2013/05/03 - 2013/05/07
16位(同エリア65件中)
Matt Yさん
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2013年のGWはカレンダー通りにしか休めない私にとっては、4日間しかなかったけど、4月になってからなぜかふと思い立ってNYに行きたくなった。
殆ど思いつきでNYへGO!
NYを満喫したあと最終日は昔住んでいたNJ州をぶらぶら
はじめに断っておきますが、NJ編は個人的な思い出探しの旅なので、一般的な旅行の参考には一切なりません…悪しからず。観光客は行かない、普通の住宅地ってこんなところっていうのにはいいかもですが
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行最終日。今日も朝ごはんを食べにデリへ。
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ベーグルとかと迷ったが・・・
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NYのデリはカロリーも表示。なのに・・・
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結局パンケーキ、ソーセージ、ベーコン、卵、ポテトサラダのスーパーハイカロリーのメニューに。
食べ過ぎてお腹いっぱい、昼食は食べられなかったから一日としては帳尻合う? -
今日は帰国日。JFKを夕方出る便に乗るので、それまでレンタカーを借りて昔住んでいた辺りを久しぶりに見に行き、そのままJFKで車を返すという予定。
レンタカー会社に向かおうとすると6th Ave.が封鎖されていて歩行者天国ならぬ自転車天国になっている。TD Five Boro Bike TourというNYの5つの区を自転車で回ろうというチャリティイベントが行われていたのだ。全米に存在する全ての自転車がNYに集まっているのかと思うほどのおびただしい自転車が走っていて、道を横断するのも規制がされていてEastsideからWestsideへも渡る場所が指定される。 -
約10ブロック南に行ってWestsideへ。
Penn Sta.の対面に建つ郵便総局。列柱が並ぶ荘厳な建物。今は地下の駅だけで実質的な駅舎がなくなってしまったPenn Sta.の駅舎が健在だった頃は対をなしていたんだろうと想像。 -
ハーツで今回借りたのは都市圏内と言うこともあり一番小さいクラス。
メーカーはKIAだった。
アクセルを踏んでからの反応の遅いこと、ちょっと色々イライラする車だった。 -
自転車イベントはマンハッタンの真ん中を横切るので歩行者以上に車だと町の反対側に通れる場所が規制されていて、ということは当然のことながらどこでも渋滞・・・
ちょっとクイーンズ側に渡って国連ビルとか対岸から見て見たいなぁと思ったのだがこちらもあちらこちらで規制されていて、無駄にウロウロした舌だけに終わる。 -
あきらめてFRD(マンハッタン東側を走る高速)に入り北上。ここも反対車線は自転車自転車自転車。今時中国にもこんなに自転車ないよ、って思いたくなるほど。
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昨日も渡ったG.Washington Br.を渡り、ニュージャージー州へ、そしてこれまた昨日来たフォートリーへ。
フォートリーの中心街。Main St.の辺りは低層の商店が道の両側に並び、アメリカの古い町の形が残っている。 -
Fort Leeは今はなぜか韓国系住民が非常に多く、ここは韓国かと思うほどハングルが街に溢れ、リトルコリア状態だが、当時はNYと川を隔てただけで治安や環境が良かったこともあって、日本人駐在員に人気の住宅地だった。
真ん中に写っているマンションも日本駐在員沢山住んでいたなぁと思い出した。 -
今日のミッションは子供の頃、親の転勤の都合で約3年間住んでいたところを再訪する思い出巡り。
まずはアメリカに着いて1ヶ月仮滞在した家、と言っても家の裏側から入る地下室を間借りしていたのだが…家はすっかりリノベートされ当時の面影はほとんどなかった。 -
続いて向かったのはフォートリーミドルスクール(中学校)。
ここは補習校のJ校として土曜日借りて使われており、7ヶ月通った。
当時NY、NJエリアには日本人学校は小学校5年生からしかなく、小学校4年生までは平日の月~金は地元の学校に通い、土曜日だけ国語の授業を受けるために補習校と呼ばれる学校に通った。補習校は現地の学校を借りて授業をするので、契約によって場所が移動した。
NYNJエリアの補習校は所在地の頭文字を取って" "校と呼ばれW校、Q校、Y校とかあって、ニュージャージー州にあった補習校はN校とJ校だった。そのJ校として使われたのがここ。 -
中学校の正面
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校庭にいたアメリカで水鳥といえばこれ、っていうくらいよく見かけるカナディアングース。
しかしデカイ。 -
市内を南北に貫くAbbott blv.
中央緑地帯はかつてここを路面電車が走っていた名残。
フォートリーは崖の上にある町ですが、路面電車は崖を降りたフェリーターミナルまで走っていて、そこからマンハッタンへ結ばれていたようです。 -
最初の仮住まいの家は父親の前任者の引き継ぎが終わるまでの仮住まい。
そのごそこから徒歩20分くらいの町の中心部には近いところにあるそのあと1年住んでいた家。
この家はツー・ファミリータイプで、一階が共用の車庫と物置、二階と三階にそれぞれ別の家族が住むという家。 -
最初に通った小学校。Fort Lee No.1 Elementary School.
あとで日本語補習校のL校として使用され通うことになった。
当時は駐在員を派遣する日本企業も今よりずっと多く、フォートリーの日本人住民率は非常に高かった。
そのためAkiとかDaidoなど、日本の食料品店も存在した。
そんな環境だったこともあり、学校も1学年27人中7人が日本人という高日本人率だった。そのおかげで英語はおろかアルファベットで自分の名前を書くのがやっとの状態で現地校に放り込まれたが、前からいる子に通訳してもらったり、日本人の先生が配置されていてその先生から英語習ったり、ESL(English as a Second Language =日本人以外も含めた英語を母国語としない生徒向けの英語補習授業)などを受けて、1年でなんとか生活できるようにはなった。
(もっとも担任の先生は全く英語を理解しない生徒は放置して絵でも描いてろ的な扱いだったが…) -
フォートリーハイスクール。私は通っていなかったがここも補習校のN校として使われていた。
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フォートリーを出てハドソン川西岸を走る9Wを北上。5分も走れば森に覆われる
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住宅地のドッグウッドも綺麗
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住んでいたのはもう30年以上前だけど、地図も見なくてもフォートリーの次に
住んでいたHarrington Park という町に到着。
G.Washington Br.からは24km、車で30分強、マンハッタンのミッドタウンからは車で1時間くらいな位置関係。フォートリーは日本人が多すぎて一定以上は英語が上達しないこと、広い環境を求めて引っ越ししたのでした。 -
まずはリトルリーグで使っていたグランドへ。
今ここで野球やったら面白そう。町のボランティア組織がリクリエーションプログラムを運営していて、秋はサッカー、春はリトルリーグといったシーズン制で運動をしていた。 -
通っていたHarrington Park Public School。
この学校は一クラス20人が3クラス。で日本人は私一人。
ホームルームはクラスごとだが、英語と(あっちでは国語か)数学は成績順にクラスが分けられ鞄を持ってそのクラスで受ける。後に入った日本の高校でもそのシステムだったが、小学生のうちからそう言う扱いは日本じゃ考えられないだろうな。
アメリカの場合は学校は事実上コミュニティが運営しているので、そのコミュティの求める水準が学校教育にも反映される。とにかくこの学校は自分で考えることや調べることが要求された。
例えば地理の授業などは、日本のように地名や産業を全て覚えるのではなく、大陸ごとに国を選び、アジアから日本、そして一ヶ月徹底的にどんな暮らしをしているかとか学ぶ。で、アジアの他の国は自分でやって・・・的な教育だった。
そして後述のようにレポートがよく課せられた。 -
こちらは体育館兼ホールの外側
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町の従軍者を顕彰する碑。
第二次大戦では戦死者も出ていることが分かる。
横には朝鮮戦争やベトナム戦争の碑も -
学校の校庭
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グランドごしに校舎の反対側。
日本の学校ってフェンスで囲いたがるがこちらは至って開放的。 -
校庭に咲くdogwoodも綺麗
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通学路。
本当この時期は気持ち良い気候。と言っても6月で学校は終わってしまうし秋は早く過ぎて行くので、学校に行くときはいつも寒くて凍てついたイメージしかない。 -
Harrington Park Public Library.町立図書館。
5年生の時は月1ペースでレポートを書かなければならず、よく調べ物に来た。
レポートと言っても、例えば「水鳥」とかテーマを与えられ、1ヶ月かけて水鳥とはなんぞやとかについて調べて発表するというもの。結構エグエグでした。 -
町のメインストリート
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メインストリートを曲がり住んでいた家がある通りに入る
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ここが住んでいた家。
私にとってはわずか2年ほどだったけど想い出がいっぱい詰まっている。 -
何にもない町だけど、住むには最高の環境だと思った。家賃が会社持ちの駐在員だからこそではあるんですけど、かと言って例えばマンハッタンの真ん中のようなセレブとかではなく普通の人が住んでいる町だった。
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名残惜しいが帰国のために空港へ向かうことにする。
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町の境にある貯水池。この貯水池が来る時上空から見えたやつ。
町の面積の半分は貯水池や水源保護林が占める。それだけ田舎ってことなんだけど。 -
隣町のCloster。Harrington Parkはどちらかというと純粋住宅地で、お店と言ってもガソリンスタンドと薬局しかなかったのに対し、Closterは結構スーパーや小さなモール、レストランなんかもあった。
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よく行ったGrandUnionというスーパーで日用品をお土産に・・・と思っていたら潰れていた・・・
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南北を走る道に出るためにきつい坂道を登ります。そしてハドソン川沿いの高速道路で南下、再びフォートリーへ。
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JFKはNYの南東側、今いるのは北西側と対角線上。
取り急ぎNYサイドに渡るため、G.Washington Br.を渡ります。
橋の通過料金、住んでいた頃は2ドルだったのに今はなんと14ドル!料金徴収は東へ行く時だけなので実際往復分であり、例えば首都高の通行料金と比べれば、、、と思ってもかなりの上がり具合。 -
Iー95を東に走りブロンクスへ。このあたりかなり渋滞…
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Iー95から678に入り、ブロンクスとクイーンズを結ぶホワイトストーンブリッジを渡ります。またここでも7ドルの通行料金を取られる。NJから行くと橋の通行料だけで20ドル以上かかるので、レンタカーでNJからJFKまで片道行くとコスパは悪い…
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右手にメッツの本拠地、CitiスタジアムとかテニスのUSオープンの会場とか、NY万博跡地の地球儀とか見られてドライブとしては楽しいのだけど…
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ここまでも断続的に渋滞があったけど、ホワイトストーンブリッジを渡った先でかなりきつい渋滞に巻き込まれている。ナビの示す到着予定時刻はどんどん遅くなってしまう。NJを出る時間を逆算するにあたり、当初の余裕を持った出発時刻→押してしまいちょうどいい時間に→普通にギリギリとなってしまっていたのだが、このままではやばいと脂汗…
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こんなモスクも見えた。そういえば昔はNYにも中東系の人はあまり目立たなかったのに、近年目立って来た。モスクも昔からあったはあったのだろうけど、こんなには目立ってなかった気が…
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このペースではもう間に合わない…と観念したあたり流石に空港が近くなると渋滞もなくなり普通に走れた
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なんとかハーツに車返却…
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レンタカー施設から新交通システムで移動。
今はデルタのターミナルになっているけど、かつてはパンナムが使っていたターミナル。飛行機なのに車寄せのように機首が雨で濡れないようなデザインになっているのだが、出来たときはさぞ宇宙的に見えただろうな・・・ -
ANAが使用するターミナル7へはチェックイン時限に滑り込みセーフ。
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ラウンジはBAがアサイン。ニンジンしかない某社とは違い、さすがちゃんとしたラウンジでした。
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長いフライトもあっという間。夕方発の便は21時に成田到着。
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今回は短い期間だったけど、やはりNYは町を歩くだけで元気を与えてくれる町。
定期的にまた来たい・・・
そしてやはり自分が住んでいたNJサイドはただドライブするだけでも気持ちがよい。何があるわけではないけど、アメリカ北東部の良い所が揃っている感じがする。車でなんにもないただのアメリカの田舎を回るのもまたいつかやってみたいところ・・・
本編は普通の観光客は全く来ない、純粋に個人的な思い入れがあるところ巡りに終始したのにおつきあいして頂く形になりましたが、もう少し西に行くといくつも農場があり秋には新鮮なアップルサイダーが飲めたり、大規模なモールがあったり(NJはNYに比べると売上州税が安いのでお買い得)するので、万一興味を持たれたらこのエリアも行ってみて欲しいと思ったりして。
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