津五大道の暢游を終えますよ。
近代史も知れば知るほど面白いですよね。 -
天津音楽庁です。
英国租界地時代、天津で初めて建てられた映画館です。
当時は平安電影院と呼ばれていましたが、今は国営化され、天津音楽庁として活用されています。 -
さあ、全ての暢游日程を終え、地鉄小白楼站から天津濱海国際空港に向かいます。
-
小白楼站から地鉄1・5・2号線を乗り継ぎます(4元)。
-
やがて無事に天津濱海国際空港に到着です。
我家の中国暢游が終わろうとしています。
愉しかったよ江蘇省!
旨しかったよ山東省!!
嬉しかったよ天津市!!! -
空港内のレストランで最後の昼餐です。
干鍋有机花菜・狗不理包子・白飯を注文、哈爾濱ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
干鍋等、火を使う鍋料理、とても楽しいですね。 -
さあ、昼餐も終えたことだし、いよいよ出国です。
春秋航空カウンターの個人の列に並びます。
無事に平常運行されており安堵です。 -
我家が搭乗する予定の機材が見えます。
いよいよ我家の中国暢游が終わりを告げようとしています(≧∀≦)! -
京杭大運河史跡 窯湾古鎮・台児荘古城 江蘇省・山東省 歴史遺産巡りの旅・・如何でしたか?
過ぎてしまえば、あっという間の5日間の旅でした。
毎日毎日、愉しい旅行だったなあ~
さあ!!明日から仕事を頑張って、そして、何度も何度も中国に行くぞ~!!行くぞ~!!!!絶対行くぞ~!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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