2017/10/26 - 2017/10/26
89位(同エリア275件中)
放浪老人さん
カンクン1日目は、主目的、マヤ遺跡チチェン・イツァの見学です。マヤ文明に関する知識が殆どなかったので、日本語ガイド付きのツアーに参加することにしていましたが、運良く、最初にネットで調べた現地旅行社はこの日にツアーを実施していました。チチェン・イツァは午前中だけで、午後にはセノーテで泳ぐプランです。私としては、1日チェチェン・イツァに居てもよかったのですが、1人旅の立場わがままは言えません。
見学時点では、初めての、先コロンビア期(コロンブス到着前のアメリカ大陸)の中米遺跡の見学でした。チチェン・イツァの知識は、生贄や貢ぎ物を投げ込んだセノーテと、春秋分にククルカンが姿を現すピラミッドがあることだけでした。しかし、この旅行記を書いている今は、メキシコ・グアテマラで、幾つかの遺跡と博物館を見学した後です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
-
6:52 ホテル玄関:
正面にツアーデスクがありますが、 周辺のテーマパーク等のエンターテイメント系へのツアーばかりで、周辺の遺跡や自然を訪れるツアーは殆どありません。 -
7:38 ホテルゾーン:
他の客を迎えるためにホテルエリアを経由します。セントロ暮らしの私にとっては、ホテルゾーン見学です。広々とした敷地を持つ巨大なリゾートホテルや高級ショッピングモールが次々と現れ、セントロとは別世界です。但し、道路から少しでも外海が見える所は一カ所しかありませんでした。
新婚一組が乗り込んで、私と3人のツアーです。彼らには悪いとは思いますが、日本人観光客が少ないこの季節、私にも選ぶ余裕がありません。 -
googlemap カンクン付近:
赤○3から、赤○1へ行きます。カンクンからのデイツアーではもっとも遠い目的地と思います。 -
8:37 高速道路料金所:
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9:32 真っ平らな密林を切り開いて、ほぼ直線の高速道路が作られています。有料の高速道路ですが、自転車や歩行者も通ります。
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10:10 チチェン・イツァ遺跡入口:
多数のバス・ワゴンが集まる駐車場と、テーマパークの入口のような巨大なエントランスが出迎えてくれます。巨大リゾートカンクンからの、約260万人(年間)の観光客に対応できる施設です。 -
10:13 入場券売り場:
カンクンの雑踏が、そのままここに移ったようです。正面が切符売り場ですが、団体客が多いからか、入場券売り場に並ぶ人は少ない。 -
10:18 土産物を売る露店の並ぶ道をカスティージョへ
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10:21 カスティージョ(西面)
カスティージョは、スペイン語で「城」です。密林の中に再発見したスペイン人が彼らの印象で名前をつけました。エジプトのピラミッドに似ていますが、墓ではないので、神殿(スペイン語でTemplo、キリスト教以外の寺院・神殿を意味します)と呼ぶのが正しいようです。
この神殿は、Great North Platform地区の中心遺跡で、メキシコ中部高原のトルテカの影響が現れた、後古典期(900-1200AD)の初めに造られたようです。このような正四角錐台形の神殿は、その規模を含めて、他のマヤの遺跡にはないようです。ガイド氏は、一歩踏み込んで、古典期後期・末期にここに都市を築いた支配者が、マヤ歴に従って(?)都市を捨てて北に移動し、後古典期に北の文化を吸収して戻ってきたと話していました。
他のマヤ遺跡でもそうですが、再発見したスペイン人がが付けた名前と、マヤ時代の役割は違っている事が多いです。 -
10:23 カスティージョの広場越しに、球戯場とその外側に付属するジャガーの神殿
視線を右に振ると、ツォンパントリ、ジャガーと鷹の台座が並んでいます。この広場は、再発見時には密林で、この都市が機能していた時代にも、サクレと呼ばれる漆喰で舗装された広い道以外は密林だったようです。 -
10:41 ジャガーと鷹の台座:
広場の北東の球戯場の東側にあります。階段の上にククルカンの頭が付いています。赤く囲んだ部分の拡大は次; -
名前は、心臓をくわえたジャガー(中央の白い部分)と鷹(右側)が台座に刻まれていることから名付けられました。この2種類の生き物は、メソアメリカにおける、陸と空の王者で、マヤの人々の崇拝の的でした。この台座の上には、チャックモール像が置かれ、生贄を捧げる行事が行われていました。
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10:44 ツォンパントリ(頭蓋骨の台座)
ジャガーと鷹の台座と球戯場の間にあります。側面には多数の頭蓋骨が刻まれていて、それだけでも十分に異様ですが、後古典期には生贄の頭蓋骨が上に並べられていたらしいです。この遺跡の血塗られた核心部分ですが、スペイン人が発見した時には、頭蓋骨は確認していません。
マヤの領域には同様の物はありませんが、メキシコ市のアステカ遺跡、テンプロ・マヨールには同様の台座があります。 -
10:46 ジャガーの神殿
神殿内中央に置かれているのがジャガーの像です。前面の柱には、多彩な彫り物を施した石板が貼り付けられて、神殿内の壁面には、彩色壁画の痕跡が残っています。ジャガーも、カスティージョで発見されたジャガーと同じように、赤で彩色されていました。左右にククルカンの頭部が付いているのも確認できます。 -
球戯場の前から、カスティージョ
朝にはあった雲は消えて、広場の中では、容赦なく、太陽が照りつけています。気温は30度は遙かに超えています、但し、湿度はありますが日本の夏ほどではない感じです。 -
10:51 球戯場
メソアメリカ最大の球戯場で、ティカル遺跡の球戯場に比べると100倍以上はありそうで、共通の競技が行われたとは思えないぐらいの規模の差があります。手前と向こうの端には、王族や神官の観覧席=神殿?があります。 -
壁面の下部には絵が刻まれた石板が貼り付けられています。その中央部では、戦士が、別の戦士の首を持っています。そして、首を切られた胴体から、血のように蛇が吹き出しています。この絵が、負けた(又は勝った)チームは、生贄にされる話の起源です。
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11:00 球戯場(奥から)
壁は垂直から上のほうが前に出た構造で、球戯場内の音が反響し遠くまで届くように作られています。両方の壁の中央上部に小さな石のリングが見えています。これらのリングがゴールであったと言われていますが、このリングにボールを通すのは容易なことでは出来そうにありません。具体的な競技の内容を説明した資料はなく、競技の内容は謎の部分が多いようです、穴がゴールであったことを含めて。
球戯の内容は判りませんが、特殊な音の反響が生み出す、特異な雰囲気に包まれた球戯場で、おどろおどろしい衣装を身につけた王や神官達が見守る中、競技者が、宗教的陶酔に落ち込んで、抵抗なく命を投げ出す、ー勝ったチームさえー、ことが起こっても不思議がないように、私には思われます。 -
11:04 球戯場側壁裏側
目に付きにくいこちら側は、修復されていません。 -
チャック・モール像
ジャガーと鷹の台座の横に置かれています。私は、ややとぼけた感じて、ほのぼのした雰囲気を感じるのですが、実際は、生贄の心臓が捧られた、まさに血塗られた歴史を持つ像です。
マヤの遺物を集めたグアテマラ市の国立考古学民族学博物館にはチャック・モール像はありませんが、メキシコ市の国立人類学博物館には、メキシコ各地で見つかった、幅広い時代のチャック・モール像が展示されています。チチェン・イツァとメキシコ中央高原との関連を示す証拠の一つです。 -
イチオシ
11:12 カスティージョ(北面)
春秋分に、画面右側からの夕日が、カスティージョの角のぎざぎざで遮られ、階段の右面に蛇の胴体が現れるそうです。そうなるように、カスティージョは、東西南北よりずらして建てられています。4面とも同じような構造のカスティージョですが、ククルカンの頭は、この面の階段の下にしかありません。
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11:14 戦士の神殿
カスティージョの北東側にあります。前面に戦士の像を刻んだ角柱が立っていることから、名付けられました。歴史や観光のガイドブック等では、人が登っている写真が掲載されていますが、今は柵で囲われて、角柱の戦士像も確認できません。手前の円柱は千柱の回廊で、屋根が架けられて、兵士等が駐留していたようです。 -
11:16 戦士の神殿の頂上部
見にくいですが、中央にチャックモール像が見えます。チャックモール像だけでなく、石柱が林立していることも、他のマヤ遺跡とは違っています。
同時代のメキシコ中央部のトゥーラ遺跡に、石柱が立つ似た神殿があるようです。
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11:18 カスティージョ(東面)
北面に近い方は修復が終わっていますが、残りはまだ終わっていないようです。この面の映像は見たことがないように思います。
ククルカンの頭があるのは北面だけです。さらに、最上部の建物の入口も、北面だけ3つあります。ククルカンの神殿は正四角錐台で4面とも同じようですが、正面は、ククルカンが現れる北面のようです。 -
11:21 カスティージョ(南面)
西面の近くを除く、この面は修復されていません。いつもテレビなどで映されるのは、西北面だけで、形は正四角錐台なので、裏側も同じだと思っていましたが・・・。
戦士の神殿と同じように、写真では人が登っていますが、今は立ち入り禁止です。遺跡に近づけないことも残念ですが、遺跡全体を見渡す場所が無くなっていることも問題です。ちなみに、ティカル遺跡では、神殿の上からスターウォーズと同じ、密林と神殿と地平線を見下ろすことが出来ますし、ティオティワカン遺跡では、神殿に登るだけでなく熱気球で遺跡上空を飛ぶことも出来ます。 -
11:27 次は南にある、Ossario及びCentral group
ガイド氏は、南の地区はどうしましょうと、おそるおそる、聞いてきました。とても暑いこともあって、カスティージョを見れば十分とおっしゃる方々が結構多いようです。歩きやすい靴を履いた元気な新婚さんと私のグループには無用の心配でした。 -
11:25 Ossario(納骨堂)
遺跡発見時には、崩壊が激しく、殆ど原型をとどめてなかったようですが、20世紀になって、調査・修復され、内部から墓が発見されました。発見時に名前が付けられなかったので、「高僧の墳墓」とマヤ時代の実態に近い名前が付けられました。しかし、今では、納骨堂にかわっているようです。
大きさは違いますが、形はカスティージョとそっくりです。ただ、カスティージョでは一面の階段下にしか付いていなかったククルカンの頭部が、4面ともついています。 -
11:34 カラコル(かたつむり)
内部に、螺旋階段があったので、カラコルと名付けられました。今、我々が発見したとすれば、形から天文台と呼ぶと思います。実際、現在の天文台のように星を追って回転することはしませんが、春(秋)分や夏至の光の方向に窓を開けて観測できようになっており、当時の天文台と呼ぶべき建物であったようです。周りの方形の土台の上は、障害なしに金星などの星の運行を監視するのに適しているようです。古典期後期(600~800AD)に造られました。 -
11:37 尼僧院(左半分)
ガイドの説明では、モザイク石彫の違いから、古典期後期、600~800年、の間に、増築されていったと考えられるそうです。スペイン人の連想で尼僧院と名付けられましたが、王族などが住んだ住居群です。
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11:37 教会
尼僧院の建物群の入口にあります。模式化した顔(雨神チャック)等のモザイク石彫で装飾された、ファザードが付いていることから教会と名付けられましたが、尼僧院を構成する他の建物と同じで、住居であったようです。このような、長方形の切石を積み上げた壁の上にモザイク石彫の装飾の屋根部分を乗せた建物をプウク式と呼びます。プウク式の建物は、古典期後期に栄えた、マヤ半島北部の都市遺跡によく見られます。 -
11:39 尼僧院を構成する建物
教会と同じようにプウク式の建物です。プウク式の建築群には、模式化されたモザイク石彫ー中国の青銅器の獣面文=饕餮文が思い出されますーしかなく、ククルカン等の石像や、写実的な石彫や壁画が多いGreat North PlatformやOssarioと全く違っています。時が経って文化が進んだと考えるより、外部から別の文化が入ってきたと考える方が自然と思います。
ここで、ガイドツアーは終わりで、30分後にゲートに集合です。カラコルや尼僧院はCentral groupで、さらに南に 古典期後期の遺跡=Old Chichenがあるようですが立ち入り禁止です。土産を買う予定はないので、途中見逃した遺跡を見ながらゲートへ帰ります。 -
11:48 尼僧院の右隣に接続している神殿(?)
左側の立木の奥に尼僧院があります。尼僧院より遙かに巨大な遺跡ですが、特段の表示・説明はありません。 -
11:46 浮き彫りの神殿
尼僧院の東側にありますが、ククルカンの頭がありますし、浮き彫りは写実的であったようで、後古典期の遺跡と思われます。尼僧院との間に、立ち入り禁止の道があり、その奥にも遺跡があるようですが、立ち入り禁止になっていました。 -
浮き彫りの神殿の説明板
1人で見学している部分の解説は、帰国後、この説明板や、写真、ネット、解説書で調べて、書いています。スペイン語と英語の間は、スペイン人などによって、アルファベット表記にした先住民の言葉と思います。この都市が栄えていた頃のマヤ語とは違いますが、影響は残っているようです。 -
11:50 赤い家
支配者達とマヤ歴=869AD=古典期末期がマヤ文字で刻まれていた部屋があったそうです。 -
12:01 千柱の回廊
左に進むと戦士の神殿まで続いています。右に進むと円柱群の向こうに次の写真 -
12:01 メルカード(?)
だと思いますが、説明版を探す時間がなくなりました。
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12:07 入口へ
朝開いていなかった店も開店して、隙間無く土産物店が並んでいます。
残念ながら、生贄が捧げられた聖なるセノーテは、北に少し離れているので、行く時間がありませんでした。ガイドの話では、地下の水系がふさがって水が濁ってしまい、がっかりする人が多いので、ツアーコースから外されたようです。カンクンから近く誰でも参加する、酷暑のウォーキングツアーは、神経を使うことが多く大変なようです。 -
12:20 遺跡入口
正面の看板は、カスティージョの照明イベント、ククルカンの夜、の紹介です。年200万人を超える見学者から遺跡を守るためやむを得ないとは思いますが、個々の遺跡に近づくことが出来ません。それでも、2時間で見学を終えるには広すぎると思います。少なくとも、遺跡とユカタンの平原を見回せる塔がほしい。 -
12:31 Haciende Xaybe’hD' Camara
チチェン・イツァー遺跡から数分の場所にある、ツアー向けブッフェレストラン。 -
13:09 おきまりのフォルクローレショウ
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12:38 ブッフェ
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14:03 Cenotes X'kekén
レストランから40分弱で、バヤドリド近郊にあるセノーテの入口です。 -
14:04 セノーテ受付
セノーテ1カ所は80ペソとなっています。 -
14:14 セノーテへの降り口の周辺
トイレ・シャワー・脱衣室は完備です。 -
14:15 セノーテへの降り口
セノーテへの入口が掘られています。 -
14:15 木組みの階段を下りると水面まで降りることが出来ます。
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深くて足は底に届きませんが、泳ぐと言うより、巨大な浴槽に浸かる感じです。
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14:30 セノーテの穴
ここからの光が、セノーテ内に幻想的な色と陰影を造り出しています。
防水用のキットを持っていなかったので撮影はここまで。 -
セノーテの天井から、小型の鍾乳石が垂れ下がっています。鉛直な壁に囲まれた、ほぼ円形のプールです。水の出入り口は水中にあるようで、確認できませんでした。
ゆっくりするにはやや冷たいので、30分弱で切り上げて、次に進みました。 -
15:05 バヤドリドの中央広場 メスティサ公園
右下は、恋人用の椅子らしい。 -
15:05 バヤドリドの教会
ガイドの話では、松田聖子と神田正輝がこの教会で式を挙げようとする、・・・映画『カリブ・愛のシンフォニー』(1985)があったようです。ガイドを含むツアーの4人中、唯一私が知っている可能性がある世代ですが、残念ながら記憶にありません、松田聖子は好きではなかったので。 -
16:09 密林内の直線道路をカンクンに戻ります。
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17:05 ドルフィンビーチ
ホテルゾーンで唯一、道路のカリブ海側にホテルがない場所です。 -
17:13 Fashion Harbour Cancun
ラグーン側には、ショップ・レストラン・ヨットハーバー等が並んでいます。ラグーンが見渡せる場所はそれなりにあります。
この後、新婚2人と別れて、セントロで次の日の「コントイ島のツアー」の支払いを済ました後、ホテルまで送ってもらいました。 -
18:18 ホテルの部屋からユカタンの夕日
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19:04 Potzollcalli
ロス・アメリカスショッピングセンターの東側にある、ポソルカリ。メキシコ市にも支店のある、郷土料理店のチェーンです。ここの自慢料理の1つがポソーレ、大粒の白いトウモロコシが入ったスープです。今回はチキン入りを選びました、右端のレタスを入れライムを搾って食べます。体調が悪いときでも安心して食べられるように思います。左端は、サボテン入りのカプレーゼです。
メキシコ料理は非常に辛いソースが付いてきますが、料理自身が辛かった経験はありません。 -
19:33 Potzollcalli入口
ショッピングセンターのポナンパック通り側に、並んでいるレストランの内の一軒です。 -
19:37 ロス・アメリカスショッピングセンター
今や、南北を問わずアメリカ大陸中にある、アメリカ型のショッピングセンターです。この後、ニカラグアでもグアテマラでも見かけました。
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