2018/01/17 - 2018/01/17
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chiaki-kさん
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タージマハルとは1526年から1858年まで広大なインドを支配したムガール帝国第5代皇帝シャージャハン(1592-1666:在位1628-1658)が、36歳で亡くなった愛妃ムムターズ・マハル(1595-1631)の為、22年の歳月を費やして建てた白大理石の世界一豪華なお墓。
写真は鉄板の撮影スポットから写したタージマハル。噴水池に映った逆さタージマハルがGood!
2024/03/07 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
1/17
朝霧のためほとんど何も見れなかったガンガーからホテルに戻り朝食。ここで食事をするのは3度目だが今朝はイングリッシュ・ブレックファースト風にまとめてみた。 -
9:30 ホテルを出発。昨日バラナシ空港から来た道を戻る。
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インド国産車アンバサダー見っけ。
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3人乗りバイク見っけ。
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VWディラーのようだが、新車が砂化粧ですよ。
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こちらはインドのマヒンドラ&マヒンドラ。トラクターの方が有名な自動車会社なのだが独特のスタイルのSUVがインドでは人気。
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11:30 アグラ行きAI406便が到着。早い話が昨日デリーから乗ってきたエア・インディア。
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12:10 定刻でAI406便はエプロンを離れる。
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今日のランチはミートパイのようなもの。ダールカレーもう一度食べたかったな~。
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アグラ空港へアプローチ中。
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可愛いターミナルが近づいてきた。
ところで、アグラ空港はインド空軍と共用ということで至る所に自動小銃を抱えた兵隊さんがウヨウヨ。迎えのバスも基地ゲートから入ってこれないのでゲートまでなんと軍用トラックで”護送”される。当然ながら写真撮影などとんでもない。 -
と、いうことでいきなりアグラの市内。道路の状況はバラナシよりは良いかなって感じ。まあ、世界遺産タージマハルがある街なので、少しは綺麗にしておかないとね。
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一般市民の足がバイク・自転車なのはバラナシと同じ。
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高架の下には庶民の街が広がる。
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空港から30分ほどで有料駐車場へバスを駐め、専用の電動バスに乗り換えてタージマハルを目指す。
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5分ほどで電動バスを降り、少し歩くと前方に門が見えてきた。綺麗に整備された道の両側はお土産屋などが連なる。
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チケット売り場。ちなみに入場料金は外国人1000R(2000円:考古学研究費負担金込み)、インド人はというと40R(80円)!!! もう、笑っちゃいますね。
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東門の左側にズラッと並んでいるのはインド人の皆さん。外国人は並ぶこと無くセキュリティへ進めます。
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東門を入るとこんな感じ。なお、タージマハルに持ち込めるものはパスポート、財布、カメラのみ。リュックなどはロッカーに預けるかバスの中に置いてくるしかない。
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大楼門と呼ばれる門が目の前に。なお、ガイドさんの話では、門の上に乗っている22個のミニドームは、工事が22年かかったことを表しているそうだ。
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そして、右側の廟壁の上にはタージマハルの玉ネギが見えた。
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正面から見た大楼門。真ん中の入り口の向こうには・・・
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イチオシ
タージマハルがおいでおいでをしている。
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人混みをかき分けながら大楼門をくぐって前進。
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撮影ポイント①はこんな感じ。
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そのまま一気にズームアップ。
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縦構図でもう一枚。
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人混みをかき分け、最前列で一枚。あ、鳥が飛んできた。
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しつこくもう一枚。
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いつまでも最前列に居ると笛を吹かれてしまうのでさっさと後方へ。タージマハルはインドの皆さんにも人気の観光地なので集団撮影の団体が次々とやってくる。なお、集団の手前にいる2人はタージマハルで商売しているカメラマン。我々をキャッチしたのは左の人だが、同業者と思われる手前の人と、客の取り合いで口げんかをしていた。
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インド女性の皆さんは、ここぞとばかり一張羅のサリーを着込んでいる。笑顔が素敵です。
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前庭の中央には一辺23mの四角い白大理石づくりの基壇がある。ここからの眺めも有名。
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撮影ポイント②の鉄板スポットは黒山の人だかり。
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イチオシ
ついに撮影成功。
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近づくにつれ、タージマハルはどんどん大きくなって行く。ちなみにタージマハルは横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、四隅が切られた変形八角形で、高さは丸屋根上部までが58mとなっている。
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基壇の高さは5.5m。この上に登るには一旦左端まで行き、
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この靴カバーを装着しなければならない。
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そして、階段を少し上ったらこんどは中央部へ移動する。なお、4本の尖塔(ミナレット)だが、主役の墓廟を際立たせるとともに、全体で視覚的なバランスに寄与していると考えられている。
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基壇中央部に正面からは見えない隠れた階段があり、基壇の上にでると目の前にタージマハルがのしかかる。
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大理石の象嵌細工で飾られた壁。そしてコーランの文字。
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反対側の大楼門側はこんな感じ。
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一カ所開いた門から内部に入る。内部は外観と異なり意外とこじんまりしており、タージマハルで唯一非対称なムムターズ・マハルとシャージャハンの墓があるだけ。ただし、これらの墓は参拝用のものであって、本物の墓は地下室にあるそうだ。なお、内部は撮影禁止となっている。
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こちらは反対側の出口。造りは入り口側とほぼ同じ。
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反対側には遡ればデリーまで続くヤムナー川が流れている。これは上流方面。
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下流方面はこんな感じ。
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ヤムナー川をはさんで、タージマハルの反対側に公園のような空き地があるが、シャージャハン用の黒大理石で造られたタージマハルが建てられるはずだった場所。未完となった理由は財政問題というのが通説だが、私は跡目相続問題だったと考える。
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古代よりペルシャやイスラム諸国の跡目相続は長男では無く、男子全員にチャンスがあり、誰が王になるかを巡って血なまぐさい殺し合いになるのが常套だったが、シャージャハンの場合も同様だった。シャージャハンには9人の男子がいたが、長男ダーラー・シコーを愛し、密かに跡目を継がそうと考えていたが、3男のアウラングゼーブはこれを不服とし皇位継承戦争が勃発する。
その結果アウラングゼーブは兄ダーラー・シコーとの戦いに勝利し、その首を切り落とし、シャージャハンのもとへ送りつけるとともに、他の兄弟達も抹殺する。最後に残ったのはシャージャハンだけとなったが、さすがに父親を殺すことは出来ず、自分はデリーへ遷都し、シャージャハンをアグラ城に幽閉する。ヤムナー川の向こう側に城のようなものが見えるが、あれが、これから行くアグラ城である。 -
タージマハルの左側には赤色砂岩で出来たモスクが、
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右側には集会場が建てられている。
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ヤムナー川はガンガー最大の支流で、この先トリヴェニー・サンガムと呼ばれる地点でガンガーと合流する。多くの愛も、多くの欲望も、多くの悲しみも、そしてデリーから発生する排泄物も全て飲み込んで流れて行く。
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タージマハルを後にして、次ぎにやってきたのはアグラ城。1983年にタージマハルと一緒に世界遺産に登録。
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入城料は外国人が500R、インド人が30R。タージマハルと違って特に優先されるものは無し。なお、この外国人料金の高さを憤る方が多いのだが、私は国が決めたことなので仕方ないと思う。むしろレストランのビールが一本1000円もする方が私には大問題だ。
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デリーからアグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となったのが、このアグラ城。
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赤色砂岩で造られた城は別名ラール・キラー(赤い城)とも呼ばれている。ん、城壁になにかぶら下がっているものが・・・
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修復工事屋さんでした。
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エテ公がお出迎え。
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アマル・スィン門を入るとこんなダラダラ坂が。
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ジャハーンギール宮殿。
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芝生が綺麗。あの牛の糞とゴミと埃だらけの市街地とはえらい違いだ。
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手すりの透かし彫りや支えの彫刻が綺麗。
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インド風の物見櫓もある。
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水不足に備えてこの床下は大きなタンクになっているそうだ。
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天井にも細かい彫刻、この辺がイスラム。
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原色が残っている部分も。
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シャージャハンが幽閉されていた建物だそうだが、あららずいぶん豪華なのね。
息子達は3男アウラングゼーブ以外、皆、殺されてしまったが、シャージャハンの娘達は元気に生きており、ここで長女のジャハーナーラー・ベーグムをはじめ、王室の女性たちに囲まれて暮らしており、ちまたで言われているような、孤独な晩年を過ごすことはなかったそうだ。 -
綺麗な大理石象眼細工。
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これもなかなか。
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ちなみにシャージャハンは毎日この窓からタージマハルを眺めていたらしい。
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霞のため、今日はこれで精一杯です。
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貴賓謁見の間。
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横から見るとこんな感じ。
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イチオシ
面白い画が撮れました。
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現地ガイドさん曰く”アグラ城であぐら”はどうですか。
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これで今日の見学は終了。観光客の後ろに良さげな建物が見えるのだが、アグラ城は3/4をインド軍が使用しているので、一般観光客は1/4しか見学できない。
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イチオシ
アウラングゼーブの時代に最大領土となったムガール帝国も、アウラングゼーブの死後に勃発した皇位継承戦争や東インド会社の進出などで、帝国は徐々に弱体化していった。そしてとどめを指したのは1857年5月に発生した大規模な反英闘争、いわゆるインド大反乱に皇帝が反乱軍の最高指導者として担ぎだされたことだった。
同年9月に最後の皇帝バハードゥル・シャー2世はデリーがイギリス軍に攻撃されるとあっさり降伏。その後、1858年3月に彼はイギリスによる裁判で有罪とされ、ビルマへと流刑に処されて廃位させられた。これにより、ティムール朝から数えて約500年続いた王朝は完全に消滅し、ムガール帝国は332年にわたるインドにおける歴史に幕を閉じた。
写真はアグラ城に落ちるインドの夕日。朝日はついに見れなかったが、夕日は翌々日もジャイプールで見ることに(それも凄い場所で)。
これで「2018年 インド旅行記3:アグラ」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。
2024/03/07 一部修正
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