2018/10/16 - 2018/10/16
47位(同エリア177件中)
愛吉さん
大山にだいぶ近付きました、今回は愛甲石田から石倉橋迄の約7KMを歩きます。
今迄並行していた国道246号線を離れ、昔の街道を探しながらの旅となりました。
尚ここら辺りは室町時代、幕府の重鎮扇谷上杉家の館があった場所、上杉家の家老であった太田道灌が、屋敷に呼び出され暗殺された場所として有名です。
道灌の墓が2ヶ所もあります。(一つは首塚?)
帰途は石倉橋からバスで伊勢原に出て、小田急で帰りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
-
午前10時半、 小田急愛甲石田駅に集合、参加は7名。
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先ず国道246号に出ます、道路の脇に浄真寺。
茅葺屋根の山門が目立ちます。
開基は1574年。 -
続いて長龍寺があります。
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次に現れたのは、こんもりとした小山。
通称小金塚と呼ばれる古墳で、相模地区最大の円墳です。
調査時には多くの埴輪が見付かりました。 -
塚の頂上には小金神社があります。
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旧道に戻り進むと道祖神がお出迎え。
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こちらは道標、古さを感じますね。
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さらに街道を進むと、3体の地蔵が出迎えて呉れます。
万延元年村の長者が、子宝祈願に建てたそうで、村の名前を取って白金地蔵と呼ばれます。 -
歌川を渡ります、向うには目指す大山が聳えています。
だいぶ近付いて来ました。 -
こんな道祖神もあります。
風情が無いですね、せめて土を盛り横一列に並べて下さい。
真中の新しいのは不要ですね。 -
大山街道糟屋宿に入りました。
江戸から15里になります。 -
伊勢原市の普済寺参道に入ります。
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境内には伊勢原市指定の重要文化財、石造多宝塔があります。
向うには大山が見えます。 -
多宝塔の解説板。
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普済寺本堂。
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境内に置かれた水槽に咲く睡蓮とメダカ。
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街道を少し外れ、太田道灌の墓を訪ねます。
通称道灌の首塚といわれます。 -
墓前に活けた花で墓石が見えません。
名将であるが為に不幸な死を遂げました、現在でも如何に慕われているかの証明ですね。 -
傍に建つ解説板。
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太田道灌公の菩提寺大慈寺を訪ねます。
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本堂
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説明文。
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街道に戻って来ました。
馬頭観音碑が立っています。 -
街道脇に高部屋神社があります。
拝殿、本殿、幣殿が国登録有形文化財です。 -
拝殿
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本殿
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神社の解説板。
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拝殿の彫刻、浦島太郎。
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旧街道の野道を行くと又道祖神が。
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こちらには庚申塔ですね。
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咳き止め地蔵。
地蔵堂の格子の間から写しました。 -
道が二股に別れます。
私達は当然大山道へ進みます。 -
分かれ道には道標や道祖神が祀られています。
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こちらは馬頭観音碑でしょうか、花が活けられています。
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道祖神を兼ねた道標ですね。
下に方向を示す字が書いてあります。 -
三所石橋供養塔と解説板。
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洞昌院門前に立つ碑。
銅昌院は太田道灌が主君上杉家の為に建てた寺で、道灌の遺骸はこの寺で荼毘に付されました。
その為この寺に道灌公霊廟と道灌の墓が在ります。 -
銅昌院本堂。
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本堂の隣に建つ霊廟。
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霊廟内部。
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境内に建つ道標を兼ねた観音巡礼塔。
昔街道筋にありましたが、道路拡張により、ここ洞昌院境内に移されました。 -
道標面
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境内を横切り、道灌公墓地に向います。
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道灌の墓。
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道灌墓所の先に七人塚があります。
道灌の供をして上杉屋形に来て共に討たれた七人の侍の墓です。
当初は近くの松林の中に七つ並んで在りましたが、明治の末期開墾に伴い六っ失われ、最後の一つがここに移転されました。 -
花が供えられているのがそれです。
周りに六っの板碑が立ちます。 -
現代の道標です。
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奥に進むと上粕屋神社、扇谷上杉家の館が在った場所で、神社は元館内にあった上杉家の鎮守、今は上粕屋町の鎮守になります。
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境内は広く鎮まっています。
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鳥居の傍には大木があり樹齢は六百年を超えます。
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今日はここ迄、街道に戻りバスを待ち、小田急伊勢原に出て帰宅します。
バス停から見た大山です。
終
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