2013/05/02 - 2013/05/02
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アントニオさん
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長い間鎖国政策で入国できなかったアルバニアへ。時差はイタリアと同じです。通貨はレクですが、ユーロを扱ってくれる所もあります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
[2013/5/2] (写真はイメージです)
すぐにアルバニア側の検問所へ。ここではバスの係員が旅券を集めてから検問所の事務所へ。審査が済んで、08:06にバスは出発。車窓右手側にはまだ湖が見えていたから、だいたい湖沿いの中間あたりが国境になっていました。しかし、長い間アルバニアは鎖国政策で未知の国だったのに、あっさりと入国してしまいました。 -
[2013/5/2]
バスは渓谷沿いのハイウェー(「E851、R7」)を飛ばしていき -
[2013/5/2]
08:38頃にトンネルに入りました。基本的にはゆるやかな坂を下って行き、だいたい4分ほどでトンネルを通過。
トンネル通過後も渓谷沿いを下りながら走っていきますが、09:10頃から山間の道を走り出します。 -
[2013/5/2]
09:17~09:26にトイレストップ。
「TOMA」というガソリンスタンドでした。トイレは無料です。食事がとれるカフェテリアが隣接していました。アルバニアではレクというお金が使われていますが、ユーロでも清算こできました。カフェ1杯は50セントでした。 -
[2013/5/2]
この辺りには、もう2軒ほど休憩所のような場所があります。 -
[2013/5/2]
ガソリンスタンドを出発すると。しばらくすると急な川沿いに集落や古城風の建物を見ました。そこを過ぎると川の流れは穏やかになり、09:40頃には、バスは平地を走ります。
09:50頃にハイウェーは県道のような道に、垂直に突き当たるようにして終了。ここからバスは左折して行きました。 -
[2013/5/2] (写真は「RINAS空港」)
10:13にバスは左折し、「E851、R7」から「E762、A1」へ。 10:16に途中で「RINAS空港」の前を通過。10:24頃に幹線道路「SH2号線」(片道2車線)に来ると、左折して市内へ向かいました。10:28頃には高層ビルが見え始め、 -
[2013/5/2]
10:30頃にはアルバニアのシンボルの鷲のモニュメントがあるロータリーを通過。10:48にティラナ到着。 -
[2013/5/2]
バスはソグー1世通り沿いにある国立博物館の北側の敷地にストップしました。 -
[2013/5/2]
国立博物館の北側は、特にバス発着場のターミナルになっているわけじゃないです。敷地を挟んで反対側には -
[2013/5/2]
カフェテリアが2軒ほど並んでいます。
このカフェテリアの前あたりでプリシュティナ行きのバスを見かけます。 -
[2013/5/2]
お店の前には遊歩道があり、国立博物館の周りを反時計回りに、北側から西側へ走っていました。 -
[2013/5/2]
カフェテリアの前から歩いてくと、カフェテリアが終わったあたりに案内所がありました。 -
[2013/5/2]
もう少し行くと両替所があります。近くに、もう1件両替所がありますが、若干こちらの方がレートは良かったです。
ここでは、1ユーロ=140.4レクでした。1レク=約1円でした。 -
[2013/5/2]
もう少し行くと、「DRITA TRAVEL」があります。主にギリシャ方面へ行くバスチケットを売っています。プリシュティナ行きのチケットも売っていました。
アルバニアのミニバス情報はこちら。 ( http://www.matinic.us/albania/furgon.php )
ティラナの観光と国際線バスの情報はこちら。p42とp46にバスと列車情報あり。
( http://www.inyourpocket.com/data/download/tirana.pdf) -
[2013/5/2]
先ほどのカフェテリアに戻り、東側にある交差点を渡ると -
[2013/5/2]
すぐ角に両替所がありました。ここの両替率は1ユーロ=140.2レクでした。ここから少し東よりのところに -
[2013/5/2]
「TIRANA METROPOL」があります。
こちらはマケドニア行きのバスチケットを売っています。
中は狭く、ドアを開けたら、すぐデスクがありました。
https://www.facebook.com/Tirana-Metropol-323146244432242/ -
[2013/5/2]
こちらは入口前にあった案内です。スコピエ行きのバスは16:00発でした。スコピエ(マケドニア)のバスターミナルのHPからだと1日3便あるはずだったんだけど、他の時間帯のバスは流動的でわからないと言われました。また、こちらでもギリシャ行きのバスチケットを購入できます。
こちらがスコピエのバスターミナルのHPです。
(http://www.sas.com.mk/default.aspx?cid=1053&l=34) -
[2013/5/2]
結局、16:00発のバスチケットを購入。20ユーロでした。
コソボのプリシュティナからティラナが11ユーロだから結構高いかも。スコピエへ行くだけなら、多分地元の人は便数の多いプリシュティナ経由でスコピエへ行っていると思います。 -
[2013/5/2]
こちらがスカンデルべク広場です。逆光の関係で、広場の南側から撮っています。
中央の騎馬像の人がスカンデルべクです。彼は(1405年 - 1468年)中世アルバニアの君主であり、オスマン帝国に抵抗した民族的英雄です。アルバニア中部の領主ジョン・カストリオティの子。1423年頃、父がオスマン帝国に屈伏し、兄弟とともに人質となり、イスラム教に改宗。ムラト2世の宮廷に仕える騎士となり、その勇敢さからアレクサンドロス大王にちなんだスカンデルベクの名を受けたとのこと。 -
[2013/5/2]
1437年頃、父の領土を与えられてアルバニアに帰国。オスマン帝国の支配下でアルバニアの軍司令官となるも、1443年にオスマン帝国に反旗を翻し、アルバニアの北半を統一し、25年間にわたって独立を保った。1468年に彼が病死した後もアルバニアは12年間にわたって独立を維持したが、1480年、最終的にオスマン帝国によって併合された。19世紀にアルバニア人の民族意識が高まると、オスマン帝国からの独立を目指したスカンデルベクは民族的英雄として高く評価されるようになり、アルバニアの独立運動と国民統合に大きな役割を果たしました。 -
[2013/5/2]
こちらは国立歴史博物館の正面です。巨大なモザイクが目印です。さまざまな時代にわたる衣装を身にまとい、手には武器を持ったアルバニア人が描かれています。 -
[2013/5/2]
こちらはスカンデルべク広場の東側にあるオペラ座です。正面の前には花壇があり、花時計が印象的でした。 -
[2013/5/2]
こちらは時計塔です。1822年に建てられ、1928年にドイツ製の時計が加えられた時に塔の高さも30mに延長されたとのことです。長い間、町で最も高い建物だったそうでした。 -
[2013/5/2]
こちらがジャミーア・エトヘム・べナトです。町の創建者シュレイマン・パシャの子孫のエトヘム・ベイにより1793年から1821年にかけて建てられたモスクです。玄関部分と内部はフレスコ画がびっしりです。共産主義時代には宗教活動は禁じられるも、運よく破壊を免れました。 -
[2013/5/2]
川沿いの当時の街並みや橋などが西欧の画家によって描かれており、イスラム美術なかでもユニークな存在です。
1991年に共産党の許可なしで再開されたモスクには勇気ある10,000人の信者が礼拝に参加しました。この時には警察の妨害もなく、この出来事はアルバニアで宗教の自由の再生へのマイルストーンになりました。 -
[2013/5/2]
今度はソグー1世大通りを北へ歩いていきます。
片道2車線の道の中央には分離帯があり、そこは遊歩道になっていました。頭上は樹木の枝や葉っぱに覆われていました。 -
[2013/5/2]
歩道側には商店や、オフィスなどが並んでいます。
イタリア行きのバスチケットを売っている会社が2~3軒ありました。 -
[2013/5/2]
コソボでは見なかった、絵ハガキなどを売っているお土産屋さんなどもありましたよ。また通りの中間辺りに郵便局もありました。 -
[2013/5/2]
ソグー1世大通りの最後には、ソグー1世の像があるロータリーに来ます。ロータリーの反対側にはバスがたくさん駐車していました。バスは、ここから港町のドゥラス方面に行きます。
アルバニアは、第1次バルカン戦争の後、1912年にオスマン帝国からの独立を宣言し、列強に独立は認められ、1914年にはドイツ貴族のヴィルヘルム・ツー・ヴィートを公に迎え、アルバニア公国となったものの、第一次世界大戦で公が国外に逃亡してしまう。 -
[2013/5/2]
1920年には君主不在のまま摂政を置く形で政府は再建するも、その後も政情は不安定で、1922年に首相兼内相となったソグーが政府の実権を掌握し1925年には共和国宣言を行いアフメド・ソグーが大統領に就任した(アルバニア共和国)。その後ソグーは1928年に王位についてソグー1世を名乗り、再びアルバニアは君主政(アルバニア王国)となった。
しかし、1939年4月7日、アルバニアにイタリア軍が進駐し、ソグーは王妃と共に亡命。 -
[2013/5/2]
こちらがティラナ駅の正面です。ティラナの中央駅なんだろうけど、本当に小さい駅でした。日本で言へば、第3セクターの駅みたいです。 -
[2013/5/2]
ティラナ駅の看板です。 -
[2013/5/2]
正面は入って、すぐ右手側に切符売り場があります。 -
[2013/5/2] (写真はイメージです)
こちらがティラナ駅のホームです。
便数も少なく、バスが主流であるアルバニアにとって鉄道利用は、あまり一般的でないかも。 -
[2013/5/2]
今度はスカンデルべグ広場からダシュモラト・エ・コンビット大通りを南下します。通りの最初に見る黄色の建物は官庁などの建物です。こちらの通りは、中央分離帯がない片道3車線の通りです。 -
[2013/5/2]
最初の交差点を左手へ入って行くと、ここは歩行者天国のようになっている通りでした。地図では「Murat Toptani」となっています。
ティラナの地図は、こちらを参照
https://24timezones.com/mapa_ja/tirana.php -
[2013/5/2]
木陰やベンチもたくさんあって休憩しやすいです。またアイスクリームを売っている露店もありました。 -
[2013/5/2]
通りの終わりごろには、昔の城壁の一部が右手側に見れます。城壁が終わり右手側へ行くと -
[2013/5/2]
国会議事堂が見れます。今日はSPの人が多かったんですが、頼んだら撮影OKしてくれました。やった~!なぜ議事堂だとわかったかと言うと、この辺りでは観光用の案内板を所々で見かけたからです。
次に国会議事堂を背にして歩いて行くと -
[2013/5/2]
下りの路地へ入っていきます。路地の両側にお洒落なカフェがあるな~と思いながら歩いて行くと、左手にタバカヴェ橋が見えてきます。このオスマントルコ時代に造られた石の歩道橋は、ティラナと東の高地を結び、ラーナ川を横切って市場で農産物と家畜を得るために使用されました。しかし1930年代にラーナ川の水路が変わったため重要性がなくなってしまいました。 -
[2013/5/2] (写真はイメージです)
またダシュモラト・エ・コンビット大通りに戻り、通りを南下して行くと、2つ目の交差点を過ぎた左手側に何やら建物が見えます。国際文化センターのはずですが、まるで廃墟みたいです。 -
[2013/5/2]
こちらがマザー・テレサ広場です。広場の中心にマザー・テレサの像はなかったです。ここにはバスがたくさん駐車していましたね。そして反対側に見えるのが -
[2013/5/2]
ティラナ大学です。正面の階段上り、左手へ行くと -
[2013/5/2]
マザー・テレサの像がありました。やっぱり旅行者はここで2ショットしていきますね。 -
[2013/5/2]
ここで気に入った場所がありましたので、ご紹介します。
マザー・テレサ広場の東側には考古学博物館があります。正面左手側に入口があります。
僕が面白いと思ったのは、正面の柱の間を抜けて行くと -
[2013/5/2]
「KOLONAT」というファースト・フードのお店がありました。 -
[2013/5/2]
「KOLONAT」というアルファベットから ”M” という文字は想像できないけど、多分マクドナルドを意識しているのかな~と思わされますね。中へ入ると広いホール、右手には子供の遊び場、右手奥にはトイレ(無料)がありました。中はエアコンが効いて涼しかったです。 -
[2013/5/2]
まだ社会主義の習慣が抜けていないのか、注文を取ったり、オーダーを出すのが遅かったですね。レジ前のカウンターにはトレイが10枚近く並んでいました。
しかし、この国にあっていいもんだなと思えることが一つありました。たぶん欧米のチェーン店に加盟したらできないんじゃないかと思いますが、 -
[2013/5/2]
ハンバーガーセットだけじゃなく、ピザも注文できるし、はたまたパスタも注文できるんですよね。日本や欧米だったら絶対に無理だと思います。(権利の問題で?)ローマへ戻るまでパスタを諦めていたのでラッキーでした。
あと内部が暑くなってきたのでおかし~なと思っていたら、送風機の脇に氷を入れるタイプのエアコンでした。も~ダイキンや三菱電機のエアコンを紹介したいくらいでした。いつですか?「今でしょう!!」 ここへは昼食と、出発前の時間つぶしで2度来てしまいました。 -
[2013/5/2]
マザー・テレサ広場からダシュモラト・エ・コンビット大通りを見ているところです。バスの出発時間が近づいてきたので戻ることに。 -
[2013/5/2]
スカンデルべグ広場に戻って、もう一度写真をゲット。そして国立歴史博物館へ。 -
[2013/5/2]
国立歴史博物館の東側には、市バスなども使うバス停がありました。ここへ来ると、僕と同じようにスコピエ行きのバスを待っている旅行者がいました。16時近くにバスチケットを買いに行ったら、直接買うように言われたそうです。な~んだ直接買えるんだ! -
[2013/5/2]
16:05頃にスコピエ行きのバスが到着。バス停には長く停まれないみたいで、慌ただしく乗車させられた。
16:10にバスは出発しました。 -
[2013/5/2]
出発後、しばらくしてバスの係員が旅券とバスチケットを集めにきた。係員は確認すると、僕にバスチケットの写しだけ渡して行ってしまった。 -
[2013/5/2]
また町の郊外のロータリーを過ぎて行った。
16:29頃、バスは空港の近くに来たが、そのまま進んでいった。この後に、バスの係員が旅券を返しにきた。SH2号線を西に向かっていたので、東のマケドニアへ向かっていないことだけは、何となくわかった。何と、バスは港町のドゥラスに到着した。(16:46~16:51)ドゥラス駅前のターミナルで少し客待ちした後に出発した。今度は幹線道路ではなく、一般道のSH4号線を南へ走って行った。 -
[2013/5/2]
17:27頃にバスは左折してSH7へ入って行った。直後の道は非常に悪く、路肩あたりのアスファルトは剥げ落ちているし、狭いにもかかわらず反対からトラックやバスが来るから、も~怖かったです。
アルバニアからマケドニアまでの地図は、こちらを参照
https://24timezones.com/mapa_ja/tirana.php -
[2013/5/2]
最初の「RROGOZHINE」という町に来るまでは、いつか事故に遭うんじゃないかと冷や冷やしました。
道標から「ELBASAN(エルバサン)」に向かっていることは、わかりました。
「RROGOZHINE」を過ぎると渋滞も緩和され、また道も良くなっていました。 -
[2013/5/2]
「ELBASAN(エルバサン)」までは比較的に周りが見渡せましたが、18:21にエルバサンを過ぎたあたりから道の両側に山が迫ってきました。 -
[2013/5/2]
前方が、どんどん山に挟まれるようなってくる。
18:27頃、山間へ入って行った。 -
[2013/5/2]
前方に雪山が見えてくると、バスは川沿いの道を徐々に上がっていった。18:42頃にバスは「LIBRAZHD(リブラジド)」の街を過ぎると -
[2013/5/2]
「HOTOLISHT」という町の休憩所でトイレストップ。
(18:48~19:08)
トイレは無料。コンビニのような売店があり、残ったレクを使いきることができました。また駐車場にはホットドッグを売っていた小屋のような売店がありました。
このあたりは国境が近いせいか、このような休憩所が多かったです。休憩所を出てから急な坂を上がっていきます。 -
[2013/5/2]
19:32頃に「PERRENJAS」という町を通過すると、
19:37頃に写真のような山越えみたいになりました。
19:43頃にバスの係員が乗客の旅券を集め始めました。 -
[2013/5/2]
19:47にアルバニアの国境に到着。
ここではバスの係員が集めた旅券を審査官へ提出。
別の審査官はバスの倉庫の荷物をチェックしていました。
無事に審査が終わると、バスは19:54に国境を通過。
すぐマケドニア側の国境なので、バスの係員があわただしく乗客の旅券を返していた。
マケドニア編へ続く~~!!!!!!!
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