2016/05/13 - 2016/05/13
25位(同エリア260件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記597冊
- クチコミ0件
- Q&A回答19件
- 1,080,613アクセス
- フォロワー151人
今回もまた前編・後編と続く長い1日になってしまいました。
どうにかして簡潔にと思うのですが、年寄りの悪い癖、あれもこれもと徒然なるままにつづっているうちにいつの間にか長くなってしまうのです。
その中で、皆様の旅に役立つ情報を少しでも見つけていただければと思っています。
さて、前編では世界遺産の街ブレーメンをご紹介いたしました。
後編では、コーヒー貿易で財を成した商人が私財を投じて造った可愛い街、ベトヒャー通りを、それにまつわるナチスとの関係なども絡めてご紹介したいと思います。
それに、今回シニアたちはゲルマン大移動に巻き込まれて大変な思いをしました。
一体何があったのでしょう。そしてそれをどうやって切り抜けたのでしょうか。
-
マルクト広場の市庁舎の正面に見えるこの立派な建物は商工会議所です。
ハンブルク・リューベックと共にハンザ同盟都市として隆盛を極めたころは、ここはギルドハウスとして活躍しました。
その名残は屋根の上の正面に彫られた帆船でみてとれます。
このギルドハウスの左横から入る細い道、これがブレーメンの観光ストリート、「ベトヒャー通り」なのです。 -
突如現れた黄金のレリーフ、それを見上げる人々。
この狭い通りがベトヒャー通り入り口なのです。 -
黄金のレリーフには、大天使ミヒャエルが今まさに剣で竜(悪魔)を退治しようか、という場面が描かれています。
大天使ミヒャエルと竜は、また出たか!と言うくらいヨーロッパでは教会などでよく見かけますね。 -
入り口にこの通りの建物地図がありました。
ベトヒャー通りはほんの100mほどの小さな通りですが、美術館、博物館、お土産屋さん、おしゃれな小物屋さん、お菓子屋さんなどがいろいろ並んでいます。
この通りはコーヒー貿易で財をなしたロゼリウスが、1902年ある夫人からある条件を付けられた購入したもの。
条件と言うのは、16世紀から続くこの建物を保存すること、というものでした。 -
入り口にはこんな碑銘も掲げられています。
難しくて読めませんが、上部には、ここはパウラ・ベッカー=モーダーゾーンの家であること、また一番下には、1926年6月2日 ルートヴィッヒ・ロゼリウスの名前が見えます。
ロゼリウスは夫人から買い取った館や、その他この付近のハンザ商人の館等も買い集め、ベルンハルト・ヘトガーら建築家や、パウラ・ベッカー=モーダーゾーンら芸術家などを動員して、ゴシック様式やアールヌヴォーをふんだんに取り入れた繁栄当時のブレーメンの街並みを造り上げます。
1923年から1933年にかけて造られたと言いますから、ちょうどドイツがヴァイマル共和国の時代ですね。
歴史的には意外と新しいのです。 -
狭い通りにはしゃれたレンガ色の街並みが続きます。
-
左側には、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館と。
あの碑銘に書かれた名前ですね。
彼女はドイツを代表する表現主義の画家。
内部はパウラ・ベッカーの美術館になっています。
女流画家、パウラ・ベッカ=モーダーゾーンはドイツの上流階級の生まれで、12歳の時家族と共にブレーメンに移り住みました。
富豪のルートヴィッヒ・ロゼリウスは芸術上の彼女のパトロンでもありました。
また手前にはベルンハルト・ヘトガーの名前も見えます。
この建物は彼の作になるものです。 -
建物がそれぞれ個性があって、観光客もとっても楽しそうに散策しています。
-
それをまた楽しそうに2階の窓から眺めている魔女の姿。
愉快ですねー。
こんな遊び心もこのベトヒャー通りには随所に隠されています。 -
レンガの浮彫細工の壁も一つ一つ異なっていて面白い。
-
そして、ギザギザの破風屋根の建物がこちらの地主さま、ロゼリウスの家なのです。
1588年に建てられたこの家を、ある夫人から条件付きで譲り受けたのですね。
ここは現在は博物館になっています。
ロゼリウスハウスに続いて手前に見える館が「グロッケンシュピール・ハウス」です。 -
今回はなぜか写真を撮っていませんが、グロッケンシュピールハウスの屋根と屋根の間には、マイセン磁器でできた30個のカリヨンがあるのです。
そして時間になれば美しい音色を聞かせてくれるのですが、今回はその幸運に遭遇できませんでした。
写真は2008年のもの。 -
たぶんグロッケンシュピールハウスだったかと思いますが、ここでブレーメンの音楽隊を見つけました。
ロバ・イヌ・ネコが一列に並んで・・・??、あれ、ニワトリがいません。
よく見たら、像が壊れて足だけが残っていました。
ここは実は泉で、この細長い棒は水道管なのです。 -
ここには他にもこういう面白いモニュメントも。
祠の中でダラ〜んとした態度で幸せそうに寝そべっている像たち。
ブレーメンに伝わる「7人の怠け者の泉」という彫像だそうです。
怠けすぎて溶けたような体に比べて顔が結構リアルで怖い。 -
残りの二人はこちら。
その物語とは、
ある商人の7人の息子たちが揃いも揃って怠け者。遠くの泉まで水を汲みに行くのが嫌で、街の真ん中に泉を造った、というお話だそうです。
そのお蔭で街の人たちは重労働から解放され、息子たちは感謝されたというめでたしめでたしの昔話。 -
私が気になったのは、ブレーメンの音楽隊の列の向こうに見える可愛いお店、「ブレーマー・ボンボン・マニュファクチュア」。
-
かわいい扉を開けて中に入ってみます。
扉にもブレーメンの音楽隊の絵が。 -
店内にはカラフルなキャンデーやボンボンなどが並んでいます。
奥のほうではキャンデーづくりの実演もやっていました。
お客さんもひっきりなしで大変賑やか。 -
こちらには、私の大好きなヌガーがあります。
ふわふわのヌガー生地の中にびっしりとアーモンドやピスタチオ、それにドライフルーツなどが詰まっていて見てるだけで堪りません。
量り売りですが、この2種類を100グラムずつビッテ!と言って買ってしまいました。 -
包装もこんなに可愛い。
音楽隊のシールで、ブレーメン土産とすぐわかるのが嬉しいです。
この2つで13ユーロくらいでした。 -
もうちょっと奥までこの通りを歩いてみましょう。
ここにもアールヌーヴォーの素敵な窓枠。
その下でじっと何かとニラメッコをしている男性は? -
お相手はこの像。
獰猛な顔をしたイタチかヒョウかわからない動物と、その背中で寝そべる天使。 -
大きく開けた口から見える鋭い牙はピカピカに光っています。
これも触るとなにかいいことあるのかしら?
いいと思うものは何でも試してしまう日本のシニアたち。
もちろん私たちもご利益に与りたいから触ってきましたよ。 -
このモニュメントの向かいは、ハウス・アトランティス。
現在は高級ホテル、ラディソン・ブルが入っています。 -
このホテル、何が凄いかって。
外壁に一面に施された大きな半円のレンガ模様。
ここもベルトルト・ヘトガーの重要な作品です。 -
ここがベトヒャー通りの端です。
ここまで、市庁舎を背にして左側の建物を中心に見てまいりました。
ここで意外なものを見つけました。 -
日本で開催される伊勢志摩サミットの案内です。
場所はお寿司屋さんの店先。
飾られているお寿司も本格的よ。
外国には(ドイツにも)どこの国の人が握るのか判らないお寿司屋さんはいっぱいあるけれど、ここは絶対日本人が経営者よね。
なんだか嬉しくなった生粋日本人のシニアたちでした。 -
ベトヒャー通りのレポートが長くなりましたが、そろそろ引き返して駅に向かいます。
この街のことを調べていくうちに興味ある事実を知りました。
ここは、コーヒーで財を成したロゼリウスが、私財を投げ打って造り上げた『芸術品』なのだと、思い知らされる出来事です。 -
1933年、ナチスが台頭し、こともあろうにこのベトヒャー通りは「退廃芸術」の烙印を押されてしまったのです。
たしかに数々のモダンなレンガ建築、それに「光の天使のレリーフ」や「7人の怠け者」「ブレーメンの音楽隊」などは、ヒトラーが好みそうな題材ではありませんね。 -
ナチスにより、「劣悪芸術」「非ドイツ的芸術」とされた作品は没収され、破壊され、焼却され、晒しものにされました。
このベトヒャー通りも、ナチスにより取り壊される指示が出されました。
そこに登場したのはロゼリウス。当局を説得してどうにかそれを食い止めました。 -
ロゼリウスは、
『退廃文化』の堕落の見本として晒しものにするために、この「退廃的な通り」は保存するように、説得したのです。
ロゼリウスが熱心なナチス党員であったからできたのだという説もありますが、いつの世もお金次第ですからね。 -
どういう手段をとったせよ、このかわいい通りが破壊されなくて良かった、と思ったのはロゼリウスだけではなかったはずです。
-
きょうもベトヒャー通りには世界中から大勢の観光客が押し掛けています。
-
再びマルクト広場を通って・・。
たくさんの人がカフェタイムならぬビアタイム。 -
マルクト広場に別れを告げて・・・。
左から市庁舎、聖ペトリ大聖堂、ビュルガーシャフト)議事堂)です。 -
15時ごろ駅に着きました。
駅では大変なことになっています。
大勢の人・人・人。
駅の大きな時刻表画面でフランクフルト行の列車を探すも、ほとんどに注意マーク(!)が付いていて、指定席がどうのこうのとここでも表示が出ています。
そこではた!と思いつきました。
今日は金曜日、ゲルマン民族の大移動の日でした。
しかも月曜日がお休みとあり、明日から3連休になるのですから、いつもの大移動よりもっと凄いことになりそうです。 -
困りました〜〜。
フランクフルトまでなん時間も立っていくなんて、か弱い日本のシニアには考えられない。
藁をもつかむ思いで券売機で指定席に挑戦してみました。
3人分の指定席・・・っと。
いろいろやってみるけど、指定席にたどり着かない。
席が全然ないってことは考えられない。きっと私のやり方が悪いのね。
チケット窓口に行けば何とかしてもらえるかも。
時刻表を印字して、スーツケースをI女史に見てもらって急いでインフォメーションカウンターへ行く。
出力した時刻表を見てまたまたハタと考えた。
ブレーメンからハノーファーまでの列車はもう出発しているから、指定席はとれないかも知れないけど、ハノーファーからのICEならまだあるんじゃないだろうか。 -
窓口で時刻表を見せて、3人分の指定席をお願いします。
もしブレーメンからがダメなら、ハノーファーからのICEだけでもいいです、と。
係員はコンピューターに向かっていましたが、しばらくして、「残念ながらありません」と。
わあーどうしよう・・・。
その時の私の顔は途方に暮れて泣きそうになっていたかも知れません。
ちょっと待って!係員がもう一度コンピューターに向かいました。
そして3人分はないけど、2人分なら残っているわよ、と。
それお願いします!って叫んだのは言うまでもありません。
そんないきさつがあったフランクフルト行でした。 -
私はいつもスーツケースを持って移動する日はほとんど座席指定をとります。
荷物を引っ張って席を探してうろうろするのはすごいストレスになりますから。
今回は、途中ブレーメンで観光するし、夜までにフランクフルトに着けばいいからと帰りの列車は特に決めていませんでした。
それに事前調査では、ブレーメンからフランクフルトは経由違いなら何本も出ているのは調べていたのです。
まさか、連休付きの、最悪のゲルマン大移動の日だとは想定外でした。
◇◆
ブレーメン駅ホーム。
大勢の人がハノーファー行を待っています。 -
予想通り、ブレーメンからハノーファーまでのICは大混雑。
ここで大変うれしい出来事が。
親切な若い女性が、この席の予約はハノーファーからだからそれまで座ることが出来ますよ、と自分が座っていた2つ並びの席を空けて別な席に移ってくれたのです。
その優しさが心にじーんと沁みるようです。
ありがたくI女史と2人で座りました。
ただ、荷物置き場所がなく、2人掛けの席に2人分のスーツケースも一緒という窮屈な姿勢。
車窓の写真などは撮れる状態ではありませんでした。
これはその後撮った車窓の写真です。 -
次のハノーファー⇒フランクフルトのICEもほとんど空いている席はありません。
空いていても予約が入っている席です。
荷物を持って席を探して右往左往している人の姿を見ると、あの時2つだけでも座席指定しておいて良かったと思いました。
K氏にはほんとに申し訳ないことをしました。
「僕は近くで空いている席を探してみるから、そこに二人で座って。」と言っていずこかへ行ってしまいました。
この男性も空いている席を探して別の車両から移動してきたのですが、座席に予約票が表示されているのを見て、残念そうに次の車両へ移って行きました。 -
こちらの女性はたくましい。
大きなスーツケースを網棚に軽々と上げています。
私たちがそんなことをしたら、潰れてしまいますね。 -
列車はゲッティンゲン駅を過ぎて・・・。
-
間もなくフランクフルト駅に到着です。
座席に座れなかった人が、トイレの前や通路にも腰かけているので、通路を開けてもらうのが申し訳ない。
今日は大変な移動になりました。
『ゲルマン大移動、侮るなかれ。』
もとい、今回は私たちもゲルマン人ではないけれど、ゲルマン(ドイツ)大移動に加担した仲間なのでした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
-
- ぶどう畑さん 2016/08/18 22:47:34
- ブレーメンの鳥居
- himmelさん
ぶどう畑です。
ハンブルクの次は、ブレーメンだったのですね。
あの鳥居、10年前にもありましたよ。
私は2006年の10月に、ハノーファーに滞在して、ブレーメンに行ったのですが、しっかり写真に収めました。いつからあるのでしょうね。
あの時は、ブレーメンでたくさんの山車が出るパレードがあって、こんなことに遭遇するなんて!と最初は喜んでいましたが、その山車が手作り感いっぱいで、ちっとも面白くない…。(笑)
着いた頃はそこそこ観光できたのですが、そのうち人があふれだし、山車からアメとかばら撒くので、沿道は凄い人。道路を渡るのも一苦労。
ベトヒャー通りに行くのに方向を間違えていて、戻るのもままならず、諦めました…。
himmelさんの写真で様子が分りました。面白そうな路地!
たしか、関口知宏もドイツ鉄道の旅で行っていましたよね。
そうそう、電車。ハノーファー滞在後、ハイデルベルクに移動したのですが、私もタカをくくっていて、DBの窓口で「空いている席を探せ」と言われてしまいました。
それでダメモトで、1等の車両に行って、車掌さんに「追加料金を払うから」と言ったら、どこかに電話して、1等に座れらせてくれたんです!
後から検札に来た車掌さんは、2等のジャーマンレイルパス切符を見ても何も言わず…。
こんなラッキー、もうないでしょうね。
I女史とhimmelさんは座れてよかったですね。K氏は立ちっぱなしだったのでしょうか…。
「か弱いシニア」に、ちょっと笑ってしまいましたが。(^^)
- frau.himmelさん からの返信 2016/08/19 10:28:15
- RE: ブレーメンの鳥居
- ブドウ畑さん、こんにちは。
駅前の鳥居、そんな前からありました?
コメントを見て、私も自分の写真を探してみました。
私が駅前のホテル、コロンブス(今はStar inn Hotelとなっています)に2泊したのは2004年でした。12年前ですね。
ホテルは駅の正面でまさに目の前、鳥居がある海洋博物館は広場の左手のはず。
毎朝毎晩窓から眺めていたのに鳥居は気が付かなかったなー。
気になって(いよいよぼけたのかななんて・笑)ちょっと調べてみました。
ブログなどで鳥居があったと記述があったのは2006年が一番古い。
その時は海洋博物館でアジア特集をやっていて、鳥居はその目玉か何かだったようです。
場所も現在のように博物館のすぐ前ではなく、広場の手前、かなり駅に近いところだったようです。
ぶどう畑さんがご覧になったのも駅に近い場所ではありませんでした?
でも10年前からあったということは、そう簡単に撤去されないですよね。
どうせ何かのモニュメントだろうから、早晩なくなると思っていましたので、ちょっと安心しました。
ゲルマン大移動、ほんとにすごいですね。
金曜日の夕方は列車が混むとは知っていましたが、まあ何とかなるだろうとタカをくくっていました。あの時は3連休だったと後から気が付きました。
ほんと、K氏にはお気の毒なことをしました。ハノーファーまでは何とか同じ車両で座っていけたのですが、ハノーファーからのICEはずっと離れた車両で、でも座ることができたそうで安心しました。
ただ、車内で食事をしようと、パンやジュースなどを買い込んでいたのに、それらも離れ離れで・・・、食事はできませんでした。
いい経験をしました。
ブドウ畑さんは1等車両でラッキーでしたね。
いえいえ「か弱いシニア」ですよーー。(笑)。
himmel
- ぶどう畑さん からの返信 2016/08/19 21:59:26
- RE: RE: ブレーメンの鳥居
- himmelさん
ぶどう畑です。
> ぶどう畑さんがご覧になったのも駅に近い場所ではありませんでした?
そうでした!写真を見たら、広場の奥ではなく、手前にありました。
2006年の海洋博物館のアジア特集の時に、設置されたのですね、きっと。
駅舎から出てすぐの場所に、赤い鳥居が建ってたから、否が応でも目に入りました。(笑)
フランクフルトに着いたら、前回、乗れなかった、リンゴ酒の電車でしょうか。
続きはいかに?
#あの黄色い花、私もレンギョウのように思います。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
3
44