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新しく開始したプウク・ウシュマル遺跡ツアーの関係でボクは今メリダに来ている。マヤ文明と一口に言っても文明の軌跡とは教科書で習ったように単純ではない。一つの文明の中にある一つのエリアの、更にその一つの都市の中の一つの建物といった部分にまで歴史というものが息づいているからだ。当然、その分歴史というものは複雑に絡み合い、単純にこの時代は誰それが統治し、その時代はどのような時代だったか。。。という教科書的な解説で済んでしまうようなものでもない。<br /><br />また、マヤ文明にはまだまだ解明されていない謎が多くある。ガイドをしているとそんな謎に数多く出会う事になるのだが、その中でも今回出かけたジビルチャルトンはかなりのロマンを秘めている。<br /><br />メリダから北へ20分ほどいった、昔からメリダ市民の避暑地としても有名なプログレッソへ向かう途中にある紀元前325年のマヤ先古典期からスペイン侵攻がある1542年まで、更にその後もフランシスコ・デ・モンテホがメリダに都市建設を開始するまで、スペイン・カトリックの布教と都市の拠点が1610年までおかれた実に2000年近くにわたって続いた息の長いマヤ遺跡。<br /><br />ここには15年ほど前に一度訪れた事があり、当時はまだ修復や発掘などがあまり進んでおらず見学できるエリアも限られていたことから単なる地方の小さなマヤの都市程度にしか考えていなかった。もちろん、当時から太陽の運行や儀式のセンターたるべく、マヤ文明北部低地のエリアではもっとも古い都市として注目されているという程度の事は分かっていたのだが、それ以上の文献にもそれ以前に発掘そのものが進んでいなかったこともあり、単なる見学で終わってしまっていた。<br /><br />ここ数年マヤエリアでは新たな発掘やマヤ碑文の解読などが飛躍的に進んでおり、この15年ぶりに訪れるユカタン半島最古のセンターに訪れるのを、だからこそ楽しみにしてもいた。<br /><br />因みに、新しい遺跡ではボクは必ずガイドを雇う。ボク自身がマヤ遺跡のガイドであり、正直その辺にいるガイドよりもさらに深い知識と見分を持っていると自負していても、やはりボクの知らない最新の発掘状況やセトルメントパターンという一般住居址にいたる都市の構成などの細かな情報についてはかなり参考になるからでもある。<br /><br />当然、いい加減なガイドも多くいるので、現地ガイドを雇う際にはボクは必ずどの程度の知識があり、ボク自身が求める情報をどの程度持ち合わせているのか確認を取る。一般の観光客向けの単なる見学の解説であれば不要だという事が向こうも分かるから当然緊張もしながら案内をしてくれることになるのだが、これがまたお互いに良い刺激を生み出してくれることも多い。<br /><br />何よりマヤ文明を愛して遺跡の案内を生業としているガイドに出会うと話も盛り上がるのもウレシイ。<br /><br />今回僕を担当してくれたMEMOは単なる教科書的な解説に終始することなく、彼自身がガイドを続けている中で発見した様々なこのジビルチャルトンという遺跡の謎とその解釈について語ってくれた。考古学者が出した結論も出された当時と今ではかなり違っている事も多く、特にここジビルチャルトンのように未だに発掘がほとんどされていない場所に至っては、間違った修復になってしまっている事も多かったりするからだ。<br /><br />意外に思うかもしれないが、考古学も常に日進月歩、間違いもあれば訂正もしながら前進をしている状態なのだ。<br /><br />例えば、このジビルチャルトンには「7つの人形の館」と名付けられた天文台がある。7つの人形が発掘され、壁にその何たるかを示す壁画らしきものが発見されたことから名づけられた神殿でもあるのだが、この神殿は例のごとく年に二回その中心となる窓から太陽が昇る事でも有名になっている。<br /><br />当然昇る場所があれば下りる場所だってある。チチェンイッツァ遺跡のククルカンのピラミッドは降臨だけだが、それは、地下に沈んでいく太陽に活力たる人間の心臓をささげる為の神殿だからで、その目的が異なれば当然あり方も違ってくる。<br /><br />ここジビルチャルトンの場合は、上がってくる太陽と沈む太陽の工程を見極め、農耕の為の正確な日時を知る為のカレンダー的な役割を持っている為、チチェンイッツア遺跡のそれとは同じ降臨現象などといっても神殿とは違う存在意義というものがあったりもする。<br /><br />何でも神秘的なものと結び付けたがる人には申し訳ないのだけれど、そもそもこうした降臨にしろ正確な天文の知識にしろ、それは決して宇宙との交信などといった一般受けしそうな内容であることは少なくて、実際は自分たちが生きていく上で必要な実用的な知識がベースにある事の方が圧倒的に多い。<br /><br />だからこそ、毎年正確に同じ場所に移動をしてくる太陽に対し神聖を感じ神と崇める土着信仰へと進んでいったという順序が宗教成立の成り行きとしては自然であることも理解できるだろう。<br /><br />信仰がまずありき、、、という神秘主義とは若干違っていることは知っておいて欲しいと思う。<br /><br />そういうわけで、こうした正確さを求められる巨大天体装置としての7つの人形の館だが、MEMOに言わせると自分は長くこの遺跡の案内をしているがその中で一つ気が付いたことがあるのだという。それは、今では沢山の人がこうしてこの遺跡の中心から7つの人形の神殿までサクベを伝って歩いているけれど、このサクベは間違った場所にあると。<br /><br />そうして一つの神殿にボクを案内し、ここから神殿まで引いた直線が本当のサクベがあった場所に違いないという。<br /><br />言われてみるともっともだが、その根拠は何だと聞く。<br /><br />すると、ケンゴ、あの7つの人形の館からこの神殿まで引いた直線の先に何がある?<br /><br />振り返るとそこには17世紀に建てられたカトリックの教会跡が建っている。その中心はこちらからは見えないが向こう側からだと祭壇が置かれている場所にぴったりと一致している。<br /><br />さて、ここで当時のカトリックの教会は、布教活動の為に遺跡の神殿を取り壊して教会に建て替えたわけだが、何故あそこに建てたのか?<br /><br />それはあの場所に意味があるからだ。そして、あの場所には教会が建てられる前に間違いなくマヤの神殿が建てられていて、そこがマヤの人たちにとって重要な場所だったから教会に作り替えたのだと。<br /><br />すると、登る太陽と沈む太陽、、、このジビルチャルトンの神殿は巨大な農耕カレンダーだという実用的な面を勘案すれば、このラインこそが真のラインだった。。。そう思えないかい?<br /><br />言う通り、この町の中心にこの教会が建っているのだが、その教会だけが後世に作られたものだとすれば、この場所に何かしらのマヤ神殿が建っていたのは論理的に間違っているとは思えない。しかも、そこから引いたラインが街の東の神殿を通り、直線に伸ばしたラインの先に太陽が昇る7つの人形の館が建っているというのは偶然ではないだろう。<br /><br />彼は続ける。自分は毎年太陽が昇ってくる日を知っているが、その気持ちは確信に変わっていると。<br /><br />実際、この彼の想定する真のサクベの左右には遺跡とみられる建造物がいくつも点在している。また石碑も数多くのこっており、残念ながら全て消えてしまって今となっては何が書かれていたのかが分からなくなってしまっているが、その立ち位置などからは、夏至と冬至を意識していた事をはっきりと見て取ることが出来たりもする。<br /><br />ここはまるでテオティワカンの死者の道のようだなというボクに、MEMOがケンゴ、、、残念ながらこのライン上の左右に点在する遺跡は神殿ではなく全て住居址なんだと付け加える。<br /><br />ここは祭祀センターであったという説明がされるが故に神秘的な側面ばかりをドラマティックに語ることが多いけれど、実際には過酷な環境にあったこの土地で生きる為の知恵を凝縮した実用的な都市だったわけだから、祈り以上に人の生に対する執着が凝縮されていたと考える方が無難だと。<br /><br />こうした意見も当然ながら、このマヤ北部低地の7世紀から始まる大干ばつを念頭に置いた発言であるのは言うまでもない。<br /><br />古代文明というとどうしてもそこにロマンを感じずにはいられず古代人たちがその限られた知識の中で如何に素晴らしい発見を形に残したかという部分にばかり目が行くが、、、考えてみれば古代マヤ人も同じ人類であることに思いを寄せれば、このジビルチャルトンという一見神秘的な都市もまた、同じ人が生きる為に協力し合いながら大変な時代を苦労して生き残ろうとした痕跡であると言えるのかもしれない。<br /><br />毎年決まった5月23日の正午に、7つの人形の館の天井真上を太陽が通過するが、それは雨期入りを知らせる合図になっているなど、興味深い話を今回もいくつも聞かせてもらった。<br /><br />また、小さな資料館にはここで発掘された貴重な品が展示されている。25本発見されている石碑のうち、唯一綺麗にその姿を残しているカロム・ウク・チャン・チャック王の石碑などは、心臓部分が故意に抜かれており、この過酷な地域の統治も決して安定したものではなかったことを教えられたり、7つの人形の館から発掘された人形を実際に目にすることも出来る。<br /><br />当時の人口は600-800年までは20000から最大で40000人に上り、15平方キロに及ぶセンターには8000の遺構が存在していて、この地域では最大のセンターであったこと。。。簡単に4万人というけれど、最大の都市と言われたコバ遺跡で6万人といわれているので、このジビルチャルトンは紛う事無き北部低地における重要センターの一つだったのは間違いない。。。。<br /><br />因みにこのジビルチャルトンもマヤ文明の崩壊のあった900年前後を乗り切る事は出来ず、チチェンイッツァが台頭するころには都市の人口も10分の1の4000人まで減少したことが分かっている。。。凄まじい環境の変化が、人的な開発を契機に引き起こされ、その影響が30万平方といわれるマヤ地域全体に深刻なダメージを与えたことがよく分かる。<br /><br />また、この資料館ではボクが気になっていたスペイン統治の過酷で苛烈な時代を象徴する私幣なども実物を見ることも出来る。一見すると単なる昔の硬貨でしかないので素通りをするところだが、これこそが、300年以上にわたるスペイン統治の間、表向きは植民地の国民はスペイン国民と同等であるがゆえに奴隷は存在しないという犠政者たちの偽りを正当化する為の道具であり、また、マヤ先住民の人々を奴隷化し、のちのカースト戦争の引き金となっていく貨幣であるといった歴史を知れば見方も全然違ってくる。<br /><br />ここでは細かい話は割愛するけれど、ガイドを雇う意味がここにあり、一つの品からその裏や奥に秘める歴史や事実を紐解き解説を受ける事で、単なる見学を歴史探訪へと昇華させる楽しみが得られるわけだ。。。<br /><br />因みに、ここの遺跡にあるセノーテは実際に泳ぐ事が出来る。深さ60m、長さなんと1.5kmに及ぶ深く水をたたえる水底からは様々な副葬品が発掘もされているのだけれども、そんな発掘品が出たセノーテで実際に泳ぐことが出来るという体験は普通はまず出来ないのと、その内、間違いなく入ることが出来なくなるので、今のうちに泳いでおくといいかもしれない。<br /><br />さて、15年ぶりとなったジビルチャルトン遺跡。。。久しくその歴史のロマンを余すところなく体感することが出来、ガイドMEMOの素晴らしいガイディングにも刺激を得られ、また気合をいれて皆さまにマヤ文明へのいざないに力をこめようと誓った店長吉田なのでした。<br /><br />プライベートツアーであれば、ジビルチャルトンなどのご案内も可能ですので、また皆さまお気軽にご相談いただければと思います。この遺跡、、、盛り上がってくればその内グループツアーとしても独立させられると面白いのかもしれないナー。。。<br /><br />それでは皆様、今日も素敵な一日を!<br /><br />店長吉田でした。<br /><br />

■カンクン発■マヤ北部低地最古の巨大都市ジビルチャルトン遺跡の謎 By ウォータースポーツカンクン店長吉田

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2017/12/12 - 2017/12/12

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    新しく開始したプウク・ウシュマル遺跡ツアーの関係でボクは今メリダに来ている。マヤ文明と一口に言っても文明の軌跡とは教科書で習ったように単純ではない。一つの文明の中にある一つのエリアの、更にその一つの都市の中の一つの建物といった部分にまで歴史というものが息づいているからだ。当然、その分歴史というものは複雑に絡み合い、単純にこの時代は誰それが統治し、その時代はどのような時代だったか。。。という教科書的な解説で済んでしまうようなものでもない。

    また、マヤ文明にはまだまだ解明されていない謎が多くある。ガイドをしているとそんな謎に数多く出会う事になるのだが、その中でも今回出かけたジビルチャルトンはかなりのロマンを秘めている。

    メリダから北へ20分ほどいった、昔からメリダ市民の避暑地としても有名なプログレッソへ向かう途中にある紀元前325年のマヤ先古典期からスペイン侵攻がある1542年まで、更にその後もフランシスコ・デ・モンテホがメリダに都市建設を開始するまで、スペイン・カトリックの布教と都市の拠点が1610年までおかれた実に2000年近くにわたって続いた息の長いマヤ遺跡。

    ここには15年ほど前に一度訪れた事があり、当時はまだ修復や発掘などがあまり進んでおらず見学できるエリアも限られていたことから単なる地方の小さなマヤの都市程度にしか考えていなかった。もちろん、当時から太陽の運行や儀式のセンターたるべく、マヤ文明北部低地のエリアではもっとも古い都市として注目されているという程度の事は分かっていたのだが、それ以上の文献にもそれ以前に発掘そのものが進んでいなかったこともあり、単なる見学で終わってしまっていた。

    ここ数年マヤエリアでは新たな発掘やマヤ碑文の解読などが飛躍的に進んでおり、この15年ぶりに訪れるユカタン半島最古のセンターに訪れるのを、だからこそ楽しみにしてもいた。

    因みに、新しい遺跡ではボクは必ずガイドを雇う。ボク自身がマヤ遺跡のガイドであり、正直その辺にいるガイドよりもさらに深い知識と見分を持っていると自負していても、やはりボクの知らない最新の発掘状況やセトルメントパターンという一般住居址にいたる都市の構成などの細かな情報についてはかなり参考になるからでもある。

    当然、いい加減なガイドも多くいるので、現地ガイドを雇う際にはボクは必ずどの程度の知識があり、ボク自身が求める情報をどの程度持ち合わせているのか確認を取る。一般の観光客向けの単なる見学の解説であれば不要だという事が向こうも分かるから当然緊張もしながら案内をしてくれることになるのだが、これがまたお互いに良い刺激を生み出してくれることも多い。

    何よりマヤ文明を愛して遺跡の案内を生業としているガイドに出会うと話も盛り上がるのもウレシイ。

    今回僕を担当してくれたMEMOは単なる教科書的な解説に終始することなく、彼自身がガイドを続けている中で発見した様々なこのジビルチャルトンという遺跡の謎とその解釈について語ってくれた。考古学者が出した結論も出された当時と今ではかなり違っている事も多く、特にここジビルチャルトンのように未だに発掘がほとんどされていない場所に至っては、間違った修復になってしまっている事も多かったりするからだ。

    意外に思うかもしれないが、考古学も常に日進月歩、間違いもあれば訂正もしながら前進をしている状態なのだ。

    例えば、このジビルチャルトンには「7つの人形の館」と名付けられた天文台がある。7つの人形が発掘され、壁にその何たるかを示す壁画らしきものが発見されたことから名づけられた神殿でもあるのだが、この神殿は例のごとく年に二回その中心となる窓から太陽が昇る事でも有名になっている。

    当然昇る場所があれば下りる場所だってある。チチェンイッツァ遺跡のククルカンのピラミッドは降臨だけだが、それは、地下に沈んでいく太陽に活力たる人間の心臓をささげる為の神殿だからで、その目的が異なれば当然あり方も違ってくる。

    ここジビルチャルトンの場合は、上がってくる太陽と沈む太陽の工程を見極め、農耕の為の正確な日時を知る為のカレンダー的な役割を持っている為、チチェンイッツア遺跡のそれとは同じ降臨現象などといっても神殿とは違う存在意義というものがあったりもする。

    何でも神秘的なものと結び付けたがる人には申し訳ないのだけれど、そもそもこうした降臨にしろ正確な天文の知識にしろ、それは決して宇宙との交信などといった一般受けしそうな内容であることは少なくて、実際は自分たちが生きていく上で必要な実用的な知識がベースにある事の方が圧倒的に多い。

    だからこそ、毎年正確に同じ場所に移動をしてくる太陽に対し神聖を感じ神と崇める土着信仰へと進んでいったという順序が宗教成立の成り行きとしては自然であることも理解できるだろう。

    信仰がまずありき、、、という神秘主義とは若干違っていることは知っておいて欲しいと思う。

    そういうわけで、こうした正確さを求められる巨大天体装置としての7つの人形の館だが、MEMOに言わせると自分は長くこの遺跡の案内をしているがその中で一つ気が付いたことがあるのだという。それは、今では沢山の人がこうしてこの遺跡の中心から7つの人形の神殿までサクベを伝って歩いているけれど、このサクベは間違った場所にあると。

    そうして一つの神殿にボクを案内し、ここから神殿まで引いた直線が本当のサクベがあった場所に違いないという。

    言われてみるともっともだが、その根拠は何だと聞く。

    すると、ケンゴ、あの7つの人形の館からこの神殿まで引いた直線の先に何がある?

    振り返るとそこには17世紀に建てられたカトリックの教会跡が建っている。その中心はこちらからは見えないが向こう側からだと祭壇が置かれている場所にぴったりと一致している。

    さて、ここで当時のカトリックの教会は、布教活動の為に遺跡の神殿を取り壊して教会に建て替えたわけだが、何故あそこに建てたのか?

    それはあの場所に意味があるからだ。そして、あの場所には教会が建てられる前に間違いなくマヤの神殿が建てられていて、そこがマヤの人たちにとって重要な場所だったから教会に作り替えたのだと。

    すると、登る太陽と沈む太陽、、、このジビルチャルトンの神殿は巨大な農耕カレンダーだという実用的な面を勘案すれば、このラインこそが真のラインだった。。。そう思えないかい?

    言う通り、この町の中心にこの教会が建っているのだが、その教会だけが後世に作られたものだとすれば、この場所に何かしらのマヤ神殿が建っていたのは論理的に間違っているとは思えない。しかも、そこから引いたラインが街の東の神殿を通り、直線に伸ばしたラインの先に太陽が昇る7つの人形の館が建っているというのは偶然ではないだろう。

    彼は続ける。自分は毎年太陽が昇ってくる日を知っているが、その気持ちは確信に変わっていると。

    実際、この彼の想定する真のサクベの左右には遺跡とみられる建造物がいくつも点在している。また石碑も数多くのこっており、残念ながら全て消えてしまって今となっては何が書かれていたのかが分からなくなってしまっているが、その立ち位置などからは、夏至と冬至を意識していた事をはっきりと見て取ることが出来たりもする。

    ここはまるでテオティワカンの死者の道のようだなというボクに、MEMOがケンゴ、、、残念ながらこのライン上の左右に点在する遺跡は神殿ではなく全て住居址なんだと付け加える。

    ここは祭祀センターであったという説明がされるが故に神秘的な側面ばかりをドラマティックに語ることが多いけれど、実際には過酷な環境にあったこの土地で生きる為の知恵を凝縮した実用的な都市だったわけだから、祈り以上に人の生に対する執着が凝縮されていたと考える方が無難だと。

    こうした意見も当然ながら、このマヤ北部低地の7世紀から始まる大干ばつを念頭に置いた発言であるのは言うまでもない。

    古代文明というとどうしてもそこにロマンを感じずにはいられず古代人たちがその限られた知識の中で如何に素晴らしい発見を形に残したかという部分にばかり目が行くが、、、考えてみれば古代マヤ人も同じ人類であることに思いを寄せれば、このジビルチャルトンという一見神秘的な都市もまた、同じ人が生きる為に協力し合いながら大変な時代を苦労して生き残ろうとした痕跡であると言えるのかもしれない。

    毎年決まった5月23日の正午に、7つの人形の館の天井真上を太陽が通過するが、それは雨期入りを知らせる合図になっているなど、興味深い話を今回もいくつも聞かせてもらった。

    また、小さな資料館にはここで発掘された貴重な品が展示されている。25本発見されている石碑のうち、唯一綺麗にその姿を残しているカロム・ウク・チャン・チャック王の石碑などは、心臓部分が故意に抜かれており、この過酷な地域の統治も決して安定したものではなかったことを教えられたり、7つの人形の館から発掘された人形を実際に目にすることも出来る。

    当時の人口は600-800年までは20000から最大で40000人に上り、15平方キロに及ぶセンターには8000の遺構が存在していて、この地域では最大のセンターであったこと。。。簡単に4万人というけれど、最大の都市と言われたコバ遺跡で6万人といわれているので、このジビルチャルトンは紛う事無き北部低地における重要センターの一つだったのは間違いない。。。。

    因みにこのジビルチャルトンもマヤ文明の崩壊のあった900年前後を乗り切る事は出来ず、チチェンイッツァが台頭するころには都市の人口も10分の1の4000人まで減少したことが分かっている。。。凄まじい環境の変化が、人的な開発を契機に引き起こされ、その影響が30万平方といわれるマヤ地域全体に深刻なダメージを与えたことがよく分かる。

    また、この資料館ではボクが気になっていたスペイン統治の過酷で苛烈な時代を象徴する私幣なども実物を見ることも出来る。一見すると単なる昔の硬貨でしかないので素通りをするところだが、これこそが、300年以上にわたるスペイン統治の間、表向きは植民地の国民はスペイン国民と同等であるがゆえに奴隷は存在しないという犠政者たちの偽りを正当化する為の道具であり、また、マヤ先住民の人々を奴隷化し、のちのカースト戦争の引き金となっていく貨幣であるといった歴史を知れば見方も全然違ってくる。

    ここでは細かい話は割愛するけれど、ガイドを雇う意味がここにあり、一つの品からその裏や奥に秘める歴史や事実を紐解き解説を受ける事で、単なる見学を歴史探訪へと昇華させる楽しみが得られるわけだ。。。

    因みに、ここの遺跡にあるセノーテは実際に泳ぐ事が出来る。深さ60m、長さなんと1.5kmに及ぶ深く水をたたえる水底からは様々な副葬品が発掘もされているのだけれども、そんな発掘品が出たセノーテで実際に泳ぐことが出来るという体験は普通はまず出来ないのと、その内、間違いなく入ることが出来なくなるので、今のうちに泳いでおくといいかもしれない。

    さて、15年ぶりとなったジビルチャルトン遺跡。。。久しくその歴史のロマンを余すところなく体感することが出来、ガイドMEMOの素晴らしいガイディングにも刺激を得られ、また気合をいれて皆さまにマヤ文明へのいざないに力をこめようと誓った店長吉田なのでした。

    プライベートツアーであれば、ジビルチャルトンなどのご案内も可能ですので、また皆さまお気軽にご相談いただければと思います。この遺跡、、、盛り上がってくればその内グループツアーとしても独立させられると面白いのかもしれないナー。。。

    それでは皆様、今日も素敵な一日を!

    店長吉田でした。

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    • 先古典期の紀元前325年からスペイン植民地支配後の1610年まで実に2000年近く存在したマヤ北部低地最大の都市。<br /><br />自然環境が苛烈なこの地における統治が如何に難しかったかを示す証拠がいくつも出ているが、何より何故そのような居住に決して適さないような場所に巨大都市が存在しえたのかもまた大きな謎と興味を誘う。。。

      先古典期の紀元前325年からスペイン植民地支配後の1610年まで実に2000年近く存在したマヤ北部低地最大の都市。

      自然環境が苛烈なこの地における統治が如何に難しかったかを示す証拠がいくつも出ているが、何より何故そのような居住に決して適さないような場所に巨大都市が存在しえたのかもまた大きな謎と興味を誘う。。。

    • ジビルチャルトンは、周囲15平方キロに8000もの遺跡マウンドが確認される紛う事無き巨大都市だが、ウシュマルやエクバラム、チチェンイッツァ、コバのような巨大神殿は確認されていない。<br /><br />にも関わらず、最盛期には4万人もの人口を要し、ウシュマルやチチェンイッツァ以上の巨大都市であったことが分かっている。

      ジビルチャルトンは、周囲15平方キロに8000もの遺跡マウンドが確認される紛う事無き巨大都市だが、ウシュマルやエクバラム、チチェンイッツァ、コバのような巨大神殿は確認されていない。

      にも関わらず、最盛期には4万人もの人口を要し、ウシュマルやチチェンイッツァ以上の巨大都市であったことが分かっている。

    • T`HO(ティホ)と呼ばれていた現在ユカタン州の州都メリダから20kmほど北にあるジビルチャルトンは、1610年にメリダ遷都により完全に放棄されるまではカトリック布教の中心としても栄えたと言われる。<br /><br />マヤの遺跡を取り壊して建てられたカトリックの教会は。ジビルチャルトンの街の中心の重要な場所に建てられている。<br /><br />これが今回訪れたジビルチャルトンの謎に迫る大きなポイントになるとはこの時は知る由もなく(^^)<br />

      T`HO(ティホ)と呼ばれていた現在ユカタン州の州都メリダから20kmほど北にあるジビルチャルトンは、1610年にメリダ遷都により完全に放棄されるまではカトリック布教の中心としても栄えたと言われる。

      マヤの遺跡を取り壊して建てられたカトリックの教会は。ジビルチャルトンの街の中心の重要な場所に建てられている。

      これが今回訪れたジビルチャルトンの謎に迫る大きなポイントになるとはこの時は知る由もなく(^^)

    • セノーテXlacha<br /><br />深さ60m、西1.5kmまで緩やかに洞窟が続いている。ここからは数多くの埋葬品が発掘されている。当然だが、セノーテの入れ口付近に集中している。<br /><br />ただ、それほど貴重な品は発見されておらず、長い年月の盗掘などにより紛失したと考えられている。<br /><br />この6500万年という半島の歴史を物語るセノーテには今でもなみなみと美しく透明な水が湧き出ており、ここでは遊泳することが出来る。<br /><br />この日も日曜日という事もあり家族が遊泳を楽しんでいた。

      セノーテXlacha

      深さ60m、西1.5kmまで緩やかに洞窟が続いている。ここからは数多くの埋葬品が発掘されている。当然だが、セノーテの入れ口付近に集中している。

      ただ、それほど貴重な品は発見されておらず、長い年月の盗掘などにより紛失したと考えられている。

      この6500万年という半島の歴史を物語るセノーテには今でもなみなみと美しく透明な水が湧き出ており、ここでは遊泳することが出来る。

      この日も日曜日という事もあり家族が遊泳を楽しんでいた。

    • さて、今回のガイドMEMOが示した本来のサクベのあったライン。実際に修復されたサクベとは一本分南側へそれている。<br /><br />が、実際にこのライン上の左右には遺跡マウンドが多数存在し、この直線のライン上には先にご紹介した教会の遺跡中央の祭壇がぴったりフォーカスされている。<br /><br />街の中心から引かれた直線の先に7つの人形の館が見える。。。

      さて、今回のガイドMEMOが示した本来のサクベのあったライン。実際に修復されたサクベとは一本分南側へそれている。

      が、実際にこのライン上の左右には遺跡マウンドが多数存在し、この直線のライン上には先にご紹介した教会の遺跡中央の祭壇がぴったりフォーカスされている。

      街の中心から引かれた直線の先に7つの人形の館が見える。。。

    • サクベから7つの人形の館まで歩く途中に点在するステラ(石碑)<br /><br />この石碑は南に3本直線に並べるようにピッタリあわせておかれている。夏至と冬至に影の長さが最長と最短になるように考えられているのがよく分かる。<br /><br />このジビルチャルトンでは石碑が25本発見されているが、ほぼ全て経年による溶解が進んでしまっており、過去の記録も含めてそこに何が記録されていたのかがまったく分からない。。。残念な話だ。。。

      サクベから7つの人形の館まで歩く途中に点在するステラ(石碑)

      この石碑は南に3本直線に並べるようにピッタリあわせておかれている。夏至と冬至に影の長さが最長と最短になるように考えられているのがよく分かる。

      このジビルチャルトンでは石碑が25本発見されているが、ほぼ全て経年による溶解が進んでしまっており、過去の記録も含めてそこに何が記録されていたのかがまったく分からない。。。残念な話だ。。。

    • 7つの人形の館手前に建つ石碑12番<br /><br />因みに、この石碑の番号というのは発見された順番であって時代ごとの系列とは何の関係もない。<br /><br />この石碑の所為でサクベの本来のラインを見誤ることになったわけだが、何故北にずれた場所にこの石碑が置かれているのか。。。これは、先の冬至と夏至の石碑と同様、サクベの両サイドに設置することで太陽や惑星の運航を確認する為だったのだろうか。<br /><br />通常石碑というのは王の功績を記録する歴史板である為、象徴的に神殿の前など儀式と関係のある場所におかれることが多いのだが、このジビルチャルトンに至っては、どちらかと言うと、こうした威信行為とは違った意味を感じるものが多くある。<br /><br />巨大な神殿も建設せず、ただひたすら実務に徹したこの都市の支配者が有能であったからなのか、、、2000年に及ぶ長い歴史を刻むことが出来た素地がこういう所にもあるのだろうか。。。

      7つの人形の館手前に建つ石碑12番

      因みに、この石碑の番号というのは発見された順番であって時代ごとの系列とは何の関係もない。

      この石碑の所為でサクベの本来のラインを見誤ることになったわけだが、何故北にずれた場所にこの石碑が置かれているのか。。。これは、先の冬至と夏至の石碑と同様、サクベの両サイドに設置することで太陽や惑星の運航を確認する為だったのだろうか。

      通常石碑というのは王の功績を記録する歴史板である為、象徴的に神殿の前など儀式と関係のある場所におかれることが多いのだが、このジビルチャルトンに至っては、どちらかと言うと、こうした威信行為とは違った意味を感じるものが多くある。

      巨大な神殿も建設せず、ただひたすら実務に徹したこの都市の支配者が有能であったからなのか、、、2000年に及ぶ長い歴史を刻むことが出来た素地がこういう所にもあるのだろうか。。。

    • そして、ジビルチャルトン最大の見どころ7つの人形の館。<br /><br />ここの基礎から7つの人形が発掘されたことから名付けられた名前だが、この発掘された人形は実に原始的、、、プリミティブであり、決して芸術性が高い物ではない。。。<br /><br />この為、この人形だけ見るとそれほど重要な埋葬品ではないようにも思えるのだが、発掘された場所からはこの7つの人形に関する壁画が発見されている。<br /><br />儀式よりも実務を重んじたが故に、それほど埋葬品にこだわりを持たなかったのか、その出来具合だけで、重要性の良し悪しを決定する危険性を教えてくれる遺物だ。

      そして、ジビルチャルトン最大の見どころ7つの人形の館。

      ここの基礎から7つの人形が発掘されたことから名付けられた名前だが、この発掘された人形は実に原始的、、、プリミティブであり、決して芸術性が高い物ではない。。。

      この為、この人形だけ見るとそれほど重要な埋葬品ではないようにも思えるのだが、発掘された場所からはこの7つの人形に関する壁画が発見されている。

      儀式よりも実務を重んじたが故に、それほど埋葬品にこだわりを持たなかったのか、その出来具合だけで、重要性の良し悪しを決定する危険性を教えてくれる遺物だ。

    • これがその7つの人形。よく見ると妊娠や男性器を象徴する姿。ボール球技者と思われる姿など、当時の人々の生活や人間の生に関するモチーフであることが見て取れる。<br /><br />それにしても、子供が作ったような出来具合に、、、もう少し上手に作れた筈だろうに、何故これほどまでに不細工に作り上げたのか、、、逆に深読みをしたくなってくる。<br /><br />実際に、そこには意図があったはずだろうから。。。うーーん、こうした事に思いをはせるのもロマンだな(笑)<br /><br />因みに、これらの実物は隣接する資料館にて見学することが出来る。

      これがその7つの人形。よく見ると妊娠や男性器を象徴する姿。ボール球技者と思われる姿など、当時の人々の生活や人間の生に関するモチーフであることが見て取れる。

      それにしても、子供が作ったような出来具合に、、、もう少し上手に作れた筈だろうに、何故これほどまでに不細工に作り上げたのか、、、逆に深読みをしたくなってくる。

      実際に、そこには意図があったはずだろうから。。。うーーん、こうした事に思いをはせるのもロマンだな(笑)

      因みに、これらの実物は隣接する資料館にて見学することが出来る。

    • 再び7つの人形の館。<br /><br />この真ん中の扉に秋分の日と、春分の日の年に二回、太陽が「昇臨」する。降臨ではなく、東から立ち昇る太陽が日の出にこの窓から顔を出す。<br /><br />この為、春分の日は早朝5時にオープンするそうだ。秋分の日は雨期の為に早朝営業はしないという事。<br /><br />当然、降臨をする場所もあるわけで、それが先のカトリックの教会の場所にあった神殿だと言われている。<br /><br />この中央の扉の左右は冬至と夏至の太陽が立ち昇る位置。<br /><br />また、天井中央に煙突がついているが、ここは5月23日に太陽が頂点を通るように設置してあり、神殿の真ん中に太陽の光がぴったりと入ってくるようになっている。<br /><br />雨期入りの時期の太陽の位置を記録していると言われる。<br /><br />そう考えるとこのジビルチャルトンは実に機能的に設計された人類の英知を秘めたセンターであったことが分かる。<br /><br />アステカのようにただ神を恐れるがあまり人身供犠を繰り返していたのとはその存在の在り方がまるっきり違っていて興味深い。

      再び7つの人形の館。

      この真ん中の扉に秋分の日と、春分の日の年に二回、太陽が「昇臨」する。降臨ではなく、東から立ち昇る太陽が日の出にこの窓から顔を出す。

      この為、春分の日は早朝5時にオープンするそうだ。秋分の日は雨期の為に早朝営業はしないという事。

      当然、降臨をする場所もあるわけで、それが先のカトリックの教会の場所にあった神殿だと言われている。

      この中央の扉の左右は冬至と夏至の太陽が立ち昇る位置。

      また、天井中央に煙突がついているが、ここは5月23日に太陽が頂点を通るように設置してあり、神殿の真ん中に太陽の光がぴったりと入ってくるようになっている。

      雨期入りの時期の太陽の位置を記録していると言われる。

      そう考えるとこのジビルチャルトンは実に機能的に設計された人類の英知を秘めたセンターであったことが分かる。

      アステカのようにただ神を恐れるがあまり人身供犠を繰り返していたのとはその存在の在り方がまるっきり違っていて興味深い。

    • さて、続いて資料館へ移動。ジビルチャルトンで発見された25本の石碑の中で唯一その姿を今に伝える石碑19番。<br /><br />ウク・チャン・チャク王の名前が刻まれている。<br /><br />また、このマヤ文字には王朝文字が刻まれているが、後で紹介するセプターとは違う文字の為、その関りが暗示される。

      さて、続いて資料館へ移動。ジビルチャルトンで発見された25本の石碑の中で唯一その姿を今に伝える石碑19番。

      ウク・チャン・チャク王の名前が刻まれている。

      また、このマヤ文字には王朝文字が刻まれているが、後で紹介するセプターとは違う文字の為、その関りが暗示される。

    • しかしながら、後世に故意に打ちぬかれたと思われる巨大な穴が心臓部分にあけられている。<br /><br />彼の統治の時代に何かがあった為と考えるのが妥当だが、暗君であったとも推測されている。。。ちなみに、彼は丸い盾を持っており、その中には即位を示すマヤ文字が刻まれている。また、カウィール神を象徴するセプター(杓)を持っているが、これはエクバラム遺跡なども含めてこの北部エリアで描かれる事が多い。

      しかしながら、後世に故意に打ちぬかれたと思われる巨大な穴が心臓部分にあけられている。

      彼の統治の時代に何かがあった為と考えるのが妥当だが、暗君であったとも推測されている。。。ちなみに、彼は丸い盾を持っており、その中には即位を示すマヤ文字が刻まれている。また、カウィール神を象徴するセプター(杓)を持っているが、これはエクバラム遺跡なども含めてこの北部エリアで描かれる事が多い。

    • その彼が持つカウィールのセプターも発掘されている。<br /><br />これは鹿の骨から作られたものだが、ここにはこのセプターの所有者であるウクチャンチャク王の名前が刻まれている。<br /><br />それ以外にもバツァム王朝に関する王朝文字が刻まれている。<br /><br />これはボクの知見によるものだけれど、エクバラムの碑文からは初代ウキットカンレクトック王の即位に当たっては、このバチァムという国が言及がされていて、チャクフツチャンエクと読める人物がエクバラムの王朝であるトロールの設立にかかわったと書かれている。<br /><br />そのバツァムに関しての王朝文字がこんなところにもあるのは実に興味深い。。。ちなみに、バツァムと言われる王朝都市は未だに発見されていない。。。しかし、もしかするとバツァムといわれる王朝がこのジビルチャルトンそのものであったのかもしれないと、、、そんな事に思いを巡らすとロマンも広がる。。。

      その彼が持つカウィールのセプターも発掘されている。

      これは鹿の骨から作られたものだが、ここにはこのセプターの所有者であるウクチャンチャク王の名前が刻まれている。

      それ以外にもバツァム王朝に関する王朝文字が刻まれている。

      これはボクの知見によるものだけれど、エクバラムの碑文からは初代ウキットカンレクトック王の即位に当たっては、このバチァムという国が言及がされていて、チャクフツチャンエクと読める人物がエクバラムの王朝であるトロールの設立にかかわったと書かれている。

      そのバツァムに関しての王朝文字がこんなところにもあるのは実に興味深い。。。ちなみに、バツァムと言われる王朝都市は未だに発見されていない。。。しかし、もしかするとバツァムといわれる王朝がこのジビルチャルトンそのものであったのかもしれないと、、、そんな事に思いを巡らすとロマンも広がる。。。

    • 展示品にはオレンジスリップの三足土器も発掘展示されている。<br /><br />ご存知このスタイルはテオティワカンの影響を色濃く反映するもので、このジビルチャルトンという都市もはるか1600kmも離れた場所との交易も積極的に行っていた事が見て取れる。<br /><br />一体、、、この都市はどれだけの力をもっていたのだろうか。。。<br /><br />発掘品の一つ一つを眺めながら、非常にいろいろな事が頭を駆け巡っていく。。。

      展示品にはオレンジスリップの三足土器も発掘展示されている。

      ご存知このスタイルはテオティワカンの影響を色濃く反映するもので、このジビルチャルトンという都市もはるか1600kmも離れた場所との交易も積極的に行っていた事が見て取れる。

      一体、、、この都市はどれだけの力をもっていたのだろうか。。。

      発掘品の一つ一つを眺めながら、非常にいろいろな事が頭を駆け巡っていく。。。

    • ディエゴランダが残したティホ、現在のメリダに存在したと言われるマヤ都市の地図。。。かなりスペインの城郭風に描かれてしまっているので、一体何がどうなっているのか読みづらいが、ランダがやって来た時点でスペインによる破壊が進んでしまっていたティホは、彼が記録に残した時点では遠い昔の都市の記録として、、、誰の記憶にも残っていないほど昔の都市であると記録されている。<br /><br />1576年、、、ランダがマニで焚書をしてしまった後に残された記録だが、40年の歳月がティホの街の記憶まで失くすほど壊滅的に破壊されたことを物語っている。<br /><br />

      ディエゴランダが残したティホ、現在のメリダに存在したと言われるマヤ都市の地図。。。かなりスペインの城郭風に描かれてしまっているので、一体何がどうなっているのか読みづらいが、ランダがやって来た時点でスペインによる破壊が進んでしまっていたティホは、彼が記録に残した時点では遠い昔の都市の記録として、、、誰の記憶にも残っていないほど昔の都市であると記録されている。

      1576年、、、ランダがマニで焚書をしてしまった後に残された記録だが、40年の歳月がティホの街の記憶まで失くすほど壊滅的に破壊されたことを物語っている。

    • 1860年代のメリダの地図。真ん中の城郭は現在は残っていない。地図の左上にソカロ、現在メリダの中心にある公園が描かれている。<br /><br />そして、この城郭の左上に赤い点が付けられているが、そこにはMORO MUZAと言われる漆喰の彫像が発見されている。

      1860年代のメリダの地図。真ん中の城郭は現在は残っていない。地図の左上にソカロ、現在メリダの中心にある公園が描かれている。

      そして、この城郭の左上に赤い点が付けられているが、そこにはMORO MUZAと言われる漆喰の彫像が発見されている。

    • そのMORO MUZAの彫像がこれ。<br /><br />長く上記地図の場所にあった建物のコーナーに象徴的に飾られていたと言われる。ティホから発掘されたものと言われているが、実際にはどこから持ってこられたのか不明。<br /><br />ただ、プウク様式が色濃く出ているのでこのエリアから発掘されたものであるのは間違いない。<br /><br />それにしても、メリダの街の地下には巨大なマヤの都市が手つかずのまま眠っていると考えると、、、今後なんかの拍子に意外な発見があるかもしれない。。。<br /><br />

      そのMORO MUZAの彫像がこれ。

      長く上記地図の場所にあった建物のコーナーに象徴的に飾られていたと言われる。ティホから発掘されたものと言われているが、実際にはどこから持ってこられたのか不明。

      ただ、プウク様式が色濃く出ているのでこのエリアから発掘されたものであるのは間違いない。

      それにしても、メリダの街の地下には巨大なマヤの都市が手つかずのまま眠っていると考えると、、、今後なんかの拍子に意外な発見があるかもしれない。。。

    • 展示室にはジビルチャルトン以外のマヤのその後の歴史に関する品。さらにはメリダの歴史に関する遺品が展示されている。<br /><br />この写真はかの悪名高き先住民を奴隷化する為に使われた私幣。。。荘園主が勝手に作った貨幣の事で、奴隷の存在を公的に認めることが出来ないスペイン植民地では表向きしっかりと賃金を支払っていると体裁を保つために発行された。<br /><br />

      展示室にはジビルチャルトン以外のマヤのその後の歴史に関する品。さらにはメリダの歴史に関する遺品が展示されている。

      この写真はかの悪名高き先住民を奴隷化する為に使われた私幣。。。荘園主が勝手に作った貨幣の事で、奴隷の存在を公的に認めることが出来ないスペイン植民地では表向きしっかりと賃金を支払っていると体裁を保つために発行された。

    • こんなおもちゃみたいなコインを給料だと渡されたマヤの人々は、当然このおもちゃのお金を発行する荘園主が経営するお店でしか買い物が出来ない為、二重の搾取の道具にもされた。<br /><br />価格を釣り上げて借金を背負わせ、その借金は先祖代々受け継がれるため、マヤの人々は生まれながらにして先祖が作った借金の呪縛から逃れられる事は出来なかった。。。<br /><br />これが、のちのマヤ独立戦争ともいわれるカースト戦争の引き金にもなっている。

      こんなおもちゃみたいなコインを給料だと渡されたマヤの人々は、当然このおもちゃのお金を発行する荘園主が経営するお店でしか買い物が出来ない為、二重の搾取の道具にもされた。

      価格を釣り上げて借金を背負わせ、その借金は先祖代々受け継がれるため、マヤの人々は生まれながらにして先祖が作った借金の呪縛から逃れられる事は出来なかった。。。

      これが、のちのマヤ独立戦争ともいわれるカースト戦争の引き金にもなっている。

    • 1920年代、メリダはエネケンと言われる麻紐の世界の供給を独占し、富が集中したバブル時代を経験している。有り余る富を持て余して建設した豪華なルネッサンス様式の邸宅がメリダのモンテホ通りに今でも威容をたたえている。<br /><br />この写真に写る偉そうにふんぞり返る主の姿を見て、あなたは何を感じるだろうか。。。

      1920年代、メリダはエネケンと言われる麻紐の世界の供給を独占し、富が集中したバブル時代を経験している。有り余る富を持て余して建設した豪華なルネッサンス様式の邸宅がメリダのモンテホ通りに今でも威容をたたえている。

      この写真に写る偉そうにふんぞり返る主の姿を見て、あなたは何を感じるだろうか。。。

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