2017/05/28 - 2017/05/31
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ジェイプレスさん
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めて、沖縄に行ったのが「パスポート」持参の時代でした。
その後、沖縄が日本に返還され、自由に行き来できるようになってからは、概ね2~3年に1回の割合で沖縄を訪れるようになりました。
今年に入って早々、3年ぶりに沖縄本島「那覇・宜野湾」に行こう・・・チャリポタを楽しもうと旅を計画することにしました。
3月初旬、「伊丹空港=那覇空港」間のJALチケットをネット検索していると、なっ何と「伊丹空港=那覇空港」間のチケットより相当、割安の「関西空港=那覇空港」間のチケット「往復15,000円(片道7,500円)」を発見、「5月28日往」、「5月31日復」で予約しました。
予約した日程時期頃の沖縄は、梅雨に入っていることから観光客は少ないだろうと思いきや、沖縄に入ると、え~~~外国人(中国・台湾・韓国など)だらけの沖縄となっていました。
今回、3年ぶりに沖縄を訪れ、移動当日、沖縄は雨でしたが那覇空港に到着後の夕飯頃には雨もやみ国際通りを散策するこができました。
2日目・3日目は梅雨空を吹き飛ばすかのようなチャリポタ日和の快晴となり、今まで以上に満喫したチャリポタを楽しむことができました。
3年ぶりの沖縄に感謝です。
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写真は、沖縄2日目、宜野湾市「嘉数高台公園展望台」から望む「普天間基地」の光景・・・
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宿泊ホテルフロントにて・・・
沖縄2日目の朝です。
今朝の那覇は梅雨入りの沖縄ですが、梅雨を吹き飛ばすような快晴で太陽さんがギンギンキラキラです。
今日の予定は、宜野湾「嘉数台公園」を目指す、ちょぴり小さいさなチャリポタです。
その後、国際通り近くの「やむちん通り」・市場本通りの「第一牧志公設市場」などを散策する予定です。 -
宿泊ホテル付近の「さいおん・うふシーサー」前にて・・・
今日の主役の「ちびりんちゃん」の記念撮影です。
それにしても「さいおん」はどでかいです。 -
ホテルからポタポタしながら宜野湾方面に向かっていまし。
宜野湾方面は「国道330号線」に沿って進めば宜野湾の「嘉数高台公園」に自然と行けるようです。
今の時間は午前9時過ぎです。
国道は交通量が多いです。 -
那覇市から浦添市に入りました。
このまま国道330号線をチャリポタします。 -
那覇・浦添を経由し、ようやく「宜野湾市」です。
道路案内表示は大変ありがたく便利です。 -
宜野湾市「国道330号線」に架かる陸橋に「嘉数高台」の案内表示がありました。
その案内表示が掲出されている陸橋を越えて、直ぐ左折し道路に沿って行くと、写真の「嘉数高台公園」の案内表示の場所にたどり着きます。
もう直ぐ目的地の「嘉数高台公園」です。
何故か心がウキウキします。 -
初めて来る「嘉数高台公園」です。
この位置から丸い展望台が見えます。
公園内では地元の方々がゲートボールを楽しんでいました。
「嘉数高台公園」には-「京都の塔」があるようです。
この塔にも行って見ます。 -
「嘉数高台展望台」の光景です。
この展望台から宜野湾市内や普天間基地が一望できるようです。 -
嘉数高台公園内の展望台に通じる階段上がり口付近に写真の掲示板が設置されていました。
掲示板の内容は、嘉数高台での沖縄戦による「弾痕の塀」などのことが案内されていました。 -
嘉数高台展望台に通じる階段上がり口付近に設置されている嘉数高台での沖縄戦案内表示板前にて・・・
案内表示板には「嘉数高台公園の戦跡」と題して沖縄戦の案内がされていました。 -
嘉数高台展望台に通じる階段の光景です。
階段をひとつひとつゆっくりと上りながら、悲惨な戦争が世界で起こらないよう平和の素晴らしさを噛みしめ展望台へ-・・・
階段の数を数えましたが旅行記を書く頃には忘却ですが300段はなかったはずです。 -
嘉数高台展望台の階段を上がりきった高台からの光景です。
さすがに高台です。
景色が最高・・・
これから、さらなる絶景がお楽しみです。
この高台に「京都の塔」があることを嘉数高台でしりました。
まずは「京都の塔」へ・・・ -
嘉数高台展望台に通じる階段を上がりきったところを左手に行くと「京都の塔」がありました。
直ぐネットで調べると
「嘉数の戦いは、太平洋戦争末期の沖縄戦において、嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に行われた戦いであること。この戦いは沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であったこと。この戦いには京都出身の兵隊さんが2500名以上おり、その殆んどの2000兵隊さんが戦禍に散り御霊慰霊の碑として塔を建立された。」そうです。
嘉数高台を訪れ、二度と戦争が起こらないよう合掌・・・です。 -
「京都の塔」近くに建立されている塔建立碑前にて・・・
塔建立は「昭和39年4月29日」となっていました。
折しも、「昭和39年」は10月開催の東京オリンピックの年です。
そして、「4月29日」は昭和天皇誕生日です。
ここでも合掌・・・ -
嘉数高台展望台に上がる周囲には、ハイビスカスなどの花が綺麗に咲いていました。
この花の名前は何なのか不明ですが、なかなか綺麗です。 -
嘉数高台展望台に上がる前に高台から望む宜野湾市街と普天間基地です。
写真では分かりにくい感じがします。
肉眼では、はっきりと普天間基地とオスプレーが確認できます。 -
嘉数高台展望台に上がりました。
さすが展望台からは、はっきりと宜野湾市街と普天間基地なオスプレーが確認できます。
絶景です・・・ -
展望台に設置されている普天間基地案内の表示坂です。
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展望台から望む宜野湾市街と東シナ海の光景です。
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展望台は360度の角度で宜野湾市街が望めます。
宜野湾市街の光景・・・ -
展望台から望む宜野湾市街と東シナ海の光景・・・
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展望台から望む宜野湾市街の光景・・・
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展望台から望む宜野湾市街の光景・・・
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展望台から望む宜野湾市街の光景と、写真の左端側に普天間基地が望めます。
展望台から望む360度の光景は絶景でした。
展望台には普天間基地の隊員さんも来ていました。
また、外国人観光客も来ていました。
これから高台に降ります。
是非、皆さんも嘉数高台を訪れて欲しいと思っています。 -
展望台から高台に降りました。
展望台を降りて右手側に「島根の慰霊碑」もありました。
ここでも合掌・・・ -
「島根の慰霊碑」の左手側には嘉数高台での戦禍に散った韓国人の慰霊碑がありました。
ここでも合掌・・・ -
嘉数高台展望台上がり口周囲に咲いていたハイビスカスです。
とても綺麗です・・・平和のありがたみを感じます。 -
嘉数高台から公園に降りて来ました。
公園では地元のお年寄りがゲートボールを楽しんでいました。
お話をずると、皆さん、戦争体験者でした。
嘉数高台での沖縄戦のことも話してくれました。
最後まで見ていただきありがとうございます。
沖縄2日目の「やむちん通り&国際通り」の旅行記は別に投稿させていただきます。
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この旅行記へのコメント (1)
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- tanichanさん 2017/07/05 19:46:16
- 初めまして
- ジェイプレスさん 「こんにちは」
『沖縄に行ったのが「パスポート」持参の時代でした』を見て同じ時期に沖縄に行かれた方がいらっしゃるとはビックリしました。
私はもう50年前になりますか、大学の卒業旅行として親友の友達と東京晴海桟橋〜鹿児島経由で確か48時間要して那覇港に着きました、何せ学生でしたので飛行機に乗るお金は節約し船で(3000トンの船)しかも学割を利用して一番安いクラスでしたので部屋は船倉、大部屋で人が1人横になれるスペースでした、食事付きでしたが思い出すのが何故かカップラーメンが食事に出てきたのを思い出します( 一一)。
那覇でドルに両替し観光して、次の日は宮古島経由の石垣島行の、これまた船で(300トンクス)確か都まで7時間要し、石垣島にはさらに5時間位かかったと思います。
結局14日間の日程の半分は船の中と言うことになりますが、今思うと船酔いの苦しみも有りましたが充実した沖縄の船旅でした、当時のパスポートの代わりに身分証明書を発行してもらって旅をしたのですが当時の総理大臣は佐藤栄作氏でした。
2012年の沖縄の旅行記に一部でですが、50年前の当時の写真や身分証明書(パスポートの代わり)を貼り付けていますので宜しかったらご覧いただければ幸いです。
沖縄「本島、石垣島、西表島」ぶらり旅 −1 及び−2
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