2016/04/04 - 2016/04/04
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junemayさん
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広島県には足を踏み入れたことがありますが、広島市と宮島のある廿日市には長年行きたい願望があったものの、チャンスはなかなか訪れませんでした。暫くの間LCCに浮気していたら、ある日JALさまからお便りが。あらあら!「マイルの有効期限が2月末で切れます」ですって。チャンス到来かしら? ディスカウントマイルなら、なんとか国内往復できる程度のわずかばかりのマイルしかないのだけれど。
2月中に席を押さえて、3月にすわ広島!と思ったのですが、3月は航空会社にとって稼ぎ時らしくて、まさかのディスカウントマイルの対象外。だったら4月は? 無理よね? と見てみたら、ばっちり対象月になっているじゃあないですか。
ラッキー!! 3月より4月が狙い目とは知りませんでした。こりゃあ行くっきゃないねと、その場で羽田⇔広島便をポチッとクリックして押さえました。いつものように、メインの行き先だけ決めて、宿を押さえて、心ウキウキ、まことにアバウトな旅の始まりです。
4月3日 羽田空港→広島空港→広島市
4月4日★ 広島市→岩国→広島市
4月5日 広島市→宮島→広島市
4月6日 広島市→竹原→広島市
4月7日 広島市→西条(東広島市)→広島空港→羽田空港
1か月のドイツの旅から帰って参りました。ただいまです。これだけ遅れてしまうと、ドイツの旅をアップする頃にはすっかり中身を忘れてしまっているかも。やり始めたことはやり通す主義なので、ひとまずドイツは置いておいて、2年前へと戻ります。冒頭に広島への旅と書きましたが、本日はお隣の山口県岩国市へ。岩国へは広島駅から15分に1本ほどある山陽本線下り列車で約50分。広島駅からの山陽本線は岩国終着の列車が多く、山口というより広島文化圏に属しているように思えました。涙の雨も上がって、さあ、今日も花見日和です。
- 旅行の満足度
- 4.5
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旅2日目だというのに朝寝坊。起きたら8時過ぎていて、朝食を摂りに行ったのが9時過ぎ。駅から岩国行きに乗り込んだのが10時と、ありえねえ~!!!
広島駅から30分程で、明日下車予定の宮島口駅に到着。ここはもう広島市ではなくて廿日市市なんですね。 -
駅を出ると直ぐに見えたのが宮島焼工房の山根対厳堂。なんでも粘土に厳島神社本殿下の「御砂」を混ぜて焼いた陶器を制作販売しているそうですよ。宮島お砂焼き。ちょっと興味あったのでその翌日寄ってみようかなと思っていたのに、結局そのまま行かずじまいになってしまいました。
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宮島を撮ろうと何度も試みましたが、そのたびに邪魔が入ってろくな写真が撮れない! こんな写真アップするんじゃない!と言われそうですね。堪忍堪忍。
もっと小さな島を想像していましたが、意外に大きくて全景は撮れませんでした。周囲30kmもあるんですって。 -
広島駅から50分ちょいで岩国到着です。乗ってきた車両は、お洒落な227系電車。レッドウイングという愛称が付けられています。2014年製だから、まだピッカピカの綺麗な車両でした。厳島神社の鳥居、もみじ、そして広島カープのヘルメットを意識しているのか、赤がふんだんに使われています。とっても新鮮!!!
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岩国以西に向かう人は、こちらの黄色い列車国鉄時代の115系電車にお乗り換え。窓枠を含め、思いっきりレトロですねえ。この115系電車って、緑とオレンジに塗られた姿でJR東日本エリアでもお馴染みですが、「湘南色電車」は2018年3月で引退って聞いたような記憶。それもまた寂しい話・・・
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ホームの中程で見つけた「錦川清流線」(にしきがわせいりゅうせん)の時刻表を見つけて、急にこのローカル鉄道に乗車しようと思い立ちました。11時9分発。1日に僅か10本しか走っていない、そのうちの貴重な1本に、たった2駅なんですが乗れそうです。
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まだ少し時間があったので、駅前を散策。早速見つけちゃいました。岩国の汚水マンホールです。
珍しく夜の風景ですよ。月夜の錦帯橋と岩国城。そして錦川では鵜飼が行われています。篝火がたかれていますね。 -
こちらは後刻、錦帯橋周辺で見かけた通常版です。図案は同じですが、これだと月やかがり火は説明されないと分からないですね。
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岩国の駅前広場。どうしてこんなにデコシャコと建物が並んでいるのでしょう? 形も高さもすべてバラバラ。町の景観ということを考えたことないのかなあ・・・
駅前を見ただけで、岩国という町への期待が薄れていくのを感じました。錦帯橋とその周辺は大丈夫かしら? なんだか心配になってきました。 -
錦川清流線は旧国鉄時代の岩日線(がんにちせん 岩国⇔日原)が母体となっています。日原というのは島根県西部の津和野町にある駅ですが、名前が付いたにも関わらず、この路線日原まで走ることはありませんでした。1963年(昭和38年)に途中の錦町まで完成した段階で、廃止対象路線に指定されてしまったのです。
大規模な赤字を垂れ流ししていた「国鉄」の衰退は、昭和30年代にはもう始まっていたのですね。 -
錦川清流線は国鉄分割民営化の年1987年(昭和62年)に第三セクターとして誕生。岩国から私が降りる予定の川西までは、本来JR西日本の岩徳線(岩国⇔徳山)の一部なのですが、錦川清流鉄道は岩国から錦町までの区間を通して走ります。全長32.7km。ほぼすべての区間、錦川に沿って進みます。
乗り込んだ列車は、桜模様がゴージャスな「ひだまり号」。錦川清流線には他にも「せせらぎ」、「こもれび」、「きらめき」という、色とデザインの異なる3両の車両がありますが、今の季節に一番相応しい車両に乗れてラッキーでした。 -
桜のモビールが揺れる車内では早速お弁当を食べ始めるグループも。つられてこのまま錦町まで清流を上っていきたい気持ちに駆られてしまいました。
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岩徳線および錦川清流線の一つ目の駅である「西岩国」に到着。ご覧ください。このレトロな駅舎とホームの佇まい。
赤い屋根の駅舎は1929年 (昭和4年)建造。かつてはここが「岩国」の中心で、錦帯橋への玄関口だったそうですよ。麻里布(まりふ 現在の岩国駅周辺)と呼ばれていた地域が次第に発展して、「岩国」の名称を奪ってしまったため、この駅は1942年 (昭和17年) 以降「西岩国」と呼ばれるようになったのだそうです。 -
他所では滅多に見られない古式騒然とした跨線橋もご覧くださいね。素敵! 立派に現役です。バリアフリーなんて全く無理そう。おっかなびっくりの跨線橋渡ってみたかったな。
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座席の背もたれ裏側に案内があった「とことこトレイン」は、国鉄岩日線の廃止が決まる前に工事が完了していた錦町から先の線路の一部を利用した遊覧車で、観光客の多い土日や学校の休み中に乗車できるそうですよ。
完成しても一度も日の目を見ることのなかった岩日北線の一部が、こうして工事から50年近くたって活用されているとは驚きですね。車内にいるお客さんの目当ては、このゴトくん、ガタくん(車両名)に乗って桜のトンネルを体験することなのかもしれません。
これは時間がかかりそうだから、次回の楽しみとするしかなさそうですわ。 -
そうこうしているうちに、錦川が見えて参りました。
うわぁ、川沿いの桜堤が川面をピンクに染めています! -
錦町まで行かなくても、目の前に桜のトンネル出現しましたよ。このルートを選んで大正解。私の人生外れてばかりだけれど、これはたまの大当たりかしら?
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正に桜の里と言った佇まいです。
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錦川を渡るとすぐの、岩国から二つ目の駅「川西」で下車しました。あっという間の錦川清流線の旅でした。
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おやおや・・・錦川清流線の起点はこの駅からでしたね。ということは、私は岩徳線にしか乗っていなかったんだ。あーら残念・・・
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サクラ列車ひだまり号をお見送りして・・・
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駅前に降り立ちます。なぁ~んにもない駅前です。あるのはこの看板だけ。ここは小説家宇野千代さんの故郷でした。
宇野千代の生家経由でも錦帯橋に行けそうですが、先ほど見た桜のトンネルに「おいでおいで」されていたので、迷わず駅を出て右折します。 -
桜だけを頼りに進んでいきます。暫くすると、良い感じになって参りましたよ。石垣と桜って相性抜群ですねえ。
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駅から徒歩10分位。ようやく川岸までたどり着きました。天気がいまいちなので、ピンクと黄色のコントラストが少しさえないかなあ・・・
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だーれも歩いていない桜堤です。こんな贅沢許されるのかしら?
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振り返れば錦川清流線(JR岩徳線)の鉄橋です。先ほどあそこを渡ってきたんだ!
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遙か前方を地元の女子高校生が歩いているだけで、あとは私だけしかいない桜のトンネルです。錦帯橋を訪れる観光客もここまでは来ないんですね。
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花は丁度その盛りを迎えていました。連日お花見ができるなんて、期待していなかっただけに喜びもひとしお。頬が緩みっぱなしでした。
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錦川に舟が一艘。絵になりますねえ。
今度は写真の背後に見える橋 臥龍橋を渡りますよ。 -
臥龍橋から上流を眺めると、ほーら、見えた! 木造の五連アーチ橋 錦帯橋です。
ああ、ここからだと川が大きく蛇行している関係で、橋が四連にしか見えませんね。 -
上の1枚は望遠で撮ったもの。実際には錦帯橋は臥龍橋からこの位離れていました。左側に錦川が大きく曲がっている箇所がありますが、そこに先ほど見た「川西」駅前にあった看板には「龍江(吸江)」と書かれていた「淵」がある場所です。
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宇野千代の小説「おはん」の中で、主人公の息子がここで命を落とす、昼なお暗い淵だそうですよ。暗いのは川岸ぎりぎりまで山が迫っているので、そのせいもあるのかな・・・
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淵の様子は対岸からは窺い知れません。桜のトンネルは、山の裾野に沿ってずっと続いていて、目を移すと、なだらかな山頂右側に小さな天守閣が見えました。
毛利輝元の家臣吉川広家(きっかわ ひろいえ)が1601年(慶長6年)に築いた山城です。一国一城令により、完成後僅か7年で取り壊しの運命となりました。現在の天守は1962年(昭和37年)の再建。 -
臥龍橋から桜を愛でながらゆっくりと歩いて7、8分。
ここまで近づいて、ようやく5連目が見えてきました。川岸に敷かれた石畳が気になります。後で行って見なくては。 -
橋を渡る手前にあった地図です。小さな案内所があり、そこで携帯用の地図がもらえます。橋の通行料とお城の入場料、ロープウェイなどがセットになった「岩国共通券」もここで購入できます。
吉川氏の城下町は錦川の南側(この地図では上半分)に広がっています。錦帯橋を渡った先の横山地区(この地図では下半分)は錦川の蛇行部にあって、非常に狭い土地のため、主に藩政の中心としての機関が置かれました。藩政の中心地と城下町(地図では上半分)を結ぶ大事な橋が錦帯橋だったのですね。
ところがこの橋、何度架けても、洪水のたびに流されてしまうのです。さあ、困った! -
暴れ川だった錦川に、橋脚のない、流れない橋を架けたいという第3代藩主吉川広嘉の思いがどのように実ったのか、ちょっと調べてみたら、当時の中国杭州から亡命していた僧独立(どくりゅう)の存在が浮かび上がってきました。彼は僧であり、医者でもあって、広嘉を治療するために岩国に招かれたようです。
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独立が持っていた西湖蘇堤の島を繋ぐ石橋の図がヒントとなりました。錦川に石垣で固めた橋台=島を設け、その島と島との間を橋脚のないアーチで結ぶというアイディアです。完成した錦帯橋は白堤を結ぶ石橋の一つである錦帯橋とは姿形は全く似ていませんが、独立の話の中に恐らく、錦帯橋という名前が出て来たため、同じ名前を付けたのだろうと思われます。
橋の方に向き直ります。ようやく五連全てが入った写真が撮れましたよ。皆さまお馴染みの橋だろうけれど、やはり本物を目の当たりにすると、胸の高まりを覚えます。 -
いよいよ渡り始めます。上から覗き込むと、こんな敷石が目に留まりました。吉川広嘉が1673年(延宝元年)最初に建造した錦帯橋は洪水ですぐに流されてしまいましたが、二度目の橋は島(橋台)を強化したことで頑強となり、その後は276年も持ちこたえました。
この敷石も川底の土が削り取られないよう、特別な敷き方を施してあるそうです。 -
びっしりと敷かれた敷石が面白くて仕方ありません。
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敷石は、写真の下流側には、上流側の実に3倍の面積に敷かれているそうです。こうすることで、流水によって川床が削り崩されるのを防いでいるのですね。
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三歩歩いては立ち止まり、辺りを眺め、見回し、写真を撮りを繰り返しながら、亀の歩みより遅いペースで橋を渡ります。
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対岸には桜のトンネルがどこまでも伸びています。怪しい雲が背後から迫っているので、そのうち一雨来そうですね。
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桜見物の遊覧船も出ているようですよ。先ほど岩国駅前でマンホールの図案が鵜飼でしたが、夏になるとまさにこの錦帯橋付近で、鵜飼が行われます。長良川だけと思い込んでいた鵜飼。1月の日田に続き、岩国でも楽しめるとは!
調べてみたら、日本全国で鵜飼を楽しめるのは12箇所。長良川は2か所あるので上記の4か所以外には、山梨県笛吹川、愛知県木曽川、和歌山県有田川、京都嵐山の大堰川、京都府宇治川、愛媛県の大洲川、広島県馬荒川、そして福岡県筑後川。こんなにありました! -
1962年(昭和37年)に建てられた天守閣は、景観上の都合から本来の天守閣より30m南側にあるそうですが、 残された古文書の設計図に基づいた三層四階の桃山風南蛮造りです。
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ピンクベルトが近づいて来ました。
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癒される景色ですねえ
名残惜しいけれど、いつまでも橋の上にいるわけにもいかないし、次参りましょう。 -
渡り終えた私の前に現れた看板につられて入ってみると、目の前に現れたのがこちらの小さな石? なにこれ???
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「岩国石人形ミニ資料館」という小さな博物館の中に突然吸い込まれてしまいました。
ご覧の大名行列を形作っている人の形をした石は一つ1.5cmほどの大きさ。錦川にいるニンギョウ・トビケラという昆虫が川底の石を集めて造る巣で、川の中の大きめの石にこの巣(人形)をくっつけるのだそうですよ。それを人間がかっさらってくるという運びです。 -
人間一人分のパーツは小さな石片が時に10個以上組み合わさっています。
店主の話では、江戸時代より岩国名産として親しまれ、藩主吉川公も七福神、仏像、お地蔵様、観音様などに見立てられたものを諸大名に献上したとのこと。仏様だと言われれば、なるほどそう見えてくるのが不思議です。
ニンギョウ・トビケラにとってはえらい迷惑でしょうが、あまりにも可愛いらしい姿にほれ込み、大人買い決定です。 -
肝心の石人形ミニ資料館の写真は撮り忘れましたが、確かその隣? にあった派手派手しいソフトクリームやさんです。
100種類のフレーバー!!! お店の人は全部の種類覚えているのかしら? もうすぐお昼。デザートという時間ではなかったので、今回は遠慮しました。 -
錦帯橋から続く道に戻ると、どなたかいらっしゃいましたよ。
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果たして、先ほどから噂していた3代藩主吉川広嘉公でした。錦帯橋建立で功績のあった藩主ですが、病弱で京都で長く療養生活を送ったそうです。そう言えば、錦帯橋建立のヒントを与えてくれた僧独立との出会いのきっかけも、治療のためでしたね。
広嘉公誇らしげに、錦帯橋を見つめていましたよ。 -
広嘉公に向かって右側にあるのが吉川氏屋敷跡。な~んにもありません。今見えている門は、その屋敷跡に続く敷地に建つ、山口県指定文化財に指定されている「香川家長屋門」です。
香川家は岩国藩五家老の一つで、この門は1693年(元禄6年)の建造です。錦帯橋建設の際の頭領を務めた大工の大屋嘉左衛門が設計したとされています。 -
岩国市の建造物の中では最も古いそうですよ。中は私有地だそうで、入ることはできませんでした。出入り口に向かって左側に茶屋、右側には仲間部屋、武道場、厩のある堂々とした造りの門でした。
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藩主銅像と長屋門の奥に広がっているのは吉香 (きっこう)公園。ここにはかつて旧制岩国中学校→県立岩国高等学校がありましたが、校舎の移転に伴い、公園として整備されたのだそうです。
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橋から200m足らずで、もう山が迫っていますね。
写真は昔の石垣を利用した?大噴水です。豪快な水しぶきを上げていました。 -
もう一つ噴水見っけ!
吉香公園にはこのほかにもいろいろな建物が保存されえいますが、お天気が気になるので、先に城山に上ることにしましょう。 -
先ほど購入した共通券は錦帯橋、ロープウェイ、城の入場券がセットになっていました。
吉香公園山麓に設けられた乗り場からロープウェイに乗ってわずか3分で、城山山頂駅に到着です。 -
イチオシ
おお~ 早くも絶景が姿を現し始めましたよ。
眼下は桜の園。その先を錦川がゆったりと蛇行しながら海に続いていて、市街地の先に明るく輝いた瀬戸内海が見えます。ぽっかりと浮かんでいるように見える山々は瀬戸内海にある島々でしょうか?
正に素晴らしいの一言! -
手前には訪れたばかりの吉香公園の大噴水、円形の噴水、その左横には桜に囲まれた長方形の堀が見えますね。
今度は錦帯橋を渡り、なおもその先を辿っていくと、錦川のカーブの内側に平らな城下町が広がっているのが分かります。 -
ロープウェイの山頂駅からゆっくり歩いて7.、8分で岩国城到着です。嬉しいことに今回の旅2つ目のお城もピンクの花盛りでした。
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桃山風南蛮造りという城郭ですが、あまり聞きなれない言葉なので調べてみました。第三層、第四層の縁側がその下の層よりも張り出している造り、つまり下層より上層の方が大きくて外側に張り出したものを唐造り、あるいは南蛮造りと呼ぶそうですよ。
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この方向から眺めると、よくわかりますね。この建築様式はあまり他では例がないようで、オリジナルは一つも現存していません。
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錦帯橋と合わせて写真を撮るにはこの位置がベストということで、オリジナルの城より南に突き出した格好で復元されたお城。当然ながら石垣も昭和生です。
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アングルを変えて、今度は北東隅から撮った1枚。
今まで訪れた国々でも、1階より2階が出っ張った建築をよく見かけましたが、その殆どが税金対策(1階の間口の幅に応じて課税される)のための庶民の家でした。税金対策の必要ない藩主の城では、単にデザインというだけなのでしょうね。 -
昭和生まれのお城の中は、どこにでもありそうな博物館になっていました。刀剣とか火縄銃とかにはあまり興味がないんですが・・・
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それより錦帯橋にちなんで集められていた日本の名橋の写真が私には印象的でした。
こちらは私の大好きな熊本の通潤橋です。岩国を訪れた10日後の2016年4月14日に起こった熊本地震で、石垣がずれたり、通水管にひびが入ったりしたため、現在修復作業が行われています。 -
飛び入りですが・・・2014年11月に私が訪れた時の美しい通潤橋です。この独特の景観、素晴らしい姿に又いつかお目にかかることが出来ますように。
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展示に戻ります。沖縄県宮古島にある池田矼(はし)です。伝承では500年、記録上では260年前のものとされていて、さんご礁の琉球石灰岩を使用した堅牢なアーチ橋です。これは是非とも見てみたいなあ・・・
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愛媛県内子町にある田丸橋です。1944年(昭和19年)と言いますから、戦時中に建造された珍しい屋根付き橋です。内子にはかつてこのような屋根付き橋が10ほどあったそうですが、今では5つしか残っていません。
麓川(ふもとがわ)にかかる橋で、屋根があることから腐食を防ぎ、内子名産の木炭を出荷する際の倉庫としても利用されて来たそうです。 -
こちらは同じ四国の香川県琴平町にある鞘橋(さやはし)。国の登録有形文化財に指定されています。金刀比羅には何度か行っているのに、全く知らないとは何てことでしょう!!
なるほど刀の鞘のように反りがある形ですね。太鼓橋の一種にも見えます。現在のものは1869年(明治2年)に建築されたもので、普段は通行禁止。金刀比羅宮の祭事の時のみ使用されるとか。 -
きりがないのでこれが最後にしますね。不明瞭な写真なので、これも自前の写真で紹介しちゃいます。山梨県大月市の猿橋です。
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こちらが、2018年3月に訪れた猿橋の写真です。両側から伸びている支柱は長さが8m以上あり、殆どの部分は土中に埋まっています。分かりやすく言えば、てこの原理を用いて両側から橋を持ち上げているのです。
第3代藩主吉川広嘉は錦帯橋を建造する際、この猿橋も参考にしたのですが、川幅30mのこの桂川と錦川では全く条件が異なったため断念したと聞きましたよ。 -
展示されていた日本の名橋。このほかに新潟県新潟市の萬代橋、栃木県日光市の神橋、静岡県島田市の蓬莱橋、徳島県三好市の伊谷かずら橋、長崎県長崎市の眼鏡橋が紹介されていました。
橋大好き人間なので、刀剣とかお宝はそっちのけで、専ら橋の写真に見入っていました。 -
錦帯橋の精密模型もありましたよ。長すぎて1枚に収まりきらないわ。
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最後に天守閣からの眺望を再度楽しみました。今にも降りだしそうな按配で、ぼぉ~とかすんでいるのが残念です。これは南西方向。
錦帯橋の右側、川は大きくカーブしていますが、次の橋が臥龍橋。そして岩徳線の鉄橋と続きます。 -
城の南側。先ほどロープウェイの山頂駅から撮ったのとあまり変わり映えしません。数メートル高くなったかな?
先ほどより更にお天気が悪化してきていますね。間違いなく振り出しそうだわ。 -
山麓すれすれ、お堀の左側に建っている入母屋造りの楼閣は、錦雲閣という絵馬堂です。1885年(明治18年)になって、旧藩主の邸宅跡が吉香公園として一般に開放された時に建てられたものだそう。古いものではないけれど、藩政時代の面影が偲ばれます。
銀雲閣の左手奥、入口の両側が桜並木で飾られている建物は、岩国徴古館。藩政時代の古文書や工芸品を展示している博物館で、物資のない終戦間際の1945年(昭和20年)3月に竣工したというのでビックリです。後で行って見ましょう。 -
昔の殿様になった気分で、地形を考えると、目の前に天然の堀である錦川、そしてその先に天然の砦である小高い丘があって、城を築くのにこれ以上の場所はありませんね。敵が平地を進んでくれば、見逃すことはありません。
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精一杯望遠にしたら、海岸沿いに岩国空港と管制塔らしきタワーが建っているのが確認できました。その先の海、左側に浮かんで見えている島は甲島(かぶとじま)。無人島ですって。
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北側はご覧の通り、山また山です。
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1668年(寛文8年)に描かれたという「岩国領全図」という地図です。上が南を向いています。錦帯橋はまだこの時ありません。先ほど眺めた長方形の堀や川向こうの城下町の様子があまり当時と変わっていなくて、とても興味深かったです。
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小高い山から瀬戸内海の島々を眺めるのはとても気持ちの良いもの。以前山口県大畠から見た周防大島も感動的だったし、尾道の千光寺公園から見た沢山のはしけが行きかうジオラマのような風景を思い出しながら、天守閣ではたっぷり20分以上景色を楽しみました。
さあ、雨が降り出す前に山を下りなくっちゃ。慌てて駅に向かったので、旧天守閣の石垣を見損なってしまいました。 -
ロープウェイ山頂駅そばにぽつんと置かれていたからくり時計台です。どういう謂れがあるのか、何故ここに立っているのか、詳しいことは分かりませんでしたが、毎時15分、35分、55分に岩国に所縁のある音楽を奏でるそうです。この時ちょうど1時15分を指していますが、音楽を聞いた記憶はありません。どうしてかなあ???
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最後にもう1回、錦帯橋の写真を撮って、山を下りることにしました。相変わらずもやがかかったような写真しか撮れませんでしたね。
あらっ! 傘さしている人が沢山! やはり降って来ましたか・・・ -
下に見えるお寺のような入母屋造りの屋根は山麓駅隣にある岩国美術館です。刀剣等古美術が中心と聞いたので、今回はパスしました。
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あっという間に(3分です!)勢いよく水を吹き上げる噴水のある吉香公園に戻って参りましたよ。
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こちらは、岩国美術館とは反対側、公園の東側に見えた長方形をした堀の中にある噴水です。雨が本格的に降って来てしまいました。どこかで雨宿りしましょうか。
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堀を渡る橋は吉香神社の参道となっていました。吉香神社は藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社で、元々は三社あったのを1884年 (明治17年) に統合したのだそうです。
この辺りは正に藩主の住まいだった場所で、堀を渡った先に居を構えていたのでしょう。防衛上もばっちり。 -
橋の途中から辺りを見まわすと、先ほど山頂から見えた錦雲閣がすぐ目の前にありました。周りの景色にぴったりフィットしていますね。
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雨が激しくなってきたので、吉香神社境内の鳥居のちょっと先にある茶店で雨宿り兼昼食をとることにしました。まだ参拝していないけれど、先にご飯食べちゃおう。
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和風スイーツのお店のようですが、ランチメニューもありました。肉うどんセットというのを注文したら、とんでもなくヴォリュームのあるものが運ばれてきましたよ。
一人前の肉うどんに・・・ -
小さなおにぎり2個、大根の煮物、からし菜、卵焼き、ハスの煮物に、タマネギソースがたっぷり乗ったコロッケのような初体験の食べ物、そして香の物。
沢山歩いた後ですから、お腹ペコペコ。美味しかったですよ。流石におにぎり完食できず…でしたけれどね。 -
食べ終わって外に出たら、雨は殆ど止んでいました。バンザーイ!!
そうそう、茶店は、「岩国町の八百屋??さん」が奉献した狛犬のすぐそばにあり、「ほしで茶屋」という名前でした。
長くなってきたので、サクラ満開 春爛漫の山陽路 その3 岩国市(後半)に続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- マリアンヌさん 2018/06/19 21:20:15
- お帰りなさい
- junemai さん、遅ればせながらお帰りなさい。
春爛漫の山陰路、風情がありますね。
日本国内は、未踏の地があふれています。
西欧編も楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2018/06/23 13:55:07
- RE: お帰りなさい
- マリアンヌさん
ご無沙汰です。
19日から22日まで大分に行っていました。お返事が遅れてごめんなさい。相変わらずの遅筆のjunemayです。すでに2年遅れになっていますね。春爛漫が終わったら、ようやくスペイン、ポルトガルです。ああ、生きているうちに書けるかしらと心配になってきました。期待しないでお待ちくださいね。マリアンヌさんの旅行記も楽しみにしています。
junemay
> junemai さん、遅ればせながらお帰りなさい。
>
> 春爛漫の山陰路、風情がありますね。
> 日本国内は、未踏の地があふれています。
>
> 西欧編も楽しみにしています。
> マリアンヌ
>
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