2017/02/18 - 2017/02/19
362位(同エリア696件中)
ひま人さん
100名城巡りも、今回の3城で97城目の登城となった。最初に群馬県高崎市箕郷町にある梯郭式平山城の箕輪城を訪れました。箕輪城は永正9年(1512年)長野業尚(なりひさ)により築城されました。栃木県足利市に移動しホテルに宿泊、翌日、足利氏館跡の鎫阿寺(ばんなじ)を訪れました。鎫阿寺はもともと足利氏の館であり建久7年(1196年)足利義兼により開基されました。最後に群馬県太田市の連郭式山城である金山城を訪れました。金山城は文明元年(1469年)岩松家純により築城されました。一泊二日の忙しい城廻でした。
表紙写真は箕輪城石碑です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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箕輪城(国史跡)二の丸跡。箕輪城は榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城です。城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成しています。城地は東西約500m、南北約1100m、面積約47ヘクタールに及ぶ広大なものでありました。現在残る遺構としては、石垣、土塁、空堀の跡が見られます。
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大堀切。本丸を巡る幅30~40m、深さ10mの空堀や、城の中央部を南北に分断する役割がある大堀切りなど、同時代の城としては全国的な規模を誇る堀が各所に残っています。
箕輪城は西暦1500年頃、長野氏により築城されましたが、永禄9年(1566年)難攻不落だった箕輪城も武田信玄に落とされました。その後は、武田氏、織田氏、北城氏、徳川氏と次々と主は代わりましたが、特に最後の城主・井伊直政は徳川家康の家臣の中で最大石高の12万石で封じられています。8年後の慶長3年(1598年)井伊直政は城を高崎に移し、箕輪城は廃城になりました。 -
土塁跡。
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本丸跡石碑。
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本丸跡。
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土塁跡。
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御前曲輪石碑。
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御前曲輪跡。
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三の丸門跡と石垣。
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三の丸石垣。
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史蹟 足利氏宅跡石碑。12世紀半ばに足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える。建久7年(1196年)足利義兼が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立しました。文暦元年(1234年)足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺(鎫阿寺・ばんなじ)となる。大正11年(1922年)「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される。
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鎫阿寺楼門(山門)。
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太鼓橋と楼門(山門)・県指定文化財・室町時代。
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大御堂(本堂)・鎌倉時代(国宝指定)。ご本尊は大日如来です。
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多宝塔(塔婆)・県指定文化財。足利義兼の創建。現在のこの建物は元禄5年(1692年)徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院尼公の再建したもので、重層、銅板葺、頂上に水煙が載っている。
金剛界大日如来(鎌倉時代作)と勢至菩薩の守り本尊です。 -
経堂(一切経堂・室町時代)、国重文、本尊は釈迦如来。寺伝では開基・足利義兼の創建ですが、現存の経堂は応永14年(1407年)関東管領足利満兼により再建されました。京都・知恩院に次ぐ大きさです。
内部に八角の輪蔵(経柵)があり一切経二千余巻(黄檗版)を蔵す。本瓦葺、重層宝形造り、上層の屋根の扇垂木の手法は極めて複雑です。 -
鐘楼(鎌倉時代・国重文)。建久7年(1196年)開基足利義兼が本堂に次いで創建しました。本瓦葺、入母屋造りで袴腰附、鎌倉時代の飾り気のない禅宗様式の代表的なものといわれています。
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史蹟 足利学校跡石碑。鎫阿寺の南東に足利学校跡があり、古の学問所の隆盛が偲ばれます。足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利義兼説などがあるが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、学長制度を設けるなどして学校を再興した頃からです。
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入徳門。入徳の額は、天保11年(1840年)に掲げられたものです。現在のこの門は裏門を移築したものといわれています。
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学校門。寛文8年(1668年)の創建。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして平成へと継承されています。
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復元された方丈(手前)、庫裏(奥)。方丈は学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところです。庫裏は学校の台所。食堂など日常生活が行われたところです。
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杏壇門(きょうだんもん)。寛文8年(1668年)の創建。明治25年(1892年)に、町の大火の飛び火により屋根門扉が焼け、同30年代に再建したものです。
「杏壇」=孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。 -
孔子廟(聖廟)。寛文8年(1668年)徳川幕府4代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられています。
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字降松(かなふりまつ)。読めない字や解らない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられています。
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南庭園、池と築山からなる築山泉水式庭園。鶴がはばたくように見える入り組んだ水際が特長です。
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史蹟 金山城跡。西矢倉台西堀切。
金山城は、文明元年(1469年)に新田一族の岩松家純によって築城され、下克上によって城主になった由良氏の時代に全盛を迎えます。上杉謙信や武田勝頼などの有力戦国大名から10数回に及ぶ攻撃を受けますが、金山城は一度も落城することなく、その堅固さを誇りました。しかし、小田原北条氏の謀略に落ちて支配下となっていた天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条氏征伐により金山城は廃城となりました。 -
物見台下堀切。
金山城は群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8mの独立峰、全山赤松に覆われた金山に築かれた山城です。 -
物見台下掘り切り。岩盤を人工的に削って作った掘り切りです。
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物見台下虎口。
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竪堀。竪堀の脇に石垣があり、堀底には通路がありました。
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物見台石垣。
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三の丸下堀切と石垣。
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月ノ池。城の中心部への入り口にあり、訪れる者に水の豊富さを見せつけます。
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大手虎口。実城(みじょう・本丸)へ向かうための通路を厳重に守っていた一大防護拠点。高く積まれた石垣は、敵を威圧し、城の威厳を示します。
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大手虎口石垣。
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日ノ池。戦いでの勝利や雨乞いなどの儀式が行われたと思われる神聖な池です。
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中島知久平の胸像。南曲輪に建てられている中島飛行機の創設者です。太田市出身で、戦後のスバルの富士重工です。
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