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「久しぶりにケベックに行こうか~」と、ケベックのフェスティバル(8/1~8/5)の日に合わせて計画を立て始めたのですが、「折角、ケベックまで行くんだから、ガスペ半島も行きたい」と私が言えば、地図を見ながら「ニューファウンドランドも行こうよ」と簡単に旦那が言い、「ナイアガラの滝を観たい」と娘。<br />「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよ。それは、絶対にムリ!!ナイアガラの滝かからニューファウンドランドまで、どれだけ距離があると思ってるの。」<br />旦那「じゃぁ、ノバ・スコシアまで。」<br />私「ノバ・スコシアまで行くなら、プリンスエドワード島も行きたいな~。でも、そうしたら、ナイアガラの滝は厳しくなるなぁ…」<br />旦那「まだ若いんだし、トロント周辺なら、これから、いくらでも行く機会が出てくるよ。」<br />私「ま、それもそうだね。」<br />娘「OK~」<br />実は、昔、旦那と私はケベックに住んでいて、その頃に何度かナイアガラの滝には行っているので、今回は娘に諦めてもらいました。<br /><br />おおまかな全旅程は、ケベック州のシャルルヴォワ地方、ガスペ半島、ニューブロンズウィック州、プリンスエドワード島、ノバスコシア州、ローレンシャン高原、オタワ、キングストンと周って、最後にケベックで4泊して飛行機でバンクーバーまで戻ります。<br /><br />Day14-4(Fortin du Petit-Sault)<br /><br />ニューブロンズ・ウィック州、最後に、EdmundstonにあるFortin du Petit-Saultに行きました。<br />ここは、小さいながらに、沢山の歴史を知ることになった場所でした。<br /><br />今日のEdmundstonは、この周辺のビジネスやサービスの主要拠点として、この地域で最も人口の多い都市となっていますが、アメリカとカナダの国境線がすぐ近くにあり、昔は、ずっと領土争いの絶えなかった町でした。<br />この地域はアルーストック戦争の中心地となり、イギリスから独立したアメリカと、イギリス領北アメリカの間の境界線上の小競り合いが続いていました。<br />最終的にはイギリス領土だという結果になったものの、アメリカからの攻撃を危惧して、1841年に、このFortin du Petit-Saultが建てられました。<br /><br />でも、一連の事の発端となったベーカーは、アメリカ側へ移動するのも嫌だったし、かと言ってイギリス領土でイギリスの主権に従うのも嫌だったので、この地域に住むフラン語を話す人達の指示を得て、この地域を「マダワスカ共和国」と呼び、自分自身を国家元首とした独立国家だと宣言しました。<br /><br /> 「共和国」は認識されず、合法的に存在することもありませんでしたが、それでもなお、この概念は、カナダとアメリカの実際の国境の概念を越えて、今日までマダワスカ共和国として、この地域の歴史を語る上で出てきます。<br />そして、Edmundstonの各市長は、未だに「マダワスカ共和国大統領」の称号を受けているのだとか。

カナダ東部5州、ドライブ旅行2018 Day14-4(Fortin du Petit-Sault)

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2018/07/14 - 2018/08/06

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森の番人

森の番人さん

「久しぶりにケベックに行こうか~」と、ケベックのフェスティバル(8/1~8/5)の日に合わせて計画を立て始めたのですが、「折角、ケベックまで行くんだから、ガスペ半島も行きたい」と私が言えば、地図を見ながら「ニューファウンドランドも行こうよ」と簡単に旦那が言い、「ナイアガラの滝を観たい」と娘。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよ。それは、絶対にムリ!!ナイアガラの滝かからニューファウンドランドまで、どれだけ距離があると思ってるの。」
旦那「じゃぁ、ノバ・スコシアまで。」
私「ノバ・スコシアまで行くなら、プリンスエドワード島も行きたいな~。でも、そうしたら、ナイアガラの滝は厳しくなるなぁ…」
旦那「まだ若いんだし、トロント周辺なら、これから、いくらでも行く機会が出てくるよ。」
私「ま、それもそうだね。」
娘「OK~」
実は、昔、旦那と私はケベックに住んでいて、その頃に何度かナイアガラの滝には行っているので、今回は娘に諦めてもらいました。

おおまかな全旅程は、ケベック州のシャルルヴォワ地方、ガスペ半島、ニューブロンズウィック州、プリンスエドワード島、ノバスコシア州、ローレンシャン高原、オタワ、キングストンと周って、最後にケベックで4泊して飛行機でバンクーバーまで戻ります。

Day14-4(Fortin du Petit-Sault)

ニューブロンズ・ウィック州、最後に、EdmundstonにあるFortin du Petit-Saultに行きました。
ここは、小さいながらに、沢山の歴史を知ることになった場所でした。

今日のEdmundstonは、この周辺のビジネスやサービスの主要拠点として、この地域で最も人口の多い都市となっていますが、アメリカとカナダの国境線がすぐ近くにあり、昔は、ずっと領土争いの絶えなかった町でした。
この地域はアルーストック戦争の中心地となり、イギリスから独立したアメリカと、イギリス領北アメリカの間の境界線上の小競り合いが続いていました。
最終的にはイギリス領土だという結果になったものの、アメリカからの攻撃を危惧して、1841年に、このFortin du Petit-Saultが建てられました。

でも、一連の事の発端となったベーカーは、アメリカ側へ移動するのも嫌だったし、かと言ってイギリス領土でイギリスの主権に従うのも嫌だったので、この地域に住むフラン語を話す人達の指示を得て、この地域を「マダワスカ共和国」と呼び、自分自身を国家元首とした独立国家だと宣言しました。

「共和国」は認識されず、合法的に存在することもありませんでしたが、それでもなお、この概念は、カナダとアメリカの実際の国境の概念を越えて、今日までマダワスカ共和国として、この地域の歴史を語る上で出てきます。
そして、Edmundstonの各市長は、未だに「マダワスカ共和国大統領」の称号を受けているのだとか。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 1時10分、Grand Fallsを出て、三度、北上<br />2時半頃、ニィーブランズウィック州の最後の目的地に到着

    1時10分、Grand Fallsを出て、三度、北上
    2時半頃、ニィーブランズウィック州の最後の目的地に到着

  • Edmundstonの町中に入ってきました。

    Edmundstonの町中に入ってきました。

  • 教会か大聖堂の高い塔が2つ見えるので、恐らく、あっちの方が町の中心でしょう。

    教会か大聖堂の高い塔が2つ見えるので、恐らく、あっちの方が町の中心でしょう。

  • 今日のEdmundstonは、この周辺のビジネスおよびサービスの主要拠点となり、この地域で最も人口の多い都市です。

    今日のEdmundstonは、この周辺のビジネスおよびサービスの主要拠点となり、この地域で最も人口の多い都市です。

  • 目指している場所を全く調べていなかったので、町の入り口にあるツーリスト・インフォへ

    目指している場所を全く調べていなかったので、町の入り口にあるツーリスト・インフォへ

  • ここは、昔、駅だった場所なのかも?

    ここは、昔、駅だった場所なのかも?

  • と思わせるような、Edmundstonのインフォメーションセンターに入って行きます。

    と思わせるような、Edmundstonのインフォメーションセンターに入って行きます。

  • 青+☆、白、赤のチェアーで、アカディアの町だと主張しています。

    青+☆、白、赤のチェアーで、アカディアの町だと主張しています。

  • 目的地の場所を聞いて、地図をもらって、出てきます。

    目的地の場所を聞いて、地図をもらって、出てきます。

  • 木彫りの像

    木彫りの像

  • ぐるりと民家の中の坂を登ったようなところに、目指していた、Fortin du Petit-Sault (Petit-Sault Blockhouse)を見付けました。

    ぐるりと民家の中の坂を登ったようなところに、目指していた、Fortin du Petit-Sault (Petit-Sault Blockhouse)を見付けました。

  • かつて、セントジョン川とマダワスカ川の合流点に位置するPetit-Sault”の邸宅が、この辺りの領土を敵から守っていた為、この土地に最初の頃に定住した人々は、Edmundstonを”Petit-Sault”と呼んでいました。 <br /><br />

    イチオシ

    地図を見る

    かつて、セントジョン川とマダワスカ川の合流点に位置するPetit-Sault”の邸宅が、この辺りの領土を敵から守っていた為、この土地に最初の頃に定住した人々は、Edmundstonを”Petit-Sault”と呼んでいました。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • この地域はアルーストック戦争の中心地となり、イギリスから独立したアメリカと、イギリス領北アメリカの間の境界線上の小競り合いが続いていました。<br /><br />もともとはメイン州とニューブランズウィック州の植民地の間の意見の相違だったのが、論争は結局ワシントンDCのアメリカ合衆国政府と、ニューブランズウィック州を含むイギリス領北アメリカ全土をめぐって最高の権威を持っていた、ケベックシティのイギリス植民地政権を巻き込むようにして拡大していきました。<br />

    この地域はアルーストック戦争の中心地となり、イギリスから独立したアメリカと、イギリス領北アメリカの間の境界線上の小競り合いが続いていました。

    もともとはメイン州とニューブランズウィック州の植民地の間の意見の相違だったのが、論争は結局ワシントンDCのアメリカ合衆国政府と、ニューブランズウィック州を含むイギリス領北アメリカ全土をめぐって最高の権威を持っていた、ケベックシティのイギリス植民地政権を巻き込むようにして拡大していきました。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • この国際的な対立をきっかけに、アメリカ人による攻撃の可能性を見越して、小さな要塞(Fortin du Petit-Sault)が建てられ、近くのカナダ(現在のケベック)のFort Ingall(現在のCabano)にある、より大きな要塞を補足して建てました。

    この国際的な対立をきっかけに、アメリカ人による攻撃の可能性を見越して、小さな要塞(Fortin du Petit-Sault)が建てられ、近くのカナダ(現在のケベック)のFort Ingall(現在のCabano)にある、より大きな要塞を補足して建てました。

  • 1785年、マダワスカ地方に、最初に、ヨーロッパ人が入植してきた時には、1873年のパリ条約に寄って、すでにテリトリーが決められていました。<br />しかし、森林の所有権を巡り、再三に渡って、アメリカとイギリスの間で、テリトリー争いが続いていたようです。

    1785年、マダワスカ地方に、最初に、ヨーロッパ人が入植してきた時には、1873年のパリ条約に寄って、すでにテリトリーが決められていました。
    しかし、森林の所有権を巡り、再三に渡って、アメリカとイギリスの間で、テリトリー争いが続いていたようです。

  • 紛争が最初に始まるきっかけとなった中心的人物の一人は、イギリス領土と主張された地域であるセントジョン川の東岸に、製材所や他の木材関連産業を設立したアメリカ生まれの産業主義者「大佐」ジョンベイカーでした。<br /><br />彼は猛烈に国家主義的なアメリカ人だったのでメイン州の一員として宣言されたがっていました。

    紛争が最初に始まるきっかけとなった中心的人物の一人は、イギリス領土と主張された地域であるセントジョン川の東岸に、製材所や他の木材関連産業を設立したアメリカ生まれの産業主義者「大佐」ジョンベイカーでした。

    彼は猛烈に国家主義的なアメリカ人だったのでメイン州の一員として宣言されたがっていました。

  • しかし紛争後の条約で、ベーカーの土地がイギリス領土であるとされ、その決定に反対するためのアメリカ政府の支援がなかった彼は、自分の施設を川の反対のアメリカ側に動かすか、イギリス主権に従うかのジレンマに直面しました。<br /><br />そして、どちらもしたくない彼は、この地域を「マダワスカ共和国」と呼ばれる独立国家と宣言しました。<br />そして、地元の、主にフランス語を話す独立志向の人々の圧倒的な支持を得て、自分自身を国家元首と宣言しました。<br /><br /> 「共和国」は認識されず、合法的に存在することもありませんでしたが、それでもなお、この概念は、カナダとアメリカの実際の国境の概念を越えて、今日までマダワスカ共和国として、この地域の歴史を語る上で出てきます。<br />そして、Edmundstonの各市長は、まだ「マダワスカ共和国大統領」の称号を受けています。

    しかし紛争後の条約で、ベーカーの土地がイギリス領土であるとされ、その決定に反対するためのアメリカ政府の支援がなかった彼は、自分の施設を川の反対のアメリカ側に動かすか、イギリス主権に従うかのジレンマに直面しました。

    そして、どちらもしたくない彼は、この地域を「マダワスカ共和国」と呼ばれる独立国家と宣言しました。
    そして、地元の、主にフランス語を話す独立志向の人々の圧倒的な支持を得て、自分自身を国家元首と宣言しました。

    「共和国」は認識されず、合法的に存在することもありませんでしたが、それでもなお、この概念は、カナダとアメリカの実際の国境の概念を越えて、今日までマダワスカ共和国として、この地域の歴史を語る上で出てきます。
    そして、Edmundstonの各市長は、まだ「マダワスカ共和国大統領」の称号を受けています。

  • 向こうに見える2つのの塔は、Cathedral of the Immaculate Conception(カナダ側)

    イチオシ

    向こうに見える2つのの塔は、Cathedral of the Immaculate Conception(カナダ側)

  • そこから、ほんの少しだけ目線を左に移動すると、橋が架かっていて、そこを渡ると、アメリカ側になりますが、その下を流れるセント・ジョン川が、国境線です。

    そこから、ほんの少しだけ目線を左に移動すると、橋が架かっていて、そこを渡ると、アメリカ側になりますが、その下を流れるセント・ジョン川が、国境線です。

  • 中に入ってみましょう。

    中に入ってみましょう。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • 低い天井で、上に行く階段と

    低い天井で、上に行く階段と

  • 下に行く梯子があります。

    下に行く梯子があります。

  • これは、Fort Ingall(現在のCabano)の模型のようです。

    これは、Fort Ingall(現在のCabano)の模型のようです。

  • Fort Ingall(現在のCabano)の方が、ここよりも規模が大きいですが、アメリカから領土を守る為に、ここと同じ時期に建設されています。

    Fort Ingall(現在のCabano)の方が、ここよりも規模が大きいですが、アメリカから領土を守る為に、ここと同じ時期に建設されています。

  • 上の階に上がってきました。

    上の階に上がってきました。

  • ストーブの奥に2段ベッドがあります。

    ストーブの奥に2段ベッドがあります。

  • こういう昔の黒い鉄のもの、好きだなぁ!

    こういう昔の黒い鉄のもの、好きだなぁ!

  • 立派な、ここの模型が置いてありました。<br />造りは、とてもシンプルです。<br />外からの階段で中央部分の玄関から中に入り、下の石積みの部分へは、床に開いた穴の下にある梯子で下りていき、上へは階段が付いています。<br />窓は細長く、360度、見渡せます。

    イチオシ

    地図を見る

    立派な、ここの模型が置いてありました。
    造りは、とてもシンプルです。
    外からの階段で中央部分の玄関から中に入り、下の石積みの部分へは、床に開いた穴の下にある梯子で下りていき、上へは階段が付いています。
    窓は細長く、360度、見渡せます。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • 横に細長い窓から、外がパノラマ状態でぐるりと見えます。

    横に細長い窓から、外がパノラマ状態でぐるりと見えます。

  • あの橋の向こう側はアメリカです。<br />本当に目と鼻の先の距離!

    あの橋の向こう側はアメリカです。
    本当に目と鼻の先の距離!

  • あの煙突は製紙工場のようです。(カナダ側)

    あの煙突は製紙工場のようです。(カナダ側)

  • もう少し右へ行くと、立派な大聖堂の塔がふたつ(カナダ側)

    イチオシ

    もう少し右へ行くと、立派な大聖堂の塔がふたつ(カナダ側)

  • そこから、もう少し右へ行くと…<br />高台に見える大きな建物は、モンクトン大学(カナダ側)

    そこから、もう少し右へ行くと…
    高台に見える大きな建物は、モンクトン大学(カナダ側)

  • 細長い窓と窓の間の四角い窓に、大砲台が設置<br />あの紐を引っ張って角度を変えるみたいかな。

    細長い窓と窓の間の四角い窓に、大砲台が設置
    あの紐を引っ張って角度を変えるみたいかな。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • 大砲台の両脇にイギリス兵

    大砲台の両脇にイギリス兵

  • これは、なんのコレクションかな?

    これは、なんのコレクションかな?

  • 今は、こんなにも平和な様子で

    今は、こんなにも平和な様子で

  • ここで戦争が続いていたなんて、想像しにくいです。

    ここで戦争が続いていたなんて、想像しにくいです。

  • 2階の床から、下に階段が見えます。

    2階の床から、下に階段が見えます。

  • あの床から見えていたのは、この階段だったんだね。<br />ここに入り口はないので、非常用の階段なのでしょう。

    あの床から見えていたのは、この階段だったんだね。
    ここに入り口はないので、非常用の階段なのでしょう。

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • 入り口は、こちら側

    イチオシ

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    入り口は、こちら側

    Fortin du Petit-Sault (PETIT-SAULT BLOCKHOUSE) 建造物

  • 小さいながらに、沢山の歴史を知ることになった場所でした。

    小さいながらに、沢山の歴史を知ることになった場所でした。

  • もう少し、Edmundstonの町を散策したい気分もあったのですが、今夜の宿があるケベック州のSaint-Jean-Port-Joliまで、まだまだ離れているので、観光はこのくらいにして、町を離れることにしました。

    もう少し、Edmundstonの町を散策したい気分もあったのですが、今夜の宿があるケベック州のSaint-Jean-Port-Joliまで、まだまだ離れているので、観光はこのくらいにして、町を離れることにしました。

  • 車で北上し、これからケベック州に入ります。

    車で北上し、これからケベック州に入ります。

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