2016/09/19 - 2016/09/19
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アルプ・グリュムさん
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伊豆稲取は金目鯛と雛のつるし飾りが余りにも有名ですが隠れたスポットの稲取八幡神社を紹介します。
頼朝の水垢離の井戸、本殿の彫刻等見応えがあります。
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稲取八幡神社への参道には屋号が掲げられてある家が見られます。
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先に八幡神社の鳥居が見えます。
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八幡神社の本殿の後ろは深い森の中となっています。
森の中には樹齢千年を超える松もあるそうです。稲取八幡神社 寺・神社・教会
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太鼓橋
本来はの太鼓橋は神様専用だそうです。 -
しめ縄と祠がある巨木があります。
パワーを感じるのは私だけではないと思います。 -
埋蔵文化財包蔵地 崎町遺跡
東伊豆町には縄文、弥生時代の遺跡が数多く存在しています。 -
頼朝の水垢離の井戸
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古めかしい板でカバーされているのが見えました。
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井戸の由来
源頼朝公が伊豆伊東流適の際に、源氏再興を当神社に祈願した。その節、水垢離をした井戸である -
神社特有の神秘さが感じます。
この鳥居は歴史的価値があります。 -
鳥居には刻印が
貞享四年三月と書かれているので西暦だと1689年となります。 -
忠魂碑 日露戦争戦没者慰霊碑
私が注目したのは台となっている石についてです。 -
台となっている石は江戸へ運ばれる予定だった築城石で稲取港に沈められていた石だそうです。
港で船に乗せる際に誤って海の中へ落としてしまった石は落城を意味するので引き上げられなかったそうです。
江戸からの献上命令が下されなかったのも理由の一つかもしれません。 -
右後側には土佐藩を示す刻印が見られます。
肉眼でははっきりと確認できたのですが写真では判らなくなってしまいました。
稲取には町庁舎を始め町内に築城石が保存されていますが、その築城石だけを別途編集しています。 -
拝殿に参拝します。
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迫力ある狛犬
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目と口に赤い色が塗られています。
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右側も同様です。
江戸時代は土佐藩の大名がこの地を仕切っていたそうなので土佐犬に見えます。 -
見上げると素晴らしい彫刻が!
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全て手彫りだと思います。
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関心するだけです。
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横壁の彫刻です。
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神社の左右にあります。
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拝殿の横には元治元年(1864)の時の屋根瓦
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若宮八幡大神は、稲取総鎮守参土神にして、この里を開き給いし大神に坐しまして、社傅に摩牟称(まむね)明神と称え奉いて、延喜式神名帳所載の神社と言う。
その昔、竜宮崎と秀都の崎(ほづのみさき)と言うその麓に鎮座まします古社であります。
現在、山の上の老松は千年の昔をしのばれ、空高くそびえております。
拝殿は安政の始め天城の山から引き出された(つが)の木で造られておりまして、社殿は伊豆地方における立派な建物で、稲取の重要文化財です。
現在百二十数年の星霜を経て風雨を凌いで参りましたが、数年前から雨漏りが激しくなり、今般稲取地区財産区の補助金を得て屋根瓦葺替工事を完了しました。
安政二年十月二日、江戸大地震の時、稲取出身者たちが皆無事であったことは、一重に氏神様の御加護によると誠心こめて燈籠を奉納の申し出がありましたが、
当時の世話人前田三郎左ヱ門外二四名の人から屋根瓦寄付の願の書面を
江戸日本橋四日市に住む伊勢屋善兵衛様(東町新家の出)に出して、歎願したのです。
そこで問屋筋百五十数戸稲取出身者数名からも瓦の寄付がありました。
伊勢屋善兵衛様から特に金百両の寄付がありまして、安政四年に出来上がりました。
ここに陳列してある鬼瓦は当時のものです。
いかに当時の方々が苦心惨憺して拝殿を造営し屋根瓦葺に努力したことを考えさせられます。
茲に寄附金の看板と当時の屋根の写真を陳列して永くその功績を称えます。
昭和五十年七月吉日 八幡神社宮司 稲岡秀男 -
中央には鳩が向かい合っています。
鎌倉の鶴岡八幡宮にも同様の鳩が見られます。 -
「鳩サブレ」を思いだします。
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下の台にも同様の鳩が
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祭礼用の木だそうで普段はこのように屋根付きで保存されています。
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