2018/06/06 - 2018/06/08
134位(同エリア222件中)
佐助丞相さん
【1日目】飞机 6/6 HO1061 Q WE06JUN PVGXFN HK1 0800 1010 870元
襄阳刘集机场 10:40=〉 大概11:30 古隆中风景区三顾堂 (TAXI 約1時間、150元)
★古隆中(こりゅうちゅう)
中国漢の時代から三国時代にかけての、荊州の首都・襄陽(湖北省襄陽市)から二十里程の地点にある小さな村。後漢末に若き頃の諸葛亮とその弟諸葛均が住んだ土地である。小説『三国志演義』では後に蜀(蜀漢)を建国した劉備が諸葛亮を軍師として迎えるため、わざわざ諸葛亮の庵まで三回足を運んだ、三顧の礼の舞台となった場所
古隆中风景区三顾堂 13:15出发 > 14:00襄阳城附近 (大巴 約50分、2元)
襄阳城 16:00=〉16:40襄阳站 (大巴 約50分、2元)
6/6 D5244 襄阳 武昌 18:15 20:54 二等座97元 (2个小时)
移动:武昌站=〉武汉站 (交通4号线約50分)
酒店《6/6-6/7 汉庭酒店(武汉高铁火车站店): 300元/一晚》
【2日目】6/7 早晨 G431 武汉 赤壁北 07:06 07:46 二等座60元 (40分钟)
赤壁北站 8:00=>8:20 去三国赤壁古战场的班车站 (赤壁北站开通赤壁古战场景区直通车是9点后开始)
9:30 三国赤壁古战场
三国赤壁古戦場:魏呉蜀天下分け目の戦いの場として有名な赤壁の戦いは、中国後漢末期の208年、長江 の赤壁において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の大戦となります。三国赤壁古戦場は長江(揚子江)に面した場所に建設されています。
赤壁古戦場の中にある赤壁大戦陳列館(博物館)は当時の建物や陣地を復元した黄蓋の有名な場面、周愉の彫像、呉の水軍の砦、長坂の戦いの趙雲の「単騎救主」という演技もあります。
***下記もお勧め場所です***
その1、拝風台という、諸葛亮が東南の風が吹くのを祈ったその南屏山の場所。
その2、武候宮に飾られている、諸葛亮と魯粛が藁葺きの船で長江を烏林の曹操軍陣地の方へ趣き、10万本の矢を手に入れたという逸話の絵。
その3、曹操軍が船をつなぎ合わせてしまった「連環の計」で有名な龐統の像が安置されている館。
三国赤壁古战场 12:30 出发=> 大概13:30 赤壁北站 (赤壁北站开通赤壁古战场景区直通车、13元)
6/7 原来 G1120 赤壁北16:15 =>武汉 16:52 二等座60元 (37分钟) ,但是赤壁北站早点到了,所以可以换早点列车。
新的列车 赤壁北站13:50出发, 14:15到武汉站
移动:武汉站→交通4号线 岳家嘴站下车→ 交通8号线梨园站(C口出)下车 徒歩2KM
酒店《6/7-6/8 武汉湖滨客舍 武昌区黄鹂路78号 550元/一晚》
【3日目】6/8
梨园站 =〉地铁复兴路站下车,走路20分钟。
黄鹤楼(こうかくろう)を観光します。
「江南の三大名楼」のひとつで、長江大橋手前、武漢市街を眺望する位置に立っています。遠目からも美しさが際立つ楼閣で、仙人となった蜀の費偉が黄色い鶴に乗り、ここに降り立ち休憩したという伝説もあります。
最初にこの 高台に楼を築いたのは三国時代呉の孫権だと言われていますが、何度か建てかえられ、現在の楼は1981年に再建されたものです。五層から成り、主楼は高さ51mあり、エレベーターで上まで登れます。眺望の素晴らしさから李白や王維、孟浩然などの著名な詩人が多くの詩を残しています。
武漢長江大橋は湖北省武漢市にある武昌蛇山と漢陽亀山にまたがってかかっている 長江で初めての鉄道・道路両用の橋です。橋は二層に分かれています。上は道路で、下は2本の列車がすれ違う複線の鉄道です。
武汉辛亥革命博物馆を観光します。
清朝を倒した辛亥革命は1911年10月10日武漢の「武昌蜂起」が発端となっています。
辛亥革命記念館(正式名は辛亥革命武昌起義紀念館),場所は武昌 黄鶴楼近く首義文化公園にあります。門手前には孫中山(孫文)の銅像、博物館内には辛亥革命に関する資料が陳列されています。
复兴路站 16:00=>18:30 武汉天河国际机场 (地铁轨道交通2号线 7元前後)
飞机 6/8 CZ3543 E FR08JUN WUHPVG HK1 1955 2135 830元
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6/7 早晨 G431 武汉 赤壁北 07:06 07:46 二等座60元 (40分钟)
赤壁北站 8:00頃到着し、駅前のバス停に行きましたが、三国赤壁古战场の直通バスは9点以降でないと運行していないそうです。
しきりにTAXIの運転手から誘いがありましたが、どのTAXIもボロボロなので、遠いしなんとなく怖かったのでやはりバスで行きたい・・と考慮していたところ、バス停のおばちゃんからTAXIで10分ぐらい行くと三国赤壁古战场の乗り合いバス乗り場があると教えてくれましたので、TAXXIでその乗り場まで行きました。
小さいバス、9元かな、各村々を経由して1時間半ぐらいかかりました。
9:30 三国赤壁古战场
入場料は150元、中国人も外国人も皆150元、日本円レートで3000円かな?高すぎる。。 -
いきなり关羽のトランスフォーマー。
中国人観光客多し、観光バスで各地から来ているようです。
外国人はほぼいないようです。 -
三国赤壁古战场はとにかく広いです。
各所工事中です、張り紙には工事する人募集中と書かれていて、工事する人が少ないようです。
曹操軍が船をつなぎ合わせてしまった「連環の計」で有名な龐統の像が安置されている館です。
中はお線香あげている人がいました。 -
赤壁なのに桃园三结义(桃園の誓い)、素敵です。
桃园三结义最初是小说《三国演义》里记载的故事,述说当年刘备、关羽和张飞三位仁人志士,为了共同干一番大事业的目标,意气相投,言行相依,选在一个桃花盛开的季节、选在一个桃花绚烂的园林,举酒结义,对天盟誓,有苦同受,有难同当,有福同享,共同实现自己人生的美好理想。
立誓“不求同日而生,只求同日而死”。
宣誓完毕;三个人按年岁认了兄弟。刘备年长做了大哥,关羽第二,张飞最小做了弟弟。这便是《三国演义》中著名的“桃园结义”。 -
小乔,大乔です、お美しい。
二乔容貌美丽,以美貌出名。大乔为孙策妾,小乔为周瑜妻。
レッドクリフの映画では、梁朝伟と林志玲主演で美男美女。 -
周瑜大都督。
大都督の意味は、軍総司令官。
蜀国统军的次如果诸葛亮,以是并没有设置大都督这个官职,魏国统军的前期是曹操,前期次如果司马懿,曹操是丞相、魏王,司马懿则官居大都督。而吴国统军的主将前期是孙策,后是周瑜,周瑜身后鲁肃接任,鲁肃后是被成为吴下阿蒙的吕蒙,紧接着是一把火烧的刘备白帝城托孤的陆逊。
吴国大都督>>
孙策18岁起兵,26岁遇刺身亡,
周瑜21岁跟孙策起兵,不到30拜大都督,36岁病亡,
鲁肃30多岁接任周瑜职位,46岁病亡。
吕蒙30多岁接任鲁肃职位,42岁病亡。
陆逊,他63岁亡故。 -
中国でも有名なシーンです。
董承が謀反仲間を内々に集めている時、劉備は曹操から食事に誘われました。曹操の疑いをかわそうとしている時期です。
曹操から天下の英雄は誰だと聞かれたとき、劉備は当たり障りの無い人を挙げますが、最後曹操は「それは僕と君だ!」と言われた時、劉備はドキッとして箸を落とします。
雷が怖いから箸を落としたこと伝えますと、曹操はこんな程度か、と劉備を疑わなくなります。
劉備はその後すぐに、袁術を討ちますと言い、曹操のもとを去って行くことができました。
青梅煮酒论英雄>>
三国时,董承约会刘备等立盟除曹。刘恐曹生疑,每天浇水种菜;曹闻知后,以青梅绽开,煮酒邀刘宴饮,议论天下英雄。当曹说“天下英雄,唯使君与操耳”,刘闻之大惊失箸。时雷雨大作,刘以胆小、怕雷掩饰而使曹操释疑,并请征剿袁术、借以脱身。 -
张飞です。
长坂坡之战の橋の所で、大声を上げ、曹操軍兵士の鼓膜を破ったと言われています。
中国ドラマの新三国でも、大声が強烈で、敵兵士の耳から血が噴出し、口からも吹き出し、憤死しています。
中国のドラマは大抵、血を噴出して憤死するパターンが多いです。 -
吕布と貂蝉の密会シーンです。
董卓の銅像が池の後ろにあり、驚いて憤慨しています。 -
水镜先生、司马徽です。
劉備は水镜先生と出会ったからこそ、徐庶、诸葛亮、庞统に出会うことができたのです。
私的には徐庶も好きだった。 -
拝風台、諸葛亮が東南の風が吹くのを祈ったその南屏山の場所です。
レッドクリフの映画でも、金城武がこの拝風台で風よ吹け~、と大げさに祈ってました。
その後、周瑜に殺されそうになったので、スタコラと逃げて行きました。 -
諸葛亮と魯粛が藁葺きの船で長江を烏林の曹操軍陣地の方へ趣き、10万本の矢を手に入れたというシーンの再現です。
魯粛は諸葛亮と同じ考え「三国」(=曹操/呉/劉備)にて支配し、劉備軍との連携は曹操を防ぐ為に重要なことだと認識してました。魯粛と諸葛亮との間に信頼関係があったからこそ赤壁での孫権・劉備連合軍が成立し、曹操を大敗させました。 -
大きい周瑜です、策略家。
周愉の策で、蔡中が孫権に投降してくるのですが(スパイとして)、皆の目の前で老将:黄蓋を口答えした理由で鞭打ちの刑にします。黄蓋の体からは血が流れ、最後は失神しました。黄蓋は曹操に投降したいことを蔡の息子達は曹操に伝えます。東風が吹いたその夜、黄蓋が投降すると見せかけて烏林の曹操軍に向けて火をかけた船を突っ込ませました。船は鎖で繋がれており多くの船は燃え上がり、曹操軍の多くは焼死し、曹操は大敗しました。 -
船で長江を下り、三峡を越え、宜昌を過ぎると、山の切り立った崖の褐色の岩の上に、大きな字で「赤壁」と書いてあるのが目に入ります。
曹操率いる20数万の大軍は南下し新野と襄陽を攻略して、江陵より川の流れに沿って東に向かいました。
それに対して、孫権は劉備の5万の連合軍とともに、川の流れに逆らって西に向かい、両軍は赤壁で戦い、孫権・劉備連合軍がが勝利を収めました。
形勢が不利な曹操軍は、川の北に引き返し、烏林(現在の洪湖県の烏林の人民公社)に兵隊を駐屯させて、孫権・劉備連合軍と川を隔てて対峙、孫権・劉備連合軍は東南の風を利用し、火を点した松明を持ち、曹操軍の水寨を火攻めで攻撃しました。
曹操軍の船は一気に燃え尽き、その燃え上がる炎で岸壁が真っ赤に染まったことから、「赤壁」という名が付いたといいます。
孫権・劉備連合軍は勢いに乗り攻撃を続けたため、曹操軍は残りの部下をつれて江陵より退散しました。 -
赤壁を語るには、その前の官渡の戦いも把握しておかねばなりません。
西暦200年、官渡の戦いは袁紹軍70万人VS曹操軍約7万で破りました。
官渡の前哨戦である白馬・延津の戦いは、曹操軍師:荀攸の陽動作戦で当時曹操軍にいた関羽が顔良と文醜を倒します。
決定的だったのは袁紹の配下:許攸が曹操に投降、烏巣にある全ての食糧を焼き払いました。
袁紹は病気で吐血して死に、後継者問題で仲が悪い3人の袁紹の息子達は裏切りや投降で曹操に殺されました。
曹操は袁紹の土地を吸収します、魏の勢力範囲がほぼ決定した重要な戦争でした。
袁紹・・・冀州、并州、青州、幽州(現在の河北、山西、山東)
曹操・・・兗州、櫲州、司隷、徐州(現在の河南から江蘇省長江以北)
曹操は南下を開始し、208年8月荊州の劉表への攻撃を開始したところ、劉表が病死してしまい、跡を継いだ劉が翌月に曹操に降伏してしまいました。
その時、劉備は、劉表の客将として新野の城を守っていましたが劉表の死後、曹操軍から逃げるため南下を開始しています。
劉備を慕う農民たちがついてきてしまったため、長坂で曹操軍に追いつかれ妻子と離れ離れになってしまいます。
この時に趙雲が劉備の妻子を探しに単騎曹操軍の中に討ち入り、趙雲が敵中で2人も助けられないとみた妻が井戸に投身自殺し、趙雲が劉備の子:阿斗(後の劉禅)を胸に包んで敵陣を突破します。(趙雲が劉備へ阿斗をわたすと劉備は自分の赤ん坊を放り投げ、趙雲を抱きしめて趙雲が生きてて良かったと泣くシーンは中国版「三国演义」や映画「レッドクリフ」第一部の山場でした)
劉備は劉表の長男:劉と関羽軍と合流し、夏口(今の武漢)から樊口付近で孫権軍と合流したとされています。
西暦208年12月、赤壁の戦いが始まります。
赤壁の戦いにおける孫権・劉備軍の勝因>>
①「火攻め」----赤壁から烏林への追い風となる東風が吹く日を待ちました。
--諸葛亮が赤壁にある南屏山の祭壇で東風吹けーと祈り続けました、諸葛亮は天文に明るく季節により風が吹く方向を知っていたといわれています。(その後諸葛亮は周愉に殺されるのを恐れてさっさと荆州へ逃げ戻っていきました)
②「連環の計」---龐統が曹操軍の船を船酔い対策と称して鎖でつなぎ合わせさせました。
その前に周愉の策で蒋干に偽の手紙を持ち帰らせ、水軍の将で曹操に降っていた蔡と張允に裏切りの恐れありと曹操に信じ込ませ、水軍に詳しいその二人の将が処刑されました。(本来は①②③など全部の策を合わせて「連環の計」と呼びます)
③「苦肉の計」----これも周愉の策で、蔡中が孫権に投降してくるのですが(スパイとして)、皆の目の前で老将:黄蓋を口答えした理由で鞭打ちの刑にします。黄蓋の体からは血が流れ、最後は失神しました。黄蓋は曹操に投降したいことを蔡の息子達は曹操に伝えます。東風が吹いたその夜、黄蓋が投降すると見せかけて烏林の曹操軍に向けて火をかけた船を突っ込ませました。船は鎖で繋がれており多くの船は燃え上がり、曹操軍の多くは焼死し、曹操は大敗しました。
魯粛は諸葛亮と同じ考え「三国」(=曹操/呉/劉備)にて支配し、劉備軍との連携は曹操を防ぐ為に重要なことだと認識してました。魯粛と諸葛亮との間に信頼関係があったからこそ赤壁での孫権・劉備連合軍が成立し、曹操を大敗させました。
孫権・劉備連合軍が赤壁で曹操軍を破った後、劉備は曹操を追撃して南郡に入りました。(関羽は曹操への恩を感じ逃がしました)
劉備は、荊州に劉表の長男:劉を立てて荊州支配の正統性を内外に知らしめる一方で、
荊州南郡四郡へ出兵し、武陵・長沙・桂陽・零陵を手に入れます。(黄忠も劉備に仕えます!)
「劉備借荊州(訳:劉備が荊州を借りるだけ(でも返したくない))」は周愉の激怒により(周愉は曹操軍撃退の際、毒矢にささり吐血し死にます)以後「荊州領有問題」は劉備と孫権の外交激化となっていきます。
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