2016/10/23 - 2016/10/23
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hittoさん
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総社にある鬼ノ城
私が習ったのは663年の白村江の戦いで負けた朝廷が唐・新羅の連合軍が攻めてくるのではないかと恐れ、西日本各地に築いた古代山城の一つであるというものでした。
その他では、百済の王子で名を温羅(うら)という鬼神が吉備国にやって来て、備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼んだという説があります。
また、鬼ノ城の南に鬼退治で有名な吉備津神社があり、ここに大軍を率いて五十狭芹彦命が陣を敷いたと言う話もあり、この辺りには矢喰宮があり、その脇には血吸川が流れ、血吸川を鯉となって逃げる温羅を噛み上げたところには鯉喰神社が現存します。他にも楯突遺跡、阿曽の郷、鬼の岩屋など、この鬼退治の神話に関する遺跡や神社が数多くあります。
何ともロマンあふれるはなしですが、一度ここを訪れないと話にならないと今回、鬼ノ城を目指しました。
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鬼ノ城の概略図です
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鬼ノ城ビジターセンターに着きました。
ここに来るには細い一本道を頂上付近まで登ってくる必要があり、市街地からは遠いです。
この鬼ノ城の場所は総社市の南西に位置し、岡山市と倉敷市の境にも近いです。 -
鬼ノ城ビジターセンター前に設置してある案内看板です。
みて判るとおりかなり広い範囲に史跡が点在しています。
城壁は山の外壁を2.8Kmにわたって取り囲んでおり、城内の面積は約30ヘクタールだそうです。 -
ビジターセンターから城壁までかなりの距離を登らなければなりません。それもかなり急傾斜で皆さんストックや登り口に置いてある杖をついて歩いています。
やっと、城壁が見えてきました。左の建物が西門で左の土壁が角楼になります。ここまで600mあります。 -
角楼です。
防御設備であり、基礎部分は石積みでその上を土塁で固めてあります。
屋根づたいに攻められることを防ぐため、城壁から長方形に張り出しています。 -
西門
門の上に建物があったかどうか確認されていないそうですが、歴史考証から建てられたそうです。
角楼に戻り、坂を登って時計回りに歩きますが、どうも一般的な散策コースを逆に回っているのか多くの人とすれ違います。
もう引き返すわけにも行かずこのまま北門を目指します。 -
600m程歩いて北門に着きました。
この門は西門に比べて少し小さいようです。 -
散策コースを歩いているとこんな大きな石がゴロゴロとしています。
石垣はこうした石を加工して使用したのかとか考えながら進みます。
屏風折れの石垣を過ぎた所に鍛冶工房跡がありますが、写真の説明と現地が違いすぎてよくわかりません -
北門から650m位で鬼ノ城で最も有名な高石垣である屏風折れの石垣に出ました。
大きく突き出ておりさながら真田丸のようで、ここから見張ると東門との間の守備は鉄壁かと感じます。 -
こんな急傾斜に石垣を築いています。
石の加工には鉄を使ったと想像されていますが、組み上げるのはどうしたんでしょうか。 -
屏風折れの石垣から600m程で東門に出ます。
この東門の辺りの傾斜がきつく、門があっても道の形跡もなく、いったい何のための門かと考えさせられます。 -
先を見ると高いところに人が立っています。かなり登ることになりそうです。
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城壁の内側は石が敷き詰めてあります。これは歩くためと雨水で城壁が崩れないようにしているとか
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西門が見えます。
あれれ、南門はどこにいったのか? -
西門です。
門の外には城壁に沿って道があります。
この建物は復元と言いながら、柱が綺麗すぎでは?
やっぱり柱は釿がけでないと -
鬼ノ城を下りると砂川公園があります。
登るときには多くの人がバーベキューしたりテントを張っていました。 -
ここはウォータースライダーがあり、子供が遊んでいます。
今日はよく歩いたので、これで帰ります。
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