2017/04/04 - 2017/04/04
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kyokosa-nさん
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やっと春らしい陽気になりました。公園体操の後、友人3人と桜ウォーキング
登戸行きのバスに乗りさくら橋で下車。
二ヶ領用水のさくら橋より散策路に入ります。平日でしたので、ゆっくりと
桜の花を眺めながらの「おばさんの桜さんぽ」は楽しい時間でした。
季節を感じながら歩いた一日。足を延ばして一度訪ねてみたい
久地にある「久地円筒分水」まで
多摩川の由来・水争いになった遠き昔の歴史をたどり「登録有形文化財」の保存と
大切にしたい地域に残る「水の物語り」を感じたウォーキングでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
さくら橋でバスを降りるとコンビニが有ります。
昼食の準備はOK
川べりに入ります。
上から見た用水も絵になりますが・・・ -
「多摩川であそぼう」
かわさき今昔あそびマップよりコピー
二ヶ領用水(にかりょうようすい)は、多摩川などを水源とし、
神奈川県川崎市多摩区(上河原堰・宿河原堰)から川崎市幸区
までを流れる -
光を感じて見上げると
こんなに沢山の桜の花が・・・
今一番美しい。 -
川美りの散策路
上から見ても下から見上げても
桜の美しさ満喫。 -
高架の上は小田急線
一瞬の音と風が桜の川べりを通過
カメラのシャツターも間に合いました。
次の電車が待たれたのですがー -
桜のはなと用水に移りこみ
緑が絵になります。
神奈川県下で最も古い人工用水路である。
関ヶ原の戦いの3年前に測量が始まり、
14年の歳月をかけて完成。 -
橋の上からも素敵な絵が有りました。
二ヶ領用水の名は、
江戸時代の川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに
由来する。 -
上を見上げて 輝いています。
-
二ヶ領の「二」の意味は?
川崎領と稲毛領の「二」つの「領」にまたがって流れたことに由来します -
今のように機械など全くない江戸時代です。
用水堀りは、ひたすら人の力で行われました。クワやスキで土を掘り、
モッコに入れて運び、土手などを造りました。このように実際に用水路を
掘っていったのは、地域の農民たちでした。
二ヶ領用水は、農民の仕事の合間に、こうした作業を10数年も続けた
農民たちの労苦のたまものといえます。
時代を経ても受け継がれるこの風景に癒されます。 -
「二ヶ領用水の再生を考える市民の会」や「二ヶ領用水・中原桃の会」
などが誕生しました。そして、市民が自ら考え、行動し、提案していく、
行政との新しい提携が実を結んで、快適な水辺の環境やすてきな散策路が
整備されました。今二ヶ領用水は、多摩川エコミュージアムプランの中に
位 置づけられて、その歴史的役割を復権する手だてが模索されています。
歴史を物語る水源の源 素敵な散策路 癒されました。 -
二ヶ領用水はいつできた?
関ヶ原の戦いがあった3年前1597年に測量が始められ、
その2年後に開削工事にとりかかりました。
完成したのは測量 開始から14年後の1611(慶長16)年です。
現在のJR南武線沿線の地域は、この用水によって農村地帯として発展しました -
川面の新緑と桜色の彩に
春を遊びました。 -
せせらぎ館の脇の桜
今 一番と輝いています。 -
登戸から津田山まで南武線
交番で聞いてから久地円筒分水まで約30分
路地に入った解りにくいところでした。 -
溝の口の駅そばに案内図が有りましたが、
一度行ってみたいところの候補でした。
実現でーす。 -
溝の口から歩いた方が解りやすいです。
-
溝の口から歩いたほうが
解りやすいです。
津田山駅からだと30分歩くことになりました。 -
古木の桜は
「久地円筒分水」の歴史を
見ながら毎年咲いているようです。 -
二ヶ領用水は、徳川家康の命により、多摩川右岸の
「稲毛領と川崎領の二ヶ領を潤す農業用かんがい用水路」
として開削された、歴史的価値が高い由緒ある用水です。 -
この桜の木です。美しく咲いていた木です。
周りの風景の変わりようをじっと見ているように
風格がありました。 -
代が変わって、いまでは用水路としての役目はほとんどなくなりましたが、
反面、市民の憩いの場所として、また散策やウォーキング、ジョギングなどの生活インフラとして、その存在はますます重要性を増してきています。 -
円筒分水は、内筒が直径8m、外筒が直径16mの二重の
円筒構造になっています。 -
久地円筒分水(くじ えんとうぶんすい)は、
二ヶ領用水の水を下流の4つの用水路に正確に分配
するための施設です。
直径16mの外筒の円周は50.265m。これを灌漑面積に比例して、外筒の仕切り壁を「川崎堀:38.471m、六ヶ村堀2.702m、久地堀1.675m、根方堀7.415m」に区切っています -
流下してきた二ヶ領用水は、平瀬川の直前で伏せ越し管(サイフォン)と
なって地下にもぐり、平瀬川を横断したあと、円筒分水中央部から噴き上ります。 -
歴史を知る古木の桜が満開ですが・・・
2本の桜の木も老木になりました。 -
「水物語」の守護人として
奉られた神社であったのかもしれない・・・・ -
4つの堀の灌漑面積に合わせて仕切られている外側の円筒に流れ込み、
それぞれの仕切から溢れた水が各堀へと流れていきます。
用水の流量が変化しても、常に一定の比率で分水されるこの仕組みは、
当時最も理想的で、かつ正確な自然分水装置の一つと言われ、
各地でつくられた円筒分水のモデルとなりました -
下地なしで行った「円筒分水」江戸時代の水争いの発端が
この様な歴史的価値のある文化遺産に徳川家康の命により
建設された二ヶ領用水は
歴史の案内人・証人でしょう。
水にまつわる歴史の勉強 ロマンがあります
地名も歴史を知る上で話が繋がりました。
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