2017/05/02 - 2017/05/02
2408位(同エリア4167件中)
杏仁豆腐さん
浅草寺「大絵馬・寺宝展と庭園拝観」熊本および東日本大震災復興支援が開催されていました。
期間は、平成29年3月10日(金)~5月8日(月)。
伝法院庭園は平成23年9月21日に「国指定名勝」に指定されました。
浅草寺秘蔵の寺宝や絵馬など、普段は非公開の貴重な寺宝と小堀遠州 作庭と云われている 「伝法院庭園」を特別公開です。収益は東日本大震災の義援金となります。
外からちらっとしか見ることのなかった伝法院の庭園。入ってみると、そこには素晴らしい浅草の景色がありました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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ゴールデンウィークの谷間の浅草。平日ですが、かなりの人出。
修学旅行生も多く、若い人たちが目立っていました。それと外国からの旅行者。 -
こちらが伝法院庭園への入り口。
300円を払って中に入ります。
まずは、大絵馬寺宝展。
浅草寺が所蔵する貴重な大絵馬・扁額をはじめ、本尊の由緒と寺の歴史を描いた「浅草寺縁起絵巻」や絵画工芸などの浅草寺の多くの寺宝のうち、約60点の精華が特別に展示されています。
幾度の火災や震災をくぐり抜けて今に伝わる貴重なもので、浅草寺の歴史と文化を物語る上で重要な作品です。
じっくり見ているとけっこう時間がかかりました。 -
伝法院庭園に入ります。
江戸時代前期より、ごく限られた人にのみ入園を許されていたそうです。 -
池の中に浮かぶ「経が島(きょうがしま)」には、一字一石の写経がその土地に埋められているそうです。
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経が島は、立ち入り禁止です。
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庭園を造った作者は小堀政一、通称「小堀遠州(こぼり えんしゅう)」です。
小堀政一は、江戸初期の大名として、また茶人としての側面を持つ人物であり、1624年~1644年に造り上げたと云われています。 -
躑躅などの花もきれいに咲いています。
江戸時代より、時の将軍や天皇家を招く場所とされており、明治時代までは非公開とされ、一般の人がその中に入ることはできなかったそうです。 -
伝法院は浅草寺の本坊で、大玄関・客殿・使者の間、大台所・大書院・住職の間などがあります。
大書院(おおじょいん )です。 -
1902年(明治35年)の創建。
外から中をうかがいます。 -
趣のある棚が見えます。
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こちらでお茶のサービスがありました。
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石棺。
この石は1869年(明治2年)に、浅草・本法寺「熊谷稲荷」から出土した古墳時代の石と云われています。
過去に浅草寺周辺に大豪族が存在したことを示す、学術的にも貴重な石となっています。 -
新書院。
1918年(大正7年)創建。
藤の花が咲いていました。 -
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延宝3年(1675)小堀政延によって奉納された石灯籠。
奉納者の小堀政延は、近江小室藩第三代藩主。政延の祖父は、本園を手がけたとされる小堀遠州です。 -
庭園内をゆっくりと見て回ります。
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九輪が見えます。
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庭園から見る大使者鎮護堂。
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庭園から見ると普段とは違った鎮護堂です。
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ここから見る五重塔は素晴らしいです。
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スカイツリーも見えます。
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水の流れも感じながら。
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静かな浅草があります。
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三社船祭礼再興碑
三社祭は、浅草寺の本尊である観音像を宮戸川(隅田川)から拾いあげた漁師、檜前浜成・竹成兄弟と観音像をまつった土師中知(土師真中知など他の名も伝えられる)の三人を祭神とする浅草神社(三社権現)の祭礼です。その始まりは、鎌倉時代までさかのぼるといわれ、浅草寺縁起では正和元年(1312)に阿弥陀如来からの託宣があったことによると伝えています。
明治時代以前、祭礼は内祭礼と本祭礼が隔年で行われ、本祭礼において執行される船祭礼(船渡御)の引船役は大森村(大田区大森)の漁師が勤めていましたが、明和6年(1769)に経済的な困窮を理由に引船役を辞退し、船祭礼が一時中断しました。船祭礼の再興を期した札差の飯山長三郎と両替商の斎藤伝兵衛は、百十五両もの出資を行い、同8年の船祭礼は無事に執行することができました。
本碑は、多額の出資を行って船祭礼の再興を実現し、さらに船祭礼を永続させる基礎を作ろうとした飯山・斎藤両者の趣旨と功績を記すため、明和8年(1771)に造立されました。 -
アゲハ蝶も来ます。
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茶室・天祐庵
1781年~1789年(天明年間)創建。
愛知の茶人、牧野作兵衛(まきのさくひょうえ)が造ったもので、都内最古の茶室です。 -
石造多宝塔
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出口のところに古い壁。
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念願の伝法院庭園を見ることができ、満足です。
昼食は、寺方蕎麦 長浦で。
久しぶりの訪問です。 -
町方そばではなく、寺方蕎麦を出すお店です。
寺方そばとは、古くから寺で作られていたそばのことです。
そばは五穀(米、麦、粟、豆、黍(稗))に含まれず、五穀断ちといった荒行をする僧侶にとってそばは重要な栄養源となっていました。
寺方そばに関する記録としては、一番古いもので慶長19年(1614年)に江戸の常明寺でそば切りが振舞われたとあります。 -
妙興寺そばです。
細めの蕎麦の上に、蕎麦と同じように切られた大根に炒り黒胡麻、海苔がかかっています。
独特の味噌の風味の汁に蕎麦をつけて、いただきます。 -
さっぱりとした味わいで美味しい蕎麦です。大根との相性もよし。
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お土産はセキネのシューマイ。
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肉の旨みを感じるおいしいシューマイです。
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アンジェラス。
ホワイトです。
小ぶりながら、おいしいアンジェラス。
昔からの私の好みです。 -
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