2017/05/30 - 2017/06/01
31位(同エリア43件中)
Giorgio Bianchiさん
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カラーブリア旅行記、今回は初夏の州都カタンツァーロと、最大の都市レッジョです。カラーブリアの州都でありながら、主要観光地には扱われないカタンツァーロ。そして人口が最大の街、レッジョ・カラーブリア。
ぶらりと鉄道の旅です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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古代ギリシャの遺跡群がある事で知られる、バジリカータ州の町メタポント。ここからカタンツァーロ・リド行きのICに乗ります。
ICとは言っても、カラーブリアあるあるの座席指定なしの一輌車輛です。 -
鉄道の車窓から。
カタンツァーロに近づくと、美しい海が見えてきます。
メタポントからカタンツァーロ・リドまでは約3時間程度です。 -
カタンツァーロ・リド駅に到着。
カタンツァーロ・リドは、州都カタンツァーロの沿岸地区に当たる地区で、FS線は大抵ここのリド駅に止まります(カタンツァーロ駅に行く際はここで乗り換えが必要)。 -
リド地区は普通の現代的な街並み。
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海岸の遊歩道。地元の人達がよくジョギングや犬の散歩をしています。
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海は非常に綺麗!カラーブリアっぽさを感じますね。
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カタンツァーロでの滞在に利用したホテル"Hotel Palace"(四つ星)
カタンツァーロ旅行の際はよく利用しています。
設備が整っていて、室内も豪華。アメニティも豊富で素晴らしいホテルです。海は目の前。 -
ホテルの窓から。
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夕焼けのリド地区。
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夕食を食べに来ました。
ホテル近くのレストラン、"Le Voglie"へ。海鮮料理が美味しいとの事で、地元の人達で賑わっていました。 -
アンティパストその1。お魚の練り物が美味しいです。
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アンティパストその2。コッツェ(ムール貝)のスープ。
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プリモ。エビとルッコラのペンネ。
ここで満腹。
注文時にはセコンドを頼もうとしましたが、店員さんの「大丈夫?全部食べれる?」という忠告を聞いておいて正解でした。
ボリューム満点でプリモ完食の段階で満腹です。満足。 -
夜の波打ち際。
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翌朝、ホテルの朝食。
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リド地区からカタンツァーロの中心地がある山の上に向かいます。
リド地区からはメトロで移動できます。
メトロ駅はFS線駅の先にあります。 -
メトロ来ました。カタンツァーロのメトロはカラーブリア鉄道(私鉄)の管轄のようです。
うわっ、これ現役か...旧式車輛に落書きだらけとか凄いですね。
車輛はAppulo Lucane線の旧式車輛と同じもののようです。 -
車内。
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カタンツァーロ・チッタ駅に到着。
ここは新市街の駅です。ここからまず、軍事博物館に向かいます。 -
良い眺め。遠くに見えるのが有名なビザンティス橋。
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緑が豊かですね。
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博物館までは何の変哲もない普通の街並み。
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カタンツァーロ旅団軍事歴史博物館(Museo storico militare Brigata Catanzaro)に到着!
入館料は大人€3、学生2€です。 -
博物館の入り口。
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屋外には第二次世界大戦時のイタリアの高射砲や榴弾砲があります。
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軍事博物館の1階はリソルジメントとナポレオン戦争の展示、2階は第一次世界大戦、戦間期、第二次世界大戦の展示です。
博物館内は結構広いのでじっくり見てると時間があっという間に過ぎます。 -
1806年7月4日にカタンツァーロ西部のマイダの平原で行われたフランス帝国軍と英国軍の戦い、「マイダの戦い」の再現ミニチュア。
兵力は仏軍の方が勝っていたが、僅か10分間の間に仏軍側は500人が戦死、仏軍は撤退。対する英国側の損害は50人未満でした。 -
第一次世界大戦時のイタリア軍関係。
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かの有名なアルディーティ部隊の軍服。
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第141歩兵連隊「カタンツァーロ」所属歩兵の軍服(1939-40年)。
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カタンツァーロ旅団の軍服。
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RSI軍「フォルゴーレ」空挺連隊兵(1944年)。
RSI関係も軍装も多いですが、実物ではなくレプリカが多いですね。 -
南北分断後の王国軍の軍服。
左が南王国軍「フォルゴーレ」戦闘団、右が南王国軍ベルサリエリ部隊の軍服。 -
イタリア軍だけでなく、英米独の軍装もありました。
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当時のプロパガンダポスター。
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スペイン内戦時のイタリア義勇兵CTV部隊の軍服。
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第二次世界大戦時の東部戦線のイタリア軍野戦病院を再現したもの。
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カタンツァーロ旅団軍事歴史博物館、想像以上に良い博物館でした。
結構設備が新しい博物館にもかかわらず、お客は私一人...普段から来訪者は少ないようで以前は営業していたブックショップも今は営業していないとのこと。
哀しいのでカタンツァーロを訪れた際は是非行ってみてください。 -
軍事博物館を離れ、メトロで旧市街に向かいます。今度は新しい車輛。
カタンツァーロ・プラティカ駅で下車。 -
カタンツァーロ・プラティカ駅からの景色。
渓谷に架かる巨大な「ビザンティス橋」というカタンツァーロの名所の一つで、合理主義建築家リッカルド・モランディの設計で1962年に完成しました。 -
カタンツァーロ旧市街。
カタンツァーロは元々ビザンチン勢力によって山腹に築かれ、ボルボーネ家のナポリ王国による支配下のもとで発展。南イタリア特有の地震、そして第二次世界大戦時の空爆によって多くの建物が被害を受けましたが、戦後の復興プロジェクトによって再建されました。 -
カタンツァーロのドゥオーモ(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)。
元々は12世紀頃に作られた大聖堂ですが、第二次世界大戦時のカタンツァーロ空襲で崩壊、戦後の復興プロジェクトにて合理主義建築家のフランコ・ドメスティコとヴィンチェンツォ・ファゾーロの設計で1956年に再建されました。 -
デッリッマコンラータ・コンチェツィオーネ聖堂。
1254年完成。デッリッマコンラータ・コンチェツィオーネとは、「無原罪の御宿り」の事で聖母マリアは原罪なしに生まれてきたとする教義を意味する言葉。 -
新市街。
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整った街並み。
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カタンツァーロのマッテオッティ広場の噴水。
"Statua del Cavatore"という名所の一つです。 -
カタンツァーロの市章はカッコいいので特に好きです。
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カタンツァーロ・マッテオッティ広場駅。
市街地の観光を終了し、リド駅に向かいます。 -
FS線カタンツァーロ・リド駅。
ここからレッジョ・カラーブリアに向かいます。
Rで2時間程度。 -
レッジョ・カラーブリアに到着!
カラーブリア州最大の都市です。レッジョ ディ カラーブリア 散歩・街歩き
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レッジョでの滞在はこちらのホテル"Hotel Albanuova"(四つ星)
四つ星ですが、全体的なランクは三ツ星と変わりません。
スタッフさんが親切で、駅近くな上に、ミニバーが無料だったりと中々サービス精神旺盛なホテルです。 -
ドゥオーモ。
元々は11世紀頃に作られた大聖堂ですが、犠牲者10万人を出したメッシーナ地震(1908年)でレッジョは壊滅的な被害を受け、ドゥオーモも崩壊。その後、ネオロマネスク様式の大聖堂として再建されました。 -
ドゥオーモの内部。
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美しい。
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オッティマーティ教会。
10世紀に作られたビザンチン・ノルマン様式の小さな教会。 -
オッティマーティ教会の内部。
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レッジョ・カラーブリアのアラゴネーゼ城。
レッジョのシンボルの一つ。 -
ガリバルディ大通り。
レッジョのメインストリート。 -
「海峡劇場(アレーナ・デッロ・ストレット)」。
1932年に作られた劇場で、レッジョでのイベントでよく使用される劇場。
レッジョのファシズム建築の代表例。 -
サン・ジョルジョ・アル・コルソ教会。
16世紀に作られたが、1908年のメッシーナ地震で完全に崩壊したため、1935年に合理主義建築家カミッロ・アウトレの設計で再建された。
ファシズム建築っぽさがありますね。 -
レッジョの海岸沿いで偶然見つけたファシスト政権期のモザイク画。
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シチリア島に沈む夕日。
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夕食の"Pizza Disgraziata"。
カラーブリア特産の辛いサラミ"ソップッレッサータ"にピリ辛トマトソースとモッツァレッラのピッツァです。
カラーブリアらしいピリ辛ピッツァ。 -
日没後のレッジョ海岸沿い。
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日没後も軽くぶらぶら。
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翌日。レッジョを離れ、ICでサレルノに向かいます。
レッジョ滞在は夕方のみの駆け足気味だったので、次の紀行(冬季)でじっくり巡ります。
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