2019/03/26 - 2019/03/27
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いしいやすなりさん
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その①の冒頭で述べた通り、今回の旅の目的は、私が住んでいる家を1887年に建てたスコットランド移民のジョージ・マッキーのルーツを探し当てて、彼の霊を故郷に連れ帰ることでした。リスボンから鉄道で3日間かけてスコットランドに到達した後、目的のアバディーンまで、S字型に遠回りをして息を吞むほど美しいスコットランドの車窓を楽しんだ後、いよいよ目的地を目指します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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グラスゴーに着いた翌朝、クイーンストリート駅から、ウェストハイランド線に乗ってフォート・ウィリアムに向かいました。この路線は、スコットランドの主要幹線ではなく、ビジネスよりも、山の大自然を求めてハイキングやトレッキングに出かける人が多く利用する路線で、列車もファーストクラスなどのない古い車両がのんびりと走る路線です。
それだけに、車窓の眺めも大変に見ごたえのあるものです。
この列車の様子を動画にまとめてみましたので、是非そちらも見てみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=XIhXgTw0Qao&t=21s -
グラスゴーから約4時間弱で、フォート・ウィリアムに着きました。山とネス湖に挟まれた小さな街です。天気はどんよりしていて、かすかに霧雨も感じられるほどでしたが、とりあえず荷物は駅のコインロッカーに入れて外に出て、まずは腹ごしらえをすることにします。
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駅前のカフェに入りました。平日なので混んではいませんが、家族連れなどが結構います。
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サンドイッチとコーヒーの簡単なお昼に、もう一息と思ってポテトチップを加えてみたら、その袋に「MACKIE`S]と書いてあります。昨日の晩に、少し会話をした人の名前を聞いたら「ジョージ」だと言うし、今日は今日で、こんなところにマッキーの名前を目にするし…、ジョージ・マッキーのルーツを探し当てる自分の旅の目的を、誰かがしつこく思い出させているように感じます。
そういえば、昨日も、切符を落としたら、誰かが拾って追いかけてきてくれたし、やっぱりこの旅は天に見守られているのかなあ… -
外に出ると、まず公園のような広場があって、立派な教会の建物が目に入ります。これは、「Church of Scotland」、つまりスコットランド国教会で、スコットランド人の40%以上が、自分はこれに属すると答える程の主要な教会ですから、小さくても立派な教会がどこにでもあります。ですが、中を見たくても、鍵がかかっていました。
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そこと通り過ぎると、街のメインストリートがあり、こんな石畳の道になっています。両側には、店やレストランなどが並んでいます。
バスの時間まで2時間ほどあるので、ちょっと街を散策してみることにします。 -
少し行くと、左側にこんな建物がありました。これはスコットランドの歴史博物館で、入館無料と出ています。せっかくだら、入ってみることにしました。
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小さいながら、中には、スコットランドの古代の陸の形成に関する地質学的な説明から、中世の革命勢力ジャコバイトの歴史など、いろんな物が展示されていましたが、狭い廊下にこんなものが置いてあるのが目につきました。
スコットランド人のバート・ビッセル(1902-1998)という、登山家、平和主義活動家がいて、石を積み上げて作った平和記念碑を世界各地の山の頂上に進呈していました。広島に原爆が落とされた後、それを悲しんだ彼は、ここ、フォート・ウィリアムにも来て、スコットランドで一番高い山、Ben Navis山に登頂し、そこにもこの記念碑を進呈しました。
そうした献身が認められて、メソジスト平和賞が与えられ、日本政府からも原爆が落とされた広島に招かれました。その時に、広島の青少年たちが、やはり石で作ったこの記念碑を、1968年1月1日にフォート・ウィリアム市に進呈したのです。これは、その後フォート・ウィリアム市の平和記念碑に組み込まれて、毎年の平和パレードに使われていましたが、一部破損してしまい、修理を施されて、現在ではこの博物館の隅に展示されているのです。
これを受け取った後、平和への努力によって結ばれた日本との友情を記念して、1972年に、このフォート・ウィリアム市から広島に、石の平和記念碑が送られました。それは今でも広島の平和記念公園に置かれているとのことです。
フォート・ウィリアムからBen Navis山への平和登頂は毎年続けられ、ビッセル氏も必ず参加して、自身の登頂は100回を超えていたとのことです。彼は91歳までその登頂を続けました。
こんな地の果てのような小さな町が、日本とこんな関係があったなんて、ちょっと感激しました。 -
フォート・ウィリアムのメインストリートは、5分もあれば端から端まで歩けてしまいます。その一番端にこんな銅像が座っています。なんだかよくわかりませんが、観光客はみんなここで写真を撮っているようだったので、k自分も一枚・・・。
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裏通りに入って少し坂を上ってみると、こんな眺めが見えます。あそこはかの有名なネス湖です。
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さて、フォート・ウィリアムからインバーネスに向かいます。ここからインバーネスまでは鉄道はないので、バスになります。所要約2時間です。
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なかなか立派なバスです。
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バスの窓からも、絶えず素晴らしい景色が広がります。
このバス、フォート・ウィリアムを出てすぐ、学校に止まり、そこで子供達がガヤガヤと乗り込んできて、しばらくはスクールバスになっていました。アッチャー、うるさいのが乗ってきたなあ・・・と思いましたけど、アメリカ人ほど行儀が悪くはなく、すぐに静かになったので、ホッとしました。ほとんどの生徒達が下りてしまって、残り2~3人くらいになった頃、ふと横を見ると、男の子がぐっすりと寝込んでいます。バスから見える美しい景色も、この子達は毎日見慣れていて何とも思わないんでしょうね。 -
夕方、インバーネスに着きました。暗くなるまで、まだほんの少しの時間があったので、街の中をちょっと散策してみることにしました。
これは、ここのメインストリートです。 -
少し歩いていくと、川(湖)に面した小高い丘の上にこんな建物が立っているのが見えます。
これは、インバーネス城です。中央の円錐型の部分が、どこかで見覚えのある形です。 -
そうです。ジョージ・マッキーが建てた家の中央の部分と同じ形なんです。つまり、彼は自分の家を、スコットランドのお城の形に作ったのです。アメリカにはもちろんこんなお城をありませんから、彼は自分の記憶に頼って、設計を考えて作ったのですね。でも、見比べると、よくできています。
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お城を正面から見たところです。
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この丘の上からは、真下にネス湖につながる川、それと向こう側の景色が見えます。
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どんどんと暗くなります。夕暮れ時の眺めがきれいです。
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ここにも、スコットランド国教会があります。ここも鍵がかかって、中を見ることはできませんでした。
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歩いているうちにすっかり暗くなってしまったので、夕食にすることにしました。この店、週末になるとスコットランド音楽のライブをやっている、地元では有名な店のようです。古い歴史がありそうですね。
しかし、この日は平日だったし、観光客の多い季節でもないので、中はすいていました。 -
ビールで煮たビーフシチューとサラダ。
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夕食の後、ホテルに戻りましたが、まだ時間も早いし・・・ホテルのラウンジに行って、スコッチウィスキーでも試してみることにしました。
と言っても、ウィスキーなんて普段全然飲まないし、よくわからないのですが、あまたのように種類がある中から、とりあえず今回の旅にちなんで、アバディーンにある古い蒸留所(1791年創業)の、Glen Garioch(グレンギリー)12年というのをいただいてみました。うーん、ウィスキーも悪くないですね・・・。 -
翌日、いよいよ今日は目的地のアバディーンを訪れる日です。朝6時に駅に着きます。
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駅はまだ暗く、閑散としています。
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ホテルの朝食には時間が早すぎてありつけませんでしたが、駅ナカのカフェは6時開店だったので、そこでとりあえずコーヒーとスコーンをいただきました。
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これから乗る列車が入線していたので、さっそく乗り込みます。
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ここはファーストクラスで、ほんの数席しかありませんが、それだけにすいていて、静かです。
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夜明けの車窓。
この路線は、インバーネスとグラスゴーやエジンバラを結ぶ、主要な路線ですが、途中、山間部の美しい景色を眺めることができます。 -
車窓の様子を動画にまとめなかったのが、やや残念な気もします。
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ちょうど2時間でパース駅に到着しました。ここで乗り換えて、今度は東海岸沿いを北に上る、アバディーン行きの列車に乗ります。
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すっかり日も昇り、キラキラと光る海がきれいです。
アバディーンまで約1時間40分ほど、海の風景が続きます。 -
いよいよアバディーンに到着しました。
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駅を出たところ。目の前には、こんな風に御影石でできたグレーの建物がズラッと並んでいて、独特な雰囲気です。
ここからバスで、レンタカーの事務所のあるところまで行き、そこで車を借りて、約1時間ほど北へ行った、フレイジャーボロという港町まで行きます。 -
小さい車を借りました。アメリカで運転に慣れてしまった自分にとって、右ハンドル左側通行のイギリスで運転するのは、ちょっと緊張します。アメリカではほとんどオートマ、というかマニュアル車なんかレンタカーでは扱ってないと思うのですけど、イギリスではまだまだマニュアル車の方が主流なんですね。アメリカの車よりもずっと機能的に優れているのに、びっくりしました。
運転中に写真を撮れないのが残念なくらい、車からも右側には海、左側にはなだらかな丘が広がる美しい景色がいっぱい見られました。 -
ここは、フレイジャーボロという港町で、ジョージ・マッキーが生まれた場所です。
彼の父親については、名前がジョン・マッキーという以外、何の記録も見つかりませんでした。ジョージが生まれてすぐ死んでしまったのか、妻と子供を残してどこかへ移民してしまったのか、どんな事情があったのだろうかと思います。 -
ここは、この地域としては比較的大きな町のようですが、それでもすごく小さいですね。町の中心にタウンスクエアがあって、店舗、飲食店、そしてこんな風に教会があるくらいです。
ここから少し降りていくと、灯台があって、すぐ海のようです。 -
フレイジャーボロからさらに10分くらいのところにローズハーティという村があります。
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1851年のスコットランド国勢調査の記録によると、ジョージ・マッキーはその時1歳で、母方の祖父母と3人でこの村に住んでいました。母親はその時どこにいたかわかりませんが、ジョージには2歳下の父親の違う弟がいるので、きっと母親は、赤ん坊を自分の両親に預けて町に働きに出て、そこで別の男性と知り合って2人目の子供を産んだのかななどと想像します。
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10年後の1861年の国勢調査によると、そのとき11歳のジョージと、9歳の弟ジェームズと、母親のアンが3人で、この村に暮らしていたようです。
2人の男の子はここで学校に通っていました。 -
ローズハーティから車で15分くらい西に行ったところに、ニュー・ピッツライゴという、人口1,000人くらいの小さな村があり、その外れにこんな協会がひっそりと建っています。
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やはりスコットランド国教会で、New Pitsligo Parish Churchという教会です。
この教会の牧師さんに連絡を取り、自分が訪問する目的を説明して、是非中に入ってみたいとお願いしたら、自分は住んでるところが遠いけれど、地元に住む教会の書記に連絡しておくということで、話が通じ、前日にその書記の人に連絡したら、ドアを開けて待っていますとのことでした。
着いたら、その通りドアが開いていて、中から書記のプラットさんと、そのアシスタントの人が挨拶に出てきました。 -
中は質素な感じです。
この教会は1853年に建てられたとのこと。ジョージ・マッキーがここで結婚式を挙げたのが1869年のことですから、まだ建って間もない新しい教会で式を挙げたのでしょう。 -
教会の横は、こんな風に墓地になっています。
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教会のドアを開けて私を待っていてくれた2人。中を案内して見せてくれ、お茶まで入れてくれて、いろいろお話をしてくれました。
赤いシャツを着てる人が、教会書記のプラットさんです。 -
その①に写真を載せましたが、私の家のすぐ近くにあるジョージ・マッキーのお墓の横から、土を少しバカr容器に入れて持ってきました。この土を、ジョージ-・マッキーの霊と思うことにして、それをこの教会の裏にある木の根元にそっと置いていくことにしました。これで、ジョージを故郷に連れ帰ったということにすることにします。
そして、その代わりに、ここの土をこの容器に入れて持ち帰り、ジョージのお墓の横に置いてあげれば、ジョージは故郷の土と一緒に眠ることができるという計画です。 -
ここは、「52 High Street」の番地で、ジョージが結婚当時住んでいた家です。
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書記の人が、この住所に見覚えがあると思ったら、自分の妻が育った家だったと言っていました。偶然ですねえ・・・。
この家は、残念ながら今は誰も住んでいないようで、窓にも板が打ち付けてあって、裏に回ってみたら、かなり荒れ果てた状態でした。ちょっと悲しいです。でも、石でできたしっかりとした家なので、そのうちにまた誰かが買い取って内装を直して使ってくれたらいいと思います。 -
さて、これで今回の旅の目的は果たせたのだと思うと、ホッとしました。レンタカーを返却すると、行きはバスに乗った道を、今度は歩いて駅の方に戻ることにしました。こんな風に、グレーの御影石の建物がズラッと並ぶアバディーンの街の独特な様子を、いっぱい目に焼き付けておこうと思ったのです。
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ジョージ・マッキーは学校を終えて石切職人になりました。この辺は20世紀半ばまで石材産業が盛んで、アバディーンはスコットランドでは大きな都会ですが、建物のほとんどがこんな風にグレーの石でできたもので、市内に独特な雰囲気を出しています。
(写真内のバスが、行くときに乗ったバスです。) -
ジョージが家を建てて住み着いたバーモント州の町も、19世紀終わりごろから、御影石の産業が栄えた町です。アバディーンの石材産業は、今では残念ながらなくなってしまっていますが、バーモント州の石材産業は今も健在です。
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アバディーンのメインストリートであるユニオン・ストリートも、このようにグレーの建物ばかり。
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大通りの大きな建物だけでなく、このようにちょっと裏に入った道にあるアパートや店なども、ご覧の通りグレーの建物です。
奥の方に緑の傘が立っているのが見えると思いますが、レストランになっていて、ロンドンまでの夜行列車の時間までまだ間があったので、そこで少し休んでいくことにしました。 -
食事というよりは、ちょっと前菜程度の軽いものですけど、左は Cullen Skink という、スコットランドでもアバディーンから近い北東の海沿いが発祥のスープです。白身魚とジャガイモの、チャウダーのようなものでした。是非味見をしてみたいと思っていたので、こんなところで巡り合えたのがうれしかったです。優しい味のスープで、これをいただきながら、今日1日の出来事を振り返ってみました。
あとは、スモークサーモンとチーズのブルシェッタと、レタス。白ワインとともにいただきました。 -
店を出るころには、外はすっかり暗くなっていました。
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そして駅に戻ってきました。右側が駅舎、中央は駅につながるモールです。
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アバディーンに宿泊せずに、このまま夜行列車でロンドンに戻ります。その方がこの日の終わりにふさわしいように思えたんです。天に見守られた旅、今日はいい一日になりました。
旅の終わりについては、次のその④にまとめてみたいと思います。
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