2018/02/23 - 2018/02/23
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ペコちゃんさん
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2月の○○会行事は、府中市にある「郷土の森」の観梅とサントリー武蔵野ブルワリーの工場見学。
多摩川の是政緑地に隣接した「府中郷土の森博物館」は、広大な敷地の中に府中市内から移築復元された8棟の建築物がある野外博物館ですが、関東の梅の名所でもあり、梅園では早咲きから遅咲きまで約60種・1100本の梅が咲き誇ります。
今年の冬は寒さが厳しかったため、例年より開花が遅れ気味ですが、美しい紅白の花と梅の香りが春の兆しを感じさせてくれました。
その後は、郷土の森から歩いても10分ほどの所にあるサントリー武蔵野ブルワリーの工場見学・・・○○会として3回目となる人気の工場見学なので、今回も14名の参加者。
出来立てのプレモルを美味しく頂いて、皆さん上機嫌で帰路に着きました。
写真は、「府中郷土の森博物館」の梅園に咲く八重咲紅梅の「豊後」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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電車を乗り継いで、10時38分に南武線・分倍河原駅に到着。
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分倍河原駅前のロータリーにある『新田義貞公之像』・・・武士の情熱と夢をモチーフとして昭和63年に製作されたこの像は、文化勲章を受章した彫刻家の富永直樹(1913~2006年)の作で、題字は当時の府中市長・吉野和男。
新田義貞の顔は、鎌倉の方向を見つめています。 -
1333年、上野国新田荘(現・群馬県太田市)の御家人であった新田義貞(1301~1338)の軍勢は利根川を渡って武蔵国に入り、入間川を渡って小手指原で鎌倉から北上してきた幕府方の軍勢と衝突して撃破し、久米川・分倍河原・関戸で、たて続けに幕府軍を破ります。
勝利をおさめた新田軍は一気に鎌倉幕府を攻め落し、ついに140年余り続いた鎌倉幕府を滅亡させました。 -
駅前から京王バスに乗って「郷土の森正門前」で下車し、郷土の森博物館へ。
今年は2月3日~3月11日まで「梅まつり」が開催されており、200円払って入園。 -
1987年に開館した「郷土の森博物館」は、博物館本館・復元建築物・公園などからなる約14万平方mの敷地全体を「森」とした屋外博物館。
敷地の南側(案内板の右側)には多摩川が流れ、園内は梅(案内板のピンクの部分)をはじめ季節の花が楽しめます。 -
博物館本館(写真の左)から「けやき並木」へ。
向かいには、昔の町屋や農家など、府中の歴史的な建物を配置した一角があります。 -
これは、昭和10年に建設された「旧府中町立府中尋常高等小学校校舎」。
建築当時は北多摩郡随一の規模を誇り、昭和54年まで多くの子供がこの校舎から巣立っていきました。 -
教室には、昔の教科書などを展示。
これは、昭和8~15年まで使用された第4期国定教科書。
” サイタ サイタ サクラ ガ サイタ ”
懐かしむ人も多いのではないでしょうか。 -
校舎の1階には、府中で生まれた詩人・村野四郎(1901~1975)の記念館を併設・・・村野は、童謡「ぶんぶんぶん」や「府中市の歌」の作詞や、多くの詩集・童話などを残しています。
『鹿』(1959年発刊の詩集『亡羊記』の一編)
鹿は 森のはずれの 夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた 小さな額が狙われているのを
けれども 彼に どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って 村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である 大きい森の夜を背景にして -
明治初期に建てられた「旧田中家住宅」・・・江戸時代中期から明治期にかけて、呉服や酒類を商った府中宿の代表的な大店(おおだな)です。
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間口が狭く奥行きが長い屋敷割で、5棟の土蔵もあります。
右側は、茶室の梅欅庵と庭園。 -
本格的な純和風数寄屋造りの建物。
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これは、明治天皇が「御座所」として使われた奥座敷。
明治天皇は明治13~17年にかけて、府中近辺に兎狩りやアユ漁で来訪した際に、休憩所や宿所として5回ほど田中家を利用されました。 -
茶室・梅欅庵は、市の花「梅」と市の木「欅(けやき)」から名付けられました。
庭は、中門・腰掛待合を配した日本庭園となっています。 -
庭園に咲く紅梅は「紅千鳥」。
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「旧島田家住宅」は、明治21年建築の店蔵(みせぐら:蔵造りの商家)・・・江戸後期に金物店や薬屋を営んでいたので、「島田薬舗」の看板が掲げられています。
昭和40年代までの島田家住宅敷地内には、店蔵の裏に本宅がありました。 -
1階の店舗だった所には、雛飾りが飾られています。
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「旧河内家住宅(ハケ上の農家)」は、江戸中期から昭和期まで使われていた茅葺の農家・・・ ハケとは、武蔵野台地に見られる河岸段丘(立川崖線)のことです。
河内家は麦などの畑作や養蚕を営んでいました。 -
建物は、養蚕のために保温・通風・採光の工夫がなされ、当時の土間の様子も復元されています。
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「旧府中町役場庁舎」は、1921年に竣工した町役場・・・屋根の飾り天窓(ドーマー・ウィンドウ)や上げ下げ窓などを取り入れた洋風の2階建で、1954年に府中市が誕生した後も、市役所・市立図書館・教育研究所等に利用されました。
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1984年に解体され、2年後に郷土の森博物館で復元されました。
洋風建築ですが、裏には宿直室や台所などの和風建築があります。
大正13年の落成記念写真を見ると、当時が偲ばれます。 -
1階の事務室と、裏側の台所・・・どこの役場にもあった風景です。
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「旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)」は、府中で最初に郵便取扱所となり、明治5~明治22年までの間、府中郵便取扱所として使われた建物・・・建築年代は幕末前後で、1986年に解体・移設されました。
左側の丸い郵便窓口や黒い角柱型の郵便ポストが当時を物語っています。 -
日本の郵便事業は、前島密(1835~1919)の発議により、明治4年にスタートしました。
創業当初は三府(東京・京都・大阪)に政府直轄の「郵便役所」を設置しますが、全国に「郵便役所」を設けることは困難だったため、かつての庄屋や名主など地元の名士たちの土地と建物の一部を無償で提供してもらい、その代わりに彼らを「郵便取扱役」に任命して準官吏の身分を与え、「公務」である郵便業務を請け負わせるという施策をとりました。
これにより、地域の名士の屋敷を拠点とする「郵便取扱所」が短期間のうちに全国津々浦々にまで広がり、わが国の郵便制度は急速な普及を遂げました。
その一つが矢島家です。
ここにも立派なお雛様が飾られています。 -
旧矢島家住宅の裏側・・・赤い丸ポストが印象的です。
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「旧越智家住宅(ハケ下の農家)」は、郷土の森博物館のすぐ近くにあった江戸後期の建物。
旧河内家住宅はハケ上の農家でしたが、旧越智家住宅はハケ下の農家で、稲作を中心に畑作や養蚕を営んだ、一般的な農家でした。 -
移築・復元した母屋は、寄棟造りの茅葺屋根と、囲炉裏がある広間を中心とした部屋割りで、当時の農家の生活ぶりが伝わってくるようです。
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1829年に建てられた「旧三岡家長屋門」・・・江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた三岡家の分家に建てられていた長屋門で、中央の門の両側に蔵造の部屋を設け、その上に茅葺屋根を載せています。
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旧三岡家長屋門をくぐると、昔あそびや手作りのモノをつくったり、遊んだりすることのできる「ふるさと体験館」があります。
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鍛冶屋の実演や、わらぞうり教室、竹とんぼ教室など昔懐かしいものづくり等の体験が出来、小学生も見学に訪れます。
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長屋門の先に造られた滝が「ハケ下の流れ」となって、広い園内を潤します。
府中市は、市のほぼ中央に府中崖線(ハケ)が東西に伸びており、市内の北半分がハケ上(立川段丘)、南半分がハケ下(沖積低地)。
ハケは、古多摩川の流れが長い年月をかけて台地を削って出来た崖のことです。 -
園内の地下60mから汲み上げられた地下水が「ハケ下の流れ」となって、ゆったりと流れています。
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岸辺のネコヤナギ・・・上質な産毛に覆われたような姿で、とても暖かそう。
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池に浮かぶカルガモ。
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1713年に造立された庚申塔。
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夏にはチビッ子で賑わう「水遊びの池」。
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園内は中咲きの梅を中心に、紅白ともに鮮やかな花を咲かせています。
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「臥龍梅(がりょうばい:朝鮮梅)」・・・伊達政宗が朝鮮出兵の際に持ち帰り、こよなく愛した梅・・・幹が地を這うように伸びる姿が龍を想像させます。
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「白加賀」・・・香りの良い花を咲かせる梅で、花も実も楽しめる古くから親しまれてきた優良品種。
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「八重寒紅」
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「塒出錦(とやでにしき)」・・・塒とは「鳥の巣」や「鳥籠」を意味します。
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「唐梅(とうばい)」
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「藤牡丹枝垂」
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「大宰府の梅」・・・平成27年に太宰府天満宮から寄贈された梅で、左が「大和牡丹」、右が「鹿児島紅梅」。
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「雛曇」
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「月影」
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「八重野梅(やえやばい)」
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「新茶青(しんちゃせい)」
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「豊後」
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川崎平右衛門の像・・・川崎平右衛門(1694~1767)は府中の名主で、武蔵野新田の開発や多摩川の治水に取り組む一方、私財を投じて困窮した民を救いました。
後に幕府代官となり、日本各地の治水事業や石見銀山の経営を立て直すなど鉱山事業に大きな功績を残した人物です。 -
園内に咲き競う、美しい紅梅・・・
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紅白の梅に囲まれた遊歩道・・・
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青空と白梅のコントラストが見事です。
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梅園の南側にある「ロウバイの小径」。
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ロウバイの香りも楽しむことが出来ました。
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梅園の見学も終わり、郷土の森博物館本館へ。
本館は「郷土の森」の中心施設で、常設展示を見ると府中の歴史・民俗・自然などが分かります。 -
見学の前に、1階の喫茶コーナー『森かふぇ』で昼食。
蕎麦の中に梅干、御飯にも練り梅がトッピングされた「梅御膳」・・・美味しく頂きました。 -
2階の常設展示室は、7つのコーナー『くらやみ祭・ムラのはじまり・古代国府の誕生・国府から府中へ・宿場のにぎわい・変わりゆく府中・都市と緑と』で構成されています。
最初に展示されているのは、大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」で使われる大太鼓・山車(だし)・万灯(まんどう)など。 -
700年頃に武蔵国の国府が設置された府中市は遺跡も多く、旧石器・縄文・弥生・古墳の各時代の遺跡から出土した土器などが展示されています。
下の写真は、約五千年前(縄文時代中期)の「コウモリ形の釣り手土器」。 -
鎌倉時代~室町時代にかけて、主に関東で設置された板碑(いたび:供養塔)・・・板状に加工した石材に、梵字や被供養者名などが刻まれています。
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1261年に作られた「阿弥陀如来立像」・・・市内の上染谷八幡神社に伝わる像で、神社には複製が置かれています。
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1600年代に開宿された府中宿は、鎌倉街道と交わる甲州街道の4つ目の宿場町で、国府や総社(大國魂神社)もあり、武蔵国の中心として栄えた宿場でした。
手前にあるのは、江戸末期の宿場を再現した街並の模型。 -
手回しミシンや・・・
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昭和のレトロを感じる展示もありました。
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観梅を楽しみ、府中市の歴史・文化も勉強できました。
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郷土の森公園から10分ほど歩いて「サントリー武蔵野ブルワリー」へ。
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左の建物の中央が工場見学の受付場所。
バスで来ている団体さんもいます。 -
受付を済ませ、14時半からの見学スタートまで売店を覗いたりして待ちます。
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昭和52年に工場増設時の廃材を利用して従業員が制作し、大國魂神社で御霊移しを行った神輿(400kg)。
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工場見学は、最初に「プレミアム モルツ」のビール作りへの拘りなどを映像で観ます。
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それからビール製造工程の見学へ。
仕込窯(上)と仕込槽(下)。 -
濾過槽(上)と麦汁受け槽(下)。
濾過槽は中が覗けます。 -
煮沸釜。
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発酵工程・・・麦汁に酵母を加えて発酵させると、アルコールと炭酸ガスが生成され、7日ほどで麦汁は若ビールになります。
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貯酒タンクに使っていたトンネルを渡り・・・
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濾過とパッケージングで全ての製造工程が終了。
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工場見学後のお楽しみは、3杯まで飲める20分間の試飲タイム。
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最初の1杯は「ザ・プレミアム・モルツ」ですが、お代わりの時にフルーティーで豊かな香りの「ザ・プレミアム・モルツ<香る>エール」や「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム」も飲み比べ出来ます。
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美しい梅を楽しみ、出来立てのビールを味わった、幸せな一日でした。
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