2003/10/26 - 2003/10/30
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Sagres★さん
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慶州を中心とした、初めての海外一人旅をまとめた旅行記。
人生で3回目となる海外へ行った。
最初の2回は仕事。
プライベートでの海外は今回が初めてとなった。
以前からヨーロッパへ一人旅へ行きたいと思っていた。
国内一人旅の経験は何度もあるものの、
海外一人旅を経験せずに、突然ヨーロッパへ行くのも気がひけた。
ということで、予行練習を兼ねて、
近場の海外、韓国へ行くことにした。
ソウルなどの都会すぎる場所は苦手だ。
「歩き方」を見ていたら、
慶州に「南山」という壁画が残っている山があるようだ。
面白そう!これは行ってみなければ!
【時期】2003年10月26日(月)~2003年10月30日(木)
【方面】
韓国(慶州・釜山)
【補足】
①初心者で不器用な自力手配旅だった。
その苦労と思い出を忘れないようにするために、
自分の備忘録として作成することにした。
②フィルム写真を1枚ずつデジカメ撮影したものを
掲載しているため画像が粗いです。
雑な性格なもんで、写真に指が写り込んだり、
斜めに移ったりしている写真もあるけど、ご愛嬌・・・。
(^_^;)
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
●1日目・2003年10月26日(日)●
目的地は、釜山・慶州。
船でのアプローチとした。
この当時、船代は往復15,000円(税抜)という激安価格だった。
写真は、釜山までの船チケット。
チケットは、日本出発前にNET予約して窓口で購入したか、
または、JR駅隣接の旅行会社を通じて購入したような気もするが、
旅行記作成時点、忘れてしまった。
治安がよい韓国とはいえ、
プライベートで海外一人旅をするのは初めてだったから、
「歩き方」で事前調べを行った。
2003年10月26日(日)
朝8:45、釜山へ出発。
途中、クジラとの衝突事故が発生しないか心配だったが
何事も無かった。
船は、せいぜい3時間程度が限界だなと感じた。
食事を抜いて乗船したが、正解だった(笑)。 -
「出国税チケット」
釜山港税は、当時1,100ウォン。
発券時に一括で支払った。 -
「両替時のレシート」
高速船で釜山港へ到着後、両替を行った。 -
「釜山 地下鉄 路線図」
両替後、徒歩で地下鉄乗り場へ移動。
港から出る時、横断歩道に警官が数人立っていた。
地下鉄の位置はだいたい分かっていたが、念のためと思い
「地下鉄はどこか?」と質問したら、
「あ”ん?」と、不快そうな怪訝な顔をされてしまった。
警官に道を尋ねるものではないなと思った(笑)。
地下鉄へたどり着き、窓口で切符を購入。
その時、このMAPをもらった。 -
「釜山 地下鉄 路線図」
地下鉄で、釜山総合バスターミナルへ移動。
釜山港から、1時間ほどかかったように思う。 -
「釜山→慶州行き高速バスチケット」
地下鉄を降り、釜山総合バスターミナルへ到着。
大きくて、キレイなバスターミナルだった。
窓口もたくさんあった。
慶州行きの窓口を見つけ、
窓口へ近づくと、こちらが言葉を発する前に、
係の女性が「13:30発?1枚?」と聞いていたので
私もウンとうなずき、スムーズ過ぎるほど切符を購入できてしまった。
13:30、遅延なく出発。
途中、高速で雨が降ってきた。
高速道路上では交通事故で道が渋滞していた。
けたたましくクラクションが鳴り響いていた。
片道2時間ほどで到着予定だったが、
渋滞のため、少し遅れて慶州に到着した。釜山総合バスターミナル バス系
-
「慶州 市内マップ」
慶州バスターミナルへ到着後、市内MAPをもらった。
この慶州では、日本出発前、歩き方掲載の宿を1日目については、
1泊予約していた。
しかし、残りの2泊は、現地へ行ってから探そうと思っていた。
初めての海外一人旅だからこそ、
突撃訪問をしてみたり、料金交渉をしてみたかったのだった。
「歩き方」を見る限り、
慶州・釜山には安宿がたくさんありそうだったし、
どこか一部屋くらい空いているだろうという目論見だったのだ。 -
「慶州 大明荘旅館(Tem Jang Yeogang)」
慶州は素朴な町だった。
高速バスターミナルを出て、真裏のあたりに路地があり、
その並びに何軒か安宿があった。
旅行当時の「歩き方」に掲載されていた大明荘旅館に
今夜1泊については、日本出発前、メールで予約を行っていた。
明日2日目・3日目の宿を探すべく、ちょっと歩いてみる事にした。
1日目の宿の前を通り過ぎ、
周辺の安宿を3軒ほどあたってみた。
実際に部屋まで見せてもらったところもあったけれど、
1泊5,000円とふっかけてきたところもあった。
よって、当初の目星を付けていたとおり、大明荘旅館へ行く事にした。
清掃中のオーナーらしき男性に3泊したいことを伝えた。
オンドル部屋が空いているというので泊まる事にした。
オーナーは簡単な英語を話す事ができた。
ビジネス旅館でもあり、
実際に出張族らしきビジネスマンも泊まったりしていたが、
いわゆるモーテルを兼ねている旅館でもあった。
抵抗感がある人もいるかもしれないが、
バスターミナル真裏という利便性や、
1泊2,500円という安さは魅力的だった。
【大明荘旅館(Tem Jang Yeogang)の情報】
住所:慶州市路西洞241-12
電話:054-749-2607
料金:25,000ウォン(1泊素泊まり・2003年時点)。
他:高速バスターミナル真裏。1997年オープン。 -
「慶州 大明荘旅館(Tem Jang Yeogang)」
オンドル部屋
部屋へ入った直後、なんだか違和感を感じた。
布団が「でーん」と敷いてあったのだが、シーツがぐしゃぐしゃだったのだ。
それでも初めての海外一人旅の緊張で疲れていたので、
布団にゴロンと寝っ転がってみた。
よく見たら、「いったいどこの体毛?(笑)」という毛が布団に落ちていた。
枕の近くのシーツには、濡れたようなシミもできていた。
他人が布団を使用した感じが残っていた。
「ぎゃぁ~!」と軽い悲鳴が出てしまった(笑)。
とにかく気味が悪かった。
フロントにいるオーナーに
「これからしばらく外出するから、
部屋をチェンジしてもらうか、部屋を清掃をして。」と依頼し、
外出することにした。
結果、満室だからという理由でルームチェンジは許されず、
部屋を清掃してもらうこととなった。
外出先から帰ってきたら、
オーナーが「清掃を忘れてた。ごめんなさい」と言ってくれた。
シーツは交換されていた。
部屋全体、清掃されているようだった。
(というか、清掃済なのだと言い聞かせて我慢するしかなかった。笑)
チェックイン時、このような事があったが、
オーナーは親切だし、部屋は広いし、わりと快適な部屋だった。 -
「慶州 大明荘旅館(Tem Jang Yeogang)」
-
「慶州 大明荘旅館(Tem Jang Yeogang)」
バスルーム
タオルは3枚常備 -
「大明荘旅館 目の前の路地」
ホテルを出て、少し散策してみることにした。 -
「古墳公園付近の商店の裏路地」
ホテルから約30分ほど歩いて、古墳公園近くまでやってきた。
キムチの壺と思われる壺が山積みにされていた。 -
「古墳公園付近の土産物屋」
古墳公園入口へ向かう途中にあった。 -
「古墳公園付近の土産物屋」
-
「慶州 皇南パン」
途中、何かの食べ物屋さんを見つけた。
店舗の奥で、店員さんが小麦粉のような白い何かを練ったり、何かを中に詰める作業をしていた。お客さんも多いし、繁盛していそうな店だった。
何だろうと思って入ると、「皇南パン」というお菓子を売っている店だった。
手のひらより小さいサイズのあんパンというか、
パイ饅頭のような、あんこ系お菓子。
試しに2つほど買ったが、控えめな甘さで、とっても美味しかった。
大ヒットだった。
慶州に3泊したうち、2日は通った。皇南パン パン屋
-
「慶州 皇南パン」
-
「慶州 皇南パン」
日本語表記もあるくらいなので、
日本人観光客も多いのか...。皇南パン パン屋
-
「慶州 皇南パン」
小さいけれど、美味しさの破壊力がすごい(笑)。
甘さ控えめなあんこと、
パン(パイ?)生地が絶妙。 -
「慶州 皇南パン 地図」
1日目は、この皇南パンを買った後、
再びバスターミナル真裏の大明荘旅館へ戻った。
部屋はきれいに清掃されていた。
背負っていたリュックを部屋へ置き、
夕食を取るため、再び外出した。
あたりは薄暗くなり初め、しかしコンビニのような店もなかった。
宿の近くにあった古めかしい食堂で、ビビンバを注文した。
想像していた味ではなく、あまり口に合わなかった。
こうして、1日目は過ぎていった。
~1日目終了~皇南パン パン屋
-
●2日目・2003年10月27日(月)●
慶州2日目。
昨夕に購入した皇南パンを食べようと思ったら、「アリ」が群がっていた。
天井から机に置いていたパンの袋まで、小さなアリの行列ができていた。
「ぎゃぁ~」と、朝から悲鳴をあげるところだった(笑)。
オーナーへ「私の外出中にアリ退治をしてください」と、
イラストつきのメモを書き、渡した。
今日は、この旅のメインイベント、南山ハイキングへ行く。
「歩き方」を見る限り、一人でも行けそうな感じだったが、
途中、山道・田んぼしかないような田舎道で迷うかもしれないと不安になり、
日本出発前、南山ハイキング時のみガイドをつけることにした。
当時の「歩き方」に掲載されていた
「慶州ワールドツアー」という現地旅行会社へメールで連絡した。
メールでの返答がなかっため、FAXで連絡をいれたところ、
日本出発前、写真のような回答が得られた。
朝9時前、1階へ降りると、
既に日本語ガイドのK氏が待機していた。
私がオーナーに「アリ駆除」をお願いしていたら
私にかわり、韓国語で通訳をしてくれた。 -
「ガイドK氏の名刺」
-
「ガイドK氏がくれた折り紙(表面)」
ガイドK氏の奥様は日本人
客に、挨拶代わりにこれを渡しているとのことだった。
緑のスカートを左右に開くと、
K氏の名前と社名が掲載されていた。 -
「ガイドK氏がくれた折り紙(裏面)」
宿でガイドと合流した後、
バスターミナル近くでバスを待ったが、なかなか来ず。
バスを待つ時間がもったいないからと、
タクシーで南山のふもとまで移動することとなった。 -
「慶州 南潤寺跡(もしかしたら憧竿支社?かも)」
南山ふもとにある
山と田んぼの中にあり、分かりにくい場所にある。
ガイドが連れて行ってくれた。 -
「慶州 鮑石亭跡(ポックジョン)」
南山ふもとにある。
新羅王朝の離宮跡。
湧水を溝に引き込み、詩歌をつくって楽しんだという..。
※慶州中心部からバスで行く場合、
500番・505番のバスで15分。
「鮑石亭前」で下車。鮑石亭址 史跡・遺跡
-
「慶州 鮑石亭跡(ポックジョン)」
鮑石亭址 史跡・遺跡
-
「慶州 三体石仏(チムチェソクブル)」
鮑石亭から少し南側へいったところに位置。
無料。
※慶州中心部からバスで行く場合、
500番・505番のバスで20分。
「三体石仏前」で下車。 -
「慶州 南山 三稜(サムヌン)登山口」
南山登山入口である三稜(サムヌン)登山口。
小さな小山が3つある。
ガイドによると、お墓だと言っていた。
裏側の林から撮影 -
イチオシ
「慶州 南山 三陵渓の石仏座像」
三陵(サムヌン)登山口から、
約15分のところに位置。南山石仏群 史跡・遺跡
-
イチオシ
「慶州 南山 磨崖仏(仏教壁画)」
上記写真の石仏座像から少し登ったところにある。
岩に彫られた仏教壁画。
磨崖仏と呼ばれ、南山には沢山ある。南山石仏群 史跡・遺跡
-
「慶州 南山 三陵渓谷線刻如来座像」
たしか、上記写真の磨崖仏の近く、
斜め上あたりに見えたように記憶している。南山石仏群 史跡・遺跡
-
「慶州 南山 磨崖石仏」
三陵登山口から登って、約1時間ほど。
この磨崖石仏と出会う。
眺望がとてもよい。
約6メートルの岩盤に彫られている。
ここからさらに、南山山頂までは、約1時間ほど。
この日、韓国人登山客もたくさん訪れていたが、
多くの人は、この磨崖石仏までの約1時間を登ってきて、
そのまま引き返して帰る人が多いようだった。
この先の山頂は、ほとんど人がいなくなった。南山石仏群 史跡・遺跡
-
「慶州 南山 山頂」
上記写真の磨崖石仏から、さらに1時間登り、山頂へたどり着いた。
三陵登山口から山頂まで片道2時間だった。
頂上近くは、人がほとんどいない。
南山は、実はこれで終わりではない。
尾根づたいに移動すれば、違う石仏を見ることができる。
今回、ガイドのK氏には、
「歩き方」掲載の主だった石仏・壁画はできるだけ見たいと伝えておいた。
という事で、ここから移動して、新たな壁画を求めて歩きます。 -
「慶州 南山 石仏群」
上記写真から、さらに30~40分歩いたところにある石仏。
この石仏、右側は、断崖絶壁。
石仏の前にある、ほんのわずかな超超細い足場をつたい、
石仏横の崖を歩いた。
足を踏み外すと崖から落っこちるしかない状況で、
とっても恐かった!!
日本語ガイドのK氏も、
「こわかったねー」と言っていた(笑)南山石仏群 史跡・遺跡
-
「慶州 南山 七仏庵磨崖石仏」
ここは南山の最終目的地でもあった。
三陵登山口から、約4時間かかって、ようやく到着。
石仏を管理しているおばさんに、水をいただいた。
下山は、反対側(統一殿側)へ約1時間ほど歩く。
ここは、頂上ではなく、山中にあるため、
ここからの下山は早い。
15:00、ここを出発し、下山した。 -
南山石仏群 史跡・遺跡
-
「慶州 南山近隣の農家」
南山の下山後、ふもとの農家・農道を歩いた。
ちょうど収穫時期で、道路に、たくさんの稲穂が干してあった。
統一殿前のバス停をめざし、歩いた。
この農道からバス停まで、約30分近く歩いたような気がする。
意外と時間がかかった南山登山。
足が疲れ、足取りが重かった事を鮮明に覚えている。 -
「慶州 南山近隣の農家」
-
「慶州 南山近隣の農家」
下山後、このような農家があるような田舎の風景を見ながら、
統一殿前のバス停でバスが来るのを待機した。
バス停に到着した時点で、すでに16時となっていた。
バス停に到着してからバスが来るのにも時間がかかり、
40分くらい待機したように思う。
日本語ガイドK氏も久々の登山だったとのことで疲労しており、
帰りのバスの車中で爆睡していた(笑)。
17:30過ぎ、慶州バスターミナル近くのバス停へ到着。
ガイドと別れた。
珍しい石仏・壁画を見ることができ、楽しかった。
疲れたけど、心地よい疲れであった。
~2日目終了~ -
●3日目・2003年10月28日(火)●
南山登山の翌日、疲れた身体にムチウチ、
朝8時前、宿を出発した。
宿から慶州駅まで歩いた。
駅前にあるバス乗り場へ。
駅前バス停、10番・11番のバスで片道30~40分。
仏国寺(プルグッサ)へやって来た。
仏国寺前バス停で下車。
バス停から5分ほど歩いて、仏国寺前へ辿り着いた。
バス代は、片道1,150ウォン(2003年当時)。 -
「慶州 仏国寺(プルグッサ) 入場券(表面)」
この日、ホテル出発時から、ポツポツと雨が降り始めていた。
折りたたみ傘は持ってきていなかった。
仏国寺へ到着後、
雷を伴った、スコールのような激しい雨が降り出した。
しばらく軒先で雨宿りしていたが、どうにもやまない。
やむをえず、土産屋で、ドデカい木製の重い傘を購入した。
貧乏旅行者としては、1本700円と安くはなかった。
しかも、傘を購入後、10分後、雨はパッタリやんでしまった(笑)。
この後、このドデカい木製の重い傘が、旅の荷物となり、
とてもジャマだった(笑)仏国寺 寺院・教会
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ) 入場券(裏面)」
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ) 紫霞門」
写真は、「紫霞門」。
左手に「安養門」。
この上に「大雄殿」があり、
回廊上からは自由に周囲を眺めることができる。仏国寺 寺院・教会
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
大雄殿前に並ぶ国宝の
「多宝塔(写真奥)」と、
「釈迦塔(写真手前)」。 -
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
大雄殿の周囲は、回廊となっている。
色鮮やかな装飾が施されている。仏国寺 寺院・教会
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
このあたりで、雷が鳴り響き、スコールのような激しい雨となった。
傘を持っていない私は、
雨やどりをかね、しばらく、この回廊から出られなくなった。
(この後、木製の重い傘を買うこととなった。) -
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
仏国寺 寺院・教会
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)」
-
「慶州 仏国寺(プルグッサ)正面入口」
右側にチケット売り場あり。
入場料3,000ウォン(2003年当時)。
写真上に見切れているのは、購入した木製の重い傘。仏国寺 寺院・教会
-
「石窟庵(ソックラム) 入場券(表面)」
仏国寺の近くにある石窟庵へ行ってみることにした。
仏国寺前の往復シャトルバスで約15分。
毎時40分・毎時00発があった(石窟庵出発は毎時00分)。
往復のバス代2,300ウォン(2003年当時)。石窟庵 寺院・教会
-
「石窟庵(ソックラム) 入場券(裏面)」
-
「石窟庵(ソックラム)」
この頃には、パッタリと雨がやみ、快晴となった。
傘を購入して10分でやんでしまった雨。
木製のドデカくて重い傘が、早速ジャマとなってしまった(笑)。
雨で空気が冷え、冷風が吹き、寒くなった。石窟庵 寺院・教会
-
「石窟庵(ソックラム)」
左側の建物内に世界遺産の「釈迦如来像」がある。 -
「石窟庵(ソックラム)近くの建物」
-
「石窟庵(ソックラム)近くの建物」
-
「四面石仏(サミョンソクブル)行きバスのメモ」
仏国寺から、慶州駅前バス停へ戻ってきた。
駅前から慶州バスターミナルまで歩き、
今度は「四面石仏」へ行こうと思った。
慶州バスターミナルへ行き、行き方を尋ねると
この紙へバス番号を書いてくれた。
慶州バスターミナルから、70番バスに乗り、
約20~30分、「市庁舎前」で下車。
片道800ウォン(2003年時点)。
この市庁舎前バス停で下車した後、四面石仏の入口がよく分からなかった。
バス停の近くにあるビルから出てきたスーツ姿の男性2人に道を尋ねた。
バス停から徒歩2~3分ほどのところにあったが、
木々に覆われた、ちょっとした丘のうえにあり、入口がわかりづらい場所だった。 -
「四面石仏(サミョンソクブル)」
四面に石仏が彫られ、神秘的。
この上に、「柏票寺(ベクユルサ)」がある。
ともに無料。
人もいないし、静かでよかった。 -
「四面石仏(サミョンソクブル)」
静かだし、神秘的なところだった。 -
「四面石仏」を見た後、
丘の下にあるバス停へ行くため、坂道をくだっていると、
坂道の下に、さっき道を尋ねたスーツ姿の男性2人のうち、
男性1人が立っていた。
あきらかに私を見ている。
目があうと、男性はにっこり笑い、
英語で「困ってませんか?ガイドしますよ」と言う。
道を尋ねる時もスーツ姿でちゃんとした人のようだったから声をかけたのに、
怪しい人につかまってしまったのか...と、警戒した。
男性は、私が警戒している様子を見て、名刺を差し出した。
英語で「ソウルから出張で慶州に来ている。
仕事はさっきのビルで終えた。
19時過ぎの飛行機でソウルへ戻る。
飛行機の出発まで時間がある。
それまであなたと一緒に旅をしてもよいか?」との事だった。
私が「これから、「芬皇寺(プンファンサ)」
「瞻星台(チョムソンデ)」などいくつか回るがそれでもよいのか?」
と尋ねると、近場ならば一緒に行くとのことであった。
悪い人ではなさそうだった。
短い時間を、知らないソウル在住のビジネスマンと観光することとなった。
彼は、M氏という方だった。
ある業界にいて、ときどき、
横浜や鈴鹿など、日本にも出張するとのことであった。
※この時は気がつかなかったが、
旅行記作成時点で、M氏の名刺を改めてよくみると、
すごい役職の方だった。 -
「慶州 芬皇寺(プンファンサ) 入場券(表面)」
634年に創設された寺。
中心部の「鶏林」などからは少し離れている。
入場料1,000ウォン(2003年時点)。芬皇寺 寺院・教会
-
「慶州 芬皇寺(プンファンサ) 入場券(裏面)」
-
「慶州 芬皇寺(プンファンサ)」
-
「慶州 芬皇寺(プンファンサ)」
ここで、誤ってアナログカメラのフイルムの蓋部分をパカッと開けてしまった。
陽ざしが入ってしまい、このような光線が入ってしまった。
その他の写真も台無しになったのでは?と心配になったが、
この1枚だけの犠牲でおさまってよかった。 -
「雁鴨池(アナプチ) 入場券(表面)」
新羅王朝の離宮の人口池。
小学生が多かった。
ちなみに、アナプチ→鶏林→古墳公園方面へは、何とか歩いて行ける。
さらに、アナプチから慶州高速バスターミナルまで歩こうとすると、
おそらく1時間はかかる。雁鴨池 広場・公園
-
「雁鴨池(アナプチ) 入場券(裏面)」
-
「雁鴨池(アナプチ)」
M氏は「旅の思い出をつくらなきゃ!」と、
私を撮ってくれた。
最初はかなり警戒していたが、
互いのことをいろいろ話していると、
やはり悪い人ではないことがわかった。
単純に、日本からきた貧乏旅行をしている私に興味をもち、
出張の時間潰しを兼ね、一緒に過ごしてくれているだけのようだった。
私が社会人をしながら某大学で勉強している事を伝えると
その事にも興味を持ってくれ、熱心に話を聞いてくれた。雁鴨池 広場・公園
-
「雁鴨池(アナプチ)」
-
「鶏林(ケリム) 入場券(表面)」
-
「鶏林(ケリム) 入場券(裏面)」
-
「鶏林(ケリム)」
写真では分かりづらいけど、
スーツ姿のM氏が書類(茶封筒)を持って立っている。鶏林 史跡・遺跡
-
「鶏林(ケリム)」
M氏に撮ってもらった自分 -
「鶏林(ケリム)」
紅葉が美しく、静かなところだった。 -
鶏林(ケリム)の敷地内から、
遠くに見える瞻星台(チョムソンデ)と共に記念撮影。
さらに奥へ行くと、古墳公園がある。
M氏は、「旅の思い出!」と言って、
積極的にカメラマンとなってくれた(笑)。 -
「鶏林(ケリム)」
-
「瞻星台(チョムソンデ) 入場券(表面)」
-
「瞻星台(チョムソンデ) 入場券(裏面)」
-
「瞻星台(チョムソンデ)」
ここで、M氏は、また「旅の思い出!」と言って、
近くの露店で瞻星台キーホルダーを買ってくれた。
私がお金を払おうとすると「プレゼント」と言って、
代金を受け取ってくれなかった。瞻星台 モニュメント・記念碑
-
「M氏と行った焼き肉屋」
チョムソンデ観光後、M氏から、
「実は昼ゴハン食べていない。早めの夕食を兼ねて食事しない?」
と食事のお誘いを受けた。
昼ゴハンを食べていないのは、私も同じだった。
お腹が空いているのに、互いに遠慮して、
お茶か食事でもしないか?と言い出せずにいたことがおかしく、
互いに笑ってしまった。
貧乏旅行だったので、
あまり高い店に連れて行かれても...と心配になったが、
おまかせすることにした。
お店は、慶州駅のわりと近くにあったと記憶している。 -
「M氏と行った焼き肉屋」
M氏は、モリモリと注文し、食べ、
生ニンニクを躊躇なくポリポリとほおばっていた(笑)。
食事中、M氏の奥様とお子さんの写真を見せてもらった。
いつも持ち歩いているという事で、微笑ましい写真だった。
1時間ほど店にいた後、会計はM氏が全て払ってくれた。
「心配しないで」と代金は受け取ってくれなかった。
この後、「そろそろ空港へ行かないといけない。
急がないといけないからタクシーを使う。宿まで送るよ。」といい、
店の近くでタクシーをひろい、私も乗せて宿の近くまで送ってくれた。
薄暗くなってきていたのをM氏は心配し、
「宿の前まで送っていくよ」と気遣ってくれたが、
慶州バスターミナル近くの大通り沿いで降ろしてもらった。
タクシーの車中で、短い間だったが、親切にしてくれたことのお礼を伝えた。
食事もおごってもらったにも関わらず、何もお返しするものがなかった。
ポケットを探ると、日本で買ったアメがでてきた。
申し訳ないと思いつつ、
「これしか持っていない。プレゼント」といってM氏へアメを渡した。
M氏は大爆笑し、「キャンディ大好きだよ」と優しく受け取ってくれた。
私が道を尋ねた事をきっかけに、
数時間の旅の同行者となったが、とってもいい人だった。
こうして、3日目は過ぎていった。
~3日目終了~ -
●4日目・2003年10月29日(水)●
今日は釜山へ戻る日。
宿のチェックアウト前、早朝散策へでかけた。
写真は「鳳凰公園」。
ホテルから徒歩10分。 -
「大陵苑」
上記写真近くに位置。
有料。
さらに先へ行くと、「古墳公園」「皇南パン」がある。 -
「大陵苑」
大陵苑 (天馬塚) 広場・公園
-
「法蔵寺」
上記写真の「大陵苑」前に位置。
無料。
宿から徒歩15分。
その他、朝食がわりに、皇南パンを買って
ほおばりながら宿へ帰った。 -
「釜山 ポモサ入場券(表面)」
朝8時台、慶州バスターミナルを出発し、
釜山へ戻った(9:30頃到着)。
釜山では宿を決めていなかったが、
チェックインには早い時間帯でもあるため、
そのまま釜山観光へ繰り出すことにした。
釜山総合バスターミナル到着後、
地下鉄「老圃洞駅」から1駅のポモサ駅へ移動した。
山へ向かって200メートルほど歩いたところにあるバス停へ。
バス90番で山頂方面へ10分移動。
バス停で下車後、さらに20分ほど歩いて、ポモサへ到着。
人が多いので、開園と同時に行った方がよさそうだった。
バスは混んでいた。梵魚寺 寺院・教会
-
「釜山 ポモサ入場券(裏面)」
-
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ポモサ」
この日、小学生の社会科見学なのか、子どもが多かった。
この写真を撮っていたら、
ある男の子が「イルボン!(日本人)」と言って、
私の足に向かって、石を投げつけてきた。
ポモサの由来より、仕方の無い事かもしれないが、
ショックで悲しい気持ちになってしまった。 -
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ポモサ」
-
「釜山 ソウル荘旅館」
ポモサ観光後、地下鉄「中央洞」へ移動。
港近くで安宿を3軒まわった。
宿によっては、部屋まで見せてもらったところもあったが、
安くても改装工事中でシンナーくさかったりして、断った。
当時の「歩き方」に掲載のあった「ソウル荘旅館」へ。
オンドル部屋と、ベッド部屋、2種類あったが、オンドルは満室とのことだった。
フロントは日本語を話すことができる高齢男性がいた。
高速船乗り場に近く、利便性はよい。
この宿、部屋の天井に近い壁の部分が30センチほどあいていた。
(シャワールームも!)
当然、廊下で話す人の声は丸聞こえだった。
天井が低いこともあってか、廊下からよじ登られれば、
誰か入ってくるのではないか?とちょっと心配になった。
隣室には、ロシア人男性2名が泊まっていた。
筋肉隆々、スポーツ刈りで、寒いのにタンクトップを着て、
軍人っぽい感じだった。
シャワーを浴びていると、30センチあいている壁の上部から、
そのロシア人男性の声が聞こえてきた時には、
部屋に入ってきたのかと思い、かなりびっくりしてしまった(笑)。
そんな事はあったが、寝るだけなら安いし、快適な宿だった。 -
「釜山 コムタン店 名刺(表面)」
釜山滞在時、夕食と、翌朝の朝食に、
コムタン等を取り扱っているレストランへ二店行った。 -
「釜山 コムタン店 名刺(裏面)」
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「釜山 コムタン店 名刺(表面)」
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「釜山 コムタン店 名刺(裏面)」
日本語メニューもあった -
●5日目・2003年10月30日(木)●
今日は日本へ帰る日。
宿をチェックアウトし、釜山の町へ早朝散歩へでかけた。
漁港市場へ行ったが、臭くて、早々に退散してしまった。
街中の店は早朝で閉まっているところが多かった。
写真は「龍頭山公園」。
船の出発時間まで時間があるのと、朝で近場の店はのきなみ閉まっている。
どこか見るスポットはないかな?と、
龍頭山公園のベンチに座り「歩き方」を読み返すことにした。
目の前を私を見ながらウロウロしている高齢男性がいた。
目が合うと、にっこり笑って「日本人ですか?」と話しかけてきた。
そうだと答えると、日本語でいろいろ話しかけてきた。
おじいさんは、15歳まで広島県に住んでいたため
日本語が堪能だということだった。
現在は、戦中、広島で被爆してしまった韓国人の方を
慰霊の日に日本へ連れて行ったりしているらしい。
おじいさんから、昼食はどうするのか?と聞かれ、
市場の社員食堂が安くて美味しいと強く勧められたが、
市場はさっき行ってしまったし、船の時間まで限られているため、遠慮した。
最後に、記念に写真を撮り、おじいさんとお別れした。龍頭山公園 広場・公園
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「再両替レシート」
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「帰り船チケット」
2003年10月30日
14:15、釜山発、日本へ。
3回目の海外は、初めての海外一人旅だった。
一人旅は孤独かなと思っていたが、優しい韓国の方々に助けられ、
思い出深い旅となった。
~おしまい~
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