2018/08/30 - 2018/08/30
6位(同エリア337件中)
松本伸雄さん
近鉄名古屋線、津新町で下車。
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本丸の南側には、武家屋敷を造りました。
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続100名城スタンプは、髙山神社(こうざんじんじゃ)でいただきます。御祭神の藤堂髙虎公のおくり名(寒松院殿前伊州道賢高山権大僧都)より二字いただいた。
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御朱印は、300円です。
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津城は、織田信長の弟の信包(のぶかね)によって築城された。天正8年(1580)に五層の天守閣が完成しそれまで柳山辺りにあった町屋が移され城下町が作られた。
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その後富田氏が城主となり慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦で西軍の攻撃を受け津の町は、戦火にあい荒廃した。
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高山神社東側の石垣。
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慶長13年(1608)藤堂髙虎が、伊予今治から移って来ると本丸の北側を広げて石垣を高くして、両端に櫓を新築したり内堀、外堀とも整備したりするなど大改修を加えた。
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そして、城を中心に、北、西、南に武家屋敷を東には町屋を置き、町外れを通っていた、伊勢街道を城下町に引き入れ町の発展に努めた。
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南側の堀。
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西側の堀。
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北側の堀。
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本丸の北側を守備する多門櫓、東側丑寅櫓、西側戌亥櫓を接続し桁行[長さ)47間半、梁間(幅)3間と長大なもの、内部は、3間ごと16室に区画され平時は、物資の貯蔵、有事は防御の拠点となる。
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西之丸二階門跡。
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東鉄門桝形。案内。
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本丸東側に位置する虎口。
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虎口。
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文政3年(1820)第10代藩主藤堂髙兌(たかわき)は、藩士やその子弟を教育するための藩校として有造館を創設した。その中心である講堂の正面がこの門である。
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入徳門の名前は、大学は諸、学、徳に入る門なりと言う言葉からきている。
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西の丸、現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。
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藤堂髙虎が高くした、北側石垣。
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多門櫓があった所。
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櫓への登り口。
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昭和33年(1958)に3層の模擬櫓を鉄筋コンクリートで建設。おわり。
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