1970/11/17 - 1970/11/26
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miha22さん
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ダホメイのコトヌー海岸でSTOP!
内戦中のナイジェリヤのビザ収得に奔走。
イボ族を中心とした東部の州が、1967年にビアフラ共和国の独立宣言をし、 ビアフラ内戦が始まります。内戦は凄惨を極め、イボ族が敗北する1970年1月まで続きました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サハラ砂漠を通過してきた車の多くが異常をきたして修理をしなければならない状況だ。
英国人チーム・シトロエンも無事到着したがビザが取れないし、車もボロボロだ。
コトノー海岸に皆集まって、情報交換やら、バカ話、けむりパーティが開かれる。
ドイツ・フランス・カナダ・オーストリア・英国・日本・アメリカとアフリカG7だ。 -
タマンラセットで出会った彼と再び落ち合った。室外で話が弾んだが、暑いので彼の宿泊先ホテルに行った。やっぱり文明人はエアコンが必要だと感じた。
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サハラ砂漠の砂は硬くて細かい。エンジンルーム内のいたるところへ侵入し機械を痛める。キャブレターのエアクリーナーから砂が侵入し、ピストンとボアーの中に入り込み、摩擦によってピストンに傷を付け、結果オイル上りが発生し、オイルが燃焼し白煙を振りまく。圧縮が空回りし出力が落ちる。
ガーナのアクラにトヨタの工場があるので修理に向かう事にするが、部品を日本から送ってもらことになる。時間がかかるだろう。 -
内戦中のナイジェリヤのビザ収得に奔走したが誰も、どの国の人も習得できなかった。車両の焼き付いたエンジンの修理はガーナのアクラで二か月かけ修復した。再びコトヌーにもどり、再三大使館に足を運んだが、どの国の人にもビザが発給されない状況が続いている。結果、コトヌーで知り合ったワーゲンのフランス人と一緒に、車を貨客船に積み込みカメルーンに向かう事にした。
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