ピサ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ピサの斜塔で有名な、ピサのドゥオモ広場(Piazza del Duomo)に行ってきました。この広場は1987年にユネスコ世界文化遺産に登録され、これには鐘楼(Campanile)である斜塔(Torre)の他に大聖堂(Cattedrale)、洗礼堂(Battistero)、墓所回廊(Camposanto)が含まれます。建設時期は11~14世紀です。ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が落下の法則を発見したと言われていた(実は間違い)斜塔をこの見ることは、私の十代の頃からの夢でした。なお、大聖堂内部の撮影はフラッシュ禁止でしたので、写真は不鮮明です。ご容赦ください。<br /><br />なるべく多くの皆さんのお役に立つよう、ピサのドゥオモ広場に関連する情報を最後の付録に纏めました。興味と時間がある方はご覧ください。<br />

イタリア 白亜のピサ大聖堂・洗礼堂・斜塔

229いいね!

2014/05/06 - 2014/05/06

5位(同エリア699件中)

6

38

bunbun

bunbunさん

ピサの斜塔で有名な、ピサのドゥオモ広場(Piazza del Duomo)に行ってきました。この広場は1987年にユネスコ世界文化遺産に登録され、これには鐘楼(Campanile)である斜塔(Torre)の他に大聖堂(Cattedrale)、洗礼堂(Battistero)、墓所回廊(Camposanto)が含まれます。建設時期は11~14世紀です。ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が落下の法則を発見したと言われていた(実は間違い)斜塔をこの見ることは、私の十代の頃からの夢でした。なお、大聖堂内部の撮影はフラッシュ禁止でしたので、写真は不鮮明です。ご容赦ください。

なるべく多くの皆さんのお役に立つよう、ピサのドゥオモ広場に関連する情報を最後の付録に纏めました。興味と時間がある方はご覧ください。

PR

  • 駐車場からドゥオモ広場入口まではちょっと距離があるため、このようなトロッコ自動車で移動しました。

    駐車場からドゥオモ広場入口まではちょっと距離があるため、このようなトロッコ自動車で移動しました。

  • 入口に着きました。工事車両が邪魔をして中央のサンタ・マリア門は使えなかったため、横の少し小さい門から覗いてみました。ピサの斜塔が見えます。

    入口に着きました。工事車両が邪魔をして中央のサンタ・マリア門は使えなかったため、横の少し小さい門から覗いてみました。ピサの斜塔が見えます。

  • 門から広場に入ります。ドゥオモ広場の全貌が見えてきました。

    門から広場に入ります。ドゥオモ広場の全貌が見えてきました。

  • 入ったところにある説明書きです。意訳すると「ユネスコ世界遺産であるピサのドゥオモ広場は、緑の芝生とその上全体に広がった建物群という独特の形態をとっています。全ての記念すべき建物は緊密に関連し、私たちが引き継いだ千年の文化を物語っています。それらは単一の設計理念、キリスト教寓話の象徴、天と地の会話、異なる民族、文化、言語の出会いによって、海運都市国家ピサに発展した1つのスタイルを示しています。・・・入場者に感謝を込めて、入場料は全てこの特別な、歴史的な、そして芸術的な遺産を保全するために使われています。」と言った感じです。

    入ったところにある説明書きです。意訳すると「ユネスコ世界遺産であるピサのドゥオモ広場は、緑の芝生とその上全体に広がった建物群という独特の形態をとっています。全ての記念すべき建物は緊密に関連し、私たちが引き継いだ千年の文化を物語っています。それらは単一の設計理念、キリスト教寓話の象徴、天と地の会話、異なる民族、文化、言語の出会いによって、海運都市国家ピサに発展した1つのスタイルを示しています。・・・入場者に感謝を込めて、入場料は全てこの特別な、歴史的な、そして芸術的な遺産を保全するために使われています。」と言った感じです。

  • ドゥオモ広場。手前円形の建物は洗礼堂、奥のドームを有する大きな建物は大聖堂、その右側はもちろん斜塔、洗礼堂背後にその一部が見えるのが墓所回廊です。芝生の緑、建物の白、空の青、雲の白が何とも美しい色彩のハーモニーを醸し出しています。芝生には大別して日本芝と西洋芝がありますが、ここで使われている芝は当然のことながら西洋芝です。日本芝は冬その葉が枯れますが、西洋芝は年間を通して緑を保ちますので、この景観は冬でも楽しめると思います。残念ながら生育条件の関係で西洋芝は日本には向きません。ドゥオモ広場全体を見るには、この位置が一番いいと思いますが、付録3にも書きましたように大聖堂の豪華なファサードは西向きですので、スケジュールが合えば見学は午後の方がよろしいかと思います。私たちの訪問は午前でしたが、それでもこれだけ綺麗には見えます。

    ドゥオモ広場。手前円形の建物は洗礼堂、奥のドームを有する大きな建物は大聖堂、その右側はもちろん斜塔、洗礼堂背後にその一部が見えるのが墓所回廊です。芝生の緑、建物の白、空の青、雲の白が何とも美しい色彩のハーモニーを醸し出しています。芝生には大別して日本芝と西洋芝がありますが、ここで使われている芝は当然のことながら西洋芝です。日本芝は冬その葉が枯れますが、西洋芝は年間を通して緑を保ちますので、この景観は冬でも楽しめると思います。残念ながら生育条件の関係で西洋芝は日本には向きません。ドゥオモ広場全体を見るには、この位置が一番いいと思いますが、付録3にも書きましたように大聖堂の豪華なファサードは西向きですので、スケジュールが合えば見学は午後の方がよろしいかと思います。私たちの訪問は午前でしたが、それでもこれだけ綺麗には見えます。

  • ピサの斜塔。ピサ・ロマネスク様式(後述)の大理石の塔で大聖堂の鐘楼として1172年に着工されました。設計は長年ボナンノ・ピサーノ(Monanno Pisano)がグリエルモ・ディンスブルク(Guglielmo)の協力のもとに進めたと考えられていましたが、最近の研究ではその設計様式から、設計者はディオティサルヴェ(Diotisalve)ではないかとも言われており、決着は未だについておりません(詳細は省略します)。1178年、この時3階まで完成したところで沈下が始まったため工事はいったん中断されます。この沈下は20年ほどで落ち着きますが、その後ピサはジェノバ、ルッカ、フィレンツェとの戦争を約1世紀に渡って続けたため(付録4参照)、工事が再開されたのは1272年で、ここからの設計者はジョヴァンニ・ディ・シモーネ(Giovanni di Simone)となります。このとき傾いた完成部分の上に鉛直に上階が建設されたため、塔は曲がったものになりました。この建設はピサがメロリア(Meloria)の戦いでジェノバに破れた1284年に再び中断されます。その後1319年にトンマーゾ・ディ・アンドレア・ピザーノ(Tommaso di Andrea Pisano)によって7階が完成しました。塔の傾きはその後も収まりませんでしたが、最上階として階下のロマネスク様式にゴシック様式を取り入れた鐘楼室を鉛直に建設し、すべてが完成したのは1372年です。この塔は本来100m以上の高さを予定されていましたが、傾斜のために約半分の高さでの完成を余儀なくされたといわれております。<br />完成した塔は白大理石(付録2参照)を用いた円筒形の8階建てで、階段は297段(数え方によっては293~196段)あり、重量は14,453トン、地盤にかかる平均応力(1平方メートル当たりの力)は50.7tf/m2(tfは力の単位でton-forceの略、日本語では「重量トン」と言います。)と見積もられています。外約17m、内径は約4.5m。高さは北側で54.8m南側で 55.65m、現在は南へ向かって3.99度傾いています。塔の南側の地盤沈下は2.4mです。<br />

    ピサの斜塔。ピサ・ロマネスク様式(後述)の大理石の塔で大聖堂の鐘楼として1172年に着工されました。設計は長年ボナンノ・ピサーノ(Monanno Pisano)がグリエルモ・ディンスブルク(Guglielmo)の協力のもとに進めたと考えられていましたが、最近の研究ではその設計様式から、設計者はディオティサルヴェ(Diotisalve)ではないかとも言われており、決着は未だについておりません(詳細は省略します)。1178年、この時3階まで完成したところで沈下が始まったため工事はいったん中断されます。この沈下は20年ほどで落ち着きますが、その後ピサはジェノバ、ルッカ、フィレンツェとの戦争を約1世紀に渡って続けたため(付録4参照)、工事が再開されたのは1272年で、ここからの設計者はジョヴァンニ・ディ・シモーネ(Giovanni di Simone)となります。このとき傾いた完成部分の上に鉛直に上階が建設されたため、塔は曲がったものになりました。この建設はピサがメロリア(Meloria)の戦いでジェノバに破れた1284年に再び中断されます。その後1319年にトンマーゾ・ディ・アンドレア・ピザーノ(Tommaso di Andrea Pisano)によって7階が完成しました。塔の傾きはその後も収まりませんでしたが、最上階として階下のロマネスク様式にゴシック様式を取り入れた鐘楼室を鉛直に建設し、すべてが完成したのは1372年です。この塔は本来100m以上の高さを予定されていましたが、傾斜のために約半分の高さでの完成を余儀なくされたといわれております。
    完成した塔は白大理石(付録2参照)を用いた円筒形の8階建てで、階段は297段(数え方によっては293~196段)あり、重量は14,453トン、地盤にかかる平均応力(1平方メートル当たりの力)は50.7tf/m2(tfは力の単位でton-forceの略、日本語では「重量トン」と言います。)と見積もられています。外約17m、内径は約4.5m。高さは北側で54.8m南側で 55.65m、現在は南へ向かって3.99度傾いています。塔の南側の地盤沈下は2.4mです。

  • 塔は完成後も傾き続け、その傾きが5.5度に達して倒壊の危機が迫ったため、1990年から公開を中止して改修工事が始まりました。修工法には世界各国の建設会社から、薬液による地盤改良、傾きと反対側へのカウンター・バランスの設定等、様々な提案がなされました。この写真は800トンの鉛をカウンター・バランスとして載せて時のものです。<br />Lead counterweights (Dec.13, 2014, 2:08 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from<br />http://en.wikipedia.org/wiki/Leaning_Tower_of_Pisa<br />Photo taken by Rolf Gebhardt, in Summer 1998<br />Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled GNU Free Documentation License.<br />This file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported, 2.5 Generic, 2.0 Generic and 1.0 Generic license.<br />You are free: <br />?	to share ? to copy, distribute and transmit the work<br />?	to remix ? to adapt the work<br />Under the following conditions: <br />?	attribution ? You must attribute the work in the manner specified by the author or licensor (but not in any way that suggests that they endorse you or your use of the work).<br />?	share alike ? If you alter, transform, or build upon this work, you may distribute the resulting work only under the same or similar license to this one.<br /><br />しかしながら、この手法では解決できず、最終的に北側の地盤を77トン掘削するという工法によって、傾きは4度まで減少して10年間にわたる作業が終了し公開が再開されました。この掘削は2008年にも行われ、70トンの土が除去されております。<br />

    塔は完成後も傾き続け、その傾きが5.5度に達して倒壊の危機が迫ったため、1990年から公開を中止して改修工事が始まりました。修工法には世界各国の建設会社から、薬液による地盤改良、傾きと反対側へのカウンター・バランスの設定等、様々な提案がなされました。この写真は800トンの鉛をカウンター・バランスとして載せて時のものです。
    Lead counterweights (Dec.13, 2014, 2:08 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from
    http://en.wikipedia.org/wiki/Leaning_Tower_of_Pisa
    Photo taken by Rolf Gebhardt, in Summer 1998
    Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled GNU Free Documentation License.
    This file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported, 2.5 Generic, 2.0 Generic and 1.0 Generic license.
    You are free:
    ? to share ? to copy, distribute and transmit the work
    ? to remix ? to adapt the work
    Under the following conditions:
    ? attribution ? You must attribute the work in the manner specified by the author or licensor (but not in any way that suggests that they endorse you or your use of the work).
    ? share alike ? If you alter, transform, or build upon this work, you may distribute the resulting work only under the same or similar license to this one.

    しかしながら、この手法では解決できず、最終的に北側の地盤を77トン掘削するという工法によって、傾きは4度まで減少して10年間にわたる作業が終了し公開が再開されました。この掘削は2008年にも行われ、70トンの土が除去されております。

  • 塔の内部に入りました。塔の傾斜を防ぐために荷重制限がり、予約制で30分に30人しか登れません。このため、自分のグループをどうしても早く入らせたい、モラルのない外国の一部のガイドさんは割り込もうとします。しかし、日本人のガイドさんはしっかりしていて、喧嘩をしてでも割り込みを防ぎますので、安心です。中は内径約4.5mの空洞で、鉛直測定器(大工さんが使う紐の先に重りをつけたもの。今の大工さんはレーザーでしょうか?)が置かれており、塔の傾きを常時監視しています。

    塔の内部に入りました。塔の傾斜を防ぐために荷重制限がり、予約制で30分に30人しか登れません。このため、自分のグループをどうしても早く入らせたい、モラルのない外国の一部のガイドさんは割り込もうとします。しかし、日本人のガイドさんはしっかりしていて、喧嘩をしてでも割り込みを防ぎますので、安心です。中は内径約4.5mの空洞で、鉛直測定器(大工さんが使う紐の先に重りをつけたもの。今の大工さんはレーザーでしょうか?)が置かれており、塔の傾きを常時監視しています。

  • 塔に登るらせん階段。大理石製で多くの人の登り降りしたため、すり減っています。

    塔に登るらせん階段。大理石製で多くの人の登り降りしたため、すり減っています。

  • 斜塔最上階からの眺望。出前に大聖堂、その向こうに洗礼堂、左側には緑の芝生、そして青い空が美しく見えます。大聖堂の屋根は鉛で、茶色の部分は錆(酸化鉛)、白い分は錆による劣化がひどい部分を新しいものに交換したものと思われます。

    斜塔最上階からの眺望。出前に大聖堂、その向こうに洗礼堂、左側には緑の芝生、そして青い空が美しく見えます。大聖堂の屋根は鉛で、茶色の部分は錆(酸化鉛)、白い分は錆による劣化がひどい部分を新しいものに交換したものと思われます。

  • 斜塔最上階からの眺望。下を見ると人は蟻のように小さく見えます。また、翼廊から大聖堂への入口も見えます。

    斜塔最上階からの眺望。下を見ると人は蟻のように小さく見えます。また、翼廊から大聖堂への入口も見えます。

  • 斜塔最上階からの眺望。視野を右に移すと墓所回廊も見えます。

    斜塔最上階からの眺望。視野を右に移すと墓所回廊も見えます。

  • 鐘楼室の鐘(campana)。材質は青銅(銅と錫の合金)、緑色は緑青(酸化銅)でしょう。

    鐘楼室の鐘(campana)。材質は青銅(銅と錫の合金)、緑色は緑青(酸化銅)でしょう。

  • 鐘楼室の鐘。パノラマ撮影し、2等分して上下に重ねました。右上から左下へと続きます。鐘の数は全部で7個あります。これらの鐘の音程は西洋音楽の1オクターブ8音程のうちダブりを除いた7音程(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)となります。このうち最大の鐘は塔が完成してから約300年後の1655年に取り付けられました。鐘の音の振動は塔のとってよくないので、重要なミサの時にしか鳴らさないそうです。

    鐘楼室の鐘。パノラマ撮影し、2等分して上下に重ねました。右上から左下へと続きます。鐘の数は全部で7個あります。これらの鐘の音程は西洋音楽の1オクターブ8音程のうちダブりを除いた7音程(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)となります。このうち最大の鐘は塔が完成してから約300年後の1655年に取り付けられました。鐘の音の振動は塔のとってよくないので、重要なミサの時にしか鳴らさないそうです。

  • 大聖堂(右)、洗礼堂(中央)、墓所回廊。青い空、白い洗礼堂、緑の芝生が美しい。

    大聖堂(右)、洗礼堂(中央)、墓所回廊。青い空、白い洗礼堂、緑の芝生が美しい。

  • 東側から見た斜塔。午前中は順光(もしくは斜光)となるこの方向からが美しい。

    東側から見た斜塔。午前中は順光(もしくは斜光)となるこの方向からが美しい。

  • みんながこんな格好で写真を撮ってましたので、私も真似をしてみました。

    みんながこんな格好で写真を撮ってましたので、私も真似をしてみました。

  • 洗礼堂、大聖堂、墓所回廊の一部。

    洗礼堂、大聖堂、墓所回廊の一部。

  • 洗礼堂と大聖堂。

    洗礼堂と大聖堂。

  • 大聖堂。都市国家ピサが、パレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念し、聖母マリアに捧げることを目的に、ギリシャ人建築家ブラスケトスの指導のもとに1063年設計・着工され、12世紀になってライナルドに引き継がれて、1118年に奉納されました。しかし、円蓋が取り付けられて大聖堂全体の完成したのは14世紀のことです。奥行き約95m、幅約32mです。外観はビザンチンのモザイク、イスラムの尖塔アーチ、古代ローマの列柱などの各種建築様式が融合されています。

    大聖堂。都市国家ピサが、パレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念し、聖母マリアに捧げることを目的に、ギリシャ人建築家ブラスケトスの指導のもとに1063年設計・着工され、12世紀になってライナルドに引き継がれて、1118年に奉納されました。しかし、円蓋が取り付けられて大聖堂全体の完成したのは14世紀のことです。奥行き約95m、幅約32mです。外観はビザンチンのモザイク、イスラムの尖塔アーチ、古代ローマの列柱などの各種建築様式が融合されています。

  • 下から見上げたファサード。ライナルドの設計よる。最下層部には開口部がないアーチ(ブラインド・アーケード)と菱形模様で飾られています。ファサード全面には無数のアーチが5段にわたって整然と並び、2段目から上にはそのアーチとアーチを支えるかのように優美な柱が並んでいますが、実際にはこれらの柱は飾りであり、建物を支えている訳ではないそうです。しかし、私見を言わせてもらえば、これらの柱は構造力学的に見て、壁を補強しているだろう、というのが私の感想です。この無数の柱が建物全体に軽快さを与え、建物全体にレース模様を施したような優美さを感じさせています。これら、壁面を飾る列柱、ブラインド・アーケード、菱形模様がピサ・ロマネスク様式の一番大きな特徴と言えるでしょう。

    下から見上げたファサード。ライナルドの設計よる。最下層部には開口部がないアーチ(ブラインド・アーケード)と菱形模様で飾られています。ファサード全面には無数のアーチが5段にわたって整然と並び、2段目から上にはそのアーチとアーチを支えるかのように優美な柱が並んでいますが、実際にはこれらの柱は飾りであり、建物を支えている訳ではないそうです。しかし、私見を言わせてもらえば、これらの柱は構造力学的に見て、壁を補強しているだろう、というのが私の感想です。この無数の柱が建物全体に軽快さを与え、建物全体にレース模様を施したような優美さを感じさせています。これら、壁面を飾る列柱、ブラインド・アーケード、菱形模様がピサ・ロマネスク様式の一番大きな特徴と言えるでしょう。

  • 正面には三つの入り口があり、それぞれブロンズの扉が設置されています。これらは、十七世紀の初めにジャンボローニャ派の彫刻家が作ったものです。扉のレリーフは、聖母の生涯(中央扉)とイエスの生涯(左右の扉)を描いています。扉の上のルネッタはモザイクで装飾されていますが、中央と左のもの(聖レパラータと聖母)は、プラートのアントニオ・マリーニのデザインを元に、右のもの(洗礼者ヨハネ)はフィレンツェのアレッシオ・バルドヴィネッティが1467年に作ったオリジナルを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

    正面には三つの入り口があり、それぞれブロンズの扉が設置されています。これらは、十七世紀の初めにジャンボローニャ派の彫刻家が作ったものです。扉のレリーフは、聖母の生涯(中央扉)とイエスの生涯(左右の扉)を描いています。扉の上のルネッタはモザイクで装飾されていますが、中央と左のもの(聖レパラータと聖母)は、プラートのアントニオ・マリーニのデザインを元に、右のもの(洗礼者ヨハネ)はフィレンツェのアレッシオ・バルドヴィネッティが1467年に作ったオリジナルを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

  • ファサード中央の入り口。ブロンズ製ドアのレリーフは、聖母の生涯を描いています。

    ファサード中央の入り口。ブロンズ製ドアのレリーフは、聖母の生涯を描いています。

  • ファサード中央扉上部。半円形部分のモザイクは、「聖母と4天使」です。プラートのアントニオ・マリーニのデザインを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

    ファサード中央扉上部。半円形部分のモザイクは、「聖母と4天使」です。プラートのアントニオ・マリーニのデザインを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

  • ファサード左扉上部。半円形部分のモザイクは、「聖女レパラータ」です。デザインおよび作者は中央の「聖母と4天使」と同じです。

    ファサード左扉上部。半円形部分のモザイクは、「聖女レパラータ」です。デザインおよび作者は中央の「聖母と4天使」と同じです。

  • ファサード右扉上部。半円形部分のモザイクは、「洗礼者ヨハネ」です。フィレンツェのアレッシオ・バルドヴィネッティが1467年に作ったオリジナルを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

    ファサード右扉上部。半円形部分のモザイクは、「洗礼者ヨハネ」です。フィレンツェのアレッシオ・バルドヴィネッティが1467年に作ったオリジナルを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。

  • 洗礼堂。1152年にピサの芸術家ディオティサルヴィにより着工。1層目は向かい合う大聖堂のファサードと同じ列柱回廊で飾られ、1260年からは二コラ・ピサーノが二層目の建築を始め、ピナクル(小尖塔)とペディメント(三角形の切妻壁)が繊細なレース模様のように重なり合うゴシック様式に仕上げました。三層目は、20の窓と、二層目のそれに呼応する三角形の装飾で特徴付けられています。丸屋根が建築されたのは十四世紀のことで、屋根の半分は素焼きの赤い瓦、半分は大聖堂の屋根同様鉛の板で葺かれています。直径系約35m、高さは頂点の像を除いて約55メートルで、建築様式の移り変わりを反映してピサ・ロマネスク様式とゴシック様式で構成された建物となっています。

    洗礼堂。1152年にピサの芸術家ディオティサルヴィにより着工。1層目は向かい合う大聖堂のファサードと同じ列柱回廊で飾られ、1260年からは二コラ・ピサーノが二層目の建築を始め、ピナクル(小尖塔)とペディメント(三角形の切妻壁)が繊細なレース模様のように重なり合うゴシック様式に仕上げました。三層目は、20の窓と、二層目のそれに呼応する三角形の装飾で特徴付けられています。丸屋根が建築されたのは十四世紀のことで、屋根の半分は素焼きの赤い瓦、半分は大聖堂の屋根同様鉛の板で葺かれています。直径系約35m、高さは頂点の像を除いて約55メートルで、建築様式の移り変わりを反映してピサ・ロマネスク様式とゴシック様式で構成された建物となっています。

  • 三角形の中にある聖母や、聖人、預言者、福音書記者の胸像。肖像の製作には、二コラ・ピサーノの他に息子のジョヴァンニ・ピザーノらも加わっています。しかし、オリジナルの大部分はオペラ・デル・ドゥオーモ博物館に収蔵されていて、現在残っているものっているものはほとんどが十九世紀の修復のときに作られたものです。三角形の頂点には聖人の像が置かれています。

    三角形の中にある聖母や、聖人、預言者、福音書記者の胸像。肖像の製作には、二コラ・ピサーノの他に息子のジョヴァンニ・ピザーノらも加わっています。しかし、オリジナルの大部分はオペラ・デル・ドゥオーモ博物館に収蔵されていて、現在残っているものっているものはほとんどが十九世紀の修復のときに作られたものです。三角形の頂点には聖人の像が置かれています。

  • 洗礼堂入口。扉の上にピサーノ作の聖母子像があります。

    洗礼堂入口。扉の上にピサーノ作の聖母子像があります。

  • 洗礼堂の頂点に立つ洗礼者ヨハネの像。シエナの彫刻家トゥリーノ・ディ・サーノの手によるものとされています。

    洗礼堂の頂点に立つ洗礼者ヨハネの像。シエナの彫刻家トゥリーノ・ディ・サーノの手によるものとされています。

  • 大聖堂内部。入り口から後陣(アプス、apse)方向を望む。この大聖堂は左右の側廊各2廊、中央の身廊1廊、計5廊式になっており、この構造を支えるのに68本の柱が使われています。これらの柱はコリント式で、その円柱の多くはパレルモの古代遺跡から戦利品として運ばれたものともいわれ、内装にはビサンティン様式の影響やイスラムの影響など様々なスタイルが融合しています。

    大聖堂内部。入り口から後陣(アプス、apse)方向を望む。この大聖堂は左右の側廊各2廊、中央の身廊1廊、計5廊式になっており、この構造を支えるのに68本の柱が使われています。これらの柱はコリント式で、その円柱の多くはパレルモの古代遺跡から戦利品として運ばれたものともいわれ、内装にはビサンティン様式の影響やイスラムの影響など様々なスタイルが融合しています。

  • 後陣。丸天井にはモザイク画は「玉座のキリスト」で、キリストと洗礼者聖ヨハネ、聖母マリアが描かれています。この作品は、フィレンツェの画家、ピエトロ・チマブーエ(Pietro Cimabue、1240頃~1302頃)の作品といわれていますが、真偽のほどはさだかではありません。<br />天井から吊り下げされているシャンデリアは、ガリレオが振り子の等時性を発見したとの逸話が残る「ガリレオのランプ」です。(付録5参照)<br />

    後陣。丸天井にはモザイク画は「玉座のキリスト」で、キリストと洗礼者聖ヨハネ、聖母マリアが描かれています。この作品は、フィレンツェの画家、ピエトロ・チマブーエ(Pietro Cimabue、1240頃~1302頃)の作品といわれていますが、真偽のほどはさだかではありません。
    天井から吊り下げされているシャンデリアは、ガリレオが振り子の等時性を発見したとの逸話が残る「ガリレオのランプ」です。(付録5参照)

  • 大聖堂の天井。この天井はコッファーと呼ばれる形式で、周期的な枠の中に平面が埋め込まれていることを特徴とし、その起源は古代ギリシャ・ローマ時代にさかのぼります。大聖堂は1595年に火災に遭い、そのとき天井を含む一部が被害を受けました。その後、再建させたのが、当時衰退したピサの支配者になっていたフィレンツェのメディチ家です。そのため、メディチ家の紋章が取り付けられています。

    大聖堂の天井。この天井はコッファーと呼ばれる形式で、周期的な枠の中に平面が埋め込まれていることを特徴とし、その起源は古代ギリシャ・ローマ時代にさかのぼります。大聖堂は1595年に火災に遭い、そのとき天井を含む一部が被害を受けました。その後、再建させたのが、当時衰退したピサの支配者になっていたフィレンツェのメディチ家です。そのため、メディチ家の紋章が取り付けられています。

  • メディチ家の紋章。

    メディチ家の紋章。

  • 北翼廊祭壇。サン・ラニエーリ礼拝堂。大聖堂の南北の翼廊は、一つの堂内にありながら独立した付属教会堂となっています。今なおピサの人々に深く崇拝されているピサの守護聖人聖ラニエリ(Ranieri)の聖遺骸は透明な棺に治められています。

    北翼廊祭壇。サン・ラニエーリ礼拝堂。大聖堂の南北の翼廊は、一つの堂内にありながら独立した付属教会堂となっています。今なおピサの人々に深く崇拝されているピサの守護聖人聖ラニエリ(Ranieri)の聖遺骸は透明な棺に治められています。

  • 説教壇。ジョヴァンニ・ピサーノ(Giomanni Pisano, 1250年頃 - 1315年頃)によって、1302~1311年にかけて作られたイタリア・ゴシック彫刻の傑作で、8枚のパネルを6本の円柱と人物像の彫られた5本の柱が支える造りとなっており、中央の柱には信仰、希望、慈愛を表す擬人像が彫られています。パネルには聖書の場面が浮き彫りで施され、その主題は「洗礼者ヨハネの誕生」「受胎告知」「マリアのエリザベト訪問」「キリスト降誕」「キリストの公現」「神殿奉献」「嬰児虐殺」「受難」「磔刑」「最後の審判」などです。

    説教壇。ジョヴァンニ・ピサーノ(Giomanni Pisano, 1250年頃 - 1315年頃)によって、1302~1311年にかけて作られたイタリア・ゴシック彫刻の傑作で、8枚のパネルを6本の円柱と人物像の彫られた5本の柱が支える造りとなっており、中央の柱には信仰、希望、慈愛を表す擬人像が彫られています。パネルには聖書の場面が浮き彫りで施され、その主題は「洗礼者ヨハネの誕生」「受胎告知」「マリアのエリザベト訪問」「キリスト降誕」「キリストの公現」「神殿奉献」「嬰児虐殺」「受難」「磔刑」「最後の審判」などです。

  • 南翼廊祭壇。

    南翼廊祭壇。

  • アーリベデルチ(さようなら)ピサ。<br /><br />付録<br />1.地形<br />アルノ川の運んだ土砂で形成された沖積平野で、地盤は軟弱です。大聖堂が建設された15世紀当時、ピサはアルノ川河口付近にありましたが、その後もアルノ川によって海岸の陸地化が進み、現在はリグリア海からおよそ10kmの位置にあります。<br /><br />2.建築材料<br />主たる建築材料は大理石で、産地は世界最大の大理石産地、ピサの北北西約30kmにあるカッラーラ(Carrara)です。大理石と言っても様々な種類がありますが、純白な代理石は方解石(炭酸カルシウム)の微結晶からできています。方解石は透明なのに何故白なのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、透明な氷の微結晶からなる雪や透明な塩(塩化ナトリウム)の微結晶が白く見えるのと同じ原理です。カッラーラの純白の大理石はカッラーラ・ビアンコ(Carrara Bianco、白のカッラーラ。Bianco はイタリア語で「白の」の意味)として有名で、切削がしやすく、磨くとつやがでるため、ミケレンジェロの彫刻であるバチカンのピエタや、フィレンツェ、アカデミア美術館のダビデ像等、世界中の多くの彫刻材料や建築材料に使われています。炭酸カルシウムの炭素やカルシウムの一部もしくは全部が他の元素で置換されたり、他の岩石が混入すると、大理石は灰色、黒、緑、黄、赤積褐色等、様々な色をもちます。カッラーラ産の大理石の多くは、白地に淡青灰色の縞や斑点があり、ピサのドゥオモ広場の建物にはこの大理石が多く使われています。<br /><br />3.建築様式<br />この時代の代表的な建築様式にはロマネスク様式(10~12世紀)、ゴシック様式(12~15世紀)があり、ピサのドゥオモ広場の建物はこの様式の移行期に建設されています。ロマネスク様式の特徴は上から見た形がラテン十字の形であること、天井を石造りのヴォールト(かまぼこ型の天井)で覆ったこと、半円形のアーチを多用したことです。しかし、重いヴォールトを支えるために壁の強度を強くしなければならず、壁は厚く、窓を広く取れませんでした。これに対しゴシック様式は、尖塔、尖頭アーチ、飛梁(外壁補強のために建物の外側にアーチ状に設置された柱です。多分、皆さんに最もなじみ深いのはパリ、ノートルダム大聖堂の飛梁でしょう。)、リブ・ヴォールド(円筒状アーチの対角線をリブで補強したもの)などの特徴を有していて、ロマネスク様式よりも壁の強度を弱く取れたため、窓が広く取れ、ステンドグラスが設置できるようになりました。当時の人々は識字率が低く、聖書を読むことができなかったため、その内容をロマネスク様式ではフレスコ画やレリーフで、ゴシック様式ではステンドグラスで示されています。ピサ大聖堂はロマネスク様式の範疇でピサ・ロマネスク様式と呼ばれていますが、ローマ時代の建築、ビザンチン建築、ゴシック建築の影響も受けております。<br /> ヨーロッパの殆どの教会は、聖地エルサレムに向かってミサを行うため、東がわに祭壇を置きます。すると祭壇の反対側となる入り口:ファサード(正面)は西向きとなります。このファサードは人々の一番目につき位置にあるため、最も豪華に造られています。ではアメリカでの向きはどうかというと、後の時代にヨーロッパの教会をまねて造られたため、ヨーロッパと同じ方向関係にあります。<br /><br />4.政治<br />このころの中北部イタリアは神聖ローマ帝国の傘下にありましたが、海運や商業で繁栄したピサ、ヴェネツィア、フィレンツェ等は、実質的に独立した政治的権限をもつ都市国家を形成しており、時折都市国家間の紛争もありました。<br /><br />5.ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei,1564-1642)<br />あまりにも有名な物理学者で、膨大な業績があり、その概略を書くだけでもとてもスペースがたりませんので、ここではピサに関係する部分だけを記します。詳細を知りたい方は、ネットや伝記はもちろんですが、フィレンツェのガリレオ博物館(Museo Galileo、2010年、科学史研究博物館(Istituto e Museo di Storia della Scineza)から改名)を見学されるのがよろしいかと思います。<br />ピサに生まれ、1581年にピサ大学に入学しますが、1585年に退学します。1589にピサ大学教授となり、1592年にはパドヴァ大学には移ります。ピサとガリレオの関係で有名な逸話は、ピサの斜塔から質量の異なる2つの金属球を同時に落し、同時に着地することから落下の法則を発見した、ピサ大聖堂で揺れるシャンデリアをみて振り子の等時性を発見した、ですが、これらはガリレオの晩年の助手であるヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ (Vincenzo Viviani)がガリレオの功績を誇張するために「ガリレオ伝」に書き加えた逸話だ、とういのが現在の科学史の共通認識です。ただし、振り子の等時性をこの教会で発見していた、というのは事実のようですが、ガリレオが見たのは現在のシャンデリアではなく、当時のものはドゥオモ広場内の保管庫に保存されているそうです。落下の法則の最初の発見者は、フランドル(現ベルギー)のシモン・ステヴィン(Simon Stevin,1548-1620)で1585年には、その実験結果が発表されています。一方でガリレオは自らの天体観測でコペルニクスの地動説を支持したがために異端審問にかけられ謹慎処分となって、悲惨な晩年をおくります。この処分は1992年10月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によってやっと解かれ、謝罪もされました。その場所がピサの斜塔との記述も散見されますが、これはバチカン(Meeting of the Vatican&#39;s Pontifical Academy of Sciences in Rome、ローマにおけるバチカン司教会科学会議)の間違いです。<br />

    アーリベデルチ(さようなら)ピサ。

    付録
    1.地形
    アルノ川の運んだ土砂で形成された沖積平野で、地盤は軟弱です。大聖堂が建設された15世紀当時、ピサはアルノ川河口付近にありましたが、その後もアルノ川によって海岸の陸地化が進み、現在はリグリア海からおよそ10kmの位置にあります。

    2.建築材料
    主たる建築材料は大理石で、産地は世界最大の大理石産地、ピサの北北西約30kmにあるカッラーラ(Carrara)です。大理石と言っても様々な種類がありますが、純白な代理石は方解石(炭酸カルシウム)の微結晶からできています。方解石は透明なのに何故白なのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、透明な氷の微結晶からなる雪や透明な塩(塩化ナトリウム)の微結晶が白く見えるのと同じ原理です。カッラーラの純白の大理石はカッラーラ・ビアンコ(Carrara Bianco、白のカッラーラ。Bianco はイタリア語で「白の」の意味)として有名で、切削がしやすく、磨くとつやがでるため、ミケレンジェロの彫刻であるバチカンのピエタや、フィレンツェ、アカデミア美術館のダビデ像等、世界中の多くの彫刻材料や建築材料に使われています。炭酸カルシウムの炭素やカルシウムの一部もしくは全部が他の元素で置換されたり、他の岩石が混入すると、大理石は灰色、黒、緑、黄、赤積褐色等、様々な色をもちます。カッラーラ産の大理石の多くは、白地に淡青灰色の縞や斑点があり、ピサのドゥオモ広場の建物にはこの大理石が多く使われています。

    3.建築様式
    この時代の代表的な建築様式にはロマネスク様式(10~12世紀)、ゴシック様式(12~15世紀)があり、ピサのドゥオモ広場の建物はこの様式の移行期に建設されています。ロマネスク様式の特徴は上から見た形がラテン十字の形であること、天井を石造りのヴォールト(かまぼこ型の天井)で覆ったこと、半円形のアーチを多用したことです。しかし、重いヴォールトを支えるために壁の強度を強くしなければならず、壁は厚く、窓を広く取れませんでした。これに対しゴシック様式は、尖塔、尖頭アーチ、飛梁(外壁補強のために建物の外側にアーチ状に設置された柱です。多分、皆さんに最もなじみ深いのはパリ、ノートルダム大聖堂の飛梁でしょう。)、リブ・ヴォールド(円筒状アーチの対角線をリブで補強したもの)などの特徴を有していて、ロマネスク様式よりも壁の強度を弱く取れたため、窓が広く取れ、ステンドグラスが設置できるようになりました。当時の人々は識字率が低く、聖書を読むことができなかったため、その内容をロマネスク様式ではフレスコ画やレリーフで、ゴシック様式ではステンドグラスで示されています。ピサ大聖堂はロマネスク様式の範疇でピサ・ロマネスク様式と呼ばれていますが、ローマ時代の建築、ビザンチン建築、ゴシック建築の影響も受けております。
     ヨーロッパの殆どの教会は、聖地エルサレムに向かってミサを行うため、東がわに祭壇を置きます。すると祭壇の反対側となる入り口:ファサード(正面)は西向きとなります。このファサードは人々の一番目につき位置にあるため、最も豪華に造られています。ではアメリカでの向きはどうかというと、後の時代にヨーロッパの教会をまねて造られたため、ヨーロッパと同じ方向関係にあります。

    4.政治
    このころの中北部イタリアは神聖ローマ帝国の傘下にありましたが、海運や商業で繁栄したピサ、ヴェネツィア、フィレンツェ等は、実質的に独立した政治的権限をもつ都市国家を形成しており、時折都市国家間の紛争もありました。

    5.ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei,1564-1642)
    あまりにも有名な物理学者で、膨大な業績があり、その概略を書くだけでもとてもスペースがたりませんので、ここではピサに関係する部分だけを記します。詳細を知りたい方は、ネットや伝記はもちろんですが、フィレンツェのガリレオ博物館(Museo Galileo、2010年、科学史研究博物館(Istituto e Museo di Storia della Scineza)から改名)を見学されるのがよろしいかと思います。
    ピサに生まれ、1581年にピサ大学に入学しますが、1585年に退学します。1589にピサ大学教授となり、1592年にはパドヴァ大学には移ります。ピサとガリレオの関係で有名な逸話は、ピサの斜塔から質量の異なる2つの金属球を同時に落し、同時に着地することから落下の法則を発見した、ピサ大聖堂で揺れるシャンデリアをみて振り子の等時性を発見した、ですが、これらはガリレオの晩年の助手であるヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ (Vincenzo Viviani)がガリレオの功績を誇張するために「ガリレオ伝」に書き加えた逸話だ、とういのが現在の科学史の共通認識です。ただし、振り子の等時性をこの教会で発見していた、というのは事実のようですが、ガリレオが見たのは現在のシャンデリアではなく、当時のものはドゥオモ広場内の保管庫に保存されているそうです。落下の法則の最初の発見者は、フランドル(現ベルギー)のシモン・ステヴィン(Simon Stevin,1548-1620)で1585年には、その実験結果が発表されています。一方でガリレオは自らの天体観測でコペルニクスの地動説を支持したがために異端審問にかけられ謹慎処分となって、悲惨な晩年をおくります。この処分は1992年10月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によってやっと解かれ、謝罪もされました。その場所がピサの斜塔との記述も散見されますが、これはバチカン(Meeting of the Vatican's Pontifical Academy of Sciences in Rome、ローマにおけるバチカン司教会科学会議)の間違いです。

この旅行記のタグ

229いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (6)

開く

閉じる

  • travelさん 2020/12/31 22:03:24
    ピサの斜塔は実際に見ると感動しますね。
    bunbunさん、ピサの斜塔の旅行記を懐かしく見させて頂きました。
    写真で見て単なる傾いているだけかなと軽く考えていましたが陽に照らされた白い斜塔を真近に見ると凄く感動しますね。
    余りに傾きと白さが印象的でずっと佇んで見入ってしまいました。
    イタリアは自然と建築物とどちらも素晴らしいです。
    bunbunさんの旅は何時も天気に恵まれて青空なので日頃の行いが◎なのでしょう。
    滋賀の旅行記に訪問頂き有難うございます。
    新型コロナの感染拡大が止まりません。
    どうぞご自愛ください。そして良いお年をお迎え下さいませ。

       travel
      
       

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2021/01/01 14:40:34
    RE: ピサの斜塔は実際に見ると感動しますね。
    travelさん、こんにちは。

    またのご訪問、私の拙い旅行記への投票ありがとうございます。

    地中海沿岸は大理石が豊富にとれますので大理石建築が多いですね。中でも不純物のない純粋な大理石は真っ白ですので、青い空や碧い海、緑の芝生に映えてその美しさは群を抜きます。夏の強烈な太陽光を反射する壁に塗られた真っ白な漆喰も大理石と同じ成分ですが、このような家々からなる白い街も地中海地方に多く、何処に何回行っても飽きません。

    以前にも他のメンバーさんから同様なコメントを頂いたことがありますが、私の旅が「何時も天気に恵まれて青空」ではないんですよ。旅行記は風景が鮮やかな晴天の旅だけを投稿するようにしています。ただ、旅行先の天気にはものすごく気を使って、海外旅行では年間降水量を調べて一番少ない時期に行くようにしていますし、国内は天気図、気象衛星画像、雨雲レーダー、天気予報とにらめっこで、天気が悪くなりそうでしたらキャンセルしちゃいますし、日帰りでしたら当日の朝快晴の時のみ出かけることにしています。とは言っても海外旅行は長丁場になりますので、どしゃ降りの日もありますが、こういった日の旅行記は投稿しておりません。「日頃の行いが◎」なんてとんでもございません。

    早くコロナが収束するといいですね。

    これからもtravelさんの旅行記を楽しみにしております。

    bunbun

    travel

    travelさん からの返信 2021/01/29 12:11:35
    RE: RE: ピサの斜塔は実際に見ると感動しますね。
    bunbunさん、返信コメントを頂きチリ、南極、京都の旅行記にも訪問頂き有難うございます。
    日本国内におけるコロナ感染者拡大に伴いEUも日本からの入域が禁止になり海外への渡航はまだまだ先になりそうですね。
    行こうと決心すれば何の心配も無く何時でも海外旅行に行けた頃が今となっては懐かしいです。
    アメリカの原風景のグランドサ−クルの風景は素晴らしいですね。
    bunbunさんの旅行記に見入ってしまいました。
    グランドサ−クルは私の一人旅の最初の訪問地だったので特に興味深いです。
    これからも寒さが続きます。
    どうぞご自愛下さい。

      travel

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2021/01/30 11:26:51
    RE: RE: RE: ピサの斜塔は実際に見ると感動しますね。
    travelさん、こんにちは。

    またのご訪問、私の拙い旅行記への投票ありがとうございます。

    私はこの旅行以前アメリカにはそれほど興味は無かったんですが、ただイエローストーンのカラフルな目玉だけはずっと見たいと思っておりました。そんな折、前年マダガスカルのツアーでお世話になったユーラシア旅行社さんから情報誌が届き、その中に「アメリカ西部国立公園物語」というグランドサ−クルを中心とした16日間のツアーが載っていました。それを見ていた妻が「ほら、あんたが行きたがっていたイエローストーンもあるるよ。」と教えてくれました。マダガスカルは最高に楽しかったので、この旅行社さんなら間違いないだろうと即申し込みました。イエローストーンはもちろん大感激でしたが、それ以外も見所満載で、やはり有名な観光地だけあると思いました。ユーラシア旅行社さんは現地ツアーガイドさんやバスの運転手さんも素晴らしく、添乗員さんは毎朝前日の観光についてその行程や様々な情報も含めてA41枚にまとめて配布してくれるので大助かりです。次回もこの旅行社さんにお世話になろうと思っていましたが、このコロナ渦を持ちこたえられるか心配しています。

    私が初めて行った海外はマドリードとその周辺の街でしたが、その美しい街並みには腰を抜かしました。郵便局は宮殿のようでしたし、広い道路の交差点にある噴水や彫刻は美術館のようでしたし、サングリアは美味しいし、フラメンコは素敵でしたし、街には香水の香りが漂っているような気がしました。帰りはモンブランに寄りましたが、シャモニーの街並みや標高4000 mのエギーユ・デュ・ミディ展望台から眺めた絶景は今でもはっきりと瞼に焼き付いています。

    travelさんはルーマニアやグリーランドを含め、私がまだ行っていないたくさんの場所に行かれていて羨ましいかぎりです。なかでもイースター島やレンソイスは死ぬまでにどうしても行きたいと思っていますが、このコロナでどうなることやら、です。

    travelさんもお体を大切に。
    早くコロナが収束するといいですね。

    これからもtravelさんの旅行記を楽しみにしております。

    bunbun
  • 中国の風景さん 2017/08/15 04:42:43
    ピサの斜塔
    何時もご覧いただきありがとうございます。ピサの斜塔の傾きを押し戻している写真が面白いです。また傾きを止める為反対側に鉛の重量で圧力を掛ける等他の旅行記では見れない物など詳しい情報が掲載されていて大変勉強になりました。今後とも宜しくお願いいたします。

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2017/08/15 12:50:55
    RE: ピサの斜塔
    中国の風景さん、こんにちは。

    ご訪問、私の拙い旅行記にいつも投票ありがとうございます。

    旅行記を丁寧に読んで頂き、感謝致します。
    私は一度気になると徹底して調べたがる質でして、カウンターバランスの写真はウィキの英語版で見つけ、引用指示に従って掲載しております。あのあたりは沖積平野で地盤が軟弱なため、塔の傾きにはずっと苦労しているようです。街の中の建物も多かれ少なかれ傾いております。

    私はまだ中国に行ったことはありませんが、長い歴史のなかでずっとかかわりがあった国ですので、非常に興味があります。中国の風景さんはハンドルネーム通り、中国の政治・経済・文化等中国に精通しておられて、旅行記はたいへん勉強になります。

    これからも中国の風景さんの旅行記を楽しみにしております。

    こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

    bunbun

bunbunさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 317円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP