2017/01/26 - 2017/01/26
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yamada423さん
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新宿ピカデリー(中央やや左の白いビル)が面する靖国通り 2017.1.26 15:09
あと一週間で節分となる寒中の晴天に恵まれた1月26日の午後、話題の映画「この世界の片隅に」を見に新宿へ出かけた。この日は風もなく穏やかで、寒さを感じることは夜になってもほとんどなかった。
私のいつもの都内への出入口は池袋であるが、上映時間帯の都合で池袋の映画館ではなく、新宿ピカデリーとなった。
1時間以上早く着くように自宅を出て、最寄の小手指駅から所沢乗換えで西武新宿に着いたのは14:42。
新宿大ガードをくぐって青梅街道の基点である大ガード西交差点から西新宿の高層ビル群を撮った。
靖国通りの起点である大ガード東交差点へ戻り、立春が近づいて強くなった日差しを浴びて眩しいほどの街並みをしばらく眺めた。
歌舞伎町の通りの先にはビルの屋上にゴジラが大きな口をあけた姿が目に入り、近くまで行ってみた。ちょうど音楽に合わせてゴジラが口から放電の光を放つ様子が目撃できて面白かった。カメラやiPadを向ける外人観光客が何人もいた。
上映開始16:35の4階シアター①L-22のチケットを窓口で買い、小1時間ほどの街歩きを楽しんだ。
新宿ピカデリーの向かいが伊勢丹の由緒ある立派な建物で、入口を入ってみると見渡す限り黒い制服のたくさんのブランドの化粧品売り場で、むせかえる香りの攻撃に、立ち止まらずに退散した。店員の健康被害がないのか気になった。
ショーウィンドーにはバレンタイン・デーを間近にしてチョコレートの文字が目に付いた。"I like Chocolate So much"
新宿三丁目を左折して明治通りを往くと左が花園稲荷神社があり、境内のたくさんの真新しい木製灯篭が目に付いた。
手水舎で手先と口を清め、朱塗りの立派な拝殿で参拝した。
白梅がすでに3分咲きで、青空に映えて綺麗だった。
映画「この世界の片隅に」の感想文を書けるほどの文章力はないが、私が1歳半のころの物語で、川越市のとなりの入間郡大東村(昭和28年に川越市に合併)で生まれ育った子供のころに経験したことがあちらこちらに出てきたので何度も心の中で頷き、時には感動して・・・。
戦後の食料が少なかったころ、家が農家※でありながら米は十分ではなく、サツマイモご飯や、正月の粟餅(ボソボソで美味しくない)、おやつの麦こがし(炒った大麦の粉)などの記憶はある。
麦飯の釜の底から白い米のご飯を掘り出して弁当箱に詰めてくれた母親心。
(炊き上がった時、軽い麦は上に来るので底のほうは白米に近い)
戦後しばらくは東京から電車で買出しに来た着物に下駄姿の綺麗な女の人たちがいたのも、子供心に覚えている。
台所の砂糖の瓶に蟻の行列ができた映像を見て、思わず頬が緩んでしまった。
「そうそう あんなこともあったなー」と。
映画を見終わってからは夕食の店を探しながらぶらつき、看板に「小さいお店の大きな満足」と書かれたとんかつ屋があったので入った。
20席ほどの、それほど小さくはない店で、ロースかつ定食と生ビールをたのんだ。
とんかつはぶ厚いが肉は柔らかく、期待に違わず美味しかった。
調理場で肉を叩く音が聞こえたので帰り際に訊いてみると、「筋切り」をしていたそうで、ウィンナ・シュニッツェルの店で聞いた肉を叩く音の経験を話した。
※終戦後幼少期を過ごした生家の写真を末尾に掲載します。
撮影 Canon PowerShot SX610HS
今回掲載の地域は特に大きな変化は感じませんでしたが、街並みの遷り変わりを時々記録しています。
http://4travel.jp/travelogue/10602088 2011年
http://4travel.jp/travelogue/10566555 2011年
http://4travel.jp/travelogue/10706960 2012年
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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2017年1月26日(木)晴れ 都内の気温 11/-1℃
小手指駅3階のコンコースからスカイツリーが見えるほど空気が澄んでいました。
13:55
直距離 37Km
左の白い塔は豊島清掃工場の煙突 -
西武新宿駅 発車を待つ本川越行き特急レッドアロー号 14:42
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発車案内表示板
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西武新宿駅構内の生花店には春を先取りするようにたくさんの花が並んでいます。
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西武新宿駅入口
上は新宿プリンスホテル -
靖国通り 14:50
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これも靖国通り
この澄み切った空が靖国神社を覆っていることを隣国の都市住民の旅行客が見たら、どう思うでしょう。 -
新宿大ガード東交差点のヤマダデンキLAVI
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ガイドの説明を聞く観光客
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新宿プリンスホテルとPePe
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大ガード東交差点
ここが(通称)靖国通りの起点です。
東京都道302号新宿両国線は、東京都新宿区・千代田区・中央区を東西に走る都道(主要地方道)である。
総延長:11.2 km
本線 起点:新宿大ガード東交差点(新宿区) - 青梅街道より直結
終点:浅草橋交差点(中央区) - 京葉道路へ直結
Wikipedia -
新宿大ガード西交差点
青梅街道の起点です。
青梅街道(おうめかいどう)は、東京都新宿区から東京都青梅市を経由し、山梨県甲府市に至る道路である。
起点:新宿大ガード西交差点:東京都新宿区
終点:山崎交差点(甲州街道交点):山梨県甲府市 -
新宿駅西口の高層ビル
末広がりのビルは損保ジャパンビルで上層階には東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館があります。
ここにはゴッホの「ひまわり」が常設展示されているので有名です。
http://www.sjnk.co.jp/csr/culture/museum/history/ -
ガラスの壁面に映ったビル 14:56
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新宿駅西口方面
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新宿大ガード
ガードというのは "girder bridge"(ガーダーブリッジ)を略した言い方です。
ガーダーブリッジとは道路や市街地を横切る鉄道の橋のような高架部分のことです。
出典:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148942629?__ysp=57ea6Lev44Gu44Ks44O844OJ44Go44Gv -
新宿大ガード
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大ガード北側の壁画
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楽しそうな動物たちですね。14:58
落書ではなくパブリックアートPublic Artです。 -
新宿東宝ビル?屋上に現れたゴジラ 15:03
実際に見たのは初めてです。 -
ちょうど音楽に合わせてゴジラが口から放電の光を放つ様子が目撃できて面白かった。
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歌舞伎町の昼間の街並み
バーコードみたいな外観のビルです。 -
特に詳しい説明はありませんが、街並みの遷り変わりを時々記録しています。
http://4travel.jp/travelogue/10602088 2011年
http://4travel.jp/travelogue/10566555 2011年
http://4travel.jp/travelogue/10706960 2012年 -
表紙の写真
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新宿ピカデリー 15:11
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新宿大ガード方面(西方向)15:11
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新宿通り?
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新宿三丁目西
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新宿三丁目交差点付近ですが、通りの名前(新宿通り、明治通り)と方向が書けません。
日差しから見て、おそらく新宿通りの新宿駅東口方面です。 -
ビックカメラ
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靖国通りの一本南の新宿通り
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東京メトロ新宿三丁目駅B4出口は新宿通りに面しています。
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新宿伊勢丹の外観は立派なデザインで関心を惹かれます。
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ISETAN DEPARTMENT STORE
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伊勢丹
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新宿伊勢丹正面入口 15:38
入口を入ってみると見渡す限り黒い制服のたくさんのブランドの化粧品売り場で、むせかえる香りの攻撃に、立ち止まらずに退散した。 -
良く見ると2羽の鳥が対称的に描かれています。
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ショーウィンドーにはバレンタイン・デーを間近にしてチョコレートの文字が目に付いた。
"I like Chocolate So much" -
新宿三丁目交差点では明治通りと新宿通りが交差します。15:41
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明治通り渋谷方面
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明治通り池袋方面 15:42
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新宿通り四谷方面
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新宿三丁目から明治通りを北へ歩き、靖国通りを横切って100ほど左にある花園稲荷神社です。
15:50 -
花園稲荷神社の大鳥居
花園神社縁起
花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。
出典:http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/page/a4.html -
狛犬(こまいぬ)
左右に対で鎮座しています。
見かけは犬ではなく獅子(ライオン)です。 -
真新しい木製灯篭には、柱の下部に「平成二十六年四月建立」と記されています。
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ここの木製灯篭は銅板葺きの立派なものです。
神社の屋根は銅板で葺くのが一般的で、初詣の際に明治神宮の社殿等の葺き替えのために銅板の寄進を募っていたので応募しました。
6寸・2尺・0.3ミリ厚さの銅板1枚3000円です。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/46/95/70/src_46957064.jpg?1484526716
10万枚の目標に対して未だ3万枚未満だそうです。
賛同される方にはお奨めします。
http://www.meijijingu.or.jp/enshrined100/
明治神宮は平成32年(2020年)に鎮座百年を迎えます。
ただいまは、この式年の記念事業として昭和33年の御復興以来となる銅板屋根の葺替えを中心とした御社殿群修復工事を行っています。
ご参拝の皆様方にはご不便をお掛け致しますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 -
鳥居の奥に「威徳稲荷大明神」が祀られています。15:54
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威徳稲荷大明神
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子狐を背負ったキツネは初めて見ました。
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災禍消除と刻まれた灯篭
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花園神社 拝殿
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祈願絵馬
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拝殿の回廊
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白梅が三分咲きでした。15:58
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拝殿の石段
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花園神社境内の二宮金次郎像
台座にはこう書かれている。
花園神社の二宮尊徳像
旧四谷第五小学校にあったもので、同行が廃校になったため花園神社に移された。
二宮金次郎の現代版は「歩きスマホ」でしょうか。 -
二宮金次郎像(四谷第五小学校)
貧しい生活の中で、いっしょうけんめい勉強した二宮金次郎(のちの二宮尊徳)のこの石像は、昭和8年(1933)の校舎建築中のころ、長崎武文氏(昭和8年〔1933〕卒)の父、佐次郎氏が千葉から荷馬車で運んでこられたものです。
平成2年(1990)10月27日
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花園神社境内にある芸能浅間神社 16:06
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御祭神は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)。江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名です。宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子の歌碑も、このお社の隣に建っています。
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藤圭子の歌碑
圭子の夢は夜ひらく -
靖国通りから花園神社に通じる参道
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新宿区役所前交差点 16:17
そろそろ映画館に向かいます。 -
新宿ピカデリー靖国通り入口 16:17
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新宿区役所前交差点 19:08
映画が終わって靖国通りへ出てみると空はすでに濃闇でした。 -
ピカデリーの夜の姿
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新宿松竹ピカデリー
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ケヤキ並木通り(正式名は?)を西に入ったところのとんかつ屋「卯作(うさく)」へ入りました。
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上ロースかつ定食¥1600
(ご飯は少なめに)、キャベツ、ポテサラ、大根おろし、お新香、味噌汁
生ビール ¥500
よく叩いて筋切りした分厚い肉は柔らかくてとても美味しかったです。 -
メニューの表紙にも「小さいお店の大きな満足」と書かれている。
3階までは階段で上がる。
シェフが「3階までお越しいただきありがとうございました」
給仕のお姉さんは発音から「中国の方ですか」と訊くと、「台湾から来ました」 -
歌舞伎町一番街
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LAVIの夜景
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帰りも西武新宿から帰ります。 20:04
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大ガード越しに西新宿の高層ビル群の夜景が見えました。20:04
寒中の新宿街歩きは寒い思いをしないで楽しめました。 -
終戦後幼少期を過ごした生家
川越市南大塚の茅葺き屋根の実家(参考)昭和36年ごろ
屋根の上の小屋は「煙出し」で、台所のかまど(別名は竃:読みはヘッツイです)で藁や薪を燃やした煙を排出します。
昭和37(1962)年には茅葺き屋根の老朽化と修理の困難さから瓦屋根の2階屋に改修しましたが、耐震性は不十分で10年ほど前に取り壊しました。
2本ある大黒柱の太さは1尺角(30cm)ありました。
この写真は昭和35年(1960年)ごろの撮影で、厳重に保管してあるネガをエプソンのスキャナーGT-S640でデジタル化(1498×1050)しました。
座敷の中央に置かれた椅子は、浦高の工芸の授業のテーマで製作したものです。
工芸担任の増田光男先生は彫金が専門で、後に人間国宝(1991年認定)になられました。
卒業してから暫くは年賀状の遣り取りがありましたが、先生の木版画の年賀状が現存していないのが残念です。
増田三男(1909-2009)の作品一覧
http://www.nihonkogeikai.or.jp/works/909 -
大まかな間取りは左半分に「田の字」に10畳間が2つ(中央寄り)と8畳間が2つ(左側)、10畳間の北に四畳半。田の字の南側と西側に縁側があり西北隅から西に厠が突き出しています。
右半分の中央寄りに土間(北側は台所)、右寄りには機場(ハタバ:機織り作業場)とその北側に味噌部屋、風呂場などです。
機場の前(南)側にも土間があり、その右隅には焙炉(ホイロ:製茶用乾燥台)がありました。 -
母親は足踏みミシンでいろいろなものを作っていました。
-
我が家は昔から猫が好きでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 南国の雪男さん 2017/02/04 14:05:43
- 街散歩も良いですね!
- ご無沙汰致しております。
今回は、私の職場のある新宿ですね!? もっとも職場は西口前ですが。
私は映画をほとんど見ないので、東口に行くのは末廣亭に行く時くらいですが、こうして拝見すると見過ごしていた光景に驚かされます。
とんかつ「卯作」には偶然に入店なすった様ですが、流石に素晴らしいアンテナをお持ちですね。入りにくいですが、とんかつの味も、お代わり自由のご飯やキャベツも、そしてオーナーの接客も全て素晴らしい名店だと思います。昨年は、昼食ですが3回参りました。
打ち上げの光景が無かった様ですが、単独行でしたか。
またの投稿を楽しみにしております。
- yamada423さん からの返信 2017/02/04 16:37:07
- RE: 新宿街歩き
- 南国の雪男さん こんにちは
お便りありがとうございます。
新宿でお仕事をされているそうですね。
私は都内は池袋から入るのでめったに行くことがなく、土地勘はほとんどありません。
とんかつが好きで、一人で外出のときはよく食べますが、和幸が多いです。
今回も一人で、たまたま見つかった「卯作」で美味しくいただきました。
美味しかったときは、旅先でも店員に必ず声をかけ、写真を撮ったりすることもあります。
コペンハーゲンの店員たちです。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/45/48/97/src_45489722.jpg?1476750533
yamada423
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