2017/05/20 - 2017/05/20
2890位(同エリア4520件中)
ムッシュさん
美術展巡り アルフォンス・ミュシャの超大作 ”スラブ叙事詩”を鑑賞。
2017年5月、東京・国立新美術館に、プラハより、全作品が公開された。
本展は、チェコ国交回復記念60周年を記念し国外不出の《スラヴ叙事詩》全20点を、初めてチェコ以外の国で展示した国立新美術館の『ミュシャ展』です。併せて、「ミュシャ展」は国立新美術館開館10周年の記念事業として開催された。
鑑賞者の多さ(全期間で66万人)も凄かったが、一連の絵画のそのスケールに超圧倒されました。ミュシャの全身全霊を掛けた渾身の大作です。
2007年にプラハ国立美術館のヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)を訪問した際は、作品が外出中で、プラハでは鑑賞出来なかった。
今回、そのリベンジが出来て、超よかった。そして素晴らしい展覧会を観れたので、忘れないように残す。
**スラヴ叙事詩(チェコ語: Slovanská epopej)はアルフォンス・ミュシャが1910年~28年にかけて手掛けた壁画サイズの一連の作品である。チェコおよびスラヴ民族の伝承・神話および歴史を描いた全20作品から成り、サイズは小さいものでもおよそ4 x 5メートル、大きいものでは6 x 8メートル。
作品はテンペラを基本とし、一部油彩も。全作品が完成後、1928年に特設の展示場を用意することを条件にこの作品はプラハ市に寄贈された。(ウイキッドペリアより)
- 旅行の満足度
- 5.0
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プラハ国立美術館(ヴェルトレジェニー宮殿)外観
プラハホレショビッツ駅と旧市街の中間に位置し、メトロC号線が便利。
1924年に建てられた近代的なトレードセンターの内装を一新し、美術館に蘇らせた。ガラスを多用したデザインで、中心ホールはガラス天井の吹き抜けで、外光が降り注ぐ。19世紀以降の国内外の作品を展示している。ピカソやゴッホもあり。 -
プラハ国立美術館(ヴェルトレジェニー宮殿)館内中央部は吹き抜け
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スラブ叙事詩を作成中のミュシャ。(HPより)
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展覧会のポスター。2017年国立新美術館にて。
もう二度と、来日することは有り得ないと思われるので、鑑賞できた備忘録として掲載。 -
『スラヴ叙事詩』全20作品が、はじめてチェコ国外に持ち出されました。
記念すべき場所として選ばれたのが、なんと東京! 六本木の国立新美術館です。
その絵画のスケール感を表すフォト。こんな感じの20作品展示です。
描いた作家の意思の強さにも圧倒された。
以下20作品続きます。コメントはネットより。 -
画面の大きさのイメージ。こんな感じで20枚大型絵画が続きます。
以下20作品続きます。コメントはネットより。 -
その1 からです。 以下20点続きます。
ミュシャ1912 「故郷のスラヴ人 ? トゥラン人の鞭とゴート族の剣の間で」
絵画サイズ 610 x 810 cm
絵の意味:後方から襲撃・略奪する異民族。前方右手には司祭、前方左手には隠れるスラヴ人の男女。スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている -
その2
ミュシャ1912 「ルヤナ島のスヴァントヴィト祭」 絵画サイズ 610 x 810 cm
絵の意味: 神々が戦う時、救いは芸術にある -
その3
ミュシャ1912「大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入」絵画サイズ610 x 810 cm
絵の意味:画面中央下、スラヴ語導入反対者の前で教皇からの手紙が読み上げられている。画面中央、ローマの特使から少し離れたところに立つ人物がメトディオスである。右上部には導入に積極的だったロシアとブルガリアの国王夫妻4名、中央最上部には前王ラスチスラフと東方教会の司祭が描かれる。その下の導入を喜んで抱き合う4名を抱えるように立つ人物がキュリロスである。画面手前左手の青年が持つ輪はスラヴ人の団結を象徴す -
その4
ミュシャ1923 「ブルガリア皇帝シメオン ? スラヴ文学の明けの明星」
絵画サイズ:405 x 480 cm
絵の意味:ブルガリア帝国の皇帝シメオン1世は帝国の版図を拡大し、その治世は帝国の繁栄の時代。ブルガリアは文化の中心地ともなり、ここには文人、学者、司祭に囲まれた皇帝が描かれている -
その5
ミュシャ1924 「ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 ? スラヴ王朝の統一」
絵画サイズ 405 x 480 cm
絵画の意味:オタカル2世は「鉄人王」と呼ばれ、また領有していたクトナー・ホラの銀山から「黄金王」とも呼ばれ、彼の時代にプシェミスル朝は最盛期を迎えた。オタカル2世はハンガリー王国と敵対していたが、1261年オタカル2世の姪とハンガリー王の息子による結婚で和解。この作品では結婚祝いに来た来賓に対して、オタカル2世が新郎と新婦の手を取って引き合わせている。 -
その6
ミュシャ1926「セルビア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位」
絵画サイズ:405 x 480 cm
絵画の意味:セルビア王ステファン・ドゥシャンは軍事的な成功によりセルビアの最大領土を獲得。ドゥシャンは1346年皇帝に即位、この作品では戴冠式の後、祝賀の列を描いている。宝冠を被り白い衣装を着た画面中央の人物がドゥシャン。手前には若い女性たちが描かれているが、彼女たちが持つ若枝は希望と明るい未来の象徴である -
その7
ミュシャ1916 「クロムェジーシュのヤン・ミリーチ ? 尼僧院に生まれ変わった娼家」 絵画サイズ 620 x 405 cm
絵画の意味:ヤン・ミリーチはカレル4世に仕えたが、その後貧しい人々の救済に人生を捧げた。1372年には彼の説教により大勢の娼婦たちが改悛し病人や貧民の救済にあたった。この作品では悔い改めた娼婦たちのための施設を建設している場面が描かれている。 -
その8
ミミュシャ1916 「ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス ? 真実は勝利する
絵画サイズ 610 x 810 cm
絵画の意味:宗教改革者として大きな影響を残したヤン・フスであったが、カトリックから異端と宣告され処刑された。彼の処刑はフス戦争を引き起こした。作中では1412年のベトレーム礼拝堂で行われたフスの最後の説教が描かれている。フスは左手中央の身を乗り出して説教を行う人物である。当時の男性としては珍しく髭がないが、これはミュシャの歴史考証によるものである。画面左、壁を背にして立つ片目の人物はフス戦争で指揮を執ったヤン・ジシュカである。右手の天幕の下には女官を連れたヴァーツラフ4世王妃ソフィアが描かれている -
その9
ミュシャ1916 「クジーシュキでの集会 ? プロテスタントの信仰」
絵画サイズ 620 x 405 cm
絵画の意味:フスの処刑後、フスの教えに賛同するものが出始め、カトリックに忠実な司祭は追放され、フス派が台頭。フスが学長を務めたプラハ・カレル大学はフスの教えを広めないよう閉鎖されたが、フス派は郊外で集会を行い、反乱の計画を練った。作中では過激派の説教師コランダが信仰とともに武器を持って立ち上がるよう説いている。暗い空はその後の争乱の時期を暗示し、枯れ木と白い旗は反乱による犠牲者を、赤い旗と緑の木は希望を表している -
その10
ミュシャ1924 「グリュンワルトの戦闘の後 ? 北スラヴ人の団結」
絵画サイズ 405 x 610 cm
絵画の意味:ドイツ騎士団は急速に勢力を拡大。これに対抗するためポーランド王国とリトアニア大公国は同盟を組み、グリュンワルトの戦闘でドイツ騎士団を破った。作品は戦闘の翌朝を描いている。画面中央上部には勝利の代償に愕然とする、ポーランド国王ヴワディスワフ2世が描かれている -
その11
ミュシャ1916 「ヴィトーコフの戦闘の後 ? 神は権力でなく真理を伝える」
絵画サイズ 405 x 480 cm
絵画の意味:ヴァーツラフ4世の跡継は弟のジギスムント。ヤン・フスの処刑は彼の責任であり、民衆は彼の王位継承に反対した。ジギスムントはカトリック教会から支援を受けて、十字軍を組織しプラハに侵攻するが、ヴィトーコフの丘で奇襲を受け敗退する。この作品も戦闘場面ではなく、戦闘後に執り行われた荘厳ミサを描いている。中央右にはフス派の指揮官ヤン・ジシュカが描かれており、足元には戦利品が散らばり、陽光がスポットライトのように彼を照らしている。左手には聖体顕示台を持つ司祭と、ひれ伏して祈りを捧げる司祭たちが描かれている。また左下の隅には戦争によって被災したと思われる乳児を連れた女性が描かれている。この時代、第一次世界大戦でヨーロッパが戦火に包まれており、ミュシャの戦争への嫌悪感がこの作品に現れている -
その12
ミュシャ1918「ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー ? 悪に悪をもって応えるな
絵画サイズ 405 x 620 cm
絵画の意味:この作品に描かれているのは、フス派によって襲撃されたヴォドナャニの町と、家を焼かれた住民、犠牲となった人々である。何の罪もない人々が犠牲となったというフス戦争の暗い一面を描いている。画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、戦争の犠牲者たちを慰め、また心を復讐に向かわせないよう諭している -
その13
ミュシャ1923 「フス教徒の国王ボジェブラディのイジー ? 条約は尊重すべし」
絵画サイズ 405 x 480 cm
絵画の意味:フス派の穏健派(ウトラキスト派)はバーゼル協約によってフス派を認めさせることに成功。しかし教皇はこの協約を一方的に破棄し、ローマに従うことを求めてきた。この時チェコの国王であったのがボジェブラディのイジーであった。彼は、およそ150年ぶりのチェコ人の国王であり、賢明王として知られた。この作品では横柄な態度をとる教皇の使節に対し、玉座を蹴って立ち上がり、要求をはねのける国王の姿。右下に描かれたこちらを向いた少年は「ローマ(ROMA)」と題された大きな本を閉じており、ローマとの関係の終焉を表している -
その14
ミュシャ1914「クロアチアの司令官ズリンスキーによるシゲットの防衛 ? キリスト教世界の盾」 絵画サイズ 610 x 810 cm
絵画の意味:1566年、勢力を拡大していたオスマン帝国はついにドナウ川を渡りシゲットへ侵攻。(シゲットヴァール攻囲戦)。都市を守るのはクロアチアの貴族ニコラ・ズリンスキーであった。ズリンスキーは防御を固めたが、包囲から19日後に防御施設は破壊される。降伏勧告を拒否し決死の突撃を行うが、多勢に無勢でありズリンスキーは兵士とともに命を落とす。ズリンスキーの妻、エヴァは火薬庫に火を放ち、同胞を巻き添えにしながらもトルコ軍を撃退した。スラヴ叙事詩20作のうち、唯一戦闘場面が描かれた作品である。エヴァは右手にある足場の最も高い場所に立ち、状況を見つめている -
その15
ミュシャ1914「イヴァンチッチェでの聖書の印刷 ? 神は我らに言葉を与え給うた」 絵画サイズ 610 x 810 cm
絵画の意味 :ヤン・フスとペトル・ヘルチツキーの影響を受けて1457年に設立されたチェコ兄弟団は、信仰にとって教育が重要なものと考え、ミュシャの故郷であるイヴァンチッチェに学校を創設し、聖書をチェコ語に翻訳した。この聖書はその後印刷されるようになりクラリッツェ聖書と呼ばれた。チェコ語で書かれた聖書は国民の連帯意識を高め、またチェコ語文法の基本ともなった。画面右手には印刷された聖書をルーペを使ってチェックする人々が描かれ、左手前方には老人のために聖書を読む青年が描かれている。青年の厳しい表情はカトリックによるその後の迫害を予知しているかのようである -
その16
ミュシャ1918 「ヤン・アモス・コメンスキー ? 希望の灯」
絵画サイズ 405 x 620 cm
絵画の意味:1619年に神聖ローマ皇帝となるフェルディナント2世がボヘミア王位に就き、この王の下カトリック化が推し進められた。1620年、フェルディナント2世と政策に反発するプロテスタント貴族との間で白山の戦いが起こった。プロテスタントたちは敗北し、主だったものは処刑または追放された。この時に大勢の知識人、聖職者、貴族も国外へ亡命した。そのような中にヤン・アモス・コメンスキーもいた。コメンスキーはボヘミア兄弟団の精神的指導者であり、教育の重要性を説き、またその改革的教育法で高い評価を得た人物であった。コメンスキーは亡命先のオランダ、ナールデンで海を散歩して過ごしたが、最期は海岸で椅子に座りながら息を引き取った。画中で椅子に座っている人物がコメンスキーで、左手にいる彼の信奉者たちは指導者の死を嘆き悲しんでいる。中央には小さなランタンがあるが、これは亡命者たちが母国に戻れる日がいつか来るだろうという「希望の灯」である -
その17
ミュシャ1926 「聖山アトス ? オーソドクス教会のヴァチカン」
絵画サイズ 405 x 480 cm
絵画の意味:アトス山は正教会の聖地。ミュシャは、1924年にこの地を来訪、時代を超越した精神性に感銘を受けている。中央に大きく描かれた聖母マリアと幼いイエスが描かれ、その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。左右には実在する修道院の模型を持つ天使たちが描かれる -
その18
ミュシャ1926「スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者達 ー スラヴ民族の目覚め
絵画サイズ 405 x 480 cm
ボヘミアはおよそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動が盛り上がり、チェコでもまた1890年代にオムラディーナと呼ばれる若者たちによる民族運動団体が結成された。彼らは反オーストリア、反教会を標榜し、過激派とみなされ、1904年には指導者が逮捕・投獄されている。作中では若者たちが輪になってスラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。手前でハープを奏でる女性のモデルは、ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、1928年の展覧会では同じポーズのポスターが制作されている。また、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男性はミュシャの息子、イージー(ジリ)がモデルである。 -
その19
ミュシャ1914 「ロシアの農奴解放の日 ? 自由な労働は国家の基盤である」
絵画サイズ 610 x 810 cm
絵の意味:ロシアは近代化した他のヨーロッパ諸国に遅れをとっており、皇帝アレクサンドル2世は改革のため1861年に農奴解放令を布告。作中、およそ中ほどに立つ人物が布告を読み上げる役人である。周囲の人々は熱心に聞き入るわけでもなく、また歓喜に包まれるといった風でもない。背景には右側にクレムリン宮殿、中央に聖ワシリイ大聖堂が描かれているが、その姿は霞んでおり漠然とした不安といったものを感じさせる。 -
その20
ミュシャ1926 「スラヴの歴史の神格化 ? 人類のためのスラヴ民族」
絵画サイズ 480 x 405 cm
絵画の意味:スラヴ叙事詩最後の作品。ここまで描かれてきた歴史の集大成であり、スラヴ民族の独立を祝う作品。この作品ではテーマごとに特徴的な色彩が用いられている。右下の青で描かれた部分は太古の神話に近い時代を。上方の赤はフス戦争によって多くの血が流れた中世を、その手前、暗い影として描かれているのはスラヴ民族を脅かす敵対勢力である。中央の黄色は第一次世界大戦で祖国のために戦った男女で、オーストリア=ハンガリー帝国の終焉とスラヴ民族の新しい時代が始まることを象徴している。中央に大きく描かれた青年像は、新しいチェコの自由と独立を表し、その背後にはキリストが描かれ、スラヴ民族の独立と繁栄を見守っている
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