2017/03/13 - 2017/03/14
643位(同エリア1412件中)
チューぱぱさん
- チューぱぱさんTOP
- 旅行記318冊
- クチコミ78件
- Q&A回答0件
- 703,773アクセス
- フォロワー15人
~人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず!~
家康の人生訓ですが、急ぐべからずとはローカル列車の旅に似合います。2日目は午前中だけの観光ですが、家康の築いた浜松を歩きます。
お昼は浜松餃子を頂き、せっかくですので高い所が好きな私としてはアクトタワーにも登って浜松の街を一望し、また鈍行列車で名古屋へ戻ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
岡崎生まれの家康は、戦国時代の小藩の運命で幼き頃より人質の身分で過ごします。
織田や今川の人質となり悲哀な青春時代を過ごします。
でも、信長の一世一代の大博打により運命ががらりと変わります。
今川の手先となり尾張に攻め込もうとしたが、桶狭間での戦いで今川義元が討たれ後ろ盾を失います。本来は信長に成敗されていたはずですが、幼少期の馴染みと母親「於大の方」の尽力により見逃され、生まれ故郷の岡崎城に入ります。
岡崎城を地盤とし西の信長に頭を下げ、東へ進出し三河を統一し、浜松城を拠点とします。
井伊谷の直虎ちゃんも、今川や武田に頭を下げ続けて、最後は家康に縋りつき家名を守りました。家康とよく似た部分がありますね。
この桶狭間の戦いでは直虎の父「直盛」も信長勢に討ち取られています。
家康も一度大博打を打つんですよね。
信長を真似たのか?武田勢が浜松に攻め込んだ時に、三方ヶ原で戦いを挑みボロ負けして縮み上がり、小便どころかウンコもたれて逃げ帰ります。
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』のしかめ面は、人生の教訓とするために書かせたものとか。その後は「急ぐべからず」の方針で、「鳴かずば 鳴くまで待とう ホトトギス」と評せられるようになり、最後は日本の覇者となりました。
そんな家康を育てた浜松城を「出世城」とはよく言ったものです。
歴史の読み物
https://app.k-server.info/history/nobunaga_okehazama_1/
-
さて、街歩きですが、、、
浜松の街中を歩き回るには「家康の散歩道」なんてマップを入手すると楽しいようで
後に気が付きましたが、浜松城のパンフレットの中にも書いてあります
まずは松尾神社です。
前の道がグーグルマップに松尾小路とありますので何かあるのかもと期待してきましたが、寂れた神社でした。
-
祭神は・・
平和の守護神 大山咋神
知恵の神さま 厳嶋姫神(弁財天のことだそうで)
浜松の神さま 徳川家康命
昔は浜松神社と称していたそうな
歴代の城主も交代するたびに参拝したとか
浜松総社とも言われてるとか -
宮司らしき方が作業着姿で木を切っていましたが、社務所らしきところはありません。
-
拝殿にはお神輿が置かれてました。
水掛神輿とか
これを担いで町中を歩き回り、沿道の人が水をぶっかけるお祭りだとか
大人の水遊びかな? (^_-) -
天満宮も併設されてました。
-
歩を進めると、小さな川がありまして
-
横には、大堀通りとなってます。
じゃ、この小さな川は浜松城の外堀で本来はもっと幅広だったんだ
天守閣は小さいけど、お城としての規模は大きかったようです -
五社神社・諏訪神社
朱色の鳥居がとっても素敵!気に入りました。 -
御祭神の中には、当然徳川家康公とあります。
-
光海霊神(うなでりのみたま)の碑
空襲で上半分が欠けてます -
すんばらし~い!
朱色の神殿もですが、左右の狛犬が・・
筋肉隆々!
-
口を開いている阿形(あぎょう)
-
角があり口を閉じている吽形(うんぎょう)
-
拝殿
お賽銭箱には二つの紋がかかれてます
おみくじにも種類がありまして「恋みくじ」なんてなのも (^^♪
私らは、とんぼ玉入りおみくじを引きました。
「小吉」でしたが、失い物は「必ず見つかる」とあり、昨日のカメラのレンズキャップ紛失騒動のことかと -
御神鏡
内部にも狛犬が1対置かれてるようです -
飾りも鳳凰でしょうか?
見事な彫り物です -
優雅な造りです
-
街中でこんな素晴らしい神社があるのはとってもいい
-
社務所
御朱印 受付と大きく書かれてます。
お願いすると「お参りは済みましたか?」と訊ねてきます。「はい、小吉でした」と答えると笑顔で書いて頂けました。
最近は、お参り前に書いてくれと出す人が多いようで。これではスタンプラリーですね。
龍潭寺でも、観光バスで来てガイドに御朱印帳を渡して、寺に書いてもらう人が見受けられました。こんなので嬉しいのかな?
私も昨年から御朱印を頂くようになりましたが、マナーだけはきっちりと守ってます。
そして、新たに五社神宮・諏訪神社の名前入りの御朱印帳を頂いて来ました。 -
続いて隣にある心造寺
五社神社と神仏分離かな?
こちらは浄土宗ですので、御朱印はありません。 -
ちょっと小ぶりに見える本堂です。
-
土足禁止とありますので、一番上の段にお賽銭を置き合掌しました
扁額には「先照山」とあります。
先照山 心造寺
名前が良すぎでわ? (^_-) -
正福寺
奥山半僧坊 濱松別院
-
お参りしようと思ったら本堂の前にしめ縄が張ってある。
お寺で結界があるのは珍しいと思いますが、結界はむやみに越えてはならないもの。
参拝はやめました。 -
鎧掛松
お城の下までやってきました。 -
家康が三方ヶ原で大負けして城へ戻って来た時、鎧を脱いで松に掛け休息したそうな
ほりゃ!ちびって濡れた鎧は乾かさねば ( ;^^)ヘ..
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
信長の真似は簡単にはできないようで -
城内に入ります
-
野面積みの石垣がめっちゃイカス!
400年前の築城の面影を残す貴重な石垣です。
登ったり、石を引き抜くことは絶対にしないでください! -
石垣が芸術的模様に見えます
-
城門横の巨石
脇門の鏡石と呼ぶそうです。
名古屋城の清正石と同じかな? -
天守閣に登ります。
残念ながら鉄筋コンクリートの復元です
国宝犬山城のような木造天守閣は数少ないから
名古屋城も木造にしようと、名古屋のトランプこと河村たかしが頑張ってます。本丸御殿が全部完成したら取り掛かるでしょう。市民は大賛成です。( ^^) -
浜松城地下の穴倉にある井戸です。
籠城時に水がなければ大変なことになります。どこの天守閣にも大体あると思いますが。 -
家康の武将たちの絵です。
家紋入りの鎧を着けてますので調べれば誰だか分かると思います。
また一番左側は徳川家康三方ヶ原戦役画像の複製で、本物は徳川美術館にあるそうです。 -
戦国大名図かな?
秀吉が大阪で信長が美濃? 家康は浜松だけど今川も描いてある。
時間考証はでたらめなようです。 -
刀剣の展示品
武士の魂です -
三つ葉葵の武具
-
天守閣から東方面
-
天守閣から南方面
-
西方面
-
北方面
-
下方面
日本の宝「豆粒連」がお城見学にきてました。 ( ^^) -
昔のお城のジオラマ
-
現在の様子
石垣って結構高いのねん
直虎の旗がずらっと立ててあります -
若き頃の家康像
若き家康は窮地に陥るとすぐに「死ぬ!」って言いだしたそうな
桶狭間の戦いで今川軍の先鋒に立っていて大高城にいた家康は、信長の奇襲で今川義元が討たれたことを聞き、かなり狼狽したそうな
信長に大高城を明け渡す約束をし、無事に岡崎に戻り、菩提寺の大樹寺で自刃しようとしたが住職に諭され思いとどまった。
次はおなじみの三方ヶ原の大敗北
徳川家康三方ヶ原戦役画のしかめっ面が全てを物語ってます
三度目は、本能寺の変で信長が光秀に討たれた時、残党狩りに捕まり惨めな姿をさらすより腹を切った方がましだって
まさに、幼き頃より人質生活を過ごしてきた家康ならではの自尊心から出た言葉でしょう。家臣に説得され「伊賀越え」の決断をし無事に岡崎に戻れた。
その時、僅かな供周りの中に直虎が守った井伊直政がいた。
戻って手勢を調えた時には、もう天王山の戦いで秀吉が光秀を討っていた。後の清須会議では、家臣ではない家康には出番がなく秀吉の策略で柴田勝家でさえ追いやられることとなった。
歴史って知れば知るほど楽しいね。
些細なきっかけで運命が左右される戦国時代の掟はウルトラ・セブンかも? (^_-)
-
強者どもが夢の跡
城持ちになるのは大変なことです。 -
天守台を出て引馬古城跡(現 東照宮)へ向かいます。
-
浜松城公園は昔の二の丸の跡のようです
-
大河ドラマの放映中に浜松城公園も歴史にちなんだ整備をされるような
-
浜松城公園の横にはホテルコンコルドが
このホテルの高層階に泊まり、浜松城を見ながら一杯やるのもいいかもよ?
なんでも、家康くんルームがあるとか (^^ゞ -
元城町東照宮
-
狛犬は立派ですが、東照宮と言いながら権現造りではないため、しょぼく感じます。
-
お決まりの三つ葉葵は光ってます
-
観光客用の展示物はこれくらいか
真ん中に立って記念撮影ができます。もちろん、わたくし目も 笑 -
曳馬城跡
-
そのまま駅方面に歩いていきますと、徳川秀忠公誕生の井戸がありました。
家康君の散歩道のマップを持っていなくて、あてずっぽうでたどり着きました。 -
家康公の側室が2代将軍を生んだ時に、産湯としてこの辺りの井戸の水が使われたそうな
じゃ、本当かどうかは分からないんだ。
分かっているのは、家康は「血は水より濃い」とばかりに次から次へと若い女に手を出したエロ爺だということ。
まあ、戦国の世は世継ぎがいなくなればお取り潰しになるから仕方ないのか?
直虎ちゃんも世継ぎを守るために領主を務めた訳だから、厳しい時代です。
で、パカパカと子を作ったら、今度は子供同しで喧嘩を始めた。吉宗と宗春の話は面白おかしくドラマになってます。
いなければ消滅、多ければ跡目相続争い!
権現様! ほりゃ死んでも安眠はできないようで! (^^)/ -
駅前に戻ってきまして・・
帰る前にランチを頂きます。 -
美味しい餃子で有名な駅南に行きたかったけど、行列ができていたらどうにもならない。そこで、元祖浜松餃子の「石松」駅中店へ行きました。
-
浜北に本店があるそうですが、元祖なら味は変わらず大丈夫でしょう。
15個盛りを注文しました。この店では25個注文しないと丸く盛り付けはしてくれないようで。そして、25個注文してもモヤシは別皿で出てきます。
せっかく、パリッと焼き上げた餃子に水分のあるモヤシを載せるには問題があると思ってるのでしょう。
で、肝心のお味は、、、超べりぐっどです。
白菜ではなくキャベツで作ってあるため、めっちゃ軽く感じます。これなら私らも25個でも良かったかな?
なお、メニューは単品で注文しても定食で注文しても同じ値段で加算されるだけです。 -
別に注文したキムチスープ餃子です。
もちろんビールも注文です。 -
接客も感じよく、人数と注文を計算して案内してました。
だから、待ち時間も少なくて済みます。 -
最後にアクトタワーへ登り浜松の街を一望します。
これは南方面かな? -
遠くに天竜川が見えるから西方面です。
冬季なら富士山も見えるはず -
北方面か?
-
左側にホテルコンコルドが見えます。
-
浜松城
-
お泊りしたダイワロイネットホテル
夜、窓を開けてたらアクトタワーから丸見えなのネ (^_-)-☆ -
駅前バスターミナル
-
さあ、新幹線ではなくJR在来線の鈍行列車に乗って豊橋まで向かいます。
豊橋から名古屋までは快速列車があるのですが、浜松-豊橋間は各駅停車の列車しかありません。加えて、直通列車も早朝と夜しかありません。
やはり浜松は関東文化圏のようで、名古屋からは近くて遠い町のようです。
ちょっとした歴史探訪の旅になりましたが、家康は郷土三英傑の一人です。
波乱万丈で日本のトップに立ちましたが、直虎もそれなりに波乱万丈の人生です。
人生 人それぞれ 波乱万丈!
自分の生き様を振り向いたとき、悩みの無いのが悩みなんて人は少ないはず。上には上の悩みあり、下には下の悩みがある。
まさに、人生色々ですネ! (^◇^)
実は、桶狭間の戦いは現代でも続いていて・・・
戦ってるのは名古屋市と豊明市 (^^♪
古戦場跡が2ヶ所あり、それぞれの行政区がオラの所が本命だべさ~っと主張し合ってます
さあ、決着はいつになるのやら? (^^ゞ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
70