2019/02/07 - 2019/02/07
217位(同エリア758件中)
杏仁豆腐さん
両国にある「すみだ北斎美術館」に初めて行きました。
2016年(平成28年)11月22日に開館しました。
葛飾北斎が本所界隈で生涯を送ったことや、彼が本所割下水で生まれたとされ当時の「南割下水」に相当する現在の「北斎通り」の線上にある亀沢もゆかりの地に含まれることから、当地に設けられたそうです。
企画展で「北斎アニマルズ」を開催中でした。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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大江戸線両国駅を下車。江戸東京博物館が目の前です。
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江川太郎左衛門屋敷跡。
江川太郎左衛門は伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)を本拠とした江戸幕府の世襲代官です。
太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称。中でも36代の江川英龍が著名です。
洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げました。品川台場を造り、鉄製の大砲を鋳造するための反射炉も造り始めました。日本で初めてパンを焼いた人物だそうです。 -
現代的な建物のすみだ北斎美術館です。
建物外壁は、淡い鏡面のアルミパネルを使用しています。 -
すみだ北斎美術館の建築地には、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷がありました。藩主からの依頼により、北斎は屏風に馬の絵を描いて帰ったというエピソードが残されています。
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北斎アニマルズを開催中。
北斎とその門人の描いた動物や、玩具や道具としてデザイン化された動物、物語や伝記などの文脈と共に描かれた動物や、創造の生き物など、絵画の中のさまざまな動物を紹介しています。
3階には北斎アニマルズ占いがあります。
平成に一大ブームを巻き起こした(株)ノラコムの「動物占い®」と、企画展「北斎アニマルズ」がコラボ。「動物占い®」の12キャラクターが、北斎が描いた生き物「北斎アニマルズ」になって、今回特別にフォトスポットとして登場。誕生日の情報から、あなたの北斎アニマルが簡単に確認できます。 -
記念写真が撮れます。
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平日ながら北斎の作品を見に来ている人がけっこういました。
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展示も工夫されていて、見ていて飽きません。
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北斎と娘のお栄。
リアルな人形です。 -
筆を持つ北斎の手が動きます。
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北斎は実に多くの動物や植物を描いていました。
写実的なものからユーモラスなものまで幅広い作品が残されています。 -
北斎の作品をじっくりと見ることができました。
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すみだ北斎美術館を出ると、ちょうど昼時。
近くの蕎肆 穂乃香 (きょうし ほのか)に入ります。
こちらは2度目の訪問です。 -
以前の訪問時は、北斎せいろ三段をいただきました。
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今日は天丼御膳。
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空腹時の天丼は極上のごちそうです。
タレガ食欲をそそります。 -
蕎麦も美味しいです。
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味噌汁、お新香、甘味もついています。
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美味しい天丼と蕎麦で満足。
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都立横網町公園に来ました。
弔霊鐘 -
関東大震災により遭難死した死者追悼のため、中国仏教徒の寄贈によるものです。
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東京都慰霊堂
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正12年(1923)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。
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慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏(1867~1954)によるものです。
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当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。
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入口を入ると上の方に妖怪が。
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東京空襲
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焼け跡に建つバラック住居
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東京空襲
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十二階の崩壊
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講堂の中は厳粛な空気が流れていました。
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東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
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復興記念館
改修工事中で、中に入ることができませんでした。
関東大震災の惨禍を永く後世に伝え、また官民協力して焦土と化した東京を復興させた当時の大事業を永久に記念するため、東京都慰霊堂の付帯施設として昭和6年に建てられました。 -
慰霊堂の北側には、林泉式日本庭園があります。これは震災時、清澄庭園や安田庭園など都内の庭園が、人命の保護に役立ったことを教訓として計画されたものです。
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石原町遭難者碑の碑文
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永田秀次郎氏記念句碑
震災時に東京市長として救援救護活動を陣頭指揮すると共に、その後の復興事業に心血を注いだ永田秀次郎氏の業績を讃えて、氏が震災後詠んだ句を刻んだものです。
「焼けて直ぐ芽ぐむちからや棕梠の露」 -
震災遭難児童弔魂像
関東大震災により不幸にして災害に遭い死亡した小学校児童約5千人の死を悼み造られました。 -
東京都慰霊堂三重塔
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横網町公園を後にします。
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お隣の旧安田庭園に来ました。
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もと常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資により元禄年間(1688~1703)に築造されたと伝えられています。かつては隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園として整備されました。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸となり、次いで安田善次郎氏の所有となりました。氏の没後大正11年東京市に寄附されました。
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関東大震災後、太平洋戦争を経て東京都から墨田区に移管され、全面的改修を行い、復元、開園しています。
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園内改修工事中でした。
入れない箇所があります。 -
人も少なく静かです。
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両国から浅草まで歩きます。
途中、スカイツリーがどーんと見えます。 -
浅草に来ました。
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海老屋總本舗で佃煮を購入。
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どれにしようか迷います。
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初代 川北三郎兵衛は伊勢の侍でしたが幕末の動乱期に武士を廃業して江戸に出て、一時下総(千葉県)に移り住みました。
伊勢湾の貝を食べて幼少年期を過ごした初代は近くの印旛沼から採れるエビ、フナ、ワカサギ等を加工して売ることを覚え再び江戸に移り、浅草・観音堂を目前に見る大川橋(現在の吾妻橋)のたもとに新居を構えたのが明治2年(1869年)。これが海老屋總本舗のはじまりです。(HPより) -
若煮の佃煮を購入しました。
あさりとたらこ。塩分控えめです。
ご飯のおともに最適です。
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