直島・豊島・小豊島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
豊かな島と書いて豊島、この島を囲む瀬戸内の海は良き漁場であり、島の中央部にそびえる檀山の裾には清水が湧き、この水によって段々畑は実り、また壇山の裾では良質な石材が産出される。豊島は、古来から豊かな自然が満ちた島でした。<br />豊島、ここは小豆島土庄の西に小豊島を挟んで連なる島であり、香川県小豆郡土庄町に属します。島の周囲は14.4km、現在の人口は約800人、高齢化率は50%、ただ3組の移住者同士の結婚があり、このところ若い世帯が増えています。島は古くから家浦、硯、唐櫃浜、唐櫃岡、甲生の5つの地区からなっています。<br />島の人々は漁業に加え、壇山からの豊かなに水よる段々畑での稲作や畑作、更には酪農、そして採石業など、小さな島にも関わらず多様な産業で生計を立てることができました、これが豊かな島、豊島たる所以ではないでしょうか。<br />そんな豊島も、戦後の近代化の波の中、過疎化が進み、平成の頃には古来より伝承されてきた棚田も長らく放置された状態が続きました。また、1980年代には大規模な産業廃棄物不法投棄があり、これによって産廃の島、豊島に対する負のイメージが決定づけられることになってしまいました。<br />しかし、ある時に転機が訪れました。瀬戸内国際芸術祭の開催です。この芸術祭の開催によって、豊島に対する見方も大きく転換することとなりました。芸術祭の開催によってアートの島としての知名度も飛躍的に高まり、国内のみならず、世界中にその名が広まっていきました。これによって、島を訪れる人々が増え、島の人びとの意識もだんだんと変わっていきました。島に元気が取り戻されてきたのです。何よりも島の若い人たちの意識が大きく変わっていような気がします。今は棚田も見事に復活し、豊かな恵みが再び島の人々にもたらされています。<br />そんな美しく、豊かな島、豊島、島の爽やかな風を感じつつ、ゆっくりとアートを巡る島散歩を楽しんでみたいと思います。<br />

豊島 2019年瀬戸内芸術祭

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2019/04/18 - 2019/04/18

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Tam-K

Tam-Kさん

豊かな島と書いて豊島、この島を囲む瀬戸内の海は良き漁場であり、島の中央部にそびえる檀山の裾には清水が湧き、この水によって段々畑は実り、また壇山の裾では良質な石材が産出される。豊島は、古来から豊かな自然が満ちた島でした。
豊島、ここは小豆島土庄の西に小豊島を挟んで連なる島であり、香川県小豆郡土庄町に属します。島の周囲は14.4km、現在の人口は約800人、高齢化率は50%、ただ3組の移住者同士の結婚があり、このところ若い世帯が増えています。島は古くから家浦、硯、唐櫃浜、唐櫃岡、甲生の5つの地区からなっています。
島の人々は漁業に加え、壇山からの豊かなに水よる段々畑での稲作や畑作、更には酪農、そして採石業など、小さな島にも関わらず多様な産業で生計を立てることができました、これが豊かな島、豊島たる所以ではないでしょうか。
そんな豊島も、戦後の近代化の波の中、過疎化が進み、平成の頃には古来より伝承されてきた棚田も長らく放置された状態が続きました。また、1980年代には大規模な産業廃棄物不法投棄があり、これによって産廃の島、豊島に対する負のイメージが決定づけられることになってしまいました。
しかし、ある時に転機が訪れました。瀬戸内国際芸術祭の開催です。この芸術祭の開催によって、豊島に対する見方も大きく転換することとなりました。芸術祭の開催によってアートの島としての知名度も飛躍的に高まり、国内のみならず、世界中にその名が広まっていきました。これによって、島を訪れる人々が増え、島の人びとの意識もだんだんと変わっていきました。島に元気が取り戻されてきたのです。何よりも島の若い人たちの意識が大きく変わっていような気がします。今は棚田も見事に復活し、豊かな恵みが再び島の人々にもたらされています。
そんな美しく、豊かな島、豊島、島の爽やかな風を感じつつ、ゆっくりとアートを巡る島散歩を楽しんでみたいと思います。

旅行の満足度
4.0
交通手段
新幹線 JRローカル

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  • 大竹伸朗「針工場」<br />家浦地区から甲生方面へ向かう道筋、かつてここには、ノコギリ屋根のメリヤス針工場がありました。この工場は平成を迎える寸前に閉鎖され、長らくその役目を与えられることなく放置されていました。<br />この建物跡におかれた巨大な物体、これは大竹さんの工房がある宇和島の造船所で、30年以上もの間放置されていた鯛網漁船の船型です。<br />「旧針工場」と「船型」という異なる背景を持つ2つの存在、大竹さんの手により、ひとつの作品空間がここに形成されています。<br /><br />大竹さんの作品といえば、直島家浦港の「I・ラブ・湯」や家プロジェクトの「はいしゃ」があります。廃材を巧みに生かし、巨大な作品へと導く、自然との共生をも意識した作品が大竹さんの特徴のひとつではないでしょうか。<br /><br />「針工場」の中におかれた船型は、全長17m、幅3.7m、重さ5トンという巨大なものです。この船形が大竹さんの工房のある宇和島から台船に載せられ、愛媛県三崎港、今治港、そして香川の高松港に寄港しながら、4日間かけて豊島の家浦港にやってきました。家浦港では、クレーンでこの船形が吊り降ろされ、港から「針工場」までの800mの道を宮司を先頭にたくさんの島の人たちの手によって行進、白い布に覆われた船体、花嫁行列さながら、ゆっくりと導かれていきました。<br />この作品は、大竹さんの作でありながら、島の人たちのいろんな気持ちも一緒となった作品です。

    大竹伸朗「針工場」
    家浦地区から甲生方面へ向かう道筋、かつてここには、ノコギリ屋根のメリヤス針工場がありました。この工場は平成を迎える寸前に閉鎖され、長らくその役目を与えられることなく放置されていました。
    この建物跡におかれた巨大な物体、これは大竹さんの工房がある宇和島の造船所で、30年以上もの間放置されていた鯛網漁船の船型です。
    「旧針工場」と「船型」という異なる背景を持つ2つの存在、大竹さんの手により、ひとつの作品空間がここに形成されています。

    大竹さんの作品といえば、直島家浦港の「I・ラブ・湯」や家プロジェクトの「はいしゃ」があります。廃材を巧みに生かし、巨大な作品へと導く、自然との共生をも意識した作品が大竹さんの特徴のひとつではないでしょうか。

    「針工場」の中におかれた船型は、全長17m、幅3.7m、重さ5トンという巨大なものです。この船形が大竹さんの工房のある宇和島から台船に載せられ、愛媛県三崎港、今治港、そして香川の高松港に寄港しながら、4日間かけて豊島の家浦港にやってきました。家浦港では、クレーンでこの船形が吊り降ろされ、港から「針工場」までの800mの道を宮司を先頭にたくさんの島の人たちの手によって行進、白い布に覆われた船体、花嫁行列さながら、ゆっくりと導かれていきました。
    この作品は、大竹さんの作でありながら、島の人たちのいろんな気持ちも一緒となった作品です。

  • 塩田千春・田根剛 タイトル未定?<br />甲生地区の旧公会堂の建物を使用し、2010年に制作された塩田千春さん「遠い記憶」、ここは新たな作品として今回の芸術祭で公開されています。<br /><br />「この宇宙はいったいどいうものなのか、そもそもどうやって誕生したのか。そこに私たちの意識や感情がどうやあって生まれたかを問いかける入口にしたい。」<br /><br />これが作者からのメッセージです。<br /><br />塩田千春さん「遠い記憶」は、作品の制作にあたって、ごみを出したくないとの思いから、島を知り、島内のもの使っての制作が行われました。集会場を貫通するトンネル、一方は田、もう一方はこの地区で2010年に17年ぶりに子供が生まれたお家が見えます。このトンネルは様々な建材などによって作られています。変わらぬ姿の田を過去とし、子供が生まれた家を未来とすることで、このトンネルは過去と未来を繋ぐ、そんな存在としてここにあります。人それぞれにここを覗くことでそれぞれの記憶を反映する。<br />新たな作品として二人の記憶が徐々にここに展開されていきます。完成は2022年を予定、今回の芸術祭ではコンセプト模型が展示されます。

    塩田千春・田根剛 タイトル未定?
    甲生地区の旧公会堂の建物を使用し、2010年に制作された塩田千春さん「遠い記憶」、ここは新たな作品として今回の芸術祭で公開されています。

    「この宇宙はいったいどいうものなのか、そもそもどうやって誕生したのか。そこに私たちの意識や感情がどうやあって生まれたかを問いかける入口にしたい。」

    これが作者からのメッセージです。

    塩田千春さん「遠い記憶」は、作品の制作にあたって、ごみを出したくないとの思いから、島を知り、島内のもの使っての制作が行われました。集会場を貫通するトンネル、一方は田、もう一方はこの地区で2010年に17年ぶりに子供が生まれたお家が見えます。このトンネルは様々な建材などによって作られています。変わらぬ姿の田を過去とし、子供が生まれた家を未来とすることで、このトンネルは過去と未来を繋ぐ、そんな存在としてここにあります。人それぞれにここを覗くことでそれぞれの記憶を反映する。
    新たな作品として二人の記憶が徐々にここに展開されていきます。完成は2022年を予定、今回の芸術祭ではコンセプト模型が展示されます。

  • スプツニ子 豊島八百万ラボ<br />ここは、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教・スプツニ子さんによる先端技術とアートのコラボ作品です。<br />国立研究開発法人 農業生物資源研究所の協力を得て、人が恋に落ちるという成分オキヒトシンをテーマとした映像作品と共に、科学の研究室などがこの建物の中に展開されています。<br />「ガリレオの地動説やダーウィンの進化論、時に神話に疑問を投げかけてきた科学が、近い将来には神話を創造し具現化していくのかもしれません。」

    スプツニ子 豊島八百万ラボ
    ここは、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教・スプツニ子さんによる先端技術とアートのコラボ作品です。
    国立研究開発法人 農業生物資源研究所の協力を得て、人が恋に落ちるという成分オキヒトシンをテーマとした映像作品と共に、科学の研究室などがこの建物の中に展開されています。
    「ガリレオの地動説やダーウィンの進化論、時に神話に疑問を投げかけてきた科学が、近い将来には神話を創造し具現化していくのかもしれません。」

  • 青木野枝「空の粒子/唐櫃」<br />貯水タンクを囲むように立つ金属製の錆びたの彫刻、空中に粒子が舞うように、金属の輪が柱の上に配されています。ここから見える海や神社、棚田などを眺めつつ、ふと本来は目に見えない空中を舞う粒子の存在に思いを馳せてみてはどうでしょう。<br />全ては見る人それぞれの感性によって、いかようにもイマジネーションを拡げることができます。<br /><br /><br />作品の真下に仰向けに寝転がって空を眺めるのもお勧めの鑑賞法です。<br />周囲には、春は桜、秋はコスモスと、季節ごとの草花と共にこの作品を楽しむこともできます。

    青木野枝「空の粒子/唐櫃」
    貯水タンクを囲むように立つ金属製の錆びたの彫刻、空中に粒子が舞うように、金属の輪が柱の上に配されています。ここから見える海や神社、棚田などを眺めつつ、ふと本来は目に見えない空中を舞う粒子の存在に思いを馳せてみてはどうでしょう。
    全ては見る人それぞれの感性によって、いかようにもイマジネーションを拡げることができます。


    作品の真下に仰向けに寝転がって空を眺めるのもお勧めの鑑賞法です。
    周囲には、春は桜、秋はコスモスと、季節ごとの草花と共にこの作品を楽しむこともできます。

  • 唐櫃、清水の霊泉<br />壇山の恵みともいうべき清水が絶えることなく湧き続けています。<br /><br />水場は、祠の下、一番上が飲用の水くみ用、その下から野菜を洗ったり冷やしたりする水槽、その先は洗濯をすすぐ場所になっています。<br />また、一番下の水槽の横には、洗濯やおしめの洗い場所が設けてあり、場所それぞれの用途が定まっています。<br /><br />雨の少ない瀬戸内で豊かな水が永遠に湧き続ける、ここは島の人の台所であり、目前に広がる棚田の幸の源でもあります。<br /><br />この清水の水量は、一日40トンといわれ、最上部の貯水槽から3つの小水槽から大水槽へと流れ込みます。ここは、サイフォン方式によって各水槽がつながっています。

    唐櫃、清水の霊泉
    壇山の恵みともいうべき清水が絶えることなく湧き続けています。

    水場は、祠の下、一番上が飲用の水くみ用、その下から野菜を洗ったり冷やしたりする水槽、その先は洗濯をすすぐ場所になっています。
    また、一番下の水槽の横には、洗濯やおしめの洗い場所が設けてあり、場所それぞれの用途が定まっています。

    雨の少ない瀬戸内で豊かな水が永遠に湧き続ける、ここは島の人の台所であり、目前に広がる棚田の幸の源でもあります。

    この清水の水量は、一日40トンといわれ、最上部の貯水槽から3つの小水槽から大水槽へと流れ込みます。ここは、サイフォン方式によって各水槽がつながっています。

  • 安部良「島キッチン」<br />島のおかあさんたちが造る島の素材をベースにした料理、島のおかあさんたちが造るといっても、それは東京丸の内ホテルの山口シェフの監修による島の魚や野菜をアレンジした独動的な料理です。<br />ここ島キッチンは、芸術祭が豊島で行われた後、この島の人々と芸術、そして島外から来島する人々との接点が欠けていたことから、豊島の食とアートで島の内外の人々を繋ぐプラットフォームの役割を担うべく造られました。

    安部良「島キッチン」
    島のおかあさんたちが造る島の素材をベースにした料理、島のおかあさんたちが造るといっても、それは東京丸の内ホテルの山口シェフの監修による島の魚や野菜をアレンジした独動的な料理です。
    ここ島キッチンは、芸術祭が豊島で行われた後、この島の人々と芸術、そして島外から来島する人々との接点が欠けていたことから、豊島の食とアートで島の内外の人々を繋ぐプラットフォームの役割を担うべく造られました。

  • もともとは廃屋だった平屋建を建築家安部良さんによりリノベ―トされた古民家、建物の周囲にはぐるっと縁側を配し、ここから外を眺めながらの食事ができます。また、島キッチンの外には、テラス席があり、この席が観客席となって、島のお誕生日会や様々なイベントがここで行われるようになっています。<br />

    もともとは廃屋だった平屋建を建築家安部良さんによりリノベ―トされた古民家、建物の周囲にはぐるっと縁側を配し、ここから外を眺めながらの食事ができます。また、島キッチンの外には、テラス席があり、この席が観客席となって、島のお誕生日会や様々なイベントがここで行われるようになっています。

  • 豊島美術館への下り坂、<br />道の向こうに広がる瀬戸内の海、このまま海へ続くかのような道路、<br />ここは豊島で一番好きな景色の場所です。

    豊島美術館への下り坂、
    道の向こうに広がる瀬戸内の海、このまま海へ続くかのような道路、
    ここは豊島で一番好きな景色の場所です。

  • 豊島美術館<br />アート:内藤礼、建築:西沢立衛<br />一滴の水による、誕生から成長、そして終焉へ、豊島の自然の風を感じつつ、穏やかな気持ちで鑑賞できる作品です。

    豊島美術館
    アート:内藤礼、建築:西沢立衛
    一滴の水による、誕生から成長、そして終焉へ、豊島の自然の風を感じつつ、穏やかな気持ちで鑑賞できる作品です。

  • 井筒耕平/会田大也「コロガル公演in豊島」<br />かつて乳児園だった旧神愛園、その前の谷間に築かれえた公園、ここでは、訪れた人それぞれが自由に発想し、それぞれの遊び方を「創造」する。都会の住宅地の中にある公園のような遊具は一切備えられておらず、土の表面、斜面を駆けずり回るなど、自由な発想の場としてこの公園が考えられたのでしょうか。<br /><br />井筒さんは、岡山県の山間にある西粟倉村で宿を営んでおられ、豊島でもこの旧神愛園の建物を利用したゲストハウス、「mamma」も運営されています。<br /><br />また、乳児園神愛園は、戦後につくてられた乳児園で、2015年4月に坂出市に移転するまでここで運営されていました。乳児園は、育児放棄やその他の諸事情によって、育てられなった乳児を預かり、養育するところでした。戦後すぐにここができたのですが、そのころの豊島は酪農が盛んで、こと乳牛の生産には力点が置かれ、当時はミルクの島という風にも呼ばれていました。戦後の物資のない中、ミルクが案外手に入れやすかった豊島、ここは乳児を育てる上での環境が、その当時、たまたま整っていたようです。。

    井筒耕平/会田大也「コロガル公演in豊島」
    かつて乳児園だった旧神愛園、その前の谷間に築かれえた公園、ここでは、訪れた人それぞれが自由に発想し、それぞれの遊び方を「創造」する。都会の住宅地の中にある公園のような遊具は一切備えられておらず、土の表面、斜面を駆けずり回るなど、自由な発想の場としてこの公園が考えられたのでしょうか。

    井筒さんは、岡山県の山間にある西粟倉村で宿を営んでおられ、豊島でもこの旧神愛園の建物を利用したゲストハウス、「mamma」も運営されています。

    また、乳児園神愛園は、戦後につくてられた乳児園で、2015年4月に坂出市に移転するまでここで運営されていました。乳児園は、育児放棄やその他の諸事情によって、育てられなった乳児を預かり、養育するところでした。戦後すぐにここができたのですが、そのころの豊島は酪農が盛んで、こと乳牛の生産には力点が置かれ、当時はミルクの島という風にも呼ばれていました。戦後の物資のない中、ミルクが案外手に入れやすかった豊島、ここは乳児を育てる上での環境が、その当時、たまたま整っていたようです。。

  • 皆川昭、建築:緒方慎一郎 ウミトタ<br />築45年の古民家を一棟貸しの宿とし、海の見えるバスやライブラリーなど、心地良い空間がこの中に造られています。

    皆川昭、建築:緒方慎一郎 ウミトタ
    築45年の古民家を一棟貸しの宿とし、海の見えるバスやライブラリーなど、心地良い空間がこの中に造られています。

  • 井筒耕平/会田大也 豊島シーウォールハウス<br />古民家内に展開されたドラムやオルゴールによる作品、今回は新たな展開がなされいます。

    井筒耕平/会田大也 豊島シーウォールハウス
    古民家内に展開されたドラムやオルゴールによる作品、今回は新たな展開がなされいます。

  • 横尾忠則/永山祐子「豊島横尾館」<br />横尾忠則さんは、今年のNHK大河ドラマ「いだてん」のポスターデザインでも活躍、また、我々世代として平凡パンチなのど挿絵などが記憶にあります。<br /><br />ここ豊島横尾館は、建築家永山祐子さんによる古民家をリノベートした建築に、横尾さんの絵画が独特なタッチで展示されています。<br />建築は、焼杉の外観を持つ倉や納屋、塔、母屋と庭から構成されており、母屋の中央部は、焼杉の外壁が分断さるように壁から天井までがガラス張りとされ、更にガラス張りの床下には、庭の池から続く小川が流れるなど、横尾さんの世界観が反映された建築となっています。<br />横尾さんの作品は、笑顔の歌劇スターの傍らに髑髏(ドクロ)が転がるなど、「死」をひとつのテーマとしたものとなっているのではないでしょうか。<br /><br />また、ここはトイレも一味加わったものとなっており、細かな部分など、ここは非常に多彩な楽しみ方ができるようになっています。

    横尾忠則/永山祐子「豊島横尾館」
    横尾忠則さんは、今年のNHK大河ドラマ「いだてん」のポスターデザインでも活躍、また、我々世代として平凡パンチなのど挿絵などが記憶にあります。

    ここ豊島横尾館は、建築家永山祐子さんによる古民家をリノベートした建築に、横尾さんの絵画が独特なタッチで展示されています。
    建築は、焼杉の外観を持つ倉や納屋、塔、母屋と庭から構成されており、母屋の中央部は、焼杉の外壁が分断さるように壁から天井までがガラス張りとされ、更にガラス張りの床下には、庭の池から続く小川が流れるなど、横尾さんの世界観が反映された建築となっています。
    横尾さんの作品は、笑顔の歌劇スターの傍らに髑髏(ドクロ)が転がるなど、「死」をひとつのテーマとしたものとなっているのではないでしょうか。

    また、ここはトイレも一味加わったものとなっており、細かな部分など、ここは非常に多彩な楽しみ方ができるようになっています。

  • 垣内光司「豊島愛ランドスケープ」<br /><br />家浦港入口の食堂、豊島海鮮の横にできた豊島・愛ランドスケープ<br />お弁当をもってこの足場の上へ、ここはハイチェア、ここに腰かけお弁当を食べる、これによって食と環境の循環を可視化するというのがコンセプトのようです。<br />

    垣内光司「豊島愛ランドスケープ」

    家浦港入口の食堂、豊島海鮮の横にできた豊島・愛ランドスケープ
    お弁当をもってこの足場の上へ、ここはハイチェア、ここに腰かけお弁当を食べる、これによって食と環境の循環を可視化するというのがコンセプトのようです。

  • 豊島マルシェ<br />お土産物などお買い物は、こちらが便利ですね。

    豊島マルシェ
    お土産物などお買い物は、こちらが便利ですね。

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