2018/02/24 - 2018/02/24
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chiaki-kさん
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2018年2月24日、ひょんなことで名古屋へ出かけましたが、最近4トラによく登場する長久手市のトヨタ博物館を見学してきましたので、chiaki-k流にリポートしてみたいと思います。最初にリポートするのは自動車の黎明期から第2次世界大戦までで、その時代のターニングポイントとなった”くるま”を中心に、お届けします。なお、間違った記載もあったり、筆者の思い入れが強すぎる部分もあるかと思いますが、その辺は、ご笑覧いただければ幸いです。なお、一部の文章等はトヨタ博物館のHPを参照させていただきました。
表紙の写真はブガッティ タイプ 35B (1926年・フランス)という名のピュア・レーシングカー。デコボコ道を壊れずに走れば満足というフォード・モデルTに陰りが見え始めた時代に、こんな宝石のような”くるま”も造られていたのです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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トヨタ博物館の所在地は名古屋市の東隣にある長久手市。愛・地球博記念公園近くの県道6号線沿いにあり、県道から楕円形の建物がすぐ目に入る。なお、博物館は火曜日~日曜日の9:30~17:00まで開館、月曜日は休館日となっている。入場料金は大人1000円、但し65才以上は500円。その他各種割引あり。
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トヨタ博物館前交差点を曲がって200mほどの並木道を走ると写真の正面入り口前。駐車場は3カ所ほどあるが、係員の指示に従うこと。この日は特別イベント(第2章に記載)があり、第1駐車場はクローズしていたので第2駐車場へ廻った。
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トヨダ AA型乗用車 "レプリカ" (1936年・日本)
博物館本館の建物は3F構造となっており、1Fはロビー、レストラン、トイレなどとなっており、シンボルゾーンに1台だけ飾ってあったのがトヨダAAと呼ばれる1936年に誕生したトヨタ自動車初の生産型乗用車のレプリカ。当時、乗用車の生産の中心はアメリカであったが、その流行を取り入れたデザインだった。 -
所謂”観音開き”と呼ばれるドア構造を持つが、初代トヨペット・クラウンに受け継がれた。
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当時はトヨタでは無くて”トヨダ”だったのね。
1936年夏に行われた新トヨダマークの公募で選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。理由として、デザイン的にスマートであること、画数が8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられ、1936年9月に「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に採用された。
(Wikipedia参照) -
ベンツ パテント モトールヴァーゲン "レプリカ" (1886年・ドイツ)
エスカレータで2Fに上がると最初に出会うのがこれ。まるで自転車に木製のベンチを乗せたような乗り物は、1886年にカール・ベンツが発明した世界最初(諸説あり)の内燃機関を持つ3輪自動車で、リアアクスルの上におかれたエンジンは984cc水冷・水平単気筒、最大出力は0,9hp、時速15kmの走行が可能であった。
当時は馬や馬車が主体の乗り物であり、自動車は馬を怖がらせる邪魔者扱いされていたが、カール・ベンツの妻ベルタがマンハイムからプフォルツハイムまで106kmのドライブに成功すると、世間から注目が集まり、ついに自動車が認知されることに繋がった。 -
ベンツ ヴェロ(1894年・ドイツ)
この4輪自動車は1894年にベンツが出した2番目の4輪車。エンジンは1045cc水冷・水平単気筒、最大出力は1.5hp、時速21kmの走行が可能であった。 -
ド ディオン ブートン 1 3/4HP(1898年・フランス)
今で言う”トライク”のご先祖様のような三輪車。自転車のようなペダルが付いているのは、ご愛嬌。 -
このお弁当箱のような箱の中身はバッテリー。フレームにある小さなレバーは、アクセル、チョークなど。名車というより迷車に近いかも。(1903年生産終了)
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スタンレー スチーマー モデルE2 (1909年・アメリカ)
フロントにはボイラー、中央床下には蒸気直列2気筒単式複動式のエンジンを持つ蒸気自動車。蒸気自動車の歴史はガソリン車より古く、およそ250年前から存在していたが、走り出す前にお湯を沸かしたり、何度も水を補給しなければならないなどの面倒さが嫌われ、1927年に生産終了となる。 -
フロント上部の丸いものはお湯を沸かすボイラー。燃料は気化ガソリンか灯油であった。
1906年スタンレー ロケットという名のモデルは205.5 km/hという記録をデイトナビーチで樹立したが、蒸気自動車による記録としては2009年8月まで破られなかった。 -
ヘッドライトはアセチレンガスを利用した灯火が採用されていた。
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ビデオでスタンレー スチーマーの走行実験を流していたが、水蒸気をもうもうとあげて走る様は、まるでSLのようだ。
ちなみにトヨタ博物館に展示してある”くるま”達は、ただ、古いものを並べておくだけではなく、ほぼ全車、実走可能の状態でメンテナンスされているそうだが、これは素晴らしいことだ。 -
ベイカー エレクトリック (1902年・アメリカ)
この車は1899年から1915年まで生産された電気自動車で、わずか1馬力のモーターから時速40km、航続距離80kmの走行が可能だった。静かで、排出ガスもなく、始動時にクランクを回す必要がないという電気自動車は女性に人気があったという。
このように自動車の黎明期には蒸気、電気、ガソリンなど様々な動力で動く車が発明されたが、やがてガソリンを燃料とする内燃機関が主流となって行く。しかし、”時代は繰り返す”のたとえの通り、21世紀半ばには電気自動車が主流になりそうな雰囲気である。 -
フォード モデルT(1909年・アメリカ)
ヨーロッパで生まれた自動車は、一般庶民には手の届かない高価な乗り物で、貴族や資産家の遊び道具でもあり、誰にでも所有できるものでは無かった。しかし、貴族のいない新大陸アメリカで農家出身のヘンリー・フォードが考え出したモデルTは、ボディーカラーを黒一色にしたり、余計な飾りは一切付けなかったり、さらにはベルトコンベアによる大量生産システムを取り入れたことにより、当時2000ドル以上した自動車を850ドルで売り出すことに成功した。 -
最終的には260ドルまで値下げした結果、1908年のデビューから1927年までの間に、1500万台以上生産し、空前のベストセラーカーとなる。また、車を安く売るだけでは無く、従業員の給料を倍にしたり、週休二日制にするなどした結果、郊外に映画館や遊園地ができるなど、デトロイトの街も変わっていった。
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キャデラック モデル サーティ(1912年・アメリカ)
当時、エンジンスタートは手でクランクハンドルを廻していたが、重いクランク廻しは女性には難問だった。ところが1912年製のキャデラックは、画期的なセルフスターターを備え、女性でも作動させやすいようになった。また、ヘッドライトは石油ランプやアセチレンガスが主流だったのを、スイッチ一つで点灯する電気式ヘッドライトを標準装備としたのも大きな特徴である。 -
シボレー シリーズ490 (1918年・アメリカ)
1915年、シボレーがフォード・モデルTと同じマーケットに送り出したモデル490は、明らかにフォードヘの挑戦であった。
490は独特な運転技術を要するモデルTの遊星ギアに対して、日常には使いやすい一般的な3段ギアボックスを採用、さらに、OHVエンジンを搭載したこともあって整備性も格段に向上、着実にユーザーのハートをとらえ、1910年代の後半にはモデルTを脅かす存在になっていたのである。 -
シボレー スペリア シリーズK (1925年・アメリカ)
1920年代になると道路の舗装はさらに良くなり、ちょっと贅沢で、スピードの出る快適な車が求められるようになった。T型フォードに挑戦してたゆまざる改良を進めてきたシボレーは、よりパワフルによりスムーズにを目標にして、1925年にKシリーズを発表した。そして、2年後の1927年には生産台数でT型フォードを抜き、世界のベストセラーカーとしての地位を確立した。 -
フォード モデルA(1928年・アメリカ)
シボレーとは対照的にヘンリー・フォード(社長は息子のエドセルだが、実権はヘンリーが握っていた)は1920年代になっても頑としてモデルTの生産を止めなかった。その結果、シボレーに追いつかれ、ついには逆転されてしまう。ここに至って、ヘンリー・フォードもモデルTの生産をあきらめ、1から出直すつもりで名付けたモデルAを出してきた。 -
モデルAはすべてがまったく新設計のモデルで、40psの力強いエンジン、3段トランスミッションや4輪ブレーキなどがあげられるが、一番はエドセルが手がけた上級モデルであるリンカ一ンに習った魅力的なデザインだったかもしれない。
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ピアスアロー シリーズ36(1927年・アメリカ)
ピアスアローは、パッカード、ピアレスと合わせて“スリーP”といわれたアメリ力の超高級車である。水冷直6・6.7L・100psのエンジンを搭載、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあった。 -
デューセンバーグ モデルJ (1929年・アメリカ)
6882cm3・水冷直列8気筒DOHC・265psという高性能エンジンを積んだ高級車。 -
デ ソート エアフロー シリーズSE(1934年・アメリカ)
1934年、クライスラーとデソートが突如として発表したエアフローは、進歩的すぎたため失敗に終わったが、当時の常識をはるかに超えていた。エンジンを前車軸の真上に置いて重量配分を変えたことで拡大した乗り心地のいい室内、現代のモノコックに近いボディ構造など、あらゆる点で画期的だったのである。このデソートのシャシーやボディ構造がトヨダAA型の開発に与えた影響は大きかった。
このようにWW1後のアメリカには様々な自動車会社やコーチビルダーが生まれ第1次黄金時代とも言える活況を呈していた。少なくとも大恐慌までは・・・ -
ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト (1910年・イギリス)
話をヨーロッパに戻そう。まずは高級車から。
F・H・ロイスとC・S・ロールスは1904年、完璧な自動車をつくるためRR社を創立。徹底した製品管理のもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表した。この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー~ロンドン間を昼夜ノンストップで、延べ15,000マイルをほとんどトラブルなしに走破した。 -
幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から"シルバーゴースト"と呼ばれるようになった。
こうした信頼性とともにシルバーゴーストの軽量かつ耐久性の高いシャシーは高く評価され、第1次世界大戦では装甲車などの重いボディを架装して熱砂の戦場を駆けめぐったことでも、その性能の高さは実証されている。もちろんシルバーゴーストは高価であることは間違いない。しかし、高い品質を持った量産車として、フォード・モデルTと行き方は違うが、高級車の源流になったのである。 -
高級車らしくテールランプも2つ付いている。ただし燃料は灯油か。テールランプの後ろにあるタンクはガソリンタンクと思われるが、この位置で良いの?
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ドゥローニー ベルビユ タイプHB6L(1911年・フランス)
機関車や船舶のボイラーを造っていたメーカーとして有名であったドゥロー二ーは、1904年のパリサロンで自動車を発表。特徴的な丸型のラジエーターは人々の注目を集め、ベンツ型やルノー型とともに第1次世界大戦までひとつの流行として多くのメーカーに影響を与えることになった。
フランスと言うと今はルノー、プジョー、シトロエン位しか思いつかないが、以前は様々なメーカーが存在した。 -
ベンツ 14/30HP(1912年・ドイツ)
ヒット作ヴェロの単気筒に固執したため、技術面で遅れをとったベンツも、1905年から1906年にかけて新しい4気筒車を続々と発表、多くのトライアルに参加して成功を収めた。このスポーティなツアラーは1912年製で力ウルを曲面で構成したモダンなスタイルを特徴としているほか、電気式ヘッドランプなど、装備も充実している。 -
籐のバスケットが渋い。
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モーリス オックスフォード(1913年・イギリス)
モーリス オックスフォードはイギリス人のための車づくりをめざしたモーリス社の創立者ウィリアム・モーリスによってつくられた小型大衆車。この車はエンジンなどの主要部品の外注により、製造コストを低く抑えて提供され続け、1913年から1923年までに約15万台生産された。また、個性的なラジエーターから「ブル・ノーズ」と呼ばれ、広く親しまれた。 -
オースチン セブン "チャミー" (1924年・イギリス)
サイズこそ小さいが大型の実用車と同じ装備や機構を備えたオースチン・セブンこそ英国人にとってのフォードであり、まさに大衆のための自動車であった。1923年から39年までの17年間に約25万台も量産されたロングセラーとしてその信頼性が高く、わが国へも上陸。戦前のオールドダットサンとともに親しまれた。
このように大衆向けの車も存在したが、ヨーロッパ車はやはり貴族や富豪向けの高級車やスポーツカーがメインだった。では、日本はどうだったのだろう? -
国産吉田式"タクリー号" "模型" (1907年・日本)
“自動車の宮様”と言われた有栖川宮威仁親王殿下が、吉田真太郎と内山駒之助の二人につくらせた国産初のガソリン自動車。10台ほどがつくられ、当時の人々は、この車がガタクリ、ガタクリ走ることから“タクリー号”と呼んだ。残念ながら実物は残っていないので、これは模型。 -
ダットサン 11型フェートン (1932年・日本)
1923年に発生した関東大震災は首都の交通インフラを直撃した為、東京市は急遽フォードに1000台のモデルTを発注、市はそれを小型バスに改造して路面電車の代わりに街を走らせた。”円太郎バス”と愛称され首都の復興に活躍したが、これを継起にフォードやGMが日本で乗用車のノックダウン生産を開始し、日本の道路はアメリカ車で埋められた。
「乗用車は皆、輸入車にすれば良い」と言い放つ政治家もいたほど国産車(とくに乗用車)は遅れに遅れていたが、遅れを少しでも取り戻せないかと考えたダット自動車製造は1932年にダットサン11型を製造販売する。そして1935年には東京自動車製造が「筑波号」を、1936年にはの豊田自動織機製作所自動車部(のちのトヨタ自動車の前身)がトヨダ AA型乗用車を製造販売する。しかし、完成度ではアメリカ車に太刀打ちできず、日本の乗用車はアメリカから輸入された部品を組み立てたアメ車に支配されたまま、最後までアメリカ車並のクルマを作る事無く終戦を迎えた。 -
フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ "レプリカ" (1938年・ドイツ)
ヒトラーの掲げた「国民車構想」をもとに国をあげて自動車の大衆化が行なわれ、国民車=VW、すなわちフォルクス・ワーゲンが、誕生した。設計はいうまでもなくフェルディナント・ポルシェが担当。頑丈なプラットフォームシャシー、4輪独立懸架、空冷水平対向4気筒エンジン、そしてRR駆動の公式がこの時できあがった。販売は一定額を積み立てていく貯蓄販売という方法が採られたが、WW2の勃発によりVWはキューベルワーゲンなどの軍用車に改造され、戦争が終わるまで、市民にはほとんど渡らなかった。余談だが、ヒトラーは詐欺師でもあったのね。 -
フォード モデルGPW "ジープ" (1943年・アメリカ)
1929年に、アメリカで発生した大恐慌は世界中を狂わした。ドイツでは不況克服を謳い文句にしたナチスの台頭を許し、イタリアや日本ではファシストや軍部の力が強まり、世界は第2次世界大戦へ突入する。ヨーロッパ戦線でドイツのキューベルワーゲンを見た米陸軍は、それを上回る作戦指揮用小型車の試作を自動車メーカーに提案、それに応募した弱小メーカーのバンタム社が僅か2ヶ月で試作車を造り、過酷な陸軍テストに合格する。しかし弱小なバンタム社では大量の注文に応じられないと見た陸軍は、設計図をウィリス社、フォード社に渡し、3社で量産化する。
ジープは乗用車のように美的な意識を持ってつくられたわけではないが、ボディ各部の機能を目的別にボルトオンしただけの合理的かつ経済的な構造は、純粋な機能美を持っている。つまりジープこそ、ヘンリー・フォードがモデルTで出したトランスポーターとしての自動車の機能を徹底的に追求した本来の姿と言える。ちなみに現在はSUVブームの真っ最中であるが、このジープがルーツであることは間違いない。
これで「トヨタ博物館で時代のターニングポイントとなった”くるま”達と遭遇:第1章 黎明期からWW2まで」は終了です。旅行記とは言えないマニアックなブログを最後までご覧いただきありがとうございます。次は「トヨタ博物館で時代のターニングポイントとなった”くるま”達と遭遇:第2章 WW2から現在まで」です。
https://4travel.jp/travelogue/11334936
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この旅行記へのコメント (2)
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- bingoさん 2018/02/28 02:03:06
- 殆ど実走可能ですか?
- chiaki-kさん
いつもありがとうございます。
自動車ネタに、つい食いついてしまいました。笑
クラッシックな調度品として眺めて楽しむ事も出来ますが、自動車としては、内燃機関の音や走っている姿を味わいたくなるものです。
実走可能な個体が殆どということで、コレクションのレベルがとんでもなく高いことが伺われます。
第2章・・・楽しみにしております。
bingo
- chiaki-kさん からの返信 2018/02/28 13:40:32
- キズひとつありません。
- ・
bingoさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
> 自動車ネタに、つい食いついてしまいました。
私もF1やモーターショーなどに絡んだ皆さんの旅行記は
必ず拝見しています。
>自動車としては、内燃機関の音や走っている姿を
味わいたくなるものです。
当日の特別イベントで1953年のマツダ三輪トラックを走らせ
ましたが、バックファイアーの音にしびれましたよ。
> 実走可能な個体が殆どということで・・・
とにかく展示してある車が皆ピカピカでキズひとつ無いんです。
世界有数の自動車メーカーのプライドにかけて、動態保存
していることがひしひしと感じられました。
> 第2章・・・楽しみにしております。
はい、頑張ります。では、また。
chiaki-k
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