2017/12/16 - 2017/12/16
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駿河大納言さん
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みなさん!、「吉川家」って好きですか?
豊臣派の方は、軟弱な毛利輝元が豊臣方として活躍するのを妨げた、小早川家は豊臣のために尽くしたのに。。。として嫌いでしょう。
一方、徳川派の人は、毛利を押さえてくれたおかげで関ケ原に勝つことができ、吉川家が好きなのでしょう!
いずれにせよ、「徳川方に味方すれば、毛利家の本領安堵」という『空手形』を信じたものの、結局は、周防・長門2ヶ国に大減封されてしまった。この立役者が吉川広家であり、広家が封じられて築いたのが岩国城である。
吉川広家としては、本領安堵なら、数か国を与えられて、リッパな城に住めたのを、岩国という3万石に押し込められてしまった。ここからすでに、可哀想が始まっている。
しかも、この岩国城は、一国一城令の際、本当は壊さなくても良いものを、主筋である毛利秀元がその城を破却したという理由で、破却せざるを得なかった。またまた可哀想である。
しかし、できるだけいい加減に壊して、いざとなればすぐ再建できるようにしていたように思われる。
そして、1962年に、鉄筋コンクリート造りで外観復元された。しかし、その場所は本来の位置ではなく、錦帯橋から見える場所であった。昭和まで可哀想なお城である。
この旅行記は、この「可哀想さ」について述べたものである。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ちょっと天気は悪いものの、これが、典型的な錦帯橋と岩国城の写真です。背景の山の上に天守が見えるように、本当の場所とは違う場所に再建されたのです。
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とりあえず、錦帯橋を渡って、岩国城の方にいってみます。
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岩国城の山の麓には、「お土居」として、平時の住居が作られました。それに関係する建物がいくつか残されています。
これは、香川家の長屋門。 -
国の重要文化財になっている旧目加田家住宅。
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旧藩時代の櫓を模して建造され、現存している錦雲閣。
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ロープウェイで、山上へ。
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山頂からの眺め。
ここから時計回りで、岩国城をめぐります。
錦帯橋が、下に、小さく見えます。 -
北側は、旧街道沿いなので、しっかりと壊されています。
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大きな井戸の後もあります。
ここから生えている藤は、今もまだ咲くそうです。 -
穴太積みの石垣。ここに、天守が築かれていました。
しかも、この大部分は、破却したことを示すために、埋められていたそうです。 -
これは、鉄筋コンクリート造りで再建された天守。
当初も、このような南蛮造りだったらしい。 -
一方、南側にはまだ、石垣が残されている。
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立派な石垣である。
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明らかな櫓跡も残っている。
ここまでで、岩国城を一周。再び、ロープウェイで麓へ。 -
山麓には、吉川家の墓所が残されている。
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これは、その一部である8代経忠とその正室喬松院の墓碑。死んでまで、こんな隣に。。。と思ったものの、、今なら、同じお墓の中と思うと、少しは自由なのかと若干羨ましい。
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こんな感じで、お墓が並んでいます。
し~んとして、良い感じでした。
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