2017/05/20 - 2017/05/21
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チューぱぱさん
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~散切り頭 叩いてみれば 文明開化の音がする! ~
先人の努力があってこそ文明は発達するもので、たくさんの知恵を集めた時に花開くもの。
伊豆の国市にある韮山反射炉は、幕末期の韮山代官江川英龍が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させました。蘭書の記述のみを頼りに反射炉を建造するのは、非常に困難な事だったようです。
黒船来航で外国の脅威にさらされた時、鎖国という遅れた制度を改めて文明開化の道を歩き出します。明治になり製鉄・製鋼、造船、石炭産業が更に発展します。まさに、追いつけ!追い越せと坂の上の雲を目指して走ります。
そして、紆余曲折を経て現在の繁栄に至ります。
2日目は産業革命遺産「韮山反射炉」と、それを作り上げた韮山代官「江川邸」を訪問します。
その前に、修善寺温泉で御朱印集めを (^_-)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
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いい湯だな ア ビバノンノン♪
・・と、独鈷の湯で足湯を楽しんだのちは修禅寺にお参りに行きます。 -
さすが温泉地のお寺です。
修禅寺の手水鉢からは温泉が出ていて、飲むこともできます。 -
桂谷霊泉 大師の湯と命名されてます。
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ワイワイ言いながら清めます
-
山門の金剛力士像
寺宝となってるそうな -
本堂
お賽銭箱に「功徳海」と書かれてます。
やはり弘法大師空海の教えでしょうか? -
扁額の字もお見事
有名な書家の作なのでしょう -
檀信徒会館
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十二神将?
坊さん?修行僧?
面白い表情をした像がずらりと -
この日も30度越えの予報が出てますが、程よく手入れされた竹林は涼しさが漂ってます。
皆と再度珍竹林の小径へ来たときは、もう他の観光客がたくさんいました。
竹林の上部しか写せません。
で、修善寺の散策マップにある「おしゃぶり婆さんの像」って何だ?と話題が集まりまして・・。
何か、卑猥なことを連想させるけど、この歳になれば少々危険な言葉も平気ですからね。(^_-)
正解は、子宝子育ての神様のようです
http://www.goshuzenji.com/23.html
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続いて、日枝神社へお参りです。
こちらも子宝の杉という銘木があり、仲の良さそうなカップルがお参りに来てました。子宝祈願の神社ですから、子供をたくさん産んでくだされ!
境内には至る所に巨木があります。 -
日枝神社は元々修禅寺と同じだったそうで、それを神仏分離によって別々の存在になったようです。
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子宝の杉
天に向かって真直ぐに聳える、ごく稀なる根幹が接合した、樹齢八百年の大杉
子は夫婦の鎹 -
根本がくっついています。
相生の松のように雌雄でついてるわけではありませんが、和合の象徴でしょう。 -
夫婦が手をつないでるかのようにしめ縄が巻かれています。
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ゆみちゃ~ん! 我愛イ尓! (^◇^)
下の二股の所でお見合いができます。
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修善寺駅に戻り、伊豆箱根鉄道に乗り伊豆長岡へ向かいます。
長岡駅からはタクシーで韮山反射炉へ行きます。交通の便の悪さが難点です。 -
韮山反射炉
天空にそびえるようですが実物は可愛く見えます。 ( ^^) -
大砲を作るための良質な鉄を作るために反射炉が建築されました。
ここで作られた大砲はすべて江戸城を守るために配置されたそうな。
下関で長州藩がイギリスの船を攻撃した大砲は、すべて輸入品とか -
反射炉の構造図
鎖国から西洋文化が押し寄せてきたとき、自国を守るためには最新の武器が必要で、創意と工夫で作られたようです。
周りの鉄骨は耐震補強用に作られたそうな。この幾何学模様が魅力なんですが。 -
出湯口
鉄は国家なり! -
世界遺産に登録されていても、あまり見るべき所はあまりありません。
長崎でも、軍艦島なら魅力的ですが、三菱造船所のグレンなどは産業革命遺産で遠くから見つめるだけのモノ。韮山反射炉も同じ雰囲気です。 -
続いては、
韮山反射炉を作った代官江川家の住宅跡です。
こちらは見ごたえ十分です。 -
江川邸主屋の玄関
邸宅の横に役所が作られ、代官所となってます。 -
入り口横には昔の砦出入り口形態の枡形跡が残ってます。
農兵などの訓練場としても使用されたようです。
富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ 富士のサイサイ 白雪朝日でとける♪
三島に残ってるノーエ節は、漢字で書くと農兵節だそうで
江川英龍による農兵訓練用行進曲として始まったとも言われてるそうな
もう一つ、、
江川邸は韮山城の一部だそうで、秀吉の小田原征伐の戦場にもなったそうな
話を広げていくと、映画「のぼうの城」につながっていきます。 -
中に入っていきますと、昔の役所の部分が梅林として残ってます。
-
代官宅ですから蔵がたくさんあります。
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西蔵(肥料蔵)
屋根が独特の形をしてまして、茅葺の屋根部分と壁との間に隙間があり、黒く塗られた部分は将棋の駒を連想させます -
肥料用だから空気が入れ替わるように作ってあるのかな?
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米蔵
こちらも壁と屋根の間に隙間があるような
中から見ると、そんな感じには見えません。二重屋根なのか?
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土蔵の壁は漆喰に板張り
風雨は板張りで防ぎ、火事になるとすぐに板張りを外して漆喰で火から守る。何造りと呼ぶのだったけ?
とにかく、色々と工夫された建造物ばかりです。 -
内部は展示スペースになってます
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韮山反射炉の耐火レンガなどの説明があります。
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反射炉の以前の姿です
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大筒
反射炉の鉄でできてる訳じゃないと思いますが -
外に出てきて、
邸宅の裏門です。 -
門の凸凹は、秀吉の小田原征伐で軍勢に囲まれ矢玉で受けた傷と伝えられてます。
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映画「のぼうの城」を見た方が分かりやすいかも?
三島の山中城などは一日で落城し、下田城も簡単に落ちていく
最後まで残っているのは、本城である小田原城とここの韮山城、そして「でくのぼう」の殿さまが守る忍城だけに。
敗戦が決定的になったとき、徳川家康が韮山城主・北条氏規を説得し開城させ、合わせて小田原城も開城させる。
水攻めを受けながらも地の利を生かし善戦していた成田長親も、籠城をやめ開城することとなる。
その後、「でくのぼう」と呼ばれた成田長親は流浪の身となり、最後は名古屋市大須の大光寺に身を寄せ余生を過ごす。墓碑は名古屋の平和公園に現在もあるという。 -
こうして秀吉の天下統一がなされ、家康は関東に移封され力を蓄えていくことになる。
まさに歴史が動く訳ですが、
野村萬斎演じる「でくのぼう」がとっても味があり、たとえ無能でも人に好かれることの大切さが映画では表されていた。 -
さて、ここからが本番です。
江川邸の主屋を見学します。
一言で「すばらしい」としか言いようがありません。 (^^♪ -
イチオシ
この日も、二日続きで30度を超え暑い日でした。
でも、この主屋は高い屋根により熱が逃げ、下は涼しさを感じさせます。
天井板を張らず、小屋組みと呼ばれる架構は建設当時のままだそうな。 -
屋根こそ茅葺から銅板葺に替えられたそうですが、広い土間から見あげる柱や梁の重層的構造はすばらしさを感じます。
-
屋根裏の一番高い所に小さな木箱があり、そこに日蓮上人直筆の曼陀羅が火伏のお札として入ってるそうです。
南無妙法蓮華経と書かれた霊験あらたかな火伏のお札により、一度も火災にあわず昔の姿をとどめているそうな。 -
生き柱
自然に生えていた欅の木をそのまま柱として利用したもの
まさに大黒柱かな? -
色々工夫を凝らした江川邸ですが、江川坦庵は兵糧食としてパンを焼かせたそうな。
よって、「パン祖」として崇められてるとか -
他にも、井戸があり良質な水があったことから酒造りも行われたとか。
地方の豪族として代官を務めると、あらゆることを考えていたようで -
行政だけでなく経済・軍事も含めて代官職を務めあげた江川坦庵は幕末の功労者の一人でもあったのでしょう。
お墓のある本立寺にも行きたかったのですが、これで三島に戻ります。 -
顔は出せずとも、足は出せます ( ^^)
私たちも、爺~ジ・婆ーバと呼ばれる古い人間になってしまいましたが、それなりに発展に寄与してきたはず。ただ、同年が多すぎるのが欠点? (^^)/
でも、多いからこそ1年に1度集まるととても楽しい。
私らは命の炎が燃え尽きるまで、仲良く青春思い出旅行がしたいです。
三島駅に戻り、あなたは東へ、私らは西へ、
新幹線に乗りそれぞれの家族もの元へ戻ります。
お土産はたくさん買ったからのぉ~!待っとれよ~ (^^♪
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