2018/01/09 - 2018/01/09
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ペコちゃんさん
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10年ほど前に廻ったことがある「小江戸川越七福神めぐり」・・・久しぶりに山仲間8名で川越の街を歩きました。
今回は、3年前に川越に引っ越して川越の街を熟知しているHさんの案内で効率よくあちこちと回ることが出来、仲間の皆さんも感謝々々!
川越市には寺社が多く、江戸時代から庶民の間で七福神めぐり参詣が流行していたようです。
昭和60年に設定された現在のコースは、川越の蔵造りの町並みを囲むような約6kmの行程・・・ゆっくり徒歩で回っても約3時間なので、観光コースとしても人気があります。
写真は、喜多院(大黒天)の多宝塔。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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これは街中に貼られていた七福神めぐりのポスター。
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東武東上線とJRの「川越駅」東口を8時半にスタート。
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①毘沙門天 妙善寺
妙善寺は、寛永元年(1624)に建立された天台宗の寺院。
堂宇は天明8年(1788)の火災によって焼失した後、仮堂でしたが、昭和53年に再建されました。
まだ9時前なので、入り口は閉まっています。 -
右脇から境内に入ると、不思議なお地蔵様が鎮座しています。その名も「川越さつまいも地蔵尊」・・・大切にサツマイモを抱えたこのお地蔵様は、川越名物の「サツマイモを食べて健康になろう!」という祈りを込めて、平成7年に建てられたそうです。
寛政(1789~1801年)の頃、江戸の町に現れた焼芋屋に提供された「川越いも」で、川越の街は発展しました。 -
妙善寺からすぐの所にある「菅原神社」・・・寛永元年(1624)に妙善寺を開山した尊能法印により勧請された菅原神社の祭神は、菅原道真公。
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川越市のマンホールや消火栓の蓋は、小江戸・川越に相応しいデザインのものが多くあります。
これは、まといの頭に「川」「越」と入った消火栓の蓋。 -
②寿老人 天然寺
妙善寺から20分ほどです。
手前の畑にはロウバイが見頃を迎えていました。 -
室町時代(1554年)に創建された天然寺は、妙善寺と同じく天台宗のお寺。
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本堂には、川越の有形文化財に指定されている「木造大日如来坐像」(制作は11~12世紀頃)が安置されています。
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池には色鮮やかなニシキゴイが・・・
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境内にある永代納骨堂「十三仏偕同の塔」・・・お墓の守り手(承継者)がなく困っている方のために、天然寺が永代の供養と護持管理をしています。
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墓地の高台にある慈母観音像。
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天然寺から20分ほど歩いたところにある「中院」・・・ 天長7年(830年)、慈覚大師によって創建された天台宗の寺院です。
鐘楼門をくぐって境内へ。 -
これが山門。
かつてこの地には、中院を中心に北院(喜多院)と南院(現在は廃寺)の三院で構成された「星野山無量寿寺・仏地院」があり、天海大僧正が喜多院の住職となるまでは、中院が無量寿寺の中心的な役割を果たしていました。 -
山門の対面には川越総合高校がありますが、門をくぐると完全に別世界で、静かな佇まいです。
中院は創建後に戦禍や火災に遭い、本堂は享保18年(1733)に再建されました。 -
中院は狭山茶(河越茶)発祥の地でもあり、境内には「狭山茶発祥の地」の石碑が建てられています。
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また中院は、島崎藤村(1872~1943年)ゆかりの寺院として知られており、妻・静子は川越の出身です。
藤村は静子の母・加藤みきとも仲が良かったそうです。 -
「不染亭」は、藤村が茶道の師であったみきのために昭和4年に新富町に建てた茶室で、平成4年に中院に移築されました。
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中院から少し歩くと、「南院遺跡」の案内板があり、「明治二年の神仏分離令により廃仏毀釈運動が起こり廃絶」と書かれています。
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当時の南院にあった石碑や石仏が、住宅地の一角に無造作に並ぶ南院遺跡・・・廃寺になってから既に140年以上が経過し、屋根も無いこの場所で風雨に晒される石仏たちは、どこか寂しげに感じます。
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③大黒天 喜多院
天台宗寺院の喜多院は、慶長4年(1599)に27世を継いだ慈眼大師天海が、徳川家康の厚い信頼を得てから隆盛を極めます。 -
仙波東照宮の随身門から境内に入ります。
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仙波東照宮は、元和2年(1616)に75歳で死去した徳川家康を天海僧正が祀ったものです。
家康公は静岡県の久能山に葬られますが、翌年、日光に移葬する道中、喜多院に到着した際に天海僧正は丁重な法要を営み、その後、家康公の像を作って大堂に祀ったのが東照宮の始まりです。 -
寛永15年の川越大火の後、3代将軍・徳川家光の命により寛永17年(1640)に竣工したのが現在の社殿です。
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拝殿前の入口扉にある三つ葉葵の御紋が、歴史の重みを感じさせます。
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喜多院の堀切と「どろぼうはし」・・・江戸時代、泥棒をはたらいた者が町奉行の捕り方に追われ、この橋を渡り喜多院に逃げ込みましたが、喜多院寺領は江戸幕府のご朱印地なので、捕り方は境内に入ることが出来ません。
泥棒は、喜多院の大師さまにお参りをし、罪を深く悔い改め、善人になったことから、この橋を「どろぼうはし」と呼ぶようになりました。 -
仙波東照宮より少し北側に位置する八ツ橋と厳島弁財天・・・この「葵庭園」では、5月下旬~7月上旬にかけて蛍を見ることが出来ます。
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喜多院の鐘楼門。
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喜多院は寛永15年(1638年)の川越大火で、この山門と経蔵以外の伽藍を焼失しましたが、翌年、徳川家光の命で、江戸城内の「徳川家光誕生の間」が書院、「春日局化粧の間」が客殿として移築されました。
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境内の正面にある「慈恵堂(じえどう)」・・・寛永16年に建立された喜多院の本堂で、慈恵大師と慈眼大師が祀られています。
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この本堂は「大師堂」と呼ばれ、お堂に座り耳を澄ますと、何処からともなく波の音が聞こえるという言い伝えから「潮音殿」とも呼ばれる様になりました・・・川越市の東南端部は、縄文時代までは遠浅の内海(古東京湾)だったからでしょうね。
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慈恵堂の右手にある多宝塔・・・総高13mで、江戸時代初期の多宝塔の特徴が残されています。
寛永16年に完成した時は山門の北側にありましたが、昭和48年に現在地に移し、復元修理されました。 -
参拝客が多いこの時期は、多宝塔の前に大黒天が置かれています。
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露店が立ち並ぶ参道を抜けて、次の成田山別院へ。
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④恵比寿 成田山別院
「お不動様」と親しまれる成田山川越別院は、嘉永6年(1853)に廃寺となっていた本行院を石川照温上人が再興・開創した真言宗智山派の寺院。 -
両眼を失明した石川照温上人は、成田山新勝寺で苦行の末、両眼が見える様になり、不動明王の為に一生を捧げることを誓います。
その後、諸国巡歴の旅の途中、川越通町八幡神社境内に不動堂を建立し、本尊は成田山新勝寺の不動尊の分霊を安置した後、本行院を再興しました。
成田山川越別院で有名なのが、毎月28日の「蚤の市」・・・境内は沢山の店が溢れ、多くの人で賑わいます。 -
こちらには、恵比寿天(左)と大黒天(右)が祀ってあります。
七福神の中で、日本出身は恵比寿様ただ1人・・・あとは海外から招来した神様たちです。 -
山門を入って右側にある「太子堂」・・・弘法大師が祀られています。
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鐘楼。
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「小江戸川越七福神巡り」の開場30周年を迎えた2016年に、記念事業として各寺社に水琴窟が設置されました。
水琴窟は、江戸時代初期の茶人・小堀遠州が考案した「洞水門」が発祥と言われ、甕の底に溜まった水面に水滴が落ちると、甕の空洞に反響する音色が琴に似ていることから水琴窟と呼ばれています。
ここの水琴窟(写真の左下)は、水琴窟の原理を示す甕が見えるように設置。 -
開山堂と「め」絵馬・・・開山堂は、開祖「石川照温上人」が祀られているお堂です。
失明から回復した不動明王の慈悲の徳にあずかり、この開山堂で眼病平癒・視力回復を祈願して、多くの「め」絵馬が掛けられています。 -
川越には歴史ある鰻屋が多数あります。
成田山別院に近いこの店は、天保3年(1832年)から続く老舗の「いちのや」・・・一度は来てみたいのですが、うな丼が2,000円、うな重が2,850~5,450円じゃあね! -
次の蓮馨寺に行く途中、熊野神社へ立ち寄り。
熊野神社は、天正18年(1590)に蓮馨寺の二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、1713年の社殿改築で「二の鳥居」も石造りになりました。 -
元々、蓮馨寺の一部でしたが神仏分離により、川越熊野神社として現在に続いています。
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本殿の手前に「川越銭洗弁財天 厳島神社」があり、ここで金運をアップ!・・・お金を洗う御神水の池(宝池)の所にあるザルにお金を入れ、ひしゃくで水をかけて洗い清めます。
小銭だけでなく、欲を出してお札を洗っても大丈夫!
清めたお金は大切に、有効に使うとご利益があるようです。 -
銭洗弁天の隣にある「運試し輪投げ」のコーナー・・・「恋愛」、「仕事・学業」、「健康」、「金運」、「心願成就」と書かれたボードに、狙いを定めて投げますが、これがなかなか難しい!
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⑤福禄寿 蓮馨寺(れんけいじ)
1549年に、川越城主・大道寺駿河守政繁の母・蓮馨が、民衆の心の安らぎの場として創建した浄土宗の寺院です。 -
浄土宗の信仰が篤かった徳川家より「関東十八檀林(18寺ある僧侶の大学)」の一寺とされ、葵紋を掲げることを許されました。
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福禄寿の像。
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本堂の賽銭箱の横には、釈迦の弟子である真っ赤な「おびんずる様」が鎮座しています。
おびんずる様の身体を触ると病気が治り、また頭に触ると頭が良くなるとか・・・ -
元禄8年(1695)に造られた梵鐘。
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蔵造りの町並みが始まる仲町交差点にある、人気の豆専門店「まめ屋」。
店頭で試食してから店内へ。 -
70種類のまめ商品があり、店内でほとんど試食出来ます。
お土産も買いましたが、試食で元気を貰いました。 -
川越に今も残る「蔵造りの町並み」・・・江戸中期の蔵造りも残っていますが、大半は明治26年に川越の大半を焼失した川越大火以降の建物です。
天明3年(1783年)創業の老舗和菓子店・亀屋本店(山崎家住宅)は、蔵造り通りの中でも一際目立ちます。
この建物は、川越大火の後、明治27年に建てられたもの。 -
仲間の女性軍が ” ここのお菓子は美味しいのよ ” ・・・「菓匠 右門 一番街店」です。
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一番人気の「いも」は、さつまいもと粒餡を山芋と餅粉の生地で包んだ・・・江戸時代から、川越=サツマイモと言われたイメージにピッタリの和菓子ですね。
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川越には蔵造りの建物と共に、明治・大正時代の洋風建築も多く残っており、代表的な建物が「埼玉りそな銀行・川越支店」・・・大正7年に旧国立八十五銀行(埼玉県で初めて設立された銀行)の本店として建てられた3階建ての佇まいは、時の鐘と共に川越のランドマーク的な存在です。
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江戸の町で流行した耐火性の高い町家である「蔵造り」は、今の東京では見られなくなりましたが、この風景に「小江戸川越」の情緒を感じます。
よく見ると、ここには電線がありません・・・平成元年に電線が地中化され、電柱が撤去されたおかげで空は広く、蔵造りの街並みが綺麗に見えますね。
この信号から時の鐘へ向かいます。 -
「鐘つき通り」から蔵造りの通りを見た写真。
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川越のシンボルとも言える「時の鐘」・・・時の鐘は、寛永年間(1624~44)に川越城主の酒井忠勝によって建てられ、鐘の音が川越城や城下町に響いて人々に時を知らせました。
現在の時の鐘は、明治26年の川越大火の直後に同じ姿で再建されたものです。 -
高さ約16mの木造三層の時の鐘は、平成28年度の耐震工事を経て、現在も一日4回(6時・12時・15時・18時)鐘を鳴らしています。
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時の鐘をくぐって薬師神社へもお参り。
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薬師神社は、瑞光山醫王院常蓮寺という名のお寺でしたが、明治維新の際に薬師神社となりました。
明治26年の川越大火で時の鐘と共に焼失しましたが、翌年に再建されました。
病気平癒のご利益があり、特に眼病には著しい効果があるそうです。 -
菓子屋横丁入り口の鰻専門店「うなっ子」の角にあるカメレオンと5円玉のオブジェ・・・この巨大オブジェを作ったのは、川越出身のアーティスト・ヤジマミキオさん・・・しかし、どうして菓子屋横丁に、これが?
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2015年6月に5棟が全焼した川越市の観光名所「菓子屋横丁」・・・新店舗が建てられ、営業を再開しています。
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新河岸川を見ながら見立寺へ。
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⑥布袋尊 見立寺
川越城主・大道寺政繁が1558年に建てた浄土宗の寺で、蓮馨寺の末寺でもあります。 -
樹齢150年のヒマラヤ杉。
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境内の左手には、「誰もが平等に救われる仏(ほとけ)の教えを見つけたい」と、13歳で岡山から比叡山へ旅立ちの一歩を踏み出す「旅立ちの法然さま」像があります。
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江戸時代後期に焼失した本堂は、明治14年に再建されました。
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本堂に祀られた小さな布袋像。
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⑦弁財天 妙昌寺
妙昌寺は1375年に日蓮宗大本山・池上本門寺の末寺として創建されました。 -
本堂は平成4年に落慶。
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境内にある経ヶ嶋辨財天を祀った弁天堂。
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弁天堂の側面の「こて絵」・・・壁の漆喰に「こて絵」と呼ばれる左官職人の装飾が施されています。
弁財天や浦島太郎など、「こて」で作り上げたとは思えないアートです。 -
無事に七福神めぐりが終わり、Hさんのマンションで新年会。
先ずはシャンパンで ” カンパ~イ ” -
蕎麦打ち名人(?)のHさんが、昨晩打った蕎麦を美味しく頂きました。
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” 今年はどの山に登る? ” 話は尽きません。
この一年も、安全で楽しい山行を続けたいものです。
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