2016/07/01 - 2016/07/01
134位(同エリア337件中)
naoさん
伊勢別街道は、関宿の東の追分で東海道と分岐し、津市内の江戸橋で、四日市と伊勢神宮を結ぶ伊勢街道に合流する街道で、京都方面から伊勢神宮への参宮道として、盛んに人々が往来しました。
街道沿いの楠原、椋本、窪田には、20〜30軒ほどの旅籠を擁する宿場町が置かれ、各地の伊勢講の定宿として賑わったほか、街道筋には随所に茶屋が設けられ、一身田大古曽村に至っては「茶屋町」の名が付けられるほど軒を連ねていたといわれています。
三重県津市芸濃町椋本は、平安時代に整備された当初の伊勢別街道に代わって、室町時代後期にルート変更されたお陰で、お隣の楠原宿に代わって活況を呈するようになった椋本宿があった町で、最盛期には多くの参詣客で賑わいました。
江戸時代の椋本宿には、約20軒の旅籠をはじめ、茶屋、問屋場、高札場が置かれ、各地の伊勢講が定宿とした旅籠には各々の講札が掲げられていました。
また、宿場の東西入口には伝染病除けの「仁王経」碑を鎮座させ、町並みの中ほどには桝形を設けるなど、町の守護に努めていますが、それ以上に特筆すべきなのは、度重なる火災の経験から、大胆に道路を屈曲させて町を大きくエリア分けし、宿場全体への延焼を防いでいることが挙げられます。
明治24年(1891年)に亀山と津の間に鉄道が開通したため、宿場としての役割を終えますが、今も千本格子をしつらえた伝統的な町家が連なる町並みには、平成25年に惜しくも廃業されてしまいましたが、各地の伊勢講の講札を玄関先に掲げた旧角屋旅館(現在は「伊勢別街道講札博物館」として運営)が現存し、かつての宿場町の面影を色濃く残しています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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椋本宿の西の入口付近にある横山池の堤に立っている、「駒越翁彰功碑(右)」と「仁王経 上の塔(左)」。
横山池は、駒越五良八翁が二万両の私財を投じて文久二年(1862年)に着工し、 慶応二年(1866年)に竣工した池で、この辺りの二百町歩(約200ha)にも及ぶ田圃の灌漑が可能になったことを顕彰して、昭和9年(1934年)に「駒越翁彰功碑」が立てられました。 -
こちらは、文化2年(1805年)に村人たちの多大な労力を費やして建立された「仁王経 上の塔」です。
当時、疫疾と呼ばれた伝染病は街道筋に沿って蔓延したようで、椋本宿でも伝染の危険性が心配されたことから、これを防除するため、『災難を滅除し国家が安泰となる』とされる仏教の経典、「仁王経」の上巻6583字、下巻5608字を1字ずつ小石に書き写したものを2部作成し、椋本宿の東西それぞれの入口に埋蔵した上にこの碑を建立したものです。
なお、「仁王経」の文字は同じ書体ですが、地元では西の入口を「上の塔」、東の入口を「下の塔」と呼び分けておられます。 -
さて、「仁王経 上の塔」を後に、椋本宿の西の入口にやってきました。
椋本宿は、室町時代後期に伊勢別街道がルート変更された以降、お隣の楠原宿に代わって活況を呈するようになった宿場町で、最盛期には多くの参詣客で賑わいました。 -
かつて椋本宿には、約20軒の旅籠をはじめ、茶屋、問屋場、高札場が置かれ、各地の伊勢講が定宿とした旅籠には各々の講札を掲げられていました。
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明治24年(1891年)の亀山〜津間の鉄道開通により、宿場としての役割を終えますが・・・
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今も千本格子をしつらえた伝統的な町家が連なる町並みには、かつての宿場町の面影を色濃く残しています。
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椋本宿の町並みです。
少し先に桝形が見えています。 -
桝形に差し掛かりました。
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椋本宿の桝形も、ほぼ造られた当時の形を留めています。
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資料によると、この辺りに問屋場と高札場があったように記されています。
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桝形の東側に連なる町並みです。
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石垣に植えられた松葉草の紫色の花が、町並みに彩を添えています。
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この町家の向かいの、直交する道路の分岐点には・・・
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「役場道」と刻まれた道標が立っています。
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桝形を抜けた辺りから道幅が一段と広くなりました。
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それと同時に、かつて旅籠だったといってもおかしくないような大きな町家が目立ちはじめました。
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伊勢講の講札こそ掲げられていませんが・・・
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千本格子をしつらえた伝統的な町家は、宿場町の面影を感じさせてくれます。
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街道筋に面して生垣をめぐらせた町家。
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生垣が切れた部分には、石の門柱が立っています。
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木製の玄関戸と隣あって、アルミサッシの玄関戸も設けられています。
元々は、とても間口の広い玄関だったんでしょうね・・・。 -
この町家には、とても幅の広い格子がはめられています。
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西側の町並みを振り返った光景です。
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この大きなお屋敷は、正面の正門以外にも・・・
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脇道に面して勝手門まで設けられています。
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この町家は、妻入りの建屋を中心に、まるで両翼を広げるように塀が延びています。
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街道が折れ曲がる角に、石の道標と木製の標柱が見えてきました。
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石の道標の正面には「左さんくう道」、右側面には「右榊原」と刻まれており、おそらく江戸時代後期のものであろうと推測されています。
また、木製の標柱は明治43年(1910年)に建てられた道路里程標で、道路の起点、終点、分岐点などに設置されたものです。 -
道標や標柱のある角で左に曲がった街道は、突き当たりに見える町家の手前でまた右に折れ曲がっています。
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これは、度重なる大火を経験した椋本宿が、大胆に道路を屈曲させることで町を大きくエリア分けし、宿場全体への延焼を防ぐようにしたことによるものです。
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この妻入りの町家の2階の戸袋は、片側の外板が無く、内部がむき出しになっています。
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こちらは電気工事店さんなんですが、手摺をしつらえた外観を見ると、以前は旅籠だったんじゃないのかな?、と想像させます。
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こちらは、平成25年に惜しくも廃業されてしまった旧角屋旅館さんです。
現在は「伊勢別街道講札博物館」として運営されています。 -
玄関先に各地の伊勢講の講札を掲げた旧角屋旅館さんを見ると、かつての宿場町の面影が蘇ってきます。
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伊勢詣でのために全国各地に組織された伊勢講が・・・
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それぞれの定宿の目印として講札を掲げたんですね。
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このように、創業以来200年以上に亘って伊勢詣での客をもてなしてこられましたが、オーナーの高齢化などにより廃業せざるを得なくなったとのことで・・・
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現在は「伊勢別街道講札博物館」として、講札をはじめ、明治以降の宿泊者名簿や旅館の道具類が展示されています。
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願わくは、この風情ある旅籠の姿を、これからも変わることなく見せて戴ければと思います。
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では、「伊勢別街道講札博物館」を後にして町歩きを続けます。
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2階の出格子が、ちょうどいい具合にクーラーの室外機置場になっています。
こうすれば雨に濡れないので良いですね。 -
格子の前に駒寄せをめぐらせた町家。
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こちらの町家は、部分的にアルミサッシに替えられています。
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西側の町並みを振り返って見た光景です。
旧角屋旅館さんの看板も見えています。 -
通常なら格子が入っているんですが、ここは格子が無く、出入りできるように靴脱石を置いてあります。
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路地から見た町並みの様子です。
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奥行きの深い町家なので、屋根面がとても大きく見えます。
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この町並みでは珍しい、袖壁のある町家です。
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その町家の妻入り部分には、幅の広い木戸が付けられています。
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西側の町並みの光景です。
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この妻入りのクリーニング屋さんは、重厚な造りの妻面を見せています。
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薄紫のアガパンサスの花が、町並みに爽やかな印象を与えています。
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ベンガラ塗りの塀をめぐらせた町家です。
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最寄りの鉄道駅まで相当距離があるので、椋本宿には路線バスが運行しています。
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バス停を過ぎた少し先には、延命地蔵堂があります。
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正徳5年(1715年)に建立された延命地蔵堂は、この付近の住人が余りにも短命なのに憂慮した村人達が建てたものだそうです。
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お堂の右手には、文政4年(1821年)の作といわれる手水鉢があります。
この手水鉢、何か言われがありそうです。 -
こちらの町家は、格子の中の建具の桟に面白いデザインを施しています。
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さて、そろそろ椋本宿の東の入口が近づいてきました。
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東の入口には、西の入口の「仁王経 上の塔」と対を成す、「仁王経 下の塔」が建立されています。
東西とも「仁王経」の文字は同じ書体なんですが、上の塔は深く彫り、下の塔は輪郭線のみを浅く彫って、「阿吽の義」を象徴しているんだそうです。
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