2018/04/14 - 2018/04/15
2718位(同エリア9729件中)
junさん
インパール2日目は、激戦地サンジャックとウクルルへの1泊旅行です。
事前に、私も大分勉強してきましたが、ガイドのアランバムさんの旧日本軍に対する知識も相当なものでした。
彼は、日印(マニプール州)親善にとても、貢献してもらっています。
インパール周辺の慰霊碑の建設・維持にも、尽力してもらっています。
私の少ない語彙の英語は、ほぼ理解してくれて、彼の英語で私の理解できな箇所は、スマホ翻訳で話してくれました。
表紙写真。
アッサム・ライフル隊の司令部の正門に、旧日本軍の一式機動四十七粍砲が飾られていました。綺麗にメンテナンスされています。
この砲以外は写真禁止を言い渡されました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
インパールの宿泊ホテルから出発です。
まだ新しいホテルの朝食も美味しいです。 -
洋風とインド風のビュッフェの朝食です。
コーヒーも紅茶も美味しいです。 -
インパールから北東へ向かいますが、当時のkangia飛行場跡です。
インパール周辺には6個の飛行場がありましたが、1個も日本軍は占領できませんでした。 -
ラム、にあるアッサム・ライフル隊の基地です。
we are with you for you always.
インパール作戦時は、この方面をを担当した第15師団司令部が置かれていました。 -
現地ガイドのアランバムさんと。
-
finch's cornerの三差路です。
南に行くと60KMで、インパール
北に行くと264KMで、コヒマ
東に行くと激戦地サンジャックです。
この三差路でも戦いがありました。 -
山道には、水牛(mountain buffalo)がいました。
市内では、多くの普通の牛が道路をふさいでいまいした。
真ん中の人は牛飼いの人です。 -
サンジャンク東方の英印軍の陣地があった、7378高地です。
日本の第31師団第58連隊第3大隊(福永連隊)が、攻めました。
激しい戦いで、英印軍はほぼ全滅したとのことです。
英印軍は、コヒマで戦死した日本軍将校の鞄から、その時の戦闘を初めて知ったとのことでした。
ガイドのアランバムさんが言うには、かなり辺鄙なこの場所に、
私が戦後初めて来た日本人だ、とのことでした。 -
今日の目的地、サンジャック村です。
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サンジャック村には、ホテルも、レストランも無いとのことで、ガイドの友人の家で、ランチをご馳走になりました。
とても豪華な食事です。 -
家では、頑丈な英軍の弾薬箱を、現役で利用していました。
米櫃のようでした。 -
アメリカの宣教師が、先の大戦前に建てたサンジャックの教会跡です。
ここはインパール作戦時、英印軍陣地でした。
北から第31師団の宮崎支隊(第58連隊)が、東から第15師団の第60連隊第3大隊(福島大隊)が攻撃しました。
しかし、宮崎少将は、第15師団の協力を断って、1週間かかって、サンジャックを攻略しました。
宮崎少将は人望のある将軍ですが、この1週間の遅延はコヒマ攻略に大きな影響を及ぼしたようです。 -
英印軍陣地の塹壕跡です。
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サンジャンクの東方高地です。
高地からこちら側に、第15師団の福島大隊は攻撃してきました。
中央はラグビー場の建設現場ですが、最近、戦死者の遺骨3体が発掘されたとのことです。 -
弾の跡のある飯盒です。
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サンジャック村の日本軍(第15師団)の慰霊碑前で慰霊しました。
この慰霊碑の隣には、慰霊者用の休憩小屋もあります。 -
日本軍慰霊碑の、
碑文は、現地の日本語のわかる人が書いたようでありがたいです。 -
左の御老人が、この慰霊碑を建設・維持してくれているシサクさんです。
日本軍の情報参謀藤原少佐の、メッセンジャーボーイを、されていたとのことです。慰霊碑のあるご自宅で、紅茶をご馳走になりました。 -
日本軍慰霊碑のすぐ上にある、英印軍の慰霊碑です。
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両方の慰霊碑を、設置・維持してくれるのは、とてもありがたいです。
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今日はウクルルの街で宿泊です。
このビルの3階がレストラン、4階5階がホテル部屋です。 -
ダブルベッドの部屋だったので、友人と2部屋用意してくれました。
ただ鍵が壊れていて、締まりませんでした。 -
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シャワーはお湯も問題無く出ました。
ウクルルは高原なので、4月でも少し寒いです。 -
夕食は、嬉しい事に、中華料理の炒麺とチキンでした。
いつもカレーだと、中華料理が嬉しいです。 -
ホテル4階から市内を望みます。
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日曜日なので、皆さんは教会へ向かいます。
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ホテルの朝食は、フレンチトーストとコーヒーです。
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ウクルルは、日本軍の野戦病院と補給基地がありましたが、医薬品や食糧もほとんど補給は、されなかったとのことです。
高原なので、4月でも結構寒かったです。
台座上の写真は許可をもらっています。 -
一式機動四十七粍砲
昭和17年製
大阪陸軍造兵廠
が読み取れます。 -
ウクルルの元、首狩り族の集会所です。
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ウクルルからインパールへ戻ります。
当時の日本軍は、この道もしくは前方の山をインパールへ向かいました。
我々が通ったと同じ季節(3月~5月)なので、写真中央の桜に似た木も、日本兵達は見ていたと思います。 -
この碑は、最近(2000年前後)のインド政府軍と革命軍の、戦場慰霊碑です。
先の大戦時もこの辺りで、日本軍(第15師団)と英印軍は激しい戦いを繰り広げました。 -
写真の山(4057高地)が、インパールへの日本軍の最接近地です。
私が指さす方向がインパール市街です。
第15師団の第51連隊は、山を占領しましたが、平地には遂に出ることはできませんでした。
英印軍は、平地では、戦車と、近くの飛行場からの豊富な航空支援を受けることができました。
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