2018/01/06 - 2018/01/06
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しんちゃんさん
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『赤穂浪士(あこうろうし)のうち赤穂(播磨国赤穂郡)出身者は大石良雄を含めて半数程度で、次いで多いのが常陸国の真壁(真壁郡)や笠間(茨城郡)の出身者である。』Wikipediaより
そんな笠間市を是非見学したかった。
なぜなら、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の曽祖父が住んでいた屋敷跡が残っているからだ。
主君の浅野家は…
『浅野家は真岡(もおか)藩(現栃木県真岡市)、真壁藩(現茨城県桜川市真壁)、笠間藩(茨城県笠間市)から赤穂藩と移る。大石内蔵助が助けを求めたのは元笠間藩の人達であった。』「赤穂浪士と陰の義侠伝」平岡一二著より
笠間藩の方々の協力がなければ仇討ちは成功しなかった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
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残念ながら「荒れ果てた大石邸跡」であった。
笠間市は何をしているのだろうか!
市長のコラムに赤穂浪士の事が載っているが…
「http://www.city.kasama.lg.jp/page/page004788.html」
後ろ側に「笠間日動美術館」このあと見学した。 -
説明版だけは立派だったが…
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屋敷跡
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屋敷跡_枝垂桜?
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記念碑
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屋敷跡_井戸
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屋敷跡内部から道路側(北側)を眺める
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「史蹟大石邸跡」道標の裏側
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道路から見た大石邸跡
「赤穂浪士と陰の義侠伝」平岡一二著の中で…
『赤穂浪士の討ち入り主君の仇を討った事件は、浪士達の吉良邸探索の苦心談・苦労を称えた美談が多い。しかし義士たちの陰で血と汗を流し、命懸けの探索をした見えざる後援者達の働きは世間に知られていない。旧浅野家笠間時代の所縁の者達が江戸に出て来て(吉良上野介の身辺・屋敷内部等の)探索していたことを知っているのは大石内蔵助、小野寺十内の他数人の義士達だけであった。なぜなら赤穂藩浅野家家中の者は監視の目が厳しく動きを悟られる。又本懐を成し終えたとすると協力者が幕府からどんな処罰がくるか、罪を協力者に被ってはならないと極秘であった。大石内蔵助は曽祖父の時代から浅野家の重臣であった。』とある。
屋敷跡を整備して彼らの働きを褒め称えて欲しい。 -
大石邸跡は○印
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大石内蔵助銅像を探した。
間違って北側の「佐白山 正福寺」に行ってしまいました。
正福寺でコーヒーをいただき場所を聞いてここへ来た。
笠間城跡はここから東へ約650mである。
ここは下屋敷跡 -
笠間城跡はここから東へ約650mである。
ここは笠間城下屋敷跡である。 -
火の見櫓らしき建物、銅像が見つからない・・・
西日が強く、右側の木の影の中に銅像があった。 -
「刀を持った大石内蔵助」でなく「采配を振るう大石内蔵助」であった。
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討ち入りの日「采配を振るう大石内蔵助」
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討ち入りの日「采配を振るう大石内蔵助」
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大石内蔵助銅像台座
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大石内蔵助銅像台座裏側
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火の見櫓でなく、時鐘
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間違って行った「正福寺」の鐘を借りて笠間藩が時報を告げたらしい。
「正福寺」では鐘楼が無く長たらしい説明版があった。 -
「旧笠間町立美術館」
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「旧笠間町立美術館」説明版
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「笠間満州分村懐古之碑」
笠間の方々も満州へ行ったか! -
この奥に「笠間城」がありました。
今回は時間が無いのでパス -
笠間下屋敷(山麓公園)をあとにして日動美術館へ向かいます。
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今回の旅行のきっかけとなった「赤穂浪士と陰の義侠伝」平岡一二著
文芸社出版
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