2016/12/12 - 2016/12/12
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uchiyanさん
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トゥール→(バス、約4時間・307㌔)→モンシャンミッシェル対岸(昼食)→モンシャンミッシェル
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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イビス スタイルズ トゥール サントル ビュッフェスタイルの朝食
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午前8時20分出発ですが、まだ暗かった。
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ロアール川を渡って
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地図情報によると、ラパス
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ドライブインにてトイレ休憩
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地図情報によると、エルネ
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小さな町を過ぎると草原の連続でした。
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風車が見えました。
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モンシャンミッシェル対岸の入り口、マイカーは右へ、許可車は許可を得て、直進
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遠くに薄っすらとモンシャンミッシェル
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昼食のレストラン到着
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前菜の名物、オムレット・モンシャンミッシェル
ふわふわでまずまず・・・
前評判はかなり悪かったのですが -
お供のお酒はシードル(リンゴ酒)
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メイン
お米は長粒種でしたが美味しかった -
デザートは普通のシュークリームでした
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昼食の後、河口ダムの展望バルコニーへ
土砂降りの雨、霧でモンシャンミッシェルは見えません
ル・バッスール(無料バス)、ル・ルレ・サン・ミッシェル停へ移動、凄い雨でズボンの裾はしっかりと濡れました。
橋を渡し始めると、若干雨脚が弱くなり、姿も見ることができるようになりました。 -
モンシャンミッシェル
周辺の再開発によりさらなる注目が高まっているフランスの宝です。
切り立つ花崗岩の上、海と空間のはざまにたたずむこの修道院は大天使ミカエルに守られた聖なる場所です。
聖オベール司教が聖堂建築の告知を受けたのが708年、以来1300年にわたり、巡礼地として、また要塞や牢獄として、数奇な運命を辿った。 -
島の入り口(ラ・ヴァンセ門)
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大通り門横の
キリスト誕生のクリスマス飾り、イエス様はいませんでした。ラ -
ラ・メール・ブラール
19世紀に巡礼者のための宿泊施設として開業。名物のオムレツはスフレのようにふっくらサクサク。 -
いつもなら、卵を泡立てる様子が見られるそうですが、昼時を過ぎたためか、観光客が少ないためか、見ることはできませんでした。
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王の門・町の入り口は厳重警備
堀があり、小さな跳ね橋と落とし格子門が物々しい。両側にある塔の上方には、警備兵が巡回していた道路があります。
ここから先は賑やかな参道グランド・リュが続きます。 -
郵便局
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ビスキュイットリー・メール・ブラール 島で一番評判のガレット店
オムレツの老舗、ラ・メール・ブラール系列が展開するビスケット専門店 -
参道を挟んで、店舗が構えられている。
本来はここの参道をまっすぐ進むようであるが、修復中のため、少し戻って進みました。 -
たくさんの焼き菓子ガレット
紙の箱、缶の箱入り様々の種類が並んでいました。 -
こちらが本来の参道
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狭い路地の坂道を進みました。
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次第に標高が上がってきます。
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海が見えてきました。
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灯台?とカモメ
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大天使ミカエルが遠くに見えます。
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歴史博物館
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哨兵の門
14世紀に建設された門で修道院の入り口。2つの小さな塔の間の入口の先にチケット売り場があります。傾斜の急な螺旋階段を上がったところに警備兵の部屋があります。 -
ここ、チケット売り場で持ち物チェック
ちょっと厳しかった -
大階段
聖堂につながる唯一の通路。高い壁にはさまれた通路上部の2つの橋から、敵を攻撃できた。 -
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消火栓?
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いよいよ頂上へ
モンシャンミッシェルに渡ってきた橋が見えました。 -
尖塔
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先端に約4.5mの大天使ミカエル
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モンシャンミッシェルの成り立ち模型・初期
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次第に
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これが最終の形
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大天使ミカエル像
1987年に修復された時を再現した模型 -
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西のテラスは、西はブルターニュのカンタル、実にノルマンディのダルワン岬、北にはトンプレース小島を見渡す絶景のスポット修道院の採石場だった群島も沖合に見ることができます。
でも、この日は見通しがきかなかった。 -
教会正面にあるこのテラスは海抜80mの高さにあり、絶好の眺めが楽しめる。
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西のテラス床、床の石畳には教会建設に携わった中世の職人たちのサインが残されている。
石畳は先程のまでの雨で水没していましたが・・ -
修道院付属の教会
11せいきに完成した教会は、何度か崩壊し、修復された。本堂北側は12世紀のロマルスク様式。内陣と後陣は15~16世紀、ゴシック後期のフランボワイヤン様式。身廊の比率はノアの方舟と同じとされ、この修道院がアララト山に漂着した方舟にたとらえるという説もあります。 -
教会のステンドグラス、少し地味でしたが味わいありました。
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キリスト誕生のクリスマス飾りは、ここでも
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聖ミカエルの小像
祭壇内に飾られる聖ミカエルの像。祭壇は聖地エルサレムのほうこうを向けられて建てられている。 -
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列柱廊
「ラ・メルヴェイユ」とよばれる棟の最上階、僧の憩いと瞑想の場。円柱をわずかにずらすことで視覚効果が生まれ、周囲を歩くと柱が無限に続くような感覚を得る。列柱上の彫刻はかつて美しく彩色されていた。 -
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謎解きのレリーフ
柱上部、唐草模様などのレリーフが何を意味するのか、僧侶が熟考したと伝えられる。 -
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これも謎解きレリーフ
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「ラ・メルヴェイユ」とは、「驚異」を意味する。最上階の修道院付属教会の教会北側の居住部分がこう呼ばれる。3階のうち、最下階は貧者のための布施分配室。2階は貴賓室と騎士の間、3階に聖職者専用の回廊と食堂があります。聖職者を最上階級と見ていた中世の階級社会を如実に示しています。
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本当にきれいな中庭でした。
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食堂
船の底のような丸型天井を採用した食堂。59の小窓から美しい光が差し込む -
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入口から見ると側面の窓が見えずダイナミックな印象
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オペール司教の彫刻
食堂から次の間への通路に、大天使に指を差し込まれるオベール司教の姿を示す彫刻があります。 -
迎賓の間
修道院長が身分のある訪問者を迎えた場所。2列の身廊があり、大きな2つの暖炉ではイノシシや鹿を焼いたという。中世における最も優雅な建築のひとつとされています。 -
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帰国後、聖マルタン礼拝堂と思ったのですが、道順、撮影時間から迎賓の間、ステンドグラスのようでした。
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迎賓の間から太柱の礼拝堂への通路
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太柱の礼拝堂
10の円柱は教会の支える土台として15世紀半ばに建造。フランボワイヤン様式の天井アーチが美しい。19世紀囚人が最終判決を待つ場所として使われた。 -
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聖マルタン礼拝堂
修道院付属教会の南側交差廊の土台として1000年に建設されたロマネスク様式の礼拝堂。高さ9mの円は儀式の際の歌声がよく響く造りになっている。 -
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修道僧の納骨堂
巨大な車輪のある通路、この車輪は監獄化していた修道院に幽閉されていた政治犯の食料を引き上げるために1820年頃設置されました。
車輪の中に6人の囚人が入り、人力てせ壁のレールに沿った荷車を上下させる仕組み。日用品を2トンまで搬入できたという。 -
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ピエタ像としたい安置所
ここは1830年まで死体を安置する場所として使用された。死を嘆くピエタ像が置かれる。 -
聖エティエンヌ大聖堂
死者のために設置されたチャペル。祭壇のの下には「AZ」(永遠を表す意味)の文字が書かれている。19世紀にはハンセン氏病患者がこの場所に収容された。 -
修道僧の遊歩道
天井の交差アーチがロマネスクからゴシック様式の転換期を示す部屋。僧侶が散歩して疲れを癒した多目的ホールとして使用されたという。 -
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修道院内最後の聖ミカエルの小像(お土産物店から外へ出る出口付近、像と同じポーズで撮影するスポット)
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見学後はグランド・リュを通らずに海側の城壁を歩いて入り口方面へ
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城壁 島を守る堅牢な壁
15世紀に島の周囲に建造された。塔と塔の間を巡る城壁は、北町の門、城下町の門に支えられ、上部には、警備のための道路が造られた。現在は島の周囲に広がる景色を見渡せる、ビュースポットにもなっています。 -
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モンシャンミッシェルへつながる橋を見ることができました。
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グランド・リュ通りへ
ここで、少し買い物を -
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モンシャンミッシェル昼の部は終了
本当に雨がやんで、霧も晴れ良かった -
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