2016/09/27 - 2016/10/04
28位(同エリア42件中)
ひさこさん
アルバニア・マケドニア・コソボ旅行記2から
6日目
結構、夜中煩くて何度か目が覚めたけど、まぁまぁ寝れた。
なんかセルビアの有名歌手が来てたっぽい。
朝食後、スコピエ観光開始。
バスでケール砦跡まで登って、街の全景を見学、そこから徒歩で観光。
古いモスクの外観を眺め、教会を眺め、オールドバザールを通り抜ける。
日曜日であり早朝でもあるので一部のカフェを覗いてしまってる。
ハマムの横を通り過ぎ、市に中心部へ。
聞いてはいたが、あちこち彫像、モニュメントいっぱい。
オスマントルコが作った石橋を渡ると、どでかいアレキサンダー大王像。
マケドニアはアレキサンダー大王の国の一部ではあるけれど、例えれば北海道が倭国と言って独立したようなもんで、今のマケドニアは、古代マケドニア王国の端っこ。当時の中心地はギリシャのテッサロニキである。
ので、アレキサンダー大王とは関係ないんだけどねぇ。
まぁ、マケドニアは常に誰かに占領されたり支配されたりしてて、独立してたのって、アレキサンダー大王の時代しかないからねぇ。
どちらかといえば、マザーテレサの国として売り出した方がいいんじゃないかな。
インドのマザーテレサは、このスコピエで生まれたアルバニア人。なので、マザーテレサの記念館がある。
生家は地震で崩壊しちゃったんだと。
結構、ファンキーなデザインの建物に、マザーテレサの資料がいろいろ飾られていた。
スコピエはさほど見所はないが、アルバニアの首都よりは色々見るものはあった。
サクッと観光を終えて、コソボへの国境越え。
ここでも山越え。気温20度。大阪30度くらいだったから、ちょっと肌寒いな。
明日雨みたいだし、震えるほど寒かったら嫌だなぁ。
今回もバスから降りない楽チン国境越え。
ここではやたらと荷物室チェックに時間を取られた。人が隠れてないか確認らしい。
移民問題かしら?
無事にコソボ入国。ここは8年前に独立したばかりの国。セルビアはコソボ州で俺たちの領土って言ってるけど、コソボは独立国!と主張してる。
コソボは元々、セルビア人発祥の地で、聖教会の本山?がある場所。オスマントルコ時代に過疎化してたところをアルバニア人(イスラム教徒)が移住させられたそうな。で、色々あって紛争が起こって、アルバニア人が勝ちゃって独立したんだとさ。
ややこしいな。
1時間半ほど走って、プリズレン到着。
まずはお昼ごはん。
イスラム系のキョフテ?というハンバーグ的な料理がメインだったけど、サイドディッシュのトマトと削りチーズのクロケットだっけ、パンの上に乗っけたやつがすんごく美味しかった。
午後の観光はプリズレン市内観光。
日差しが暑くて、日向は暑い。それでも日本よりはマシだが(ー ー;)
太陽に弱い私は、ちょっときついなぁ。
まずは、アルバニア人の独立を目指した会議が各地の代表者によって行われた民家を、再建したものを見学。
えらいちっさくて、2LDKの極小住宅。
世界各地に散らばるアルバニア人代表が集まって会議って、どんなけギュウギュウで入ってん!?Σ(゚д゚lll)
旧アルバニア人の国(1800年代)は、今回の3国とモンテネグロ・セルビアの一部地域が領土だったので、その範囲の独立を目指して争ったんだそうで。
コソボも独立したかったけど、セルビアに邪魔されて、独立できなくって、8年前にようやく独立。今はアルバニアと合併したいと願ってるらしい。
ややこしいな、この辺は(´・_・`)
次は石橋で記念写真。
オスマントルコ時代に作られた石橋は、全部、名称が石橋。古くなったら古い石橋と呼ばれるらしい。
あとは旧市街っぽいところを歩き、モスクやら教会やら見学後、珍しいのは聖教会の地域なのにカトリックのでかい教会を再建してるとこ。
最後に、コソボにある世界遺産、教会群(4つ)のうちの一つ、生ける聖人リベシャ修道院を見に行った。
ちなみにコソボにある世界遺産は、セルビアの世界遺産であり、コソボにいる大多数のイスラム教徒にすれば攻撃対象なので、ここでは警察に守ってもらっている。
他は軍とNATO軍が守ってるらしい。
壊れない程度の修復だけ行われているらしく、見てくれはなかなかだが、中は修復できないんじゃないかなとガイドの話。
オスマントルコ時代は、強制的にモスクに変えられたりしたこともあるけれど、今はちゃんと教会の見てくれに戻っている。
あと3つは明日。
プリズレンでの観光を終えて、首都プリシュテナへ向かう。
途中、トイレ休憩でミニマートがあったの で、そこでピーチティを買う。
ヨーロッパ地域でしか売ってないんだよね。ピーチティうまー(≧∇≦)
プリシュテナ到着、ホテルに入って荷物へ置いて、夕食のレストランに歩いていく。
胡椒辛いスープに、削りチーズたっぷりのサラダ、メインは牛ステーキ、デザートはチョコケーキと毎度のことながら量が多くて食べきれない。
絶対、太った(>_<)
腹苦しいよう。
ホテルに帰って荷物詰め。
明日の夜には帰国である。早いな。
7日目〜帰国
今日は目覚まし通りに起床。
今日でこのバルカン半島ともおさらばである。
昔はバルカンの火薬庫とか呼ばれていたこの地域、宗教的理由とかで国取り合戦していた感じ。
で、バルカン全体を支配する要ってのがやっぱりあって、それがコソボなんだと。
へーほーふーん、である。
今は、一応、落ち着いてるから、どうでもいいや。
天気は上々。夜中に雨が降ってたようだが、日中は晴れそうな感じ。
最初の観光は、グラチャニッツァ修道院。
セルビア人地区の中にあるので、普通に使われている修道院。
この修道院があるので空爆を免れていて、綺麗に残ってた。
セルビア王国時代(13世紀)に王様によって建てられたそうで、中のフレスコ画に、王と王妃が描かれている。
一部のフレスコ画は、イスラム教徒に攻められた時に破壊されたらしい。
庭園の中にあるような教会で、綺麗なところだね。
ペーチに向かう途中、トイレ休憩兼ねてスーパマーケットによる。
買うものないので、カフェでカプチーノを頼んだ。
生クリームモコモコ乗っかって、0.7ユーロ(100円くらい)。やっす(>_<)
物価4分の1くらいかなぁ。
そこから1時間ほど、モンテネグロの国境の山脈を眺めつつ、NATO軍のチェックポイントを通過し、デチャニ修道院へ。
現在も男性の修道士が生活していて、自給自足生活している。
教会はゴッシック様式。中のフレスコ画がすんばらしい!!
3年前に修復して、綺麗な状態で見学。
コソボを舐めてたよ。
すげー感動だよ(=゚ω゚)ノ
今でも、ここ(他の3つもだけど)はセルビア人の心の拠り所であり、コソボ独立派にしてみれば面白くない存在で、かなーり狙われているらしい。
独立当初は、修道院へ行く観光バスなんか地元警察にいちゃもんつけられたり大変だったそう。
今は表面的には穏やか。
独立前はセルビア人がアルバニア人を見下してたし、官民問わずのセルビアの空爆も酷かったようだし、しょうがないのかな。
仲良く共存してほしいもんだね。
昼食はマス料理。またマスだよ(´・_・`)
最後の観光は、ペーチ総主教修道院へ。
コソボ警察のゲートで、パスポート番号チェックとガイドの免許証確認をして、中に入る。
真っ赤な外壁の可愛らしい教会である。
女性修道院だからかと思ったんだけど、最近、外壁保護のために塗り直しただけらしい。
で、教会の中に入ると広い広い。
13世紀から17世紀のフレスコ画が、綺麗に残っている。
すげーなぁ。
カトリックみたいに、成金趣味的な派手さじゃなくて、クールな感じがいいよね(^_^)v
この教会は、セルビア聖教会の総本山。カトリックでいうバチカンに位置する、すんごく重要な教会。
なので、セルビアはコソボの独立を認めないんだよねぇ。
日本で言えば、皇居のある地域を外国人に取られて独立されちゃった感じなんだろうね。
さて、あとは空港に向かうだけ。
1時間ほどかけて空港到着。
イスタンブール経由で日本へ向かう。
台風が直撃か?と心配だったが、のろのろ台風で問題なくフライト。
アルバニア・マケドニア・コソボは、思ってたより発展していた。
今後、観光でやっていくみたいだし、急速に発展していくんだろうなぁ。
アルバニア、全然面白くないけど。ベラットくらいだったわ、見所は。
マケドニアは良かったし、コソボが期待してなかった分、すごく良かった。
コソボ、もうすこし観光したかったな。
もう10年もすれば、普通に観光できるだろうね。
たぶん、もう来ないけど(^_^;)
ヨーロッパに飽きて、ギリシャ経験済みの歴史好きにはいいかもね。
おしまい
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エヌオーイー
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